第33話「相応しくない」
余計な事は言わず簡素に、率直に。ジョエルの言葉に従って、サルビアは「申し訳ございません」と謝罪の言葉を口にしてから、ぽつり、ぽつりと話し始めた。しかし全てではない。オフェリアと他の子供が仲が悪く、いがみあっていて、それを何度も仲裁に入った事。その原因がオフェリアだったかどうかは正確に把握しないまま、誰もが彼女の責任だと言うので、孤児院の規律に従って罰を与えたとする話はしつつも、自らが彼女に与えた仕打ちに関しては教育のつもりだったと言い張った。
(ちっ、どこまでも逃げ道を用意している人ですねえ。この様子だと、今はなんともなくても、そのうちまた同じことを繰り返しそうですが……)
必死な弁明の最中、応接室の扉が勢いよく開かれる。
「マザー・グレー、ここにいたのか。もうメシの時間……」
入ってきたのは短い金髪の男だ。背が高く目つきが悪いが、小さい子供が足に絡みついてるのを見れば、彼がそれほど恐ろしい人間でない事は分かる。ただし、それは上辺だけで、オフェリアには酷く醜悪な人間として映った。
「おほっ、こいつぁ疫病神のオフェリアちゃんじゃないの」
「……ニッキー。随分と口の利き方がお上品ですねえ」
当時、オフェリアを目の敵にしていたのはサルビアだけではない。年長だったニッキー・ベニアンが主導して複数人で、彼女を貶めた事は幾度となくある。数えるだけでも悍ましい日々を乗り越えたのも、ひとえにオフェリアの精神力がそうさせたとも言えるほどだ。
普通ならトラウマになってもおかしくないが、彼女は強かった。たとえ精神的に追い詰められて死に場所を探したとしても、彼らにだけは潰されるまいと持ち堪え続けた。だからか、再会しても感じたのは、腹立たしさだけだった。
「あの小さいクソガキが偉そうになったもんだな。聞いたぜ、大英雄様なんだってなァ? それで、ここへは何しに来たんだ。また俺に喧嘩でも売るつもりか?」
「やめたまえよ、そこの。口の利き方がなっていない」
ニッキーがジョエルを睨む。凛とした佇まいで紅茶に口をつけ、ちらとも彼を見ようともしない少女にチッと舌を鳴らす。
「どこのお嬢様だか知らねえけど、偉そうに──」
「こら! おやめなさい、ニッキー!」
サルビアが怒鳴るのはさすがに想定外だったのか、ぐっと言葉を呑み込んで「なんでだよ?」と不服そうな声を向けた。
「このお方はアルメリア伯爵様よ。あなたも新聞は読むでしょう」
「……だからなんだってのさ、俺みたいな庶民様とは違うってか?」
何だったら悪評を振りまいてやっても構わないとでも言いたげな態度だが、ジョエルはフッ、と鼻で笑って返すと「その通りだよ」と答えた。本心にはそんなふうに思ってもいないが、オフェリアに対する攻撃的な姿勢が気に喰わなかった。
「君はえっと、ニッキーだったっけ? その来ている作業服は確か、メデリック商会指定のものだ。彼らは小さいけど大口の取引先があるから、責任感を持って仕事をしてもらうためだ。……って、会長さんから聞かされてなかったのかな、君は」
飲み終えたら、ジョエルはそっと立ち上がって襟を正す。
「いいかい。どんなに都合の良い解釈をしたって、彼女から喧嘩を売る事なんてありえない。それ以上の汚い言葉は胸の中にだけ留めておきたまえ」
「……ハッ。俺たちはずっと見て来たんだぜ、十年近くも。コイツがどんな奴かなんて知らないだろ? 教えてやろうか、コイツは喧嘩になって、相手がやめてくれって懇願しても殴り倒すようなろくでもない──」
そっと手で制したかと思うと、ジョエルは首を横に振った。
「見てないよ。君たちは彼女の事なんて見てない。仮にそれほどの蛮行を彼女がしたとしよう。でも、割れた花瓶から放り出されて散らされた花を見て可哀想だと声を掛けるような人が、理由もなくそこまでの事をするはずがない」
伸ばした手の中に光が灯り、紅玉の杖が現れる。紋章が失われても、魔導師としてのセレスタンから引き継いだ素養は残ったままだ。彼女は戦えるほどではないが、今やアリンジューム家に代わる魔導師としての血が流れている。
「セレスタンの魔法を使えば、真実を暴き出す事はすぐに出来る。少しは後悔してくれていればと思ったけど、違うのなら仕方ない。そうだよね、オフェリア?」
「ええ、そうだと思いますう。……あまり見たくはないですが」
ジョエルが行おうとしているのは、当時の再現。過去に起きた出来事を魔力で再生する。それはオフェリアにとって苦しい過去でしかないが、これからやるべき事には必要な過程だ。フェロニア孤児院を担うべき人間は、彼らではないから。
「サルビア・グレー、私たちは貴女を告発する。もちろん、孤児院の経営の仕方に問題があるという点だけではないよ。オフェリアとの過去の諍いも含めて、すべての悪行を白日の下に晒す。私にはそれが可能だから」
慌ててサルビアは立ち上がり、目を剥いて「お待ちください!」と叫んだ。
「わ、私がいなくなれば孤児院はどうなるのです!? ここにいる子供たちはみな路頭に迷ってしまいます! ここには教育者が少なくて──」
ジョエルに近づこうとするのをオフェリアが立ち塞がる。
「やめましょうよ、マザー・グレー。今日来て、他にいじめられている子がいないのはよく分かりました。正直、すごく安心したんですよ。私みたいな子がもういないんだって。……それでも、あなたは此処に相応しくない。そう判断したんです」




