第23話「覚悟を決めろ」
首に刺さった斧が錆びて朽ち、ばらばらに崩れた。
「武器を失い、力を失い、残ったのは使えぬ仲間だけ。それでなお儂に刃向かおうと言うのなら、まあ、遊んでやらなくもないぞ。今は気分が良いのでなァ」
ヴェロニカは数歩飛びのいて、自分の手の中に残った斧だったものを握り締める。今はただの棒だ。使い物にもならず、戦うには無理がある。
(……オフェリア、シャーリン。上出来だよ、てめえらは)
咄嗟の判断力ひとつで遠くへ飛びのき、完全な直撃を避けたシャーリンは、最も耐えられないであろうジョエルを抱きしめて自らの身体を盾にしようとした。それはオフェリアも同じだ。一歩遅れて、二人を庇って稲妻の衝撃波を受け、三人は無防備に放り出された。そのせいで気を失ったが、ジョエルだけは意識を保ち、咄嗟に二人を守ろうと結界を張り、二人の怪我を治療しようとしていた。
「しかし驚いたのう。ぬしは存外、平気そうじゃ」
「アタシの蒼い炎の威力を見なかったわけじゃねえだろ」
「なるほど。破壊力そのものを盾に使ったわけじゃのう」
満足げに頷いたスキラトは、くるっと身を捩って蹴りを放つ。速過ぎて目で追えず、身体も咄嗟に反応しない。無防備に腹を蹴られて、ヴェロニカは大きく吹っ飛ばされる。ごつんと頭を打ったのは、ジョエルの結界だった。
「うわっ……! だ、大丈夫かい!?」
「大丈夫なわけねえだろ。今にも死にそうだよ」
ごほっと血を吐きだしてから、けらけら笑う。
ひょいっと立ち上がって元気そうに口元を汚す血を拭ってみせたが、視界は霞んでよく見えない。今にも倒れそうなほど全身が痛みを訴えた。
「なあ、ジョエル。アタシは平気だから二人を頼めるか?」
「あなたも入ってくれ、このままでは……」
「いやあ、それは出来ねえ相談だ。誰かが戦わなくちゃな」
遠くで腕を組んで立つスキラトの周囲、宙に黒い渦が現れた。さほど大きくはない。だが、その中から取り出した黒い剣が問題だ。特別な装飾があるわけでもない見目のそれからは、強烈な魔力に似た波動を感じる。
「誰かが戦わなくちゃ、ならねえ。もう一度だけ言うぜ、ジョエル・ミリガン。てめえのメイドは、てめえのために命を懸けた。だったら、てめえも仲間のために命を懸けろ。ここから先、一度たりともアタシを見るな」
使い物にならなくなった斧の残骸を地面に捨てて、拳を握り締める。爪が食い込むほどの力で、手のひらから血がぽたりと零れた。
「アタシの言葉をよく頭に焼き付けておけ。──覚悟を決めろ! 優しいだけで救える物語なんざ、この世界のどこにもありゃしねえ! だったらやるべきことはなんだ、泣き喚く事か!? 違う、命を燃やしてでも戦う事だけだ!」
ぐぐっ、と脚に力を入れる。すう、と息を吸い込む。
「だから……だから、最後まで諦めんなよ。アタシとの約束だ」
呼び止める叫びにフッと笑みを浮かべる。砂地を駆け抜け、戦わねばならない敵を前に覚悟を決めた。負けるための戦いではない。さりとて生き残るために戦うわけでもない。生き残ってもらうために戦うのだ。
「……その生き様、見事なり。ぬしには応えねばならんな」
握り締めた剣を向け、素早く何度も振りぬく。黒い斬撃が飛び、ヴェロニカを狙った。彼女は正面から蒼い炎を纏った拳で迎え撃ち、相殺していく。
──退屈な人生だった。朝から晩まで喧嘩に明け暮れ、気に入らねえ奴の顔面に拳を叩き込んでばかりのクソみたいな日常。もっと刺激のある人生が欲しいなんて祈っていた。今はどうだ、刺激的か? ああ、とても刺激的だ。
だけど、今はそんなものよりずっと大切なものがある。守りたいモンが、守らなきゃならねえモンが。アタシの命ひとつで、どれだけの命が救えるか? ハ、分かり切ってる。大勢の命だ。今、この瞬間においては、燃やさなきゃならねえ。
協力して生き残るなんて偉そうにほざいて、結局誰かが犠牲になるんだったら、それはアタシだけでいい。そうだろ、セレスタン?
「まこと難儀な話よ、生きるとは自由から程遠い。戦わねば死に、戦っても死ぬ。ゆえに儂らは喰らい、喰らわれ、頂きへ至ろうとする。しかし、ぬしら人間とは実に面白い。仲間のためであれば命さえ捨てるのも惜しくないか」
胸を貫く刃にヴェロニカはフッと笑った。拳があと一歩、届かない。
「……それが人間ってモンよ。クズみてえな連中も、いるが……いや、アタシもクズだったかな。だがどんだけ堕ちても守りたいモンがあるって、だけさ」
「カッカッカ……。そりゃあええのう」
剣を引き抜き、その場に倒れ伏すヴェロニカの傍に突き立てた。
「儂には理解できぬ。なにゆえ守るのか。己が身を守るのは己だけの世界とは違う、面白い生き物であるな。……良かろう、ぬしの命に免じて少しだけ待って──」
目の前から剣がフッと消えた。肩から右腕が切り離され、一瞬だけぐらりと姿勢を崩す。油断は無かった。しかし、認識が遅れたのは事実だ。
「実に良い剣だ、君の武器は素晴らしいな」
背後にまわったシャーリンが剣を背後から突き刺した。疾風よりも速く駆けた彼女の一撃は、正確にスキラトを捉えていた。
「……カッカッカ。こりゃ驚いたのう、もう回復したのか」
「ああ、ボクはね……。中々良い奇襲だっただろう?」
「まったくじゃ。流石の儂も呆気にとられたぞ。しかし、」
彼女はニヤリと笑いながら、剣を指差して──。
「はよう武器を棄てたほうが良い、ぬしには過ぎた玩具ぞ」
握っていた柄から黒い影が伸び、シャーリンの腕に纏わりつく。
「っ……!? なんだ、これは!」
咄嗟に離そうと手を広げて振り払う。
剣がずるりとスキラトの胸から抜け落ち、彼女はそれを拾い上げて肩をトントン叩きながら、嘲笑の滲んだ表情を浮かべた。
「──邪帝剣ヴリトラ。儂が誇る最大戦力のひとつ。万を超える同胞の命によって造られた、儂にしか扱えぬ神の領域さえ侵す剣。儂からの最大の敬意と取れ」
 




