公爵となったかつての騎士団長の執着愛に、息子ごと囚われました。
「母様……! 今日は何して遊ぶの?」
ここはルナフィック王国辺境の町、ネペク。その地にあるアパルトマンの一室にて、朝から柔らかな雨が降り続ける曇天の空を私・コーネリア・グレータスは息子クレンと共に見上げていた。
クレンの柔らかな金髪とはっきりとした目鼻立ちに碧い瞳は父親譲りであるのを、濃い目の茶髪を三つ編みにした私は良く知っている。
「そうだね、一緒に編み物でもする?」
「はい」
クレンは4歳。おとなしい子で口数は少ないが、手先を使う遊びが大好きで、いつも黙々と没頭しているようなそんな男の子だ。
最近は編み物の他にも剣などを錬成・鋳造したりするのにも興味を覚え始めている。そんな彼と椅子に座ってダークブラウンの毛糸で編み物をしながら時間をつぶす。
「あら、もうこんな時間。お昼食べなきゃ」
編み物をしていると時間が経つのが早く感じる。てきぱきと手際よく今朝の残りである鶏肉と野菜と豆との入ったスープを魔法回路が埋まったかまどで温め直し、ふわふわのスクランブルエッグとチーズの乗ったパンを用意した。
スクランブルエッグはクレンの大好物。そんな所も父親と同じだなと感じながら、美味しそうに食べる息子の横顔を見つめながら昼食を取った。
その後はいつものように託児所へクレンを預けてから、職場である食堂へに向かう。
「母様、お仕事頑張ってね」
「ありがとうクレン……いい子で待っててね」
クレンの優しさが身に染みる。後ろ髪を引かれる思いをこらえながら職場の裏口から入り、エプロンをつけると同僚らと挨拶して早速ホールの業務を始めた。
食堂は数少ない24時間営業のお店。辺境の地であるネペクでもよく賑わいを見せている場所だ。ここはアパルトマン1棟まるまるがお店の施設で、私が勤める食堂は1階。2階から5階は宿としてキャラバン隊や旅行客などが羽を休める地にもなっている。
昼過ぎだけあって店内は各地を旅する商人などであふれかえっていた。
「すみません! 蜂蜜酒3つとミルクパンケーキ3つ頼んます!」
早速円卓を囲う中年の男性商人達から注文を受ける。彼らは揃って黒い髪と褐色の肌をしていた。ルナフィック王国では珍しい容姿である。おそらくは東の方から到来したキャラバン隊の一部だろうか。厨房へ注文を伝え、素早く出来立てほやほやのミルクパンケーキと木造りのジョッキに入った蜂蜜酒をカートに乗せて運ぶ。
「はいっ。お待たせいたしました! ミルクパンケーキと蜂蜜酒それぞれ3つずつでございます!」
「おお~~! 美味しそうだ。ミルクパンケーキ、ふわふわしているぞ……!」
「ルナフィック王国と言えばこれだよなあ。うちの国の酒もいいが、やはりこの蜂蜜酒は格別だ!」
「ふふっ、そう仰っていただけて何よりでございます!」
こうして忙しく働いていると、これまでの過去を全て忘れさせてくれる。私にとっては安心できる時間だ。
日が暮れるまで働き続けた後は、重い身体を引きずるように歩いて託児所でぐっすり眠っているクレンをおんぶして連れ帰る。いつもと変わらない日にほっと笑みを浮かべながら自宅へと戻っていった。
ある日の夕方。この日もクレンはぐっすりと眠った状態で再会した。託児所で子守をしている老いたシスターがクレンを抱っこすると、クレンはゆっくりと重たそうな瞼を開ける。
「ん~~……」
「クレン起きた? ごめんね起こしちゃって」
「ううん、大丈夫……母様……」
「コーネリアさん、今日の午前中は外で騎士ごっこしていたせいか、お昼を食べる前から眠そうにしていらしたの」
騎士ごっこと聞いた途端胸がチクリと痛んだ。これまでは剣など武器を鋳造する方に興味を覚えてはいたが、騎士ごっこなんて聞いた事がない。
――これも父親の血がなす業か、それとも自分と父親双方の血を受け継いでいるのか……。
「そっか、騎士ごっこしてたの。楽しかった?」
「うん……! 楽しかった。騎士団長も、かっこいいなって思う」
(騎士団長、かっこいい……私と同じ)
そっか。と硬さを隠せない笑みが漏れ出てしまった後は、シスターの手から離れ自分の足で立ったクレンの手を握る。私の手はほんの少しだけ震えていたが、幸いにもクレンは気がつかなかった。
日が暮れ橙色と金色に包まれゆく空を見ながら歩いていくと、後ろからどいてくれ! と大きな男性の声が響き渡った。
(何かしら?)
どうやら貴族の従者と思わしき男性達が交通整理をしているようだ。それと同時にがたごとと馬車の車輪が石畳を踏みしめる音も聞こえて来る。
「母様、なんだろう……」
「どうやらお偉いさんがここに来ているみたい」
クレンは怖がっている様子もなく、ただじっと騒ぎに耳をそばだてているようだ。彼の年齢には合わない落ち着きも、きっと父親譲りかもしれないと心の奥でそう感じてしまう。
邪魔にならなさそうな場所まで移動し、壁から覗き込むようにして騒ぎの中心地となっている部分を凝視する。
そこでは白くて丸い如何にも高級そうな馬車と白馬に跨った騎士達が、馬車の周りを囲うようにして行進していた。
白い馬車は公爵以上じゃないと乗れない。と言う事は相当高位のお方が訪れている。それにしてもこんな辺境の地にやって来るなんて、何かあったのか?
コーネリアが注意深く馬車と騎士達を観察していると、馬車の動きがぴたりと止まる。
「母様見て、馬車の扉が開いたよ」
開かれた扉からゆっくりと降りて来る人物に、コーネリアは驚きの余り目を大きく見開いた。
え、なんで?! なんであの人が、ここに……?!
黒を基調としたマントと軍服を着用し、クレンと同じ目と髪の色をしている。右目には黒い眼帯が付けられているその人物は、私が忘れようにも忘れられない人物。
「べ、ベルイド……」
「母様、知ってるの?」
クレンの声で落ち着きを取り戻したのもつかの間。ベルイドは早歩きでこちらへと向かってくる。クレンの小さな手を握りしめ震える足で逃げ出そうとした瞬間、周囲一帯を青と黒の魔法陣の光が取り囲んだ。
「コーネリアだな? その魔力……間違いない。もう逃げ出せんぞ」
かつて聞いていた時よりもしわがれ低くなった声が棘となって私の身体に突き刺さる。はっとクレンの方に視界を移すと、なんで動かないの? と言いたげにこちらへ視線を向けていた。
(クレンには魔法陣が見えてない……?)
「俺から逃げ出すつもりか? かつての相棒よ……」
「べ、ベルイド…」
全身の震えを抑えきれないまま声がした方へと振り返る。以前と全く変わらぬ鋭い視線と、年齢を感じさせない麗しく端正な顔立ちが私の視界に焼き付いた。
◇ ◇ ◇
数年前。ベルイドはルナフィック王国騎士団長、私は彼の元で戦う騎士……いわば上司と部下の関係だった。ベルイドは代々騎士を輩出しているそれなりに裕福な家系出身で、対する私は幼い頃に両親を亡くし、教会にある孤児院で育っている。唯一の肉親だった兄と共に剣術を磨き騎士団へ入団したコーネリアは、ベルイドと出会ってすぐに一目ぼれした。
美男子なベルイドは宮廷からもモテモテだが、フランクな態度で接してくれる。そんなベルイドに私は胸をときめかせつつ、騎士団の任務に励んでいた。
私は団長様のそばにずっといれればそれだけで幸せだったのだ。
しかし、当時にルナフィック王国の国王は、一言でいうと残虐極まりない悪王だった。元々前王を暗殺し王位についた彼は、魔術研究の為として非人道的な人体実験を繰り返したり、これまで一夫一妻制だった王家のしきたりを一夫多妻制へと変更し贅の限りを尽くす。更には前王に関わる者達や彼らに同意する者を次々に抹殺するように命じた。私が騎士団に入団した時点で周囲のフラストレーションと緊張感は極限まで高まっていた状況である。
そうして国王の悪政に心を痛めた宮廷の者達は、ついにベルイドへ助けを求める。
「騎士団長様、お助けください!」
「このままでは、ルナフィック王国は堕ちてしまいます……!」
「皆……すまない……」
しかし騎士団は宮廷直属の部隊。おいそれと私欲で動く事は出来ない。事の重大さに胸を痛めながらも様子見するより他なかったベルイドへ、私はなんて声を掛ければよいのか。と気遣っても気づかいしきれない、ジレンマを抱えていた。
当然宮廷内の緊迫感あるやり取りは逐一噂として届いてくる。ベルイドへの心配と併せてこのまま自分達はどうなるのか……不安に駆られながらも、任務を遂行し、訓練を積み続ける日が続いた。
「コーネリア。俺はこの国を離れようと思う。コーネリアはどうする?」
「お兄ちゃん、私は……」
先に行動を起こしたのは兄だった。勿論肉親である彼へついていきたい気持ちはあったがそれは恋するベルイドと離れる事を意味する。悩んだ挙句、私は旅に出た兄を見送ったのだった。
その後。ベルイドと私の運命を大きく変える出来事が起こる。
「何、兄上が?!」
ベルイドの兄が国王への反逆を企てていたとして捕らえられたのである。ベルイドの兄はルナフィック王国一の神殿・ルーナトカ神殿を守護する神官のひとり。ベルイドとも仲が良く、私も時折兄と共に食事をごちそうになったりと縁のある人物だった。
捕らえられたベルイドの兄は苛烈な拷問を受け、目が見えなくなってしまう。敬愛する兄が受けた理不尽な仕打ちにベルイドはとうとうクーデターを起こす事を決めた。
「コーネリア、君はついてくるか?」
ベルイドからの問いに対し、迷わずにはい。と返す。クーデターへは騎士団全員を含め数多の神官や貴族などが組した。
だが、相手は国王。暗殺は失敗し、真正面から戦う事態に発展。クーデターから勃発した内乱は熾烈を極め長期に及ぶ戦いとなる。
戦いが始まって2週間後の夜。疲弊の色が隠せずにいた私とベルイドは雨に打たれながら拠点へと戻ろうとしていた。
「あぐっ」
その途中、足を滑らせ転倒してしまう。さすがに極限のストレスと疲れはこれまで多くの敵を倒してきた女騎士であっても耐えられない。
「はあっ、はあ――っ……申し訳ございません……」
「コーネリア、近くに宿があったはずだ。そこに泊まろう。魔法陣を張れば敵からは見えない」
ベルイドからの提案を私は仕方なく承諾した。もう自分は限界をとうに超えていると自覚があったからだ。
近くにあった宿を訪れた結果空き部屋は1つしかなかった為シェアすることになった。
部屋のベッドに鎧姿のまま倒れこむようにして横になり、そのまま目を閉じようとすると、腹の鳴る音がした。
慌ててお腹を押さえると、ベルイドは笑うでもなく淡々と食事を用意するとだけ言って部屋から去っていく。体感にして数分後、彼の手で鶏肉のローストや茹で野菜にスープ、パンが運ばれてきた。
「えっ……すごい、どれも美味しそうで……」
「ああ。それに俺も丁度腹が空いたところだった。一緒に食べよう」
「はい。頂きます……!」
食事はどれも宮廷内で食べていたものと変わらない美味しさだった。肉の食感は柔らかくほろほろとしていてほわほわのパンとも相性が抜群。
美味しい。塩気も甘みもどれも美味しくて身体の奥まで浸透していく。
「っ、おいしいっ……」
「コーネリア……?」
ベルイドが眉尻を下げて心配そうな表情をしていた所で、私はようやく自分の目元から涙があふれ出しているのに気がついた。
「どうした。君が泣いた場面なんてこれまで見た事が無かったから」
「あ……ごめんなさい」
「謝る必要はない。もしよかったら、俺が相談に乗ろう」
「……団長様……」
パンを飲み込んでから、意を決してこれまで抱えていたもやもやを吐き出す事に決める。吐き出せれば楽になれる……彼ならきっと受け止めてくれるだろうと期待を抱いたからだ。
「私……疲れました。この気持ちを言葉にするのは難しいけれど……誰かに甘えたいです」
「……っ」
「私は騎士だから強くないといけないのに、なんだか心が疲れてしまって……ダメですよね。今が一番踏ん張り時なのに」
この戦いが終われば、民は苦しみから解放される。自分達だって楽になれる。そう感じたからこそクーデターを決行した。
こうして弱みを吐き出す自分はなんて情けないのだろう。でも、彼なら……気がつけば私は縋るようにしてベルイドを見上げていた。
「コーネリア……君は」
「団長様のご決断を責めている訳では決してございません! そこは、ご理解いただきたいです」
「わかっている。しかし君は疲れてしまったのだな」
「はい。……団長様……」
視線がばちりと交錯する。何を言われるかと怖くなったので、まだ余っていたパンを口の中に詰める。
「コーネリア……食事が終わったら、ゆっくりと話そう」
「そう、ですね……」
食事を終えると改めて私はベルイドは並んでベッドの上に腰かける。ベルイドはまだ緊張感を解いていないようだ。こちらは心臓の鼓動が早くなっていくのをはっきりと感じている。
「それで、話の続きだ」
「はい、団長様」
「まず、君の疲労に気づいてやれなくて本当にすまない。そしてさっき……俺に甘えたいと言ったな?」
こくりと頷くと、ベルイドの手がそっと私の髪に触れる。彼のごつごつした岩山のような手には柔らかな熱がこもっていた。
温たたかい……このぬくもりに包まれていたい。
そっと彼の手に頭を押し付ける。気がついたのかベルイドの手にかかる圧力が少し増した。そのまま距離が縮まり、やがて唇が重なり合う。
「ん……」
口づけが好きな者同士で行う行為であるのは、私も理解している。だからこそ密かに慕っていた彼からのキスを受け止めた瞬間、胸の奥から熱いものがこみあげてきた。
体感にして10秒後、ベルイドの唇が離れていく。まって。と言おうとした所、ベルイドは右ほおに手を添えてきた。
「コーネリアは……もっと深いキスを知っているか?」
「深い、キス?」
「ああ。最初からするのは抵抗感があると思ってな。いいか? これから先は、もう止まれなくなる」
それでも、いい――団長様が、側にいてくれるなら。
ゆっくりと首を縦に振ると再び唇が触れる。と思いきや唇の割れ目を舌が割って入って、口内をかき乱し始める。
彼の舌が自分の口の中を乱している事実に、形容しがたい大きな驚きを覚える。
「んっ! んんっ……!」
色んな所をなぞられて、身体の奥底から震えが沸き立ってくる……苦しいのに、もっと欲しくなってしまう。
訳が分からない感覚を覚えつつも抵抗感は出てこない。しばらくして唇が離れていくと、ベルイドの顔が視界に映し出される。
それは冷静な普段の様子とは違い、顔がほてったどこか色気のある姿だった。
「だ、団長、様……お顔が、赤くなっていますよ……」
「……君の事を考えているとこうなるのだ。そういう煽るような事は言わないで、くれ……」
悪意はないのに煽るような事とは? と疑問を口に出す前に、ひょいっと私の身体は宙に浮く。ベルイドが軽々とお姫様抱っこしたからだ。
そのままベッドの上に仰向けになると、身にまとっていた鎧を少々乱雑な動きではがされていく。
「あ……」
それからはもう怒涛の勢いでコトが進んで。快楽がどのようなものかを初めて知ったからか、頭の中はぐるぐると渦を巻いている状態だった。
ベルイドが触れる度に、身体の奥を突くたびに甘い声が何度も漏れ出ては止まらなくて。こんなの初めてだったから何度思い出しても戸惑いと羞恥心が止まらない。
けど決して嫌なものではなく、むしろ嬉しかった。
「おはよう。大丈夫か?」
翌朝、いつにもまして穏やかな顔つきで私を起こしてくれたベルイドは、これから先ずっと忘れる事はないだろう。
その後、私達は戦場を練り歩き、ついには宮廷での戦いに身を投じる。戦いはこれまでのものの中で最も熾烈で、私も傷をいくつか負っている。
「はあっ、はあ……」
宮廷内の廊下で私は右膝をついてしまった。戦いの最中で身体が動けなくなるのは死を意味する。剣でなんとか身を起こそうとした時、後ろから兵士が剣を振りかぶっているのに気がつく。
間に合わない。だめだ――。観念した時、私と兵士の間にベルイドが割って入る。
「ぐっ……!」
この時、兵士の斬撃はベルイドの顔に襲い掛かった。私をかばったせいで二度と消えぬ傷を負ってしまったのである。
「だ、団長様……!」
右目から滴り落ちる鮮血が、脳裏に刻みついては現在も離れてくれない。不安が高まった時に思い出すと自分はダメな人間だと自傷的な思考に囚われてしまう。
戦闘には勝利し、国王を捕えるのには成功した。ベルイドの兄も解放されたし、物語で言う所のめでたしめでたしと言った具合だろう。だけど私はそうじゃなかった。好きな人を傷つけさせてしまった事実が全てを蝕んでいたからだ。
もはや騎士団にはいられない。私は退職届をベルイドの机の上に置き、彼に見られないようにして去っていった。ベルイドに見つかれば引き戻されてしまうと直感したからだ。
そしてあてもなくさまよい続け、辺境の地に辿り着いた私は身分を隠し、平民としてあの食堂で働き始める。だがあの日の交わりによってクレンを身ごもっていた。
ネペクの人達の優しさに助けられて、無事にクレンを産む事が出来たのは感謝しかない。クレンがベルイドにそっくりな見た目をしているのは、彼とのつながりを感じてしまって少しだけ複雑な気分も抱いてしまうが。
そんな彼がまさかこうして、私の目の前に姿を現すなんて想像だにしていなかった。
◇ ◇ ◇
「母様、これからどうなるの?」
今はあの高貴な馬車の中に連れ込まれておとなしくしている状態だ。さすがのクレンも恐怖を感じているのが見て取れる。ここは母親である私がちゃんとしておかないと。
「さあ……でも大丈夫。私がいるから」
「母様……」
ガタゴトと派手な車輪の音を立てて馬車が向かった先は、ネペクから少し離れた城だった。堅牢な城壁が幾重にも囲う灰色の城は塔のような佇まいで、砦をちょっとばかり豪華にしたような印象を受ける。
馬車の扉が開かれて、御者である中年くらいの小柄な男性からは足元に気を付けてゆっくりと降りるようにと指示を受ける。もっと粗雑な扱いを受けてもおかしくないと覚悟していただけに、少しだけ安心できた。
城内に入るとベルイドと合流する。
「ついてこい。話がある」
「は、はあ……」
私達の前を行くベルイドがちらりとクレンの顔を見た。少し目を丸くさせている辺り、何か驚いているようだ。
「そこの少年。何にも痛い事はしないから」
「母様にも?」
「母親思いなのだな。当然だ。危害は加えないと約束する」
穏やかな表情は、騎士団で見せていたそれとなんら変わっていなかった。
白亜の壁に年代物の絵画があちこち飾られているエントランスホールを通り抜けると、左側にある部屋に入る。面談室なのだろうか、茶色い革製のソファが2つに細やかな装飾が施されたデスクに棚などの家具が整然と配置されていた。
宮廷と比べるとそこまで豪華ではないが、高貴な貴族が住まう屋敷位には豪奢だろう。
「座って良いぞ。何か飲み物でもいるか?」
「……」
ぽよんとソファに座るクレンの方を見ると、彼も受け答えに戸惑っているようだ。私もソファに腰かけながらどう答えるか迷うが、いい飲み物を思いついた。
「じゃあ、お白湯を2つ」
お白湯なら何か盛られていてもすぐに魔法で判別できる。ベルイドを疑うような形になってしまっているが、いきなりの再会に対し警戒心を解くなと言われる方が無理がある。
あれだけ好きだったのに、今となっては絡まり合った糸のようで、悲しさすらも覚えてしまった。
「わかった。はじめまして少年。元気にしていたか? 俺は君の父親だ。いきなりそう言われても信じにくいかもしれんが」
突然の紹介に、私もクレンも目をぱちくりさせていた。
「どうしてそうはっきりと……」
「そんなの魔力でわかるさ、コーネリア」
「……クレンはどう思う?」
「……僕にもパパがいたんだって思って」
そういえば託児所にいる子供達から時々、クレンのパパはどうしているのか? と聞かれていたのを思い出す。その度にいないといえば何で? と子供らしく無邪気に聞いてくるのだけど、クレンはあまりよく思っていなかったのかもしれない。もしそうなら、酷な事をしてしまったと懺悔する。
「結論から言う。俺はお前達を迎えに来た。一緒に暮らそう」
「……」
突然すぎてすぐにはい・いいえなんて言えやしない。
「そもそもベルイドはどうしてこちらへ?」
「前のように団長様とは呼んでくれないのか?」
「もう、あの頃のような私とは違いますから……」
そうだ。あの時は純粋な好意と憧れだったのに。そんな私はもうここにはいない。
「あの日俺の元から逃げ出したコーネリアをずっと追いかけてきた。コーネリアがたどった足跡をひとつずつしらみつぶしにしてな」
「逃げ出した? 私が? いや、そんなつもりじゃ」
勝手に逃げ出したわけじゃない。ベルイド本人とは会ってないが、ちゃんと退職願も書いて騎士団の事務的な役割を担う者達にも一通り説明はしているし、配給品や鎧なども全て返却済みだ。手続き自体はきっちり踏んでいるはず。
そう説明すると、ベルイドははあ。と大きなため息を吐いた。
「確かにそうだな。退職の手続き自体は済んでいる。だが、俺には一言も話してくれなかったじゃないか。俺からすれば逃げ出したも当然だ」
「……申し訳ございません」
「ねえ母様、もしかしてあの人怒ってる?」
じっとクレンがベルイドを警戒心のこもった目で見つめている。クレンの態度を真っすぐに受け取ったらしいベルイドは、怒ってなどいないから安心しろ。とクレンをなだめた。
「でも、母様はお仕事もしていて、ひどい人じゃないもん」
「そうだな。俺もそう思うよ。君のママは騎士団でも真面目に取り組んでいたのだから」
あ、ちょっと。私が騎士団にいたのはクレンには一言も話してないのだけど。
だけどもう遅かった。クレンは宝石のように目を煌めかせながら私の方へ振り返った。
「母様、騎士だったの?!」
「あ、ああ……まあ、そうねえ……」
どこから説明すればいいのかわからない。
だけどこのタイミングでドアをノックする音が聞こえてきた。ベルイドが入れ。と告げるとメイドが2人お白湯をシルバートレイに載せて入って来た。
メイドは2人とも私と同じくらいの年代の女性。へえ、こんなお城にもメイドさんが常駐しているのか。それともベルイドが付き従えているメイドだろうか?
「君はメイド達と遊ぼうか」
ベルイドからの提案を受けたクレンは疑う素振りを見せずにうん。と頷く。メイド達も顔は優しそうに見えるし明らかな敵意は見えないから……大丈夫だと信じたい。
「クレン、行っておいで」
「母様……行ってくる」
「帰ってきたらなにしたか聞かせてくれたら嬉しいな」
「! ……うん」
クレンがメイドの手をつないで去っていくのを見届けてからお白湯をひとくち飲んだ。うん、怪しいものではないしむしろ美味しい。
2人きりの面談室は、先ほどよりも静かでひんやりとした空気を感じる。
「さて話を戻そう。俺としてはもう君達を手放すつもりはない。2人とも俺の家族として迎え入れる準備は既に整えてある」
「えっ……そ、そんな。急に言われても」
「コーネリアが働いている食堂にも今、話が言っている手はずだ」
さすがは騎士団長。手が早い。
強引とも言えるやり口だけに、私はまだあれこれ状況が飲み込めていないままだ。
「コーネリア、その表情は……」
「申し訳ございません。私はあなたと暮らすなんて……」
「断るのか? お金についての心配もクレンへの心配もいらない。クレンは彼の好きなようにやらせるさ」
「それはありがたいのです。ありがたいのですが……!」
じゃあ何がいけない。と冷たさを孕んだ声で問われ、私はうつむいてしまう。
そんなの分かり切っている。なのに口から出ようとしない。
「それとあの日どうして君は俺の元から去っていったんだ。どうして……俺を置いて去ってしまったんだ」
一転して悲しそうな声へと変わる。ダメ、そんな弱さのこもった目で見られたら……。
「答えてくれ。俺は君がいないとダメなんだ」
「……っ」
「コーネリアが忽然といなくなった日からずっと、君の事を考えている。新たな王を迎えて国が生まれ変わった時、コーネリアは俺の隣にいなかった。そのせいか俺の胸はずっと穴が空き続けている状態なんだ。これを塞いでくれるのは君しかいない」
彼の言葉ひとつひとつに熱が籠っているのが分かる。どうして、こんな役立たずな私に執着めいた愛を向けてくれているんだろうか?
公爵になったら更に、彼へ好意を向ける令嬢だってたくさん増えただろうに。
「どうして……私なんですか?」
「ずっと一緒にいたせいか、君に情が湧いていてな。それにあの日俺は君と身体を交わった……それから俺ははっきりと、コーネリアと共に幸せを築いていきたいと思っていたんだ。俺の選択肢は君しかない。今何を考えている? 答えてくれ」
「……私、あの時……あなたに二度と癒えぬ傷をつけてしまいました」
「なんだそんな事か? それくらい、むしろ武人としての誇りだろう」
あっけらかんとして答える彼だが、私のせいでこうなったと言うのはまだ消えてくれない。
「私が……! 膝をついてしまっていなければ……! 文字通り私はあなたの足手まといになってしまった……! あなたの側に立つ資格はないと思って……!」
これまで胸の奥深くにひっそりと貯めていた感情を全てぶちまけると、ぽろぽろと目の奥から熱いモノがこみあげてきては止まらない。
「君に何も無くて本当に良かったじゃないか」
「なっ、そんな……!」
「コーネリアが死ぬより俺が傷を負う方が100億倍ましなのだがな。まだわからないのか?」
魔法によるものか、ぐいっと膝が伸びる。そして一瞬のうちに向かい合って座っていたはずのベルイドの胸の中に抱かれ、唇を塞がれていた。
「んっ……!」
熱い。唇を割って入って来た舌はあの日と同じくらいかそれ以上に熱かった。私の舌をねっとりと捉えられて、口内をなぞるように舐められていくたびに、びくびくと甘い感覚が身体中を駆け巡っていった。
「ぷはっ……!」
解放されると一気に新鮮な空気を欲してしまう。
「これくらい俺は君に惚れているのだが、君は?」
「あ……」
「正直に答えなければ……答えるまで君を甘い池の中に放り込んでヨガらせてもいいのだが?」
「や、言います……! 私は、ずっとあなたの事を好きでした、団長様……!」
言ってしまった。脅される形での告白になってしまったけど、これ以上隠しておく必要もおそらくない。うん、今はそう思おう。
「ははっ……そっか。そっか……」
「感慨深そうですね」
「すまん。君の口から改めてそう言われたら……嬉しさがこみあげてきてな。もう一度口づけを交わしてもいいだろうか?」
「……はい」
結局口づけは一度だけで済むわけがなく。
あの人があんなに暑苦しい程の気持ちを抱いていたなんて予想だにしていなかっただけに、驚きは未だ残る。
でも、一旦自分がこれまで抱え込んでいた気持ちを全て吐き出したら、なんだかすっきりした気分に包まれている。何故かはわからないけど、言って良かったかもしれない。
◇ ◇ ◇
私とクレンはベルイドの元へ迎え入れられる事が決まった。食堂の人達とも別れを告げ、王都内にあるベルイドの屋敷へと引っ越した。
クレンは思っていた以上にすんなりとベルイドを受け入れてくれた。どうやら2人は2人で不思議と通じ合うものがあるようで、それが何なのかは私にはわからないけど見ていて嫌な感じは全くしない。
明日はついに結婚式。公爵の結婚なだけあって国の内外から来賓が訪れると聞いている。
「クレンはもう寝たか?」
アパルトマンでの部屋よりも何倍もの広さがある、古めかしくも豪華絢爛な私室のベッドに座っていた私に、白いガウン姿のベルイドがそっと寄り添って来た。
クレンは子供部屋でぐっすりと眠っている。環境の変化にもしっかり適応している辺り、あの子は強くなりそうだ。
「ええ。はい」
「そうか。コーネリア。君はどうだ? 眠れそうか?」
「ちょっと緊張していて、眠れるかどうか」
「奇遇だな、俺も同じだ」
ふふっと微笑むベルイドに、同じような感じの笑みで返す。
「俺にとってようやく新たな道が始まる」
「私もです」
「ああそうだ。これから先……再び騎士団で戦う気持ちは無いか? 君から剣術を教わりたいと願う女騎士達もたくさんいるんだ」
「……考える時間をください。でも悪くないですね」
そうだな。と気さくに笑うベルイドは、私が憧れを抱いていた騎士団長の横顔と全く同じだった。




