第19話「ザミエル、再び」
オフェリアの拳の威力は、その身体能力に加えて異常なまでに頑丈な肉体から放たれるため、並の生き物ではとても耐えられない。いや、そうでなかったとしても、耐えるのは難しい。現に魔獣のような──それも、さらに進化が見られる個体である──通常の人間では太刀打ちできない怪物を相手に、あごが砕ける勢いだったのだから。
「カッカッカ! 愉快、実に愉快じゃのう!」
ばんばんと手を叩いて喜ぶスキラトは、倒れてピクピクと痙攣をするサマエルを冷笑した。息も絶え絶えな虫にも劣る使い物にならない奴だ、と。
──その冷酷な瞳が恐ろしい。見捨てられるのが恐ろしい。同胞でさえも玩具のように扱い、残虐でなによりも強い。必要がなくなれば、あっさり殺してしまう。灰色の瞳が嗤ったら、それは死期が近いと言われているのと相違ない。
「い、あだ……おれあ、まだ……!」
「まだ戦える? 本当にですか?」
ひゅん、とスカートの中から伸びてきた長い脚が、サマエルのこめかみを捉える。もし直撃させられていれば、頭など吹き飛んで無くなっていた。もう決着はついている。オフェリアとの実力差は、はっきりした。
「実につまらんのう。儂の権能を扱いきれん虫ケラが」
サマエルの背後にスキラトが立っている。彼の頭に手を置いて掴み、心底不愉快さを感じられる無表情。サマエルがガタガタと震えながら「やめへ」と短く懇願したが、次の瞬間には黒く塗りつぶされ、スキラトの身体に吸い込まれて消えた。
「おい、あの野郎……仲間をどうしたんだ、喰ったのか?」
ゾッとした。なんの躊躇もなく、勝ち目がないと分かるやいなや、仲間の懇願も無視して、邪魔なものを片付けるように始末してしまったのだ。
それだけではない。スキラトの身体は実に幼い子供のようであったが、サマエルを取り込んだことで肉体的な成長を見せた。新たな姿に、シャーリンが「女の子だな」と僅かな胸のふくらみを見つけてじろっと見た。
「お前はアホなのか。おい、ジョエル、なんか言ってやれ」
「ええっ!? いや、私からは何も……!」
「チッ。やっぱセレスタンがいねえと駄目だ、この変態」
呆れつつも、スキラトをジッと観察する。ただ成長しただけではない。ただでさえ高水準に思われた彼女の強さが、今はなおハッキリ理解できた。
(……狂ってやがる。急激に強くなりやがったな)
先ほどまでが、やや早い川の流れだったとしよう。今のスキラトは、まさしく荒波だ。サマエルの持っていたもの、全てを奪い取った、あるいは取り返したかのように、彼女が立っているだけで威圧すら覚えた。
「躊躇ないんですねえ、自分の仲間を……」
「仲間。ぷっ……カッカッカッ! そうじゃのう、仲間じゃった!」
すんっ、と表情を改めて、スキラトは冷たく言い放つ。
「ぬしに倒されるまでは仲間だったとも。だが、役に立たないのでは邪魔なゴミに過ぎぬ。使いようのないゴミに使い道を与えてやったまでじゃ」
瞬きの暇なく、オフェリアの前から姿は消えていた。いつの間にか彼女はレシの背に座って腕を組んで、ニヤニヤとしながら。
「ザミエル、汚名返上の機会をくれてやる」
名を挙げられたザミエルが前に出ると、オフェリアは下がっていく。いよいよ自分の出番だとヴェロニカが首をひねってゴキリと音を立てた。
「よお、元気そうじゃねえか。アタシが奪った腕が生えてやがるな」
確かに一本を斬り飛ばしたはずだが、ザミエルは以前よりもさらに体格を大きくしていたし、六本の腕も健在だ。さらに力を与えられたのか、強弓も以前よりわずかにサイズが大きなものに変わっている。
「Urrrrrrr……」
強弓を構え、しっかり弓を引いて狙いを定める。
「おいおい、この砂漠でアタシ相手にバレバレの矢が当たると思うなよ」
一本が射られる。戦斧が真正面から捉え、ぶつかった瞬間に矢は真っ二つになったが、その威力を落とさないまま砂塵を巻き上げて飛翔し、遠くで炸裂する。爆風に全員が一度振り返って、目を丸くして驚いた。
「……おいおいおい、冗談じゃねえよ。何だ、今の?」
次の矢が番えられる。今度は空に向けて放たれた。遥か上空、雲を突き貫け、しばらくすると無数の矢が降り注ぐ。ヴェロニカは戦斧を振り回し、的確に自分に直撃する矢だけを弾いて落としていく。
だが、弾いた矢は以前に戦ったときと同様、無数に赤く光り輝いた。
「──ばっ、馬鹿野郎! 前より多いじゃねえかよ!」
連鎖による大爆発が起きる。ただでさえひとつずつが常軌を逸した破壊力を持つにも関わらず、それが百本を超えるうえに、彼女は爆心地にいる。下手をすれば骨も何も残らない状況下で、彼女は蒼い炎で身を守った。
「……はうっ。イテテ、腰が」
衝撃に耐えようと踏ん張ったせいか、腰がバキッと鳴った。
「ったく、いい根性してるぜ。おかげでよく眠ったみたいな気分だ」
今度はヴェロニカから仕掛けに走る。次の矢を射るまでの動作がひどく緩慢なザミエルであれば、高速戦闘の可能な以上、接近戦に持ち込めば勝てると考えた。しかし、振りかぶったときには目の前に標的の姿はなかった。
「っあ!? くそ、どこいきやがっ────あァ……?」
すとん、と背後から何かが体を貫く。矢がヴェロニカの身体を貫通し、地面に突き刺さった。彼女の胸からは大量の血が滝のように流れた。




