5話
キョウコが来るとその男性は立ち上がり、
「先日は本当に申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げて謝った。
キョウコは驚き過ぎて気後れしてしまい、
慌てて
「こちらこそ、失礼なことを言ってしまって…」
「言われて当然のことです。ところであの女性は大丈夫でした?」
「とくに怪我もしてなかったのでご安心ください」
よりによって相手があの“歩きスマホ男”だったとは予想もしていなかった。
しかもクライアントの社長の息子というのだから
バツが悪いことこの上なかった。
席に座るよう促され着席すると、
「今日はわがまま言って来ていただいて
ありがとうございます。オオタニユウキ30歳です」
彼はそう言って軽く頭を下げた。
「もしかしてこれはこの前の復讐か何かの嫌がらせですか?」
キョウコが言うと、ユウキは笑いながら
「ただあなたと話がしたかっただけですよ」
と答えた。
それでもまだ信じられないキョウコは
「だいたいどうして私なんですか?」
と尋ねると
「あの時、初対面の僕に注意したように
毅然とした態度がとれるところですかね」
キョウコは今思うととても恥ずかしくなった。
「それと、後輩とはいえ他人のためにあれだけ怒れる人って、
きっと思いやりがある人なんだろうと」
「それは買い被りすぎです」
自分から質問したくせにいいかげん恥ずかしくて話を切ろうとした時、
「なので、お付き合いしてもらえませんか」
「と、突然、何なんですか!」
「でも、お見合いの席ですし」
「まあそうですけど…あなたのこと何も知らないし…」
「これから知ってくれればいいんじゃないですか?」
「いえ、今日は会いに来ただけですから」
「じゃあ、また会ってもらえますか?」
キョウコはしばらく考えて、
「ごめんなさい」
と言って頭を下げた。
「今日は振られちゃいましたが、僕、諦めが悪い方なので」
完全にイニシアチブをとられたキョウコは、
とにかくこの場から逃げたかった。
「すみません、今日は失礼します」
キョウコはそう言って店を後にした。
しかし、彼の最後に言った言葉が妙に引っかかった。
久しぶりにベンチでタクヤに会った。
早速彼の左手の薬指を確認してみると、
残念ながら指輪があった。
少し期待していたぶんキョウコのテンションは一気に下がった。
それからは彼が話している内容は全く耳に入ってこなかった。
タクヤはそんな上の空のキョウコに気付いて
「元気ないようだけど、大丈夫?」
と尋ねた。
「誰のせいだと思ってるんですかっ」
キョウコは小さい声で呟いた。
「えっ?」
彼が聞き返すと、
「大丈夫ですよ」
精一杯笑顔を作って返事をした。
「で話の続きなんだけど、マーケティングに興味ない?」
「なくもないですけど…」
「もし良ければ教えるから勉強してみないか」
彼には思惑があった。
しかし今はそれを隠してキョウコを誘ったみた。
「時間がある時になっちゃうけど、僕の事務所でどうかな」
「後輩も連れて行っていいですか?
聞いてみないと何とも言えないですけど」
キョウコは、いくら信用している先輩とは言え
部屋で二人っきりはいろんな意味でマズイだろうと考えて、
そう言ってみた。
「一人教えるのも二人教えるのも変わらないからいいよ」
笑顔で答えてくれた。
早い方がいいということで、
明日会社が終わってからタクヤの事務所で待ち合わせをした。
タクヤの事務所はキョウコの会社近くの古びたビルにあった。
こじんまりとした部屋にデスクが3つと応接セットがあるだけで、
社員などまだいないようだった。
「僕なんか来ても良かったんですか?お邪魔じゃないですか?」
キョウコの後輩ミタカアツヤがそう言うと
「バカ、何わけわかんないこと言ってるの!」
キョウコがたしなめた。
「そんなことないよ。ミタさんの後輩なら大歓迎!」
微妙な雰囲気で勉強会が始まった。
「シンジョウさんは、どうして起業したんですか」
アツヤが聞くと、
タクヤは前にキョウコに話したことと同じ話をした。
「だとしても辞める必要はあったんですか?」
「一度路線から外れた人間に頑張れる場所は、
残念ながらその会社にはなかったんだ」
タクヤは少し寂しそうに言った。
「なんか変なこと聞いちゃったみたいですね。すみません」
「気にしなくていいよ」
そんな優しいタクヤにアツヤが甘え過ぎないように
「ミタカくん、初対面なんだからちょっとは気を遣いなさい」
と先輩として注意をするが、
内心はアツヤが参加してくれたことに感謝していた。
なぜなら閉鎖的な空間にタクヤといても
変に緊張せずにいられるからだった。
ある日、キョウコ達がクライアントに打ち合わせに行くと、
なんとそこにユウキがいた。
驚くキョウコに先方の課長から
「今日から配属になったので、よろしく頼むよ」
と言われた。
打ち合わせが終わるとユウキはキョウコ達のもとに来て、
新人の女性マヤマナミに
「この前はすみませんでした」
と丁寧に謝罪をした。
ナミはそう言われて初めて“歩きスマホ男”だと気付き、
「あ、大丈夫ですよ。気にしないでください」
と両手を振りながら慌てて言った。
ユウキは笑顔になり、
軽く頭を下げると部屋から出て行った。
キョウコは彼を追いかけて部屋を出ると彼を呼び止めた
「どうゆうつもりですか?」
「改めて謝っただけですよ」
「そうじゃなくて」
「勘違いしないでください。
これ正式な人事で、僕が頼んだわけじゃない」
と答えてそのまま去っていった。
そこへ後輩の二人がやって来て
「知り合いなんですか?」
とキョウコに聞いてきた。
「いえ、そうじゃないわよ」
誤魔化してみたものの、
ナミは二人には何かあると感づいていた。