第34話「塞がった傷」
どれだけ反省の色をうかがわせても、結局、一度は煙に巻いて逃げようとした。過去は過去だと割り切っていると言えば聞こえはいいが、それを受け止めるかどうかの選択権を持つ者はサルビアではない。
「ニッキー、あなたが余計な事を言わなければ!」
「俺のせいかよ。マザー・グレー、あんただってやった事だろ」
押し付け合いが始まり、オフェリアもさすがに呆れた。こんなのに執拗な嫌がらせを受けて心を痛めていたのか、と情けなく思う。
「お嬢様あ、喧嘩始まっちゃいましたけどお……」
「ハハ、自分たちのせいだから仕方ないさ。だが、そうだね」
こほんと咳払いをして彼らの喧嘩をいったん止めさせる。
「もういいかな、私たちの時間も限りがあるんだ。教育者といえば都合の良い伝手があるし、支援も惜しまない。他の家門が援助を切ったとしても、孤児院の存続については問題ない。残念ながら、この国は他と違って時効などという甘い考えはないから、覚悟しておくことだ。もちろんニッキー、君もだよ。決して他人事にはしない」
まだ誰の目にも──オフェリアにも──見えていないうちから、既に杖を握った段階で、ジョエルは全てを把握できていた。過去に起きた出来事。改装前は応接室ではなかったのだろう部屋の中で、一人の少女が膝をついて悔し涙を流しながら、『どうして、私ばっかり』と泣きじゃくる姿を見ていた。
誰も助けてくれない、誰も味方がいない場所で、必死に悔しさを押し殺しながら生きてきた幼い少女の姿が、彼女には見えていたのだ。
「私のメイドは、世界に四人しかいない英雄だ。……私個人にとっても。だから、君たちをこのまま看過するわけにはいかない。大切な人を傷付けた君たちの罪は重い。関わった全員逃がすつもりはないから、そのつもりでいるといい」
まだ譲歩しているほうだ。正式で公平な裁判の場を与えようというのだから。ジョエルは理性的に、そして徹底的に彼らを追い詰めるつもりだった。
「あんたの魔法が……あんたの魔法が証拠になるわけがねえよ。昔に起きた事の再現なんて、あんたの作り話、妄想でしかねえだろ」
「なるさ。私は大したことなんかないけど、これが導いてくれる」
ニッキーに杖を向ける。紅玉がきらりと一瞬輝いた。
「潔さは必要だと思うな、ニッキー。正直に話すのが嫌なら無理やりでも構わないんだ。たとえば、こんなふうに」
杖を小さく振る。彼はそれを見て、何かが喉に詰まった感覚に陥った。
「これは君たちが本当の事以外、話せなくなるものらしい。あとは騎士団か憲兵隊にでも任せるさ。……いまさら後悔なんてしたって、誰も慰めてはくれないよ」
杖をしまって、オフェリアの手を引く。
「行こう。もう用は済んだから」
「え、えぇ、そうですねえ」
連れて行かれて、オフェリアはくすっと笑った。
「なんか強くなっちゃいましたねえ、お嬢様は」
「そうかな。……うん、でも、きっとみんなのおかげだ」
ただ黙って受け入れるばかりだった人生。もっと声を大にして助けを求めていれば違っただろう。小さな部屋に押し込まれ、そこで甘んじて現実に従うだけが正しい、仕方ないと思い込んでいた。扉が蹴破られた、あの日までは。
「嫌なんだ。君が、私と同じ目に、ううん、それどころか私よりひどい目に遭っていたなんて。……だから許せなかった。どうしても」
「そういう事もありますよねえ。私は別に気にしてませんけどお」
孤児院を歩けば歩くほど、ジョエルは杖をしまったというのに過去の記憶が流れ込むように目に映った。
『ごめんなさいくらい言えないの?』
『私は悪くないって言ってるのに』
『また口答えして! この生意気な娘は!』
理不尽に頬を叩かれて立ち尽くす少女の姿。
『いいな、みんなは仲良くて。どうして私だけ除け者なんだろう』
窓の外を眺め、寂しそうにつぶやく姿。
『おまえは疫病神だ、さっさと出て行けばいいのに。そんなだから親にも捨てられるんだ、俺たちと違って愛された事もないくせに!』
きっかけはオフェリアにも分からない。どうして自分だけが除け者で攻撃されたのか。だが、その記憶は目の当たりにする度、次々に砕け散っていった。
「……随分と遠回りしてしまった気がしますねえ」
「え?」
孤児院の玄関を出たとき、オフェリアがそう言ったので、思わずジョエルは足を止めた。振り返ると、彼女は孤児院を見あげながら。
「こんなことなら、もっと早くに来ておけば良かった。……ずっと私の中で楔が残ったままだったんです。皆がいるから、環境が変わったから大丈夫って言い聞かせても、彼らの言葉がどうしても蘇ってしまって、だから私、あなたにつまらない質問を」
大英雄と呼ばれても、どれだけ力強く戦い抜いて、傷つく事さえ恐れないとしても。彼女もまた一人の人間でしかない。
心は頑丈にはならない。小さな言葉ひとつで傷ついて、二度と治らないとさえ思っていたものが、今になって、ようやく塞がった。
そっとオフェリアの手を引いて、ジョエルは優しく微笑む。
「じゃあ、これからも私のメイドとしてよろしく頼むよ」
「……はい! もちろん、これからもお嬢様のメイドです!」




