第7話「すごく寂しい」
セレスタンの魔法陣の影響もあって、そう簡単に姿を現せないのは明白だ。今は無理に彼らを誘きだすような真似をするよりも、来るべきときに備えるべきと提言したオフェリアに賛同する声は多かった。
何人かは備えをしていたところで敵が強大すぎるのを理由に、皇都からの避難準備をするべきだという意見もあったが、バルテロが最終的に下した判断は、残った大英雄たちに頼るほかなく、戦える人間以外にはあらかじめ退避勧告を出しておき、騎士団や憲兵隊は残って協力態勢を取るのが最善とした。
それから会議は順調に進み、二時間も経った頃には終わった。
「ったく、二時間も椅子に座ってんのは落ち着かねえな」
ぞろぞろと帰り際、ヴェロニカが頬杖を突く。
「まあまあ、そう言わずにぃ。セレスタンの事もありますし、有意義だったとは思いますよお? シャーリンにも伝えるべき内容は纏められましたし」
「つってもよお。騎士だの憲兵だの残って意味あるかァ?」
やれやれと肩を竦めて呆れた息を吐いた。
「相手はセレスタンをたった数体で仕留めたクソみてえに強い連中なんだろ。今まで相手してきた魔獣共とは話が違う。なんせ、オレたち人間の言葉を理解して会話も成立する知性まである。ただの小型の魔獣一匹仕留めるのに二人や三人掛かりになってる普通の人間じゃあ、犬死するために残るようなもんだろ」
彼女の意見にはオフェリアも同意見だ。とはいえ、バルテロを含む多くの貴族たちは相手を甘く見ている。いくら言い聞かせたところで、彼らは『まだ英雄が三人もいる』くらいに考えているのは明らかだ。
姿を現したスキラトだけでも、現状では戦えない状態にあると考えてもオフェリアやシャーリンに気取られる事もなく餌だと称して罪人を襲い、あまつさえ単独で足止めまでしてどこかへ消え去ったのだ。まともな考え方をしていては、どちらがやられるかなど考えるまでもない。
「不本意だがよ、アタシもいくらか頼まれてた仕事はキャンセルして、皇都に滞在した方が良さそうだ。シャーリンには誰が伝えにいく?」
「それなら私が行きますよお」
ゆるりと手を挙げる。特に邸宅での仕事もないので、シャーリンの様子を見るついでに伝言を届ければいい、と気を緩く構えていると、ジョエルが「私も一緒に行っていいかな?」と声を掛けてきて、気を引き締めた。
「もちろんですう、お嬢様。あ、でも、森にはもう何も、」
歯切れ悪く口にした言葉に、ジョエルが首をゆっくり横に振った。
「分かってる。でも見に行きたいんだ。見ておきたいんだよ」
「……そうですね。わかりました、行きましょう」
世話になったのだ。初めて皇都の外へ出て、初めて泊った場所で、初めての楽しかった旅行の思い出を作った場所。たとえどんな状態になっていたとしても、今行かなければ、セレスタンとの記憶に蓋をしてしまいそうな気がした。
ロイナはヴェロニカに頼まれて皇都の案内をする事になり、オフェリアは馬車を用意してもらって、そのまま城から森へ向けて出発する。きっとジョエルは悲しむだろう。そのとき、自分はどんな言葉を掛ければいいのだろうか。黙って傍に立っているだけでいいのか。寄り添うべきなのか。いずれにせよ、オフェリア自身もまた、涙を堪えなくてはならない。怒りの叫びも、哀しみの嗚咽も。
「なあ、オフェリア。君とセレスタンはいつ出会ったんだ?」
「……あいつとですか~。まあ、付き合いは長くないですねえ」
流れていく景色を眺め、オフェリアは過去を少しだけ振り返った。
「良い奴ですよ。他の皆と同じくらい。それから気遣いの出来る男でしたねえ。……初めて顔を合わせたのは、魔獣戦争で私たちが戦地へ向かう数日前。偶然、皇都ですれ違ったときに、彼と出会ったんです。そのときはまだ、怖い印象がありましたけど」
いつもの無表情は何もかもを諦めきった男が、感情を失っていたからだ。同じ紋章を持つ者同士だと言うのに興味もなさそうだった。隣にいたシャーリンが「彼は良い奴だよ。ちょっと言葉にするのが得意じゃないのさ」と話さなければ、おそらく一度だって言葉も交わさなかっただろうし、握手のひとつしなかったに違いない。
戦地に出ても変わらなかった。たくさんの命が奪われた戦場の中、眉ひとつ動かさず戦っていた。そのためだけに来たのだと言わんばかりに。
「……でも、彼は突然、何かが変わった。それまでは気にする素振りもなかったのに、無茶な戦い方をする私のために、全力で助けてくれました。感情を表に出すのは最後まで得意じゃなかったみたいですけど」
思い出すのは、少しずつ笑うようになった姿。それから──。
「彼の泣いてる姿を一度だけ見たことがあるんです」
「泣いてる……あの彼でも泣く事が?」
「ええ、戦地で、声も出さず静かに泣いてました」
そのときの光景は頭に焼き付いている。感情を取り戻した瞳に一人の男の遺体を映して立ち尽くした男のぼんやりとした様子。直後に、フッ、と笑いながらひと筋の涙がこぼれるのを、彼女はやや遠くから横目に、一瞬だけ見たのだ。
「それが誰だったのか、実はつい最近になって知ったんですよね。なんだか申し訳ない気持ちになりましたよ。私、彼の事をなんにも知らなかったんだなって。それが、申し訳なくて、すごく……すごく寂しかったなあ……」




