第7話「要らない気遣い」
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──独りぼっちは嫌いだ。そのくせ独りでいたがる。誰にも迷惑を掛けたくないから。たかが数十年の命を、どうして他人のために使わなくてはいけないのだろうと思いながら、誰かの声を聞いていないと安心できなかった。
『お前が捨てる命で何人が救われるというんだ』
──友達の声を聞いた。そんなに昔じゃない。たった数年前の話だ。あのときの私は酷く荒れていて、誰彼構わず噛みつく猛犬みたいな娘で、ひどく馬鹿だった。私は、自分の認めた者以外の誰にも耳を傾けなかったから。
『だめだよ、オフェリア。簡単に死んでもいいなんて言ったら。今ここでみんなが助け合わなければ、全員が死んでしまうんだ。生きる事を諦めたような戦い方は、ずっとずっと遠くで勝利を祈っている人たちの命まで奪うことになる』
──うるさい。そんなことは分かってる。ううん、本当は分かってなかった。戦って勝てばいいんでしょって決めつけて、そのせいで……。
「オフェリア。起きろ、オフェリア!」
ぺしぺしと頬を叩かれて目を覚ます。別館にある使われていない部屋のソファで掃除中にぐっすり眠っていたオフェリアは、気付いたら朝を迎えていた。
「んあ……おはようございます、お嬢様ぁ」
「おはようではないだろう。なぜこんなところで?」
「すみませぇん、ここのところ忙しくてえ」
メイドたちの嫌がらせが止んでから数日。彼女は相変わらず本館と別館、それぞれで多くの業務をこなしていた。これまでのアマンダたちの行いが明るみになり、これまで何人も入れ替わってきた理由が分かって腹を立てた伯爵が、何人ものメイドを辞めさせてしまったのだ。そのため新しいメイドが来るまでは、オフェリアも仕方なく本館で手伝うことになった。もちろん、そのぶん給与は増えたのだが。
「あまり無理をするな。私の世話など、他のメイドたちと同じように……」
「そうは行きませんよお。大事なお嬢様なんですから」
ジョエルは少しずつ健康的な体つきになってきた。最初の頬のやつれた姿を思い出すと、それだけで嫌になる。なのに、他のメイドと同じ扱いをしろと言われても到底できるものではなかった。
「いいですか、お嬢様。簡単に自分を犠牲にしてはなりませんよ。それは結局、貴女を想う誰かまで犠牲になるんですから。肉体だけじゃなく、精神も。だから、同じ扱いをしろなんて言わないでください」
そっとジョエルの唇に、人差し指を優しく乗せて笑いかける。遠い昔、友人からの受け売りは、また一人の友人に引き継がれていった。
「……すまない。だが、やはり無理はよくない」
「わかってますよお。今日は伯爵様にもお会いしなければいけませんし、そのときにお休みでも貰えないか聞いてみます。そしたら、一緒に遊べますよねえ」
少し深い眠りで遅刻ぎりぎりではあったが、激務の中での事くらいは、大人しくなった家政婦長なら認めてくれるだろう、と大きいあくびをする。
「じゃあそろそろ行って来ないと。あとできちんとした朝食もお持ちいたしますので、楽しみにしていてくださいねえ」
疲れは残っていても、気分は良かった。なにしろ今日は待ちに待った、新しいメイドたちがやってくる日なのだ。休みがもらえるという確信の根拠だ。
結局、浮かれていて時計を見ていなかったので数分の遅刻をしてしまいながら、満を持しての堂々出勤には少々嫌な顔をされたが、今の彼女はある意味では無敵と言えた。鼻歌まで歌ってご機嫌だ。家政婦長からも「遅刻なんだから謝るくらいはしなさい」と言われても、へらへらと笑いながら「すみませぇん」とだらしなく口にした。
それでも大して責められないのは、彼女が誰よりも激務の中で完璧な仕上がりを見せているから他ならなかった。
「まったく、困った子ね。まあいいわ、今日は他にも新しいメイドたちが来ているから仕事も教えなきゃいけないし……あなたは旦那様が呼んでいらっしゃったから、ここはいいから行ってきなさい」
あくびをしながら「はあ~い」と気の抜けた返事をして、気怠さを抱えたままアルメリア伯の待つ部屋へ向かう。はやくジョエルのところへ戻りたいと思いながら「失礼しますう」と執務室に入った。
伯爵が作業の手を止めて書類から顔をあげる。
「……ああ、来たか。ずいぶんと眠そうな顔をしている」
「ああ、すみませぇん。昨日は眠れなくてえ」
金色の髪と凛々しく気高さの感じる顔立ち。もし彼の髪が長くて瞳が葡萄色をしていたのなら、さぞやそっくりだったことだろう、と感想が胸に湧いた。
アルメリア伯、ガレト・ミリガン。若くしてジョエルの父親となったが、息子ではなかったこと、それから実母であるアディラ・ミリガンが産後すぐに亡くなったことから、まったく愛情を示さず、別館に軟禁して都合の良い道具として扱おうとしている最低な男だというのが、オフェリアの評価だ。
「まあ構わん。お前を呼んだのは先日の件なんだが、他のメイド共が身のほども弁えずに私の顔に泥を塗るような真似をして、お前に多大な迷惑をかけたと聞いている。家政婦長も過度に仕事を任せていたようだな」
オフェリアの目がぱっちり開く。これは休暇をねだるのに都合が良いのでは? そんな考えが頭を過って、まずはひとつ謙遜に「そんなことないですう」と答えて、自分が立派な働き者であることをアピールする。
だが、ガレトの言葉は想像とは違っていた。
「お前は仕事がよく出来るようだ、家政婦長からの報告もある。新しくメイドも雇い入れたから、お前には今日付けで別館の業務から外れて、本館で勤めてもらう。給与も現状維持のままで構わない。これまでの非礼の詫びだと思ってくれ」
破格の待遇だ。普通のメイドであれば泣いて喜んでもおかしくないほど、生活に余裕がでる。もし養うべき家族がいるのなら、仕送りをしても自分の手元にいくらか残せるだろう給与は、普通では考えられない話だった。
しかし、そんなものに興味のないオフェリアは、思わず──。
「……ちょっとそれは冗談きついですねえ」