第21話「良い経験だった」
ヴェロニカの傷はジョエルが癒してくれる。とはいえ、肉体に帯びたとてつもない疲労や失った血液は戻らない。興奮が冷めないうちのほうが、残りの戦いもスムーズに進んでくれると判断したシャーリンは、容赦のいっさいもなく、レシを素早く抹殺しようとした。自身の体力も温存しておきたい気持ちもあった。
「はんっ、アタシに死ねだなんてずいぶん大口叩くのねえ!」
前足を高くあげて大声で吼えると、斬られた腕や足が傷口から生えるように再生する。他の魔獣たちと違い、スキラトが最後まで残すだけの能力を持っていた。
「くっだらねえわ、あんたみたいな奴にあっさり始末されるとか」
「ははは。活きが良いね、嫌いじゃない」
「アタシはあんたの事嫌いよ、その涼しい顔を歪ませたくなる!」
すっと手を伸ばすと黒い稲妻が駆けて槍と繋がり、レシの手に戻った。
「やってくれたお返し、してあげないとねえ!」
高く飛び跳ね、空に向かって槍を掲げる。先から暗雲が渦巻いて現われ、引き寄せられるように浮くレシが宙を歩く。
「あの大賢者に叩き込めなくて残念だったけど、その仲間に使う機会がやってくるなんて嬉しくて仕方ないわ! さあ、あなたは一体、どんな悲鳴をあげてくれるのかしら!?──喰らいなさい、《雷鳴降突》!」
逆手に持った大槍が黒い稲妻を伴って、轟音と共に降った。暗く染め上げられた空から降るそれは、まさしく落雷。目に留まらず、咄嗟の回避も許さない裁きの雷。迎え撃つシャーリンが剣を放り投げて槍に直撃させ、ほんの一瞬だけの時間を稼いで躱しても、枯れた砂の地さえ絶叫する荒々しさに、黒い稲妻が駆け抜ける。
「ハハハ。ボクを追いかけてくる稲妻だって?」
逃げきれない。いくら速くとも、光の速さには圧倒された。
直撃した稲妻が、炸裂音を勝利を宣告するラッパのように響かせる。
「ぐあ……は、ハハ……これは、キツいな……!」
オフェリアたちが思わず駆け寄りたくなるほど、シャーリンは大きなダメージを受けている。自慢の速さなど意味を成さず、痺れた身体のせいで砂地を這いつくばる芋虫のようだと自虐的に鼻で笑って、顔を上げた。
「あらあら。思ったよりあっけなかったわね。大英雄もこんなもの?」
もしこれがセレスタンだったなら、稲妻も簡単に相殺してみせたに違いない。そんな考えが頭をよぎり、いつまで彼の事に囚われるんだと呆れた。
「ご、ごもっとも。ボクは正直、強くない……残念ながらね」
呼吸を整えてふらふら立ち上がる。惨めな気分だった。
前線で戦うのは、いつだってヴェロニカやオフェリアだ。支援はセレスタンがやってくれたし、今はジョエルがその役割を担っている。では自分はどうかと振り返った時、いつだって大した働きはできていない。弱い敵にはめっぽう強いが、強い敵にはめっぽう弱い。そんな中途半端さを感じていた。
大英雄の肩書きは、あまりに相応しくない、と。
「ふうん、認めるのねえ。それで、あなたはどう、大人しく死ぬ?」
「そんなまさか。諦めるつもりはない。君如きではね」
ぱんっ、と軽く鎧を叩くと光になって消滅した。薄茶色のシャツにぴったりした革のパンツ。腰に巻いたベルトには、一本の鋭いナイフが固定されている。
「はっ、なにその恰好。遊びにでも来たつもり?」
「君は馬鹿だな。ボクは至って本気さ」
ナイフを取って、手に弄びながら。
「君がボクと同じ相手を舐めくさったクズで助かったよ。おかげで呼吸も整ったし、痺れも取れた。邪魔な鎧も脱ぎ捨てられて最高の気分だ」
「なーにが、最高の気分ですって。ずたぼろのくせに──ッ!?」
視界からシャーリンが消える。彼女はレシの頭に手を置いて逆さに立ち、ナイフを構えて頭蓋に突き刺そうとする。咄嗟に振り落とされ失敗に終わったが、かなりの動揺を与える事には成功したので問題はない、と頬を緩ませた。
「いやあ、まだまだいけるな。うん、全然いける」
腕をぷらぷらさせながら、小さく飛び跳ねる。
「この……人間の小娘風情が、よくも馬鹿にしてくれたわね!」
槍を両手に正面へ構える。レシの顔の形が変わり、本来の魔獣らしい姿である山羊の頭部になる。大槍を覆う黒い稲妻がさらに勢いを強めた。
「フッ飛ばしてやるわ、後ろの仲間ごと覚悟決め──」
「馬鹿なのか。覚悟を決めるのは君だよ、レシ」
すっ、と音もなくシャーリンが横切った。
ふわりと宙を優しく舞う視界に、レシは理解が追い付かない。
「……醜い姿に戻ってくれて良かったよ。手もとが狂わなくて済んだ」
勝者は決まった。もう考える事にさえ意味がない。レシの身体が、ゆっくり横たわって、ずさっと砂を軽く舞いあげた。
「君は強かった。だからこそ、君が油断したのは都合が良かった。ありがとう、レシ。君との戦いは、ボクにとっても良い経験だった」
全員が見事に勝利をおさめ、シャーリンは仲間のもとへ戻り、ハグを交わす。振り返ると、レシの頭を抱えて身体の傍に屈むスキラトを見た。
「ぬしまでもか、レシ。儂は哀しいぞ」
黒く塗りつぶされたレシは、サマエル同様に吸収される。また彼女の身体は成長を見せ、さらに大人びた雰囲気の姿に変わる。シャーリンがやはりじろっと見て「ちょっと胸が小さい」と言うと、ヴェロニカとオフェリアが無言で頭を叩いた。
「さて、残るは儂だけじゃのう。……しかし、そこな小娘とやるのではまるで面白うない。──全員で掛かってこい、捻り潰してやろうぞ」
 




