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第7章 三角関係

第7章 三角関係


    1


 この話が、アイちゃんとサチさんに二人に、どんな印象を与えたか?

 ただ、昔、泥棒をしていたこと、そしてそれを隠して、今、正義の側にいるふりをしていること、は、今までぼくの負い目になっていたことは確かだ。

 それが、私のアイちゃんへの態度が中途半端だった理由のひとつになっていたことは確かだ。

 でも、今、自分の過去の昔の秘密を話したことで、私の心は少し楽になった。

「こんな、ぼくでも愛してくれないかい?」

 そう言うかわりに、私は、アイちゃんに言った。

「ぼくらは、ぼくらの秘密をしゃべった。

 だから、アイちゃんも、1年前の、神野次郎殺害の事件の秘密について語ってくれないかな?」

 アイちゃんは、ぼくの言葉にぎょっとした様子で、唇の方に動かしていったワイングラスを唇の上で静止させた。

 アイちゃんは、少しグラスで自分の顔を覆うようにした。ワイングラスをもつ彼女の指が、顔のかわりに白く光っているように見えた。

「ぼくらが、神野次郎の死因に興味をもったのは、神野次郎の死後1年後、自然死したと思われるその父親の神野一樹の部屋から、数多くの、死んだはずの、神野次郎の指紋が検出されたことがきっかけだった。

 ぼくは、警察にいき、1年前の、神野次郎殺害の事件について、はじめて調べた。

 そうしたら、偶然、その殺害犯人のフィリピン人男性は、アイちゃんの夫だったということを初めて知ったんだ。

 その、アイちゃんの夫だったヒロシは、事件後すぐ自殺した。結果、事件は、被疑者死亡ということで、既に解決している。

 その自殺の、第一発見者は、妻である、アイちゃん、あなただったと、警察の記録にはある。

 アイちゃんが、夫を殺したとか、そういうことを疑っているわけではない。

 ただ『死んだはずの人間が事件の現場ででてきた』という不思議な、ありえない状況を説明するためには、いろいろな些細なことを正確に知らないと不可能なんだ。

 ダイゴ先生は、神野一樹の死亡の状況と神野次郎の殺害事件、両方に通じる、あるひとつの仮説を立てている。

 ダイゴ先生に言わせると、『死んだはずの神野次郎の指紋が、神野一樹の死亡現場ででてきた』ことを説明するための、その仮説が正しいのであれば、1年前の神野次郎の事件で、あるできごとがおこった可能性がある、と。それは、警察の記録にはない。もし、あるとすれば、アイちゃんが、警察にいわなかったが、実際に経験したことの中にあるのではないか?と」

「私が、警察にいわなかった、あること?」

アイちゃんが少し震える声でいった。

(いつも、溌剌としてクールな彼女がおびえている)

と私は感じた。

 いつも彼女を見ているから、よくわかるんだ。

「それは、たとえば、どんな風なことでしょう?」

 私のかわりに答えたのはダイゴだった。

「例えば、1年前、神野次郎が殺害されたにもかかわらず、その後、あなたは、死亡したはずの神野次郎にどこかで会ったことがあるのではないか?とかいうことです」

 アイちゃんは、しばらく沈黙した。

 目をつぶった彼女の顔を、私はじっとみた。

(私の気持ちが、彼女に通じますように。それに、何よりも、そうではありませんように)

 しばらくして、彼女は目をあけ、唇にもっていったワイングラスのワインを飲まずに、テーブルに戻した。

 そして、口を開いた。

「わかりました。お話します。ダイゴ先生のおっしゃるとおり、私は、神野次郎の死の直後に、死亡したはずの神野次郎と一度だけ会っています。

 それは、確かなことでしたが、私には説明できないことで、今でも不思議なことでそのことを思い出すと混乱します。

 それが、警察にも言えなかった理由のひとつです。どうして『死んだ者に、また出会った』などと警察に言えましょう?私の頭がおかしいと思われるだけですもの。

 ただ、神野次郎の死後、次郎に会ったのは、その時だけ。その後は、ありません。そのときの一度だけのことです。

 私は、私の夫が殺されたあとの第一発見者でした。

 私は、夫から、夫が、私の浮気相手の神野次郎を殺害したこと、そして、今から自分は自殺する、という連絡を電話で受けて、夫の泊まるホテルにむかった、というわけではありません。

私は、神野次郎から、『ホテルの部屋にこないか?』と電話がかかってきたので、そこに行っただけです。

 この時、私はまだ、『神野次郎が、アスカルゴの中で、夫のヒロシのよって殺害された』ということを知りませんでした。

 ただ、神野次郎に呼び出された部屋に行くと、そこには、神野次郎が立っていて、その横にはヒロシの死体が横たわっていた。

 私が悲鳴をあげて、『いったいどうしたの?あなた、ヒロシを殺したの?』と聞いても、神野次郎は何も答えませんでした。そして、茫然としている私を部屋に残して、私に何もいわず、ホテルの部屋から出て行きました。

 そして、それを最後に、神野次郎をみることは、もう2度とありませんでした。

 あの悲劇は、全部、私のせいなのです。

 私が、夫のヒロシにあやしまれるような行動をとらねば、ヒロシは、神野次郎を殺すようなことはなかったでしょうし、ヒロシも殺されることはなかったでしょう」

 私は、悲しみにくれて、嗚咽して泣いている、愛するアイちゃんの姿に心をしめつけられた。

 どうして、平常心でいられよう。

 今まで、私に、

「わたしは、よくできた主婦と思われているでしょう?だから、あなたの話してくれるようなどきどきした経験、できるわけないし」

と語っていたアイちゃん。

 とんでもない。

 今回、君は、事件のお客さんではなく、当事者なんだ。

 心の痛みを、こんなにも味わっているんだ。

だが、奇妙なことに、気持ちが熱くなっている私の頭に、淡々とささやく声が聞こえた。

(アイちゃんは、夫のヒロシが「自殺した」と言わず、「殺された」と言っている)


    2


 最初の事件がおこったのは、東京都北区の京浜東北、王子駅すぐの飛鳥山公園。王子駅をすぐ出たところから、小高い山へのびる、短い無人モノレールの、かたつむり型をしたアスカルゴという車内でのこと。

 桜咲く、4月4日、白昼の2時。

 山頂駅から、被害者となった神野次郎とともに、そのアスカルゴに乗りこんだのは、北区在住の若いマリアと言う名前のフィリピン人女性とその赤ん坊。マリアは、フィリピンで看護師をしていたが、フィリピン政府のプログラムで、日本の看護師の資格をとりに日本にやってきているという。

 マリアによれば、被害者と、自分がアスカルゴにいて、出発寸前に加害者が乗り込んできた。乗り物の中には、被害者、加害者、そして、マリアとその赤ん坊しかいなかった。下の公園

 入り口駅まで、そこにアスカルゴが到着するまでの短い間に、加害者は、その女性に声をかけ、セクハラめいた行動をとった。それを止めようとした被害者が、加害者ともみあいになり、そうしている間に、被害者は加害者のもっていたナイフで刺されて死亡した、という。

 惨劇の時、動く、アスカルゴ内からの、危険をしらせる女性の悲鳴は、その周辺の人の耳にはいっていた。しかし、短い時間であるが、無人モノレールは、終点の駅につくまで動きが止まることはなかった。

公園入り口駅にアスカルゴがつくやいなや、犯人は、そこからとびだし、目の前の王子駅の改札口を走り抜け、ちょうど発車しようとしていた東京方面行きの京浜東北の電車にのりこみ、逃走した。

 その電車の車掌に連絡がいったときは、もうその犯人は下車した後だった。だが、何人もの乗客が犯人の顔を目撃していた。電車に乗り込む前の王子駅で、その犯人を目撃したものも多く、なにより、駅の監視カメラは、その男の顔姿を捕えていた。警察は、現在もその犯人の行方を追っているが、まだ、手がかりはないという。

 犯人が逃走したあとの、アスカルゴ内は、白いシートや天井一面が赤く血に染まっていた。

 被害者は、急所の頸動脈を切られていて、救急車が到着したころは、出血多量で虫の息で、救急車の車内で搬送中に死亡した。

 マリアは、被害者の頸部から噴き出した血にまみれていたが、本人の受けた傷としては、犯人がナイフで切り付けてきたときにかばったためか、腕にいくつかの広い傷があるのみで、女性もその赤ん坊の命に別条はなかった。

 そして、当初は、被害者の神野次郎は、見ず知らずの女性マリアと赤ん坊を助けようとして、自分がその通り魔の犠牲になって死んだ、とされた。


    3


 神野次郎の葬儀のあった夜、テレビやインターネットのニュースは、その「通り魔」事件の犯人の死体が、東京都心の某ホテル内でみつかったことを報じていた。

 チエックアウトの時間をすぎても、部屋に閉じこもって、フロントからの電話に応答しようとしない男の部屋に、外から合鍵を使って入り、ホテルの係員が、部屋の中に男が倒れているのを発見したという。

 警察の調べによれば、最初、大きな外傷はなく、検死によっても脳梗塞、心筋梗塞等、突発的な急病の痕跡もみられなかった。

 だが、その男の遺体の横には、薬物を注射した後とおもわれる、空の注射器が転がっていた。

 薬液は、警察によって、筋弛緩剤、すなわちいわゆる「神経毒」と同定された。その成分は、男の遺体からも発見された。

 筋弛緩剤が「神経毒」といわれるのは、全身の筋肉、特に、呼吸筋を麻痺させ、窒息させるからである。

 薬液のアンプルも、その部屋でみつかった。

 その筋弛緩剤は、アンプルのラベルの記載からすると、フィリピンの工場でつくられ、フィリピンの病院で使われているものだった。つまり、日本国外からもちこまれたものだった。

 もちこんだのは、遺体の男自身か?それとも別の人間か?

 空の注射器からは、遺体の男の指紋しか検出されず、遺体の男が自分で自分に注射した、すなわち自殺の可能性が高いと考えられた。

 当初、この不審死と、神野次郎が死亡した「通り魔事件」との関連は、わからなかった。

だが、王子駅の監視カメラに残されていた犯人の画像と、死亡した男の顔が一致したために、死んだ男が、その通り魔事件の犯人と断定された。

 その男はフイリピン国籍の男で、名前はヒロシといった。

 

    4


 被害者の神野次郎の妻の神野美樹が、警察に語った話はこうだった。

 わたしたちの夫婦関係はうまくいっていた。

夫は、フィリピン旅行に行ったことはないし、そもそも海外旅行は、昔、新婚旅行に行ったきりだ。

加害者のヒロシとは、面識はない。

 夫の神野次郎は、その日、散歩にゆくとだけ告げて出て行った。だれかと待ち合わせしている、という話は聞いていなかったし、普段と変わった様子はなかった。

 運悪く「通り魔」に殺害されたとしか、私には考えられない。現場近くの女性とその赤ん坊をかばって犠牲になったということは、あるかもしれない。

 そういう、心の優しい、正義感をもった、夫であった。

 一方、加害者で後に自殺をしたと思われるヒロシの、妻のアイの話は少し違っていた。

 加害者のヒロシとの夫婦関係は、うまく言っているとはいえなかった。アイは、何度か、神野次郎と、夫に隠れて会う関係、つまり不倫関係にあった。

 アイとヒロシが神野次郎に初めてあったのは、数年前に神野次郎がフィリピンに観光で遊びにきたときだった。

 それからいろいろあり、フィリピンでの仕事で日本を不在にすることの多いヒロシが日本不在の時に、 日本でアイと神野次郎は会うようになった。

 アイは、ヒロシと神野次郎は、偶然にアスカルゴで遭遇したのではなく、あらかじめ待ち合わせをしていたのだろう、と警察に話した。

 神野次郎が、ヒロシに、「君ではアイさんを幸せにできない。離婚してほしい」と連絡してきたことを、アイは夫のヒロシから聞いていた。

 夫のヒロシは、激怒した。

「おまえは、あの次郎という男と、おれが日本にいない間、不倫していたのか。とんでもない奴だ。おれは、お前と別れない。会ったら、お前に手をだした、神野次郎を痛い目にあわせてやる」

 その言葉に恐れをなした、アイは、夫にあやまり、次郎という男とは、もう連絡をとらないようにするから、手荒なことはしないでほしい、と夫に懇願していた。

 カッとなったら、何をするかわからない、夫のヒロシの性格をよく知っていたからだ。

 しかし、妻の懇願を無視して、ヒロシは神野次郎と連絡をとり、待ち合わせ、そして悲劇がおこった。

 被害者の神野次郎の妻の神野美樹の話と、加害者ヒロシの妻のアイの話は食い違っていた。

 だが、警察が提出を求めた、神野次郎のパスポートには、彼が、何度もフィリピンを訪れていたことが記されていた。

 おそらく、神野次郎は、妻に上手に隠して、フィリピン旅行に行き、そこで偶然、アイと知り合った。そして、さらに日本でアイと不倫関係を続けていたのだろう。そう、警察は考えた。

 アイは、警察に、それについてこんな風に答えた。

「わたしは、夫のヒロシのことを愛していました。確かに、私は、夫の不在のとき、日本で神野次郎さんと何回か会ったことはありました。でも、それは『不倫』というような深い関係ではなかった。

だから、次郎さんが、むきになって、夫に『離婚しろ』というようなことを言いださねば、こんなことにはならなかったことでしょう。

 でも、もとはといえば、すべて、私が悪いのです。こんなことになるなんて。私、バチがあたったんです。すべて、身からでたサビ、ですわ」

 

    5


 警察は、加害者の、ヒロシの死の原因の特定について、慎重に捜査した。

 だが、当初の、「自殺説」以外の可能性は考えにくかった。

 ヒロシの妻のアイは、自分の夫が自殺したあとの第一発見者だった。

 アイは、夫のヒロシから、夫が、私の浮気相手の神野次郎を殺害したこと、そして、今から自分は自殺する、という連絡を電話で受けて、夫の泊まるホテルにむかったのだという。

 そして、その部屋で、夫の死体と、そのわきに転がっている、空の注射器をみつけた、と証言した。

強いて言えば、ヒロシが、どうやって、フィリピンで「神経毒」の筋弛緩剤を手にいれたのか?そのルートが不明なくらいだった。


 だが、ここで、アイは警察にひとつウソをついていた。そう彼女は、私たちだけに教えてくれたのだ。

アイが、ヒロシのいるホテルの部屋を訪れたのは、「これから自殺する」と言う電話を夫から聞いたからではなかった。

 夫からの呼び出しで、部屋をおとずれるほど、もうアイにはヒロシに対する思いはなかった。

 アイが訪れたのは、神野次郎から、「ホテルの部屋にこないか?」と電話がかかってきたからだった。

ただし、この時点で、アイは、「神野次郎が、アスカルゴの中で、夫のヒロシによって殺害された」ということを知らなかった。

 神野次郎に呼び出された部屋に行くと、そこには、神野次郎が立っていて、その横にはヒロシの死体が横たわっていた。

「私が悲鳴をあげて、『いったいどうしたの?あなた、ヒロシを殺したの?』と聞いても、神野次郎は何も答えませんでした。そして、彼は、茫然としている私を部屋に残して、私に何もいわず、ホテルの部屋から出て行きました。

 そして、さらに、警察の取り調べの時に聞いた話に、私は再び茫然としました。

 警察によると、私が、そのホテルで神野次郎をみたとき、実はその時、既に、神野次郎は別の場所で死んでいた、というのです。

 私は、とても混乱し、警察に、夫が死亡したホテルの部屋で、神野次郎をみたことを話せませんでした。

そして、夫から『これから自殺する』という電話をうけて、夫のいうホテルの部屋に言ったら、そこで夫が、ひとり死んでいた、というウソの話を警察にしたのです」



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