第13話「気配なき弓兵」
殺意に満ちた瞳。手の甲に浮かび上がった交差する斧の紋章が強く光り輝き、彼女が立っている場所を中心に空気が震えた。
「人を馬鹿にするのも大概にしておけよ、クソ野郎。てめえはもう名乗らなくていい。次の一撃で再起不能にしてやる。瞬きすんな、よく見ろ」
片手で高く掲げた戦斧に蒼い炎が纏わりつく。
「──これがアタシの本気って奴だ」
狼男も、毛が逆立つほどの闘気。びりびり痺れるような全身の震えが止まらない。気楽に構えていたところが、飛び込んだのが絶対的な捕食者の巣だった。今、まさに死を予感して身構える。耐えさえすればいい。あるいは避けるか、そうだ、それがいい。大きな足が一歩を踏んだ。
「馬鹿が、見えてんだよ」
逃げた先に斧の一撃が叩き込まれる。肩から深く斬り込まれた斧に苦悶の表情を浮かべる。ヴェロニカの鋭く切り裂くような視線にゾッとした。
「き、貴様……! この程度でオレは死なんぞ……!」
「馬鹿か、てめえは。この程度でアタシが終わったと思うな」
蒼い炎が大きく燃え上がり始める。
「──蒼炎天撃。骨まで焼き尽くされろ」
グッと握り締める力が強まった途端、蒼い炎は爆発するように空高く天を衝く勢いで柱となり、断末魔ひとつ許さない灼熱の中に包んだ。やがて細くなっていき、消える頃には黒焦げになった狼男の無惨な巨体が、ゆっくり地面に倒れ伏す。
「結界すらぶち抜くような破壊力は流石ですねえ、ヴェロニカ」
「おうよ、衰えるもんか。前より調子が良いぜ」
ハイタッチして勝ち誇る二人の仲の良さに、ジョエルも微笑ましく見守っていた。──だが、すぐにハッとする。すぐそこにいたはずの敵がいない。
「──二人共、待って! さっきの弓兵は!?」
「えっ。そういえば……いませんねえ」
神経を集中させて気配を探ったが、オフェリアには捉えられなかった。既に撤退したあとかと思うほど、残滓さえ残っていない。
「もう逃げちまったんじゃねえのか。一匹がこの有様じゃあな」
完全に息絶えているのをヴェロニカは軽く蹴って転がす。
「何者かは知らねえが、これでセレスタンの仇はひとつ取った」
「それはそうですが……。何か妙な違和感が──」
風を切って飛んできた矢をオフェリアが掴む。
「やっぱり。どうも、気配を消せるのは一体だけじゃないようですねえ」
「馬鹿、オフェリア! さっさとそいつ捨てろ!」
「ええ~? でも飛んできた方向を確かめないと……えっ?」
矢が急激に赤く輝き始める。熱を帯びたのを感じて咄嗟に捨てたそれは、ただの矢ではなく、爆弾だ。もし握っていたままならば、今頃はオフェリアの上半身が細かな粒となってあちこちに散らばっていた。
「お嬢様、私たちの事はいいので自分と屋敷にいる方々を!」
「……わかった、ここは君たちに任せる!」
ジョエルは杖を持って屋敷の傍に立ち、オフェリアたちに構わず守るべき人々のために結界を張った。かなりの汗を流していて、既に疲労は限界だ。それでも、ここでやめてしまえば全てが水泡に帰すと分かっている状況で、彼女は諦めたりしない。
「ったくよお、気を付けろよな。……にしても肝の据わったお嬢様だ」
「すみませえん、頭悪くてえ。でも、気付けて良かったですう」
「ああ。相手の能力が分かったら、あとはどっから撃たれたか──」
月明かりの下に、無数の影が飛んだ。空から降り注ぐ矢の雨に気付いた二人は、次々と弾き落とす。その数はゆうに数百を超えている。
「くそっ、なんだよこれ? あいつ口から矢ァ出してなかったか?」
「どっかにストックしてたんじゃないですか。まじでつれぇんですけど」
ぴかぴか光った。矢が。煌々と熱を帯びて赤く。
「……おおっとぉ……。これはまずいですねえ」
落とした矢の半数ほどが爆弾矢だった。一本が炸裂し、連鎖的に爆発していく。伯爵邸の美しかった中庭は、もはや原型など留めていない。まるで荒野だ。
だが、二人は無事だった。多少、砂ぼこりを被ったり、服がところどころ焦げはしたものの、ヴェロニカが斧から放った蒼い炎の壁が爆発から守り切った。
「じょ、冗談キツいぜ……。どこから撃たれてんだ?」
「わかりませえん、私でも見つけられないので……」
これがシャーリンだったなら、彼女はすぐに気付いて仕留めていることだろう。完全に気配を消されて暗闇に溶けられては、オフェリアといえども捉えられず、歯がゆい思いをさせられた。
「なんか想定してたより相手の復活も早かったし、セレスタンの魔法ってあんまり効いてなかったりしたんですかねえ……。強すぎませんか?」
「同意見だ。これで全快じゃねえってんならバケモンが過ぎる」
さっきの狼男はなんだったのだと思えるほど、ザミエルと呼ばれた怪物はヴェロニカとオフェリアの二人を軽々と追い詰める。その後もあらゆる方向から矢が飛んできては叩き落しての防戦一方。それも同時に飛んでくるので、位置がまったく把握できない。徐々に二人は疲労が見え始めた。
「畜生、ここら一帯吹き飛ばしちゃダメか!?」
「いよいよ苛立ちすぎて頭おかしくなりました?」
「まさか。最高に冴えてるよ、苛立ちすぎてな」
猛攻に次ぐ猛攻。やがて動きは鈍り、矢が掠めて、小さな傷が積み重なっていく。このままでは埒が明かないのは確かだ。オフェリアもいい加減の進展が欲しくなった。うーん、と少し考えてから、はあ、と息を吐いて──。
「わかりましたよお……。じゃ、頼めますか?」
「おう、思いっきりフッ飛ばして隠れる所なんて──」
意気揚々と斧を構えようとする彼女の肩にぽんと手を置く。
「そうじゃなくて。私を思いっきり殴り倒してくれませんか」




