第37話「それぞれが抱く夢」
約束していた時間に、オフェリアとジョエルはやってきた。どちらも既に出発の準備を済ませており、方々へ挨拶をして回っているところだった。
「やあ、いらっしゃい。あがってくかい?」
「いいえ。港で船に乗る予定でしてえ」
「そっか、それは残念だ。僕も行けたら良かったんだが」
元々、大英雄になる前から騎士団の団長を務めるほど腕利きだったシャーリンには、護衛など難しい仕事ではない。しかし、今は他にやるべき事があった。
「仕方ないですよう。それに大丈夫です、お嬢様には私がついていますから、何があってもお守り致しますとも。あなたに鍛えて頂きましたしぃ」
「それは良かった。ボクも役に立てて嬉しいよ」
固い握手を交わす。シャーリンは行き先を尋ねた。
「これからどこへ行く予定なんだい。近くじゃないんだろ」
「はい。港町から船に乗って、遠い島国にわたりますう」
年中にわたって温かい気候を持つ、人口千人ほどの小さな島。物価はそれなりだが、旅行で過ごすには良い場所だと聞いて最初の目的地にした。ロイナも誘ったが、誰かが伯爵邸に残って管理をしておかなければならないからと断られたと肩を落とす。
「へえ。ってことは長い旅になりそうだね。楽しそうだ」
照れくさそうにオフェリアは頭を掻く。
「でへへ……。お嬢様と二人っきりなので、ちょっと張り切っちゃってます。これからどんなところに連れて行ってあげようかなって」
「私もすごく楽しみなんだ。やっと夢が叶うから」
小さな鳥籠から飛び出して、ようやく羽ばたく時が来た。夢だった遠い世界への旅立ちが、ついに叶う。ジョエルはたまらなく嬉しくて、そして連れて行ってくれるというオフェリアに大きな感謝の念を抱いていた。
ずっと閉じ込められるだけの日々が終わってからも、多くの出来事に巻き込まれて、ゆっくり旅をする時間など無かったが、これからは愉快で穏やかな時間を過ごせるだろうと二人は揃って期待を寄せている。
「ハハ、君たちが相変わらず仲良くて何よりだ。……あ、でも、それなら申し訳ないんだけどひとつだけ頼まれごとをしてくれないかな?」
まるで隠れるようにシャーリンの背中にひっついて動かないスキラトを、そっと前に押して立たせる。両肩にぽんと手を置いて──。
「この子も連れて行ってもらえないだろうか」
えっ、と驚いたのはスキラトもだった。彼女は振り返ってシャーリンに掴みかかり、「儂をここから放り出すというのか!?」と愕然とした表情を見せる。
戦いの後からずっとシャーリンと過ごしてきて、落ち着いてきたばかりだった。打ち解ける事も出来て、互いに歩み寄ろうと話したところなのに、いきなり放り出されるなんて聞いていない、とひどく焦った。
「私は別に構いませんけどお……お嬢様はいかがですう?」
「問題ないよ。旅仲間が増えるのは嬉しい事だから」
泣きそうなスキラトを、シャーリンは優しく、強く抱きしめる。
「ほら、行っておいで。本当に無理だと思ったら帰ってきてもいい。でも、少しは君も人間の世界の事を知らないと。文字も書けるようになったんだから、次はもっと広い世界を君も知るんだ。……ボクがいなくてもいいようにね」
ジョエルが何かを察して、スキラトの手を握った。
「良ければ君も一緒に行かないか? ちょうど大きめの馬車で来たところだったんだ。私もせっかくなら、君を連れて行きたい」
「む、むう……。しかし儂はぬしらに……」
負い目を感じた。戦いには敗れ、彼らにとって大切な友人だったセレスタンを仕留めた張本人とも言える。そんな自分を連れて行っても楽しくないだろうに。そんなふうに思っていたが、ジョエルは気にも留めず彼女を手を引く。
「うおっ!? ちょ、行くとまだ返事しておらぬじゃろ!」
「知らないよ。私がそうしたいと思ったんだから」
半ば強引に連れて行かれるスキラトを、シャーリンは可笑しそうに見つめる。
「良かったんですかあ? 彼女、送り出しちゃって。寂しくなるでしょうに」
「君も分かってるだろ。ボクと一緒にいるのは可哀想さ」
「いつか感情を理解してしまうから、ですか? そんなの──」
「ボクが気にするんだよ。余計な事を知って気遣わせるのはごめんだ」
腰に手を当てて、やれやれと身体を後ろに小さく逸らせる。
「いつかは子供が欲しいなんて思ってたけど、もう叶わないだろ? だけど一緒にいると、あの子が自分の子供みたいに思えてきてね。千年以上を生きてると言っても、所詮は人間社会の事も知らない、感情だって理解できない産まれたての赤子だ。それが全部理解できるようになったら、ボクが彼女を傷付けてしまう気がしてさ」
晴れ晴れした空から差す光に、目を細めながらフッと微笑む。
「色々あったけど、スキラトはボクの子供みたいなものだ。彼女が悲しむくらいなら、何も知らずに笑っていてほしい。ボクがいつかいなくなっても、自由にのびのびと、この先もずっと生きていられるように」
共に生きられる時間は少ない。人間と魔獣ではまったく生態が異なるのだ。自分の抱えていた夢が壊れてしまった事は、墓場へ持っていく。互いに殺し合いもしたし、大切な存在を失った。だから恨みはない。だが、しばらく過ごすうちに愛情が芽生えた。
自分の子供がいれば、きっとこうして育てたのだろうなという儚くも失われた未来を思い描き、スキラトにずっと笑っていてほしいと願う。
「多くの人は彼女を憎むだろうし、ボクに対しても冷ややかな感情を抱くはずだ。でも、これが親心っていう奴なのかもね。悪いと思ってるよ、正直。でも──」
「いいんじゃないですかあ、別にい」
こつんと肘で突き、オフェリアは二人の後を追って歩きだす。
「きっとセレスタンも許してくれますよお、そんな狭量な人じゃないですから。だから、あなたの夢が彼女の親でいたいと言うのであれば、それでいいと思います。あなたの夢を邪魔する権利なんて、誰にもないんですから」
去っていく彼女の背中を呆けて見つめ、やれやれと手で顔を覆った。
「まったく……見ないうちに皆、大人になっていくなあ」




