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乙女ゲームの世界の住人になりました。

 

 ある日、乙女ゲームの世界の住人になっていた。


「なんでやねん。」


 俺、海崎玲央の乙女ゲーム世界での生活は、その一言から始まった。


 この世界が乙女ゲームの世界だと気づいたのは今朝のことだ。


 今日から新学期が始まるので、憂鬱感を抱えながら制服に着替えようとした。

 いつものように自分の部屋のクローゼットを開けると、そこには見覚えのない制服がかかっていた。


 俺の高校の制服は、黒の学ランだったはずだ。なのに今目の前にあるのは、襟に白いラインが入った青いブレザーである。


 まだ寝ぼけているのだろうか。

 俺は廊下を歩いていた中三の妹に尋ねた。


「………妹よ。俺の制服はこんなだったか?」

「こんなだったぜ兄ちゃん。」


 そうか。こんなだったか。

 久しぶりだから新鮮に感じちゃったんだろうな。うん。


 俺は妹の言葉を信じて制服に袖を通す。

 見た目に違和感を感じたが、着てみるとすごくしっくりくる。


 着替え終わると、朝食をとるためにリビングに向かった。

 テーブルについた俺に気がついた母がキッチンから顔を覗かせた。


「おはよう玲央。」

「うーい。」


 適当に流したら母が近づいてきて、「おはようの挨拶は?」と俺の耳を引っ張りながら言う。


「おはようございますお母様。今日もお美しゅうございます。」

「うむ、よろしい。」


 母は挨拶を大事にする性格で、適当に挨拶をすると言い直させる。

 理由は「挨拶は社会人の基本だから」だそうだ。

 俺はまだ社会人じゃないんだけど。


 口答えしても母の機嫌を損ねるだけなので、挨拶に加えて母を褒める。

 いつも通りの日常だ。


(なのにどっか引っ掻かるんだよな。)


 悶々としていると、そのことに気付いた母が「どうかしたの?」と声をかけてくる。

 俺は先ほど妹にした質問を母にも投げ掛けた。


「俺の制服ってこんなだっけ?学ランじゃなかった?」

「こんなよ。ずっとブレザーじゃない。制服買い替えたりしてないわよ?」


 母は妹と同じ回答をした。

 二人がこう言うんだ。きっと俺の違和感は気のせいなのだろう。


 母からトーストと目玉焼きが乗った皿を受け取る。すると大きなあくびをしながら妹がリビングに入ってきた。


「ふわぁ~~。おはよ~。」


 涙を目尻にためて明らかに眠そうにする妹に、母は「おはよう三葉」と声をかける。


「随分と眠そうにしているけど、寝不足なの?」

「昨日遅くまで勉強してて。」


 妹はそう言うと俺の隣に座る。

 ちなみに勉強云々は嘘である。

 俺は知っている。こいつゲームしてました。


 妹は根っからのオタクで、特に乙女ゲームに熱をあげている。

 ゲームを長時間していると母に怒られるため、母が寝静まった夜中にこっそりゲームをプレイしているのだ。


 そんなことを露ほども知らない母は、妹の言葉を素直に信じる。


「頑張るのはいいけど、寝るのが遅くなるのはだめよ。」

「はーい。」


 妹は少し反省の色を示した声音で返事をする。


 騙されないで母さん。こいつが頑張っているのはキャラとの恋愛です。


 そう思ったものの、俺も母に隠れてゲームをすることがあるため、告げ口はしない。

 母からもう一枚朝食が乗った皿を受け取り、妹の前に置く。


「メルシー兄ちゃん。」

「なぜフランス語なんだ。」

「推しがフランス出身なんだよ。」


 妹はトーストを片手に「ボンジュール!」とウインクする。


「お前の推し国際色豊かだな。」


 そう言ってから、ふと気づく。

 俺の記憶が正しければ、こいつがハマってる乙女ゲームはどれも魔法ありの異世界が舞台だったはずだ。リアルの国名が出てくることはないはずだが。


「推しって、いつも一緒にプレイさせてくるゲームのやつ?」

「そうだよ。」


 いつもプレイするゲームは、『学園王子と10人の騎士』という異世界の魔法学園が舞台となる作品だ。強い魔力を持つ主人公が、学園のイケメンたちと力を高めながら世界を救うという、中々に壮大なストーリーである。

 妹はこのゲームに出てくる金髪碧眼のイケメン、エドワード・ラルクローレンを推していた。


 いつも見せてくるアイツ、フランス出身だったんか…。


 テーブルに追加のサラダとスープが並べられ、俺と妹は声を揃えて「いただきます」と言って朝食を食べ始める。

 春休み中は学校がないため、妹と雑談をしながらご飯を食べていた。


 今日もその調子でゲームがどうの、アニメがどうのと喋りながらゆっくりとご飯を食べ進める。

 しばらくしてから母は眉を下げながら言った。


「二人とも時間は大丈夫なの?」


 癖が抜けずに喋っている俺たちが気になったらしい。

 壁にかかっている時計を見ると、八時になろうとしていた。学校までは歩いて三十分くらいかかるため、そろそろ出なければならない時間だ。


「やばっ!!!まだ着替えてない!!」


 妹は朝食を全て掻き込み、「ごちそうさま!」と皿を母に渡して大きな足音をたてながらリビングを出た。


 俺は妹とは対照的に、時間が迫ってものんびりと食べるタイプだ。

 うん。うまい。


 その様子に母は呆れていた。


 しばらくして俺が食べ終わるのと同時に、妹が歯ブラシを咥えながらリビングに戻ってきた。


「わいまぐもぐ!!!もご!?」

「なんて?」


 歯磨きのせいで何を言ってるかさっぱり分からない。


「ワイシャツなら昨日クローゼットの引き出しに入れたわよ。」


 母が皿を洗いながら答えた。

 なぜ今ので分かるんだ母よ。


 妹は母の言葉を聞いてバタバタと階段を駆け上がっていく。


 俺は空になった皿を母に渡し、洗面所に向かう。洗面台に設置された棚に置かれた青色の歯ブラシを手に取り、にゅっと歯磨き粉を乗せて口に運ぶ。鏡の向こうの自分と目が合う。


 一年間着て少しよれた制服。袖口は少し擦れて色が薄くなりつつある。

 着心地は馴染みがあるのに、なぜか落ち着かない。


(そういえばこんな感じの制服着てるキャラいたな。確か乙女ゲームの…)


 歯を磨きながら、これまで妹がやってきた乙女ゲームを思い出そうとする。するとそこにワイシャツを手にした妹がやってきた。


「おひーひゃんほいえー」


 口にまだ歯ブラシを咥えているため何を言っているのか分からない。つか咥えながら話すなよ。

 俺も話せる状態にないため、首を傾げて分からないことを伝える。妹は右手の人差し指で洗面台を指し、横にひらひらと振った。どうやら洗面台を使いたいらしい。

 俺が一歩後ろに退くと妹は洗面台の前に立ち、口をゆすいだ。


「メルシー兄ちゃん。ところで、鏡の自分を見つめていたけど、見惚れてた感じ?」


 俺はにやにやする妹を退かして口をゆすいでから「違えよ」と否定した。


「これっぽい制服着てるキャラがいた気がして。お前のやってた乙女ゲーにいなかったっけ?」


 自分の制服の襟を少し摘まみながら言う。


「んー、どうだろう。正直漫画とかでよくあるデザインだからなぁ。夜に探してみようか」

「サンキュー」

「ついでに新しい乙女ゲーム一緒にやろうよ」


 それは遠慮させていただきたい。二次元の男に「かわいい」だのなんだの言われるのはむず痒い。


「二人ともー。そろそろ学校行かないと遅刻するわよ」


 俺たちが中々家を出ないことに危機感を感じたのだろう。母の声がキッチンか飛んでくる。

 俺が自分の部屋に鞄を取りに行こうとすると、妹に服の裾をつままれた。


「兄ちゃん、ついでに私の鞄も取ってきて」


 部屋で着替えてついでに鞄も持って来ればいいような気がするが。まあ、部屋は隣だからいいか。

 俺が頷くと妹は満面の笑顔で「ありがと」と言って洗面所の扉を閉めた。

 妹は自分の部屋では決して着替えない。妹曰く「推しのグッズの前で着替えるのは恥ずかしい」らしい。兄を自分の部屋に入れるのは恥ずかしくないのか?

 妹の感覚はよく分からん。


 先に自分の部屋に寄って鞄を取ってから、妹の部屋に入った。

 壁に貼られたポスター、天井まで伸びる大きな本棚の上の方には乙女ゲームや攻略本、特典冊子が詰められ、下の方は漫画がぎゅうぎゅうに詰まっている。他にもグッズを置く棚やぬいぐるみを飾るケースなどが壁に沿って並んでいる。本棚と机くらいしかない俺の部屋と違って、妹の部屋は物が多い。

 しかし妹は几帳面な性格なので整理整頓されて綺麗な印象を受ける。


(あ、壁のポスターが昨日と変わってる )


 昨日までは金髪碧眼のイケメンのポスターが二枚貼られていた。しかし今は黒髪で紫の瞳を持つ硬派なイケメンが壁を覆っている。


 まあ、興味はないので特にじっくり見たりはしない。

 鞄を探して部屋の中を少し見回すと、窓の側の机の横にかかっていた。近づいて鞄を持ち上げるとやけに軽い。机の上を見ると、入れてくださいと言わんばかりに教科書が積まれていた。


 俺はため息をつきながら空の鞄に教科書を入れてチャックを締めた。


 二つの鞄を肩にかけて玄関に向かうと、着替え終わった妹が靴を履いて待っていた。


「ありがとう兄ちゃん」


 妹は高い位置で一つに結んだ髪を揺らしながら、俺から鞄を受け取る。

 相変わらず着替えるの速いなと妹の制服に視線をずらした瞬間、違和感を覚えた。

 俺の記憶では妹の中学の制服は紺色のセーラー服だったはずだ。

 しかし、今妹が着ているのは黒色の襟に白の糸で刺繍が入った白のブレザーと襟と同じ黒色のスカートだ。


「お前、制服変えた? 」

「え?別に変えてないけど 」


 妹は首を傾げてからどこか変わった所がないか腕や体を捻ったりして確認する。


「そういえば起きてすぐに自分の制服についても聞いてきたよね。なんかあったの? 」

「いや、記憶と違う感じがしたから」

「春休み中着てなかったから新鮮に感じるんじゃない? 」

「そうか? 」

「そうだよ。ね、お母さん」


 妹がお弁当箱の入った包みを持ってきた母に同意を求める。


「そうね。改めてしっかり見ると違うものに見えてきたりするし 」

「なるほど。確かにこの見慣れた包みも、改めて見ると色とか形とか、いつもと違うものに見えるな」


 俺は手渡されたお弁当の包みをまじまじと見る。


「包みは新調したからいつもと違うわよ」


 あ、左様ですか。


 俺はそそくさとお弁当を鞄にしまって玄関の扉を開ける。


「気をつけて行くのよ。間に合わないからって空飛んでいったりしたらだめよ 」


 ははは。母さんはお茶目だな。

 母さんは中々にユーモアがある人だ。よく真面目な顔で本気か冗談か分からないことを言ってくる。

 そんな母さんの愛嬌に、俺と妹はあえて乗っかる。


「しないって。間に合わないって分かったら、諦めて兄ちゃんとエスケープするから 」

 どやぁっと効果音がつきそうなくらい胸を張る妹。

「そうそう」

 と妹に深い共感を示す俺。

 冗談には更なる冗談で返すのが俺たち兄妹だ。

 そんな俺たちに母は呆れた表情を示したが、何か言うのを諦めたらしく「早くいってらっしゃい」と投げやりに言うだけだった。


「「いってきます!」」


 俺と妹の声が重なる。

 母に見送られながら、俺たちは新学期の学校へと向かった。


 家を出てからしばらく平坦な道を歩いた後、学校まで伸びる緩やかな坂を妹と昇る。春の暖かな陽気が心地よい。つい先ほどまで寝ていたというのに睡魔を誘ってくる。

 どこからか運ばれてきた桜の花びらが目の前をよぎる。それを眺めながら俺は大きなあくびをした。隣を歩く妹も吊られたようにあくびをする。


「兄ちゃんのあくびがうつっちゃった」


 妹は目尻に涙を溜めつつ更にあくびをする。

 発

「お前のは寝不足だろ。昨日も学騎士遅くまでやってたし」


 瞬間、俺ははっとした。

 学騎士とは、妹の好きな乙女ゲームの愛称である。妹はこのゲームを愛しており、発売から一年以上が経って何度もクリアしているのに、毎回初めてプレイしたかのようなみずみずしい反応を示す。昨日もここがいい、あれがいいと興奮した妹の様子を見せられた。


 学騎士の名前を聞くと、妹は川が決壊したかのように推しについて語りだすので、名前を出すのを避けていたのに…。

 またいつもの長い話を聞かされるのか…。


 眼をキラキラさせながら語り始めるのだろうと、恐る恐る妹の方を見る。


 しかし俺の想定とは対照的に、妹は至って落ち着いていた。

 それどころか、


「私が昨日やってたゲームのタイトルは学騎士じゃないけど 」

 と首を傾げる。


「あれ?そうだっけ? 」

「そうだよ。昨日やったのはユニヴェル 」

「ユニヴェル…?」

「そう。ユニ・ヴェルト〜君に捧げる世界の果て〜。興味なくても名前くらい覚えてよー」


 妹は口を尖らせて不満を言う。いつもなら小突いたりするところだが、何も反応できなかった。


 昨日やっていたのは学騎士じゃない…?

 そんなはずはない。

 だって昨日隣でプレイするのを見た。

 俺の記憶違いか?いや、嫌になるくらい見せられてきたから見間違えるはずがない。

 妹が間違えているのか?

 いや、教科書を一度見ただけで全て暗記するような超人的な記憶力を持つ妹に限ってそんなことは絶対にあり得ない。

 なら何故、妹は学騎士をやった記憶がないんだ。


 俺の動揺を表すかのように、汗が首筋をつたう。

 様子がおかしいことに気づいた妹が、俺の顔の前で手をひらひらと振ってくる。


 刹那、俺の中に一つの仮説が生まれた。


 現実にありえるはずがない、馬鹿げた空想のような仮説だ。


 俺は唾を飲み込んで慎重に口を開く。


「お前、昨日壁のポスター貼り変えた?」

「え、ずっと変えてないけど」

「……お前の最推しって、学園王子と10人の騎士に出てくるアルバート・ラルクローレンだよな?」



「ラルク……? 」


 妹が少し言葉をなぞった。数秒の沈黙が流れる。


「誰それ」


 興奮のない、冷静な声だった。

 その瞬間、俺の中に生まれた仮説は確信へと変わった。


 着た覚えのないはずなのに、どこか既視感がある制服。貼り変えてないはずなのに、変化したポスター。妹の記憶から消えた乙女ゲーム。


 今朝から感じていた不審な点が、バラバラだったパズルが全てはまるかのように一気に繋がった。

 繋がって欲しくなどなかったが。


「まじかよ…」


 誰にも聞こえないほどの小さな呟きを漏らすのと同時に、俺は駆け出した。


「ちょ、兄ちゃん!?」


 慌てた妹の声に振り返ることなく俺は走った。


 もし仮説が正しいのなら、俺たちが向かう学校にも影響が出ているはず。そして俺の推理が正しければその学校は―――――。


 5分程走ると、学校を囲む柵が見えてきた。しかし、それは見覚えのある白いコンクリートと緑のフェンスで囲まれたものではなかった。海外の家を囲むような、見上げるほど高い黒い筒の鉄が均等に並び、荘厳な印象を受ける。

 俺はこんなセキュリティが心配になる柵に囲まれた学校に通った記憶はない。しかし、俺はこの学校を知っている。


 門の前まで走り、俺は校門の上に掲げられた校章を見上げた。


「待って、兄ちゃん、徹夜明けに全力疾走はキツい……」


 俺を追いかけて走ってきたらしい妹が、息を切らしながら俺の隣に並ぶ。


 肩で息をする妹に俺は問いかけた。


「なあ、俺が通ってる高校って朝霧高校だよな?」

「え?国立ブラン魔法学園でしょ?」


 国立ブラン魔法学園。それは、妹が愛する乙女ゲーム「学園王子と10人の騎士」の舞台となる学園だ。


 はは、笑えねー。


 黙り込む俺が心配になったらしく、妹が眉を下げながら顔を覗き込んでくる。


 ごめんな妹よ。兄ちゃん今ちょっと何も言えねーわ。


 どうやら俺たちの生きる世界は、乙女ゲームの世界になってしまったらしい。

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