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第4章 醸し人

第4章 醸し人


    1


 私は、1年前、フィリピンの男性に神野次郎が殺害されたという事件について、警察などでその詳細を調べた。

 そして、非常に衝撃をうけた。

 その、神野次郎を殺害後、自殺したフィリピン人男性ヒロシの妻は、なんとアイちゃんだったのだ。

 そして、その、私の愛するアイちゃんは、夫でも、自分でもない、神野次郎とつきあっていたというのだ。

ショックだった。

 その後、ずいぶんと長い間私は元気をなくしていたらしい。

 そうでなければ、ダイゴは、私を、一緒にお酒をのみに誘うことなどなかったに違いない。クリニックの2階以外で、一緒にのむのは、珍しいことだった。


 その店の名前は「醸し人」。

 店の扉を開けた私たちを見ると、奥から、店の大将が声をかけてきた。

「いらっしゃい。今日は、いつもの、べっぴんの女性と一緒じゃあないんだね」

 ダイゴは頭をかいて、私に言った。

「実は、サチさんと、この店に、よく飲みにくるんだ」

はいってみると、4席のカウンター、奥に4名用の小さな個室1つしかない、狭い店だ。

4席のカウンターの前は、幅2席分くらいは占めそうな大きな図体の大将が、少し高くなった厨房で目の前で料理し盛り付けたものをカウンターにだす。

 ともすれば、大将の体の大きさに圧迫感をおぼえるほどだ。だが、彼は、饒舌。有名店

で修業してきました、という風はまったくない。

 ただ、かわりに、なにか、権威に対して、ずっと反発しながらも、修行をつづけてきました、という風情があった。

 時々、何かに、いらだっているように見える時があった。

 そこがよかった。

 愛想に終始しないことが、彼の本気度を感じさせた。

 もちろん、創作料理の味もいい。日本食が中心だが、ミートソースは、すぐにでもスパゲティ屋もひらけそうなほどだ。天ぷらも、天ぷら屋、そばやうどんも麺屋がひらけそうなくらい。

 図体のわりに?その料理は繊細だった。

 その彼の、いら立ちと料理の繊細さの両者のアンバランスが大きな魅力であった。

 予約の電話をすると、希望の日が満席のときもあるが、予約がとれず何カ月待ち、というような店ではない。値段も、一人5000円くらいのコース。ただ、ダイゴは日本酒を飲むので、サチさんとふたりで15000円くらいになる。

 「醸し人」は、最初、日本酒の「醸し人九平治」から取った名前に違いない、とダイゴに連想させた。しかし、大将曰く、

「九平治は、最初、店にいれていたけど、自己主張が強いお酒で、料理にはどうかなあ、とおもったので、今はいれていない」。

かわりに、彼がすすめてくれたお酒のひとつが「伯楽星」だった。

 「伯楽星」は、2011年の東日本大震災で被災したあと、見事復活した蔵の日本酒でもあった。

 お酒は、食事にあわせて、まず軽い「伯楽星」、のようなものからはじめ、「正雪」そして「悦凱陣」(しばしば、古酒の場合もあったが)という風に、徐々に重い、どっしりした味わいのものに移っていくのがよい、と大将は言った。

それから、日本酒の器。器の形、唇をつける器の縁の材質、厚さ、で日本酒の香りそして味がずいぶん異なる。

これは、実際に、その店で、いくつものの器でブラインドテストを行って、自分の鼻と舌で確認させてもらえた。

また、器に注いだあとの放置時間(瓶詰めしてからの「熟成」とよばれる長い放置時間とは別に)によっても味が違うことも確認した。

これらも、「醸し人」の大将が、能書きをいうだけでなく、食事の最中に、実際のブラインドテストのお膳だてをしてくれた。

 医者に対する製薬会社の接待は10年ほど前になくなってしまったが、ダイゴはそれを受けた最後の世代だ。もちろん、「醸し人」の料理はどんな接待の料理よりおいしい、とダイゴは言った。

接待では、貸し切りも、よく経験したという。そんな時、料理を運んできてくれた人が、のんびりとその料理の内容を説明してくれる。しかし、料理する人が、目の前で、自分たちのためだけにつくり、直接、話をしてくれるという経験はなかった、と。

 さらに、「醸し人」は1対1のもてなしであったが、それは、単にリラックスして心地よいことをめざすだけのものだけではなかった。

 目の前にフライパンや鍋がぶらさがっていて、すぐそこにある冷蔵庫から下ごしらえをしたタッパーがとりだされ、まな板で切り、フライパンやレンジで火がとおされ、目の前で盛り付けされる。

 それは、時には、闘い?というような緊張感もある、広い意味でのもてなしだった。目の前で、すべてをさらけだし、料理をつくり、話す。それは、大将にとっても真剣勝負だったに違いない。

 もちろん、食材も、特殊な飼育の豚、朝摘みとうもろこし、といっためずらしいものもあった。

だが、そういう時になると、大将は、少し早口になってはずかしそうに説明した。だから、細かい名前は忘れてしまう。しかし、味は覚えている。

「そして、ここで最後にでるデザートは、スイーツにうるさいサチさんがいつも楽しみにしているものなんだ。

 味はおいしいし、プロなのに、子供がケーキ作りを一生懸命やっている風がかわいい、とサチさんはいつも、笑いころげ、そのデザートを毎回楽しみにしているんだ」

「そうか。最後を楽しみにしてるよ」

「一流の職人のつくるスイーツが、一番おいしい、というわけではないだろう?

例えば、売れない音楽家や小説家や美術家の作品。彼らは、一生そのままで、それでお金を稼ぐとか有名になることはありえまい。

 ただ、ピアノを好きだから弾き、小説を書くのが好きだから書く。あるいは絵を描く。そうしている時間の自分自身が心地よいからそうする。

 なかなかそんな姿はいろいろな雑音や霞に隠れて正面にはみえてこないが、それこそが、仕事を続けていくうえでの理想の姿だし、どんな仕事でも支えになっているものだと信じたい」


    2


 今夜のダイゴは、いつもにまして饒舌だった。

 なんといってもアイちゃんの一件でへこんでいる私を慰めたい、ということで、この店に連れてきてくれたのだから。

 だが、その割に、話が、直接に私を慰める内容でなく、それとは関係のない抽象的な話になってしまうのは、ダイゴのダイゴたるゆえんかもしれない。

 ダイゴは、人の活動を数字化する、医療、介護の問題について語り始めた。


 長くたずさわってきた医療の世界では、なかなかうまくいかないことも多かった。開業しても、それは同じ。

だけど、サチさんを通じて介護の世界を知るようになると、そこはもっとたいへんだ、といことがわかった。

まず、なによりも、介護する人の人員も少なければ、人材も少ないこと。

 介護の世界は、先進国の内部にある「途上国」のようだね。

 途上国では平均寿命が60歳少し。一方、先進国は、平均寿命が90歳近いという「ぜいたく」を手に入れた。でも、その「ぜいたく」の後始末ができていない。

 医療、介護は、どんなに制度を整えても、最終的には「お金」というしくみからはみだす、「ボランティア」の気持ちがなければ、出口は見いだせない気がする。

 途上国への援助をするような気持ちがなければ、その仕事は続けられない。でも、実際は、介護の世界でそんなモチベーションをもつことは難しい。

世間の見る目も、そんな風ではない。「弱者に対する」共感の声は、小さく、とても聞きとりにくい。その状況は、世間の見る目だけでなく、そこに携わる、介護士やケアマネにも及ぶ。

おそらく、数字にできないものの数値化が、医療や介護の矛盾の元凶なんだ。でも、その数値化は、中立性というものをもたらす別の側面もある。

 例えば、診療報酬、介護報酬、介護認定、障害者認定。

 それぞれが、日本の官僚がつくった日本独自の発明品で、おどろくべき細かさで、「本来数値化ができない人間の活動」を数値化している。それを、つくりだしたことは、ある意味すごいことだ。しかし、その中立性という正の面だけでなく、その負の面もしっかり意識していかないことには、その運用は失敗となる。当然、逆もまた、然り、だ。

 この、アクロバット的な中立性は、例えば、小さな病院や大きな病院、都会と田舎、あるいは研修医やベテランといった、時間的空間的な条件の異なるものも同じ医療として扱うことができる。だが、そうしたら、施設や人員の大きい大きな病院、人の待ち時間の多い都会の病院、経験豊富なベテランの医者は不満を感じないかい?

 失敗した治療なのに、成功した治療と同じようにお金を請求されたら患者は、平気でいられるだろうか?

 でも一般的に、このような中立性は、常に正負両面をもつ。例えば、お金について。し

ばしば、「愛はお金で買えない」と非難される。だが、一方、恨みがお金で(とりあえず

であっても)解決されれば、憎しみの連鎖を断つことができる。

 たぶん、ほとんどの医療・介護に関する矛盾は、もとをたどれば、この「数値化できないものを数値化している」という中立性に行きつくと思う。

 この視点なしには、医療・介護の矛盾を問いただす論調は、すべてひとりよがりのものとなると思う。


    3


 ところが、ここからダイゴの話は、私がおもいもせぬ方向へと広がっていった。


 でも、話は、お金という数値化、という単純なだけにとどまらない。

 そもそも、法律だって、そういう矛盾を抱えている。

 実は、今、ぼくは、妻から、「夫婦関係円満調整調停申立書」、それに続いて、新たに、「婚姻費用分担調整」の調停を申し立てられているところなんだ。

 ぼくの方は、「離婚調停」あるいは「離婚訴訟」でかまわないと思っているのだが、妻の方は、ぼくと別れたくないらしい。

 もともと、ぼくはそれらの調停に出席するつもりがなかった。だが、結局これも「訴えたもの勝ち」のようだった。調停委員の、「相手の思うがままにさせないために、手をうつことは大切」というアドバイスにしたがって、弁護士を雇い、調停の席に出席した。

 ぼくは「婚姻費用分担調停」というものがあるこさえ、知らなかった。

 「夫婦げんかは、犬も食わない」という。

だが、その喧嘩で、片方が「婚姻費用分担調停」を申立てるというのは、どういう状態を意味するか?

すべての夫婦が、もしこの調停をはじめたら世の中はどうなる?でも、実際はおきないし、「婚姻費用分担調停」というものの存在を知る人さえ少ないのが実情だ。

 つまり、そもそも、片方がこのような調停をだすような婚姻は破綻している、ということだ。それにも関わらず、「夫婦関係円満調整調停」を同時にだすというのは、普通の感覚では、行

動が矛盾している。

 だが、法律というのは、それを矛盾したものとは解釈しないのだ。

 それが『法』というもの。

つまり、『法』は、申立人、相手方、双方の現実の感覚とはちがうルールで動かねばならない。そうでなければ「中立」とはいえない。その結果、現実ばなれした、まるでファンタジーの

ような独自な世界を形成している。その特別な(だが中立な?)世界のルールを理解し、そこで勝利するために、弁護士がいるのだ。そのファンタジーの世界内での勝利が、現実での勝利、という現実がある以上、その世界で勝利するしかない。


 私は、ダイゴの話の思わぬ展開に少しおどろいていた。

 そして、「おれも、夫婦関係では苦労している。だから、お前も、アイちゃんが浮気をしていたくらいのことでくよくよするなよ」と、ストレートにいわないダイゴ医師が、微笑ましくも思った。

「夫婦仲が悪くなったきっかけは、サチさんかい?」

「サチさんが、原因なのか?結果なのか?よくわからない」

「そういうものだろうな」

 そして、ダイゴにしては、めずらしく、自分の妻に対する愚痴をこぼしはじめた。


 夫婦関係は、犬もたべない。

 ようするに、性格の不一致さ。

 でも、聞いてくれ。妻は、最初のころ「サチが妻に対して、傷害事件をおこした」という完全に架空の事件をでっちあげて、警察に調査を依頼したんだ。

 実際は、サチは、妻にまったく触れてない。実際おこったことはこうだ。ぼくとサチが二人でいるところに、なぜか妻がやってきた(探偵を使って、調べた?)。やってきた妻は、ぼくに殴りかかり、ぼくが手をつかんで身を守った。その途端、妻が自ら演技で後ろにひっくりかえった。

 妻の「自分で、演技でひっくりかえり、『ぼくに傷害された、DVされた』と虚偽をのべる」という行為は、以前からもあった。妻は、そんな自作自演をした上に、さらにそのときは、となりにいただけのサチがおこした「傷害事件」として、警察に届けたんだ。

ぼくは、妻の虚偽癖に恐怖を覚え、今や二人きりになることを避けている。

 妻とは、趣味、関心について違うので、食事等、生活一般が苦痛だ。家の掃除や整理はしない。朝洗った洗濯は夜中に干し、夕食でつかったお皿は翌朝洗う。要するに不潔だ。

 そして妻には、金銭の浪費癖がある。

 妻は、ぼくの両親に会おうとはしない。また子供は、不登校になってしまっている。そして、子供を洗脳して、すべては父親が悪い、と子供にふきこんでいる。さらに、クリニックのスタッフに、ぼくの「悪事」を書いた内容の「いやがらせ」メールを送るという迷惑行為もする。

 ずっと、ぼくは我慢してきた。でも、もう限界だ。

 ぼくは、妻の姿や声を聞くだけで、嫌悪感をもよおすようになった。そして、今や、妻の姿や声を聞くと、嫌悪感に加え、恐怖感をも感じるようになっているんだ。

 この嫌悪感や恐怖感は何なんだろう?とふと考えることもある。もちろん、今までの相手の行動のすべてが原因だ。どう説明したらいいのか?難しい。相手方の、虚偽癖、自分で何もしない(肝心なことは他人にさせる)こと、相手への無関心、相手への飾りだけの愛想のよさ・・・。

これらのことは、普段、だれでもあることだ。

 ただ、相手方は、まるで精神の病といえるまで、それらが徹底している。たぶん、そこから嫌悪感さらには恐怖感がくるのだろう。


 正直に言おう。

 私は、アイちゃんが浮気していた、ということ以上に、今のダイゴの話におどろいた。

すると、そのタイミングをみはからったように、ダイゴは私に言った。

 愛するアイちゃんが、夫でも、自分でもない、神野次郎とつきあっていた、

「それでも、クニイチは、アイちゃんのこと、好きなんだろう?」

 そうだ。

 愛とは、そういうものではないか?

「相手のことが、まだ好きなのであれば、相手のことは赦せるさ」

 そのとおりだ。

「とにかく、クニイチには、聞きにくいかもしれないが、アイちゃんから1年前の、神野次郎の事件の話をもう一度聞きなおすことは、『謎』を解くことには必要だ」

 私は、こう答えるしかなかった。

「いわれなくても、わかっているさ。ちゃんと聞かなくちゃ、ってわかっているさ」


 そう。

 私は、アイちゃんのウソには、もう騙されていないつもりでいる。

 きっかけは、自然死だと思われた、元病理医で検死官の、神野一樹の部屋から、1年前に死んだはずの、神野一樹の息子、神野次郎の指紋が数多くみつかったことからだった。

 一年前、神野一樹の息子の神野次郎は、フィリピン国籍の男に殺害されていた。そして、そのフィリピンの男は、事件数日後に自殺した。

 その事件を警察で調べているうちに、私は、驚くべきことを知ったのだった。

 そのフィリピン国籍の男は、アイちゃんの夫だったのだ。

 アイちゃんが、それを黙っていたことは、私にウソをついていた、というわけではない。

 ただ、アイちゃんが、私に「わたしには夫がいる」と言っていたことが、1年前からウソになっただけだ。

 そして、アイちゃんが、私がアイちゃんのことが好きなのに、夫以外の他の男に夢中になっていた、というのも私にウソをついていたとはいえない。

 なにしろ、アイちゃんは、「クニイチのこと、愛しているわ」と言ったことは一度もないからだ。愛していたのは、一方的に私のほうだけだった。それは、ウソではなく、悲しいだけのことだ。

 ただ、アイちゃんが、1年前、神野一樹の息子の神野次郎を殺害したあと自殺した、フィリピン国籍の自分の夫について、そのときの警察の事情聴取に答えた内容の中には、ウソが混じっていたようだ。



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