第26話「争う理由」
どちらも活動限界が近い。どこまで余力を吐きだせるか、それはどちらにも分からなかった。ひとつだけ確信を持って言えるのは、負ける気がしない事だ。
互いの拳が、蹴りが、幾度となく受け止められ、流され、躱され。格闘の一点においては、スキラトに分があった。しかし一発の破壊力はオフェリアが勝っている。どちらとも小さなミスが敗北を生む、その瀬戸際にいた。
「やりおるわい、たかが百年も生きておらぬ小娘が」
「フ……歳を重ねただけではないようですねえ」
ぜえぜえと肩で息をするオフェリアに対して、スキラトはまだ余裕のある表情を浮かべていたが、その額には汗がたっぷり滲む。
「ここまで力を出したのは久しぶりじゃ……」
「へえ、そうですか。前は誰だったんです?」
ぎゅっと拳を握り締めて、空を見上げる。満天の星空だった。
「……レシ。昔は、奴の方が上手であった。儂らが住まう名もなき世界……魔界と名付けたのは誰だったか。数百年も前、あやつは王として君臨しておったが、力ずくで儂が奪った。そういう生き方しか知らぬものでな」
強き者こそが頂点。それがスキラトたちの世界を創ったルール。弱き者は粉々に打ち砕かれ、強き者だけが生きる権利を持っていた。レシは、その中でも強い魔獣だった。彼女の右に並ぶ者などありえないと言われていた。──スキラトが現れるまでは。
「儂が世に生まれたとき、この身は黒い小さな猫のようであった。力も弱く、大した事も成せぬ、か弱き生命。しかし、あるとき儂は気付いた。絶対的な力を手にする方法に。──それが、アンムト・ストーン。黒き魔力の石を喰らえば、儂らは強く、大きくなれた。まあ、見ての通り肉体的にはやや小さいがのう」
アンムト・ストーンの特徴を聞いて、オフェリアの頭には魔力を自製する黒曜石が過った。全ての元凶とも呼べる魔石。それが、スキラトの力の源でもあった。
「しかし数には限りがあるのは分かるな、オフェリア。ぬしら人間が一度しか生きられぬ命を持つように、儂らが強くなるために必要としてきたアンムト・ストーンは、その数を大きく減らした。あれは大気より緩やかに生成される瘴気の塊みたいなものゆえ、放っておけば増えはするが……」
数が減れば、必ず得ようとする者が現れ、奪い合いが起きる。いくらスキラトでもすべての魔獣を見張れるような能力もなく、魔界の貴重な資源であったアンムト・ストーンは限りなくゼロに近いところまで減り続けた。
それは魔獣たちに残酷な現実をもたらす事になる。
「つまり……あなたたちが求める石ころがなくなったから、新しい安住の地でも探そうと思って、こちら側へやってきたということですか?」
スキラトはゆっくり首を横に振った。
「半分は正しい。しかしのう、半分は違う」
戦闘が再開される。スキラトは話を続けながら、オフェリアを襲う。
「現実はもっと残酷で非情じゃった。力の源を独占しようとした者たちが争うようになって、奴らが最終的に資源を失って至ったのは共食いじゃ! 同胞を喰い殺すことで力を得ようと、その蛮行が同胞の数までも極端に減らした!」
ついに鋭い拳がオフェリアの腹部に直撃する。咄嗟の後退で勢いはなく、ダメージは少なかったものの、これまでの均衡が僅かに崩れた。
「だから何なんです、それで私たちを餌として増やそうと!?」
防戦一方。少しでも集中力を削いで油断を誘いつつ、回復を待とうとするオフェリアだったが、目の前にいたスキラトが黒く染まって弾け、姿を消す。一瞬で背後に回り込み、今度は蹴りがもろに脇腹へ食い込んだ。
「うぐぅっ……! く、ちょっとくらい話してもいいじゃないですか!」
「アホをぬかすな。ぬしの目的なぞ見え透いておるわ。……しかし、」
膝をつくオフェリアを蹴って仰向けにして、胸に足を降ろす。
「話してやろう。その後、儂らが何をどう取り決めたかを」
ふっ、と勝ち誇った笑みを浮かべた。
「儂らはこれ以上の力を求める必要のない世界を求めた。同胞が喰らい合い、日に日に数を減らすのにうんざりしてだ。あるとき、レシが目を付けたのが人間の住む世界。ここは自然が豊かで、実に豊富な資源があった。そこで一匹の同胞を調査に送った。……そやつは死体になった。それが今から八年前の今日よ!」
ぎり、っと歯を噛んで憎らし気に見下ろして叫ぶ。スキラトの怒りは一方的なものに見えたかもしれない。だが、そうではなかった。
「多くの人間共にどう伝わっているかまでは知らぬ。だが八年前、儂らの同胞を見つけて先に仕留めたのはぬしらよ。よもや知らなんだとは言うまい?」
「何を言っているのです……? 八年前、私たちは……」
記憶を辿る。発端は八年前、最初の魔獣が現れたときへ遡る。さほど大きくもない魔獣だったが、当時は最初の一匹というのもあって脅威に思われた。その亡骸を見た人々の驚がくは、今でも鮮烈に脳裏へ焼き付いている。
そこから三年の間にも、何匹もの魔獣が討伐された。多くの人々が犠牲になり、最終的に勃発した千を超える魔獣の軍勢との戦い。『魔獣戦争』と呼ばれたそれを終結させる頃には、何万もの人間が死んだ。
「ぬしらの紋章は、およそ儂らの世界との均衡を保つための抑止力に過ぎぬ。無論、ただ配下を送っただけの儂にも責任はあろう。しかし先に均衡を崩したのは人間ぞ。儂らを殺すのは許されて、儂らがぬしらを殺すのは許されないとでも?」
踏みつける足に力が込められていく。オフェリアが悶えながら退けようとするが、受けた痛みがそれを拒んだ。
「ま、真相などいまさらどちらでもよい。ここまで互いに争い、傷ついたのだ。必要なのは決着のみよ、愚者同士の議論に価値などない。さらばじゃ、大英雄。ぬしらが何を知らずと戦い、幾多もの困難を経たとしても……今日までよ」




