第28話「空白の三年」
ヴェロニカに抱えられたまま皇都まで帰還することになり、どことも分からない草原を駆け抜けられる感覚は、戦い終わったあとは心地が良かった。
少々の恥ずかしさなどは胸の内におさめておいて、ようやく戦いが終わり、ジョエルやロイナとの穏やかな日々が戻って来る事に安堵した。英雄などという大層な物ではなく、ただのメイドとして傍にいられる日々が返ってくる、と。
皇都が見えてきたとき、ヴェロニカは徐に足を止めた。
「なあ。お前さ、これからどうするんだ?」
「何がですか。バルテロにあったときの話ですか」
「だってよ……。結局は敵だろ」
いまさら八年前の事を蒸し返すような真似をしたところで、スキラトを生かしておくべきではない、というのがヴェロニカの考え方だ。人間なら誰しもが魔獣の外見に恐怖を抱く。八年前に何があったとしても、結局は人間と魔獣という相容れない存在ではないのか。和解など、これから何千年経っても無理に思えた。
「かもしれませんねえ。でも、真実を知らないままも嫌じゃないですか?」
「……ま、それもそっか。まずは聞いてみねえとな」
皇都は静まり返っている。人々は既に避難を済ませていて、皇帝バルテロを軸に、議会のメンバーや、人々の平和を優先して撤退しなかった騎士団や憲兵隊の者たちだけが常駐し、英雄たちの凱旋に期待を抱きながら緊張の糸を張り詰めさせた。
「おい、あれを見ろ! 帰ってきたぞ!」
憲兵の一人が指を差して大きな声で叫ぶ。
大通りを二人で歩いてくるオフェリアとヴェロニカの姿に歓声が湧きあがった。何にも怯えなくて良い、人間の勝利で終わったのだ。
「よくぞ戻った、リンデロート殿。それにエッケザックス殿」
二人を最前で迎えたのはヴァツィルだった。
「どうも、ヴァツィル。少しバルテロに話があるんですけど」
「帰って来るのを心待ちにしているとも、案内しよう」
二人を連れて謁見の間へ向かう間、ヴァツィルは「なんと礼を言えばいいのか。俺たちでは何も力になれなかった」と感謝の言葉を口にした。常人とはかけ離れた強さを持つ英雄の二人が、ひどい怪我をして戻ってきたのだから。
「皇帝陛下。我らが英雄が戻られました」
玉座にて待つバルテロが、立ち上がった。
「おお、よくぞ戻った!……二人だけか?」
「シャーリンがまだ目を覚まさず、今は治癒に専念を」
「そうか、厳しい戦いであったのだな」
「ええ、それはもう、本当に死にかけましたからねえ」
まさに奇跡だ。オフェリアが土壇場で二人の紋章を受けなければ、とても勝てない相手だった。スキラトはそれほどに脅威的な存在で、ほんの一瞬でも判断を間違えば即座に命を落としていた。実際、ジョエルが隙を突くまで弱らせるに至る事はできたが、実力では終始圧倒されたのだ。
「生きててよかったですよ。ところで、本当は少しくらい休んでから帰ってくるつもりだったんですけどお……色々と聞きたい事がありまして」
「む、なんでも聞いて構わぬ。そなたらは世界を救った英雄ゆえ」
寛大さに感謝を、とオフェリアは儀礼的な挨拶を済ませてから──。
「八年前の今日、なぜ魔獣を討伐したのか教えて頂いても?」
途端に、ぴくっとバルテロが表情を強張らせた。
「農村の者が襲われた。危険だと聞いた我々で魔獣を討伐した」
「関わったのは、どこの誰です。まさか騎士団じゃあないでしょう」
当時の騎士団には既にシャーリンもいる。彼女は仲間を騙して生きられるような社会主義の人間ではない。魔獣について知っていれば、真っ先に話していたはずだ。しかし、そうしなかったのは、そもそも騎士団が関わっていなかったからに違いないとオフェリアは推察する。だが、それは口にしなかった。
「魔獣は危険です。小さかったとしても、鍛えた憲兵や騎士が二人以上でやっと討伐できるんですから。本当に農村の者が襲われたんだとしたら、生きている事自体がおかしな話だと思いませんか?──わざわざ私の口から真実を言わせるおつもりで?」
ハッタリだ。空気がピリつく。
ヴェロニカは無言を貫き、無関心そうな素振りで耳を傾けた。
「……魔獣を見たという報告は事実だ。討伐に向かったのは騎士団の数名に傭兵を加えた十数名だった。巨大な狼がいると聞いて調査に向かわせ、見つけ次第、危険が及ばないよう先んじて処分をしておくつもりでな。だが、未知数の危険に我が国の優秀な騎士を投入するのは躊躇われた。それゆえの判断を間違いだと卿は思うか?」
それまで沈黙していたヴェロニカが、ふいに割って入った。
「前に来たときも思ったんだけどよォ。いつからか、ここは随分と獣くせえ城になったもんだよな。……アリンジュームの屋敷とそっくりの臭いだ」
ぎろっとバルテロを睨む。
魔獣と混ざってからか、彼ら特有の魔力の香りを感じるようになったらしく、ヴェロニカは魔獣の存在が城にもこびりついているのが気に入らなかった。
「あいつらの死体は使い道がありそうだよなァ……。加工しちまえば分かんねえモンもあるだろうよ。たとえば毛皮なんかどうだ? それとも、あんたが履いてる革の靴なんてのも作れちまうんじゃねえか?」
バルテロが押し黙った。戦争が起きるまでの空白の三年。何度も現れた魔獣を殺しては、その死体を調査という名目で運び込んだ後、どうなったのか。
「そりゃあ、連中は腹が立つだろうぜ。同胞が殺されたうえに、人間の道具にされちまってたら。あんたらにすりゃあ、都合のいい素材が手に入った程度だとしても」




