6話
キョウコに会う機会が増えたユウキは事あるごとにキョウコを誘った。
もちろん社内にもキョウコの後輩達にも内緒である。
その度に
「まだ、仕事がありますから」
「予定があるので」
「体調が良くないので」
といった、明らかに気がないと分かる理由で断ってきた。
それでもめげないところが始末に負えない。
終いにはキョウコに
「誘う暇があったら、しっかり仕事したらどうなんですか?!」
と言わせてしまうほどだった。
キョウコに声を掛けるユウキの姿を何度も目撃したナミは、
彼女が何か困ったことに巻き込まれているのではないかと思い、
少しでも彼女の助けになりたくて独自で調べることにした。
持ち前のあざとさで各方面で聞き取りをして
ユウキが社長の息子だというのを知った。
(御曹司ということを笠に着て、先輩に付きまとっているんじゃ?)
そう考えたナミは
「先輩、何か困ったことありませんか?」
とキョウコに聞いてみるも、
「何のことを言っているのかわからないけど、大丈夫。
でも心配してくれてありがとう」
そう言うばかりたった。
キョウコはキョウコでユウキの誘いに
一度は乗ってやらないととは思っていた。
タクヤとの勉強会も3ヶ月が経とうとしてた。
「ミタさんは今日も来れないのか」
「そうなんですよ。
仕事抱え込んじゃって…ちょっと心配なんですよ」
アツヤはそう言って今のキョウコの現状を話した。
叔父である専務のコネで入社したことで肩身の狭い思いをしていて、
成果を上げてようやく認められるところまできたと説明した。
「なんも問題もないじゃないか」
タクヤが口を挟むと、アツヤは首を振った。
それがここにきて、
担当するクライアントの社長と専務が級友であることがわかると、
今度はその社長の忖度で仕事取っているという噂が立った。
「先輩の仕事ぶりを見てれば、そんなことあるはずないんです!」
アツヤは悔しそうに言った。
「だからまた成果を上げるためにガムシャラに仕事してるのか」
「僕が何言っても聞かないんです。どうにかならないですかね」
「ミタさんのこと好きなんだね」
「はい! あ、でもあくまで先輩としてですよ。僕、彼女いますから」
タクヤは笑って
「一度ミタさんに会ってみるよ」
そう言った。
次の日、早速タクヤはキョウコを誘い出した。
「ちょっと付き合って欲しいところがあるんだけど」
「うれしいんですけど、仕事があって…これからじゃないとダメですか?」
「ダメだね」
「じゃあキリのいいところまでやったら行きます」
タクヤはなんとか約束を取り付けた。
「急にゴメン」
駆けつけたキョウコに謝ると、
「あそこのバーに行ってみたかったんだけど、
こういったシャレたところ一人じゃ入り辛くて」
タクヤが指差す方を見ると、今話題となっている店だった。
「これも勉強の一つだよ。なんで話題なのか、
実際に見ることで見えないところが見えてくるんだ」
タクヤの言うことは嘘ではないが、
敢えて言ったのは勉強の一環として来たことにすれば
仕事を切り上げたことへの罪悪感が和らぐと考えたからだ。
入店すると人気なだけあって平日とはいえ混雑していた。
テーブル席よりも比較的落ち着いて話せるカウンター席を選んだ。
タクヤはまずは気分転換になればと、
学生時代のエピソードや、二人の故郷の福岡の話、
趣味の映画の話などをすると、
キョウコの顔にも少しだけ笑顔が戻ってきた。
時間とともに店内は落ち着きを取り戻し本来のバーの雰囲気になっていく。
タクヤは本題へと移った。
「最近、忙しそうだね」
「でも今頑張らないと」
キョウコがそう言うと、
タクヤは自分が社会人駆け出しの頃のことを話し始めた。
タクヤは持ち前の自頭の良さを発揮して早くから仕事を覚え、
類い稀な発想力により新しい企画を提案し、
高いコミュニケーション力で結果を出してきた。
「結果を出せば認められ、また期待され、
さらに頑張って成果を上げれば褒められる。
その繰り返しであっという間に3年経った」
そうやって駆け足で突っ走った結果、タクヤは身体を壊した。
大したことではなかったが、休んだことで周りにすごく迷惑をかけた。
「結果をだせば会社から感謝され同僚も喜んでくれた。
認められることもそうだけも、喜んでくれることか嬉しくて。
でも、結局は迷惑を掛けることになった」
キョウコは興味深く黙って聞いていた。
それでも酔いが回ってきたのか、
少しずつ自分のことを話し始めた。
期待に胸を膨らませて上京してはみたものの、
会社の人間関係にショックを受けて
自ら選んだとはいえ入社早々に孤立した辛さを語った。
「そして先輩に会った。
お陰で結果的に企画が採用されて、ようやく認められるようになった。
あの時は本当に先輩に救われたんです」
キョウコは当時に戻ったように嬉しそうにそう言った。
「そして今また人間関係に苦しんでる」
タクヤが代弁するとキョウコは頷いて
「あの頃のように自分一人だけなら我慢すればいいし、
逃げ出したっていいんだけど。二人の後輩のことを考えると…」
そう言いながら俯いた。
タクヤは、カウンターに付いているキョウコの肘の間から
一瞬だけ溢れる涙を見た。
次第に身体を振るわせてすすり泣いた。
キョウコの手にハンカチを握らせて
そして背中に手を当て
何を言うでもなくゆっくりとそして優しくポンポンと叩き続けた。
その内、アルコールと疲労と、
そして溜まっていたものを少なからずとも吐き出してスッキリしたのか、
そのまま突っ伏して眠ってしまった。
30分ぐらい経っただろうか、平日ということもあってか、
客はまばらになり静けさを漂わせていた。
突然キョウコはムクッと上体を起こし始めた。
顔を上げて開ききらない目で辺りを見回し、
タクヤの顔の前で止まりしばらくそのままでいた。
タクヤはそんなキョウコのあどけない顔を見て、
学生時代の情景が重なり懐かしさが込み上げた。
それと同時になぜかドキッとして胸が締め付けられる思いがした。
我に返ったキョウコは慌てて姿勢を正し、
涙と垂れていたかどうかわからないヨダレをさっと拭いて、
体裁を繕った。
一連の仕草を見ていたタクヤは微笑んで
「そろそろ帰ろうか」
と言って会計を済ませ、キョウコを連れ立って店を出た。
そして、
「今からあのベンチに行ってみないか?」
タクヤはそう言って、
戸惑うキョウコの背中を押して無理やりベンチへの方へと向かわせた。
しばらく二人は黙ってベンチに座っていた。
「ここから見る景色、昼間と全然違うよね」
タクヤが沈黙を破った。
「私はやっぱり昼間のほうが好き」
「僕も昼間が好きだな」
キョウコは共感できたことが嬉しかった。
またしばらく沈黙の後タクヤが話し始めた。
「じつはね、君と会えなかった間、たまに夜ここに来てたんだ」
タクヤは、ここに来ては遅くまで光るビルの窓という窓を見ては、
あの光の奥にはまだ頑張っている人がいるんだと想像して
自分の気持ちを奮い立たせて起業するまでにこぎ着けた。
「君と同じように僕にとっても、
このベンチはかけがえのないものになったんだ」
しばらくの沈黙の後、
「うちの会社に来ないか?」
あまりにも突然の誘いにキョウコは驚いた。
これは昨日今日思いついたことではなく、
前々からタクヤが考えていたことだ。
その布石が勉強会。
仲間になってくれるとしたら即戦力で迎えたいと考えていたからだった。
来月には共同経営者でもあるタクヤの友達が、
ようやく会社を辞めて加わる。
本当ならそこから2、3ヶ月ぐらいで地固めをして、
それから誘おうと考えていた。
「ちょっとぐらい早まろうが問題ない。
急いではいないから、ゆっくり考えてみてくれないか?」
タクヤの誘いは素直に嬉しかった。
そして夜のベンチから見る景色も、
好きになりそう、キョウコはそう思った。