第2話「幼馴染の素顔」
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「ボクたちは幼馴染だったんだ」
墓に一輪の花を添える。降りしきる雨の中、シャーリンは真っ黒のすらりとした儀礼服に身を包んで、黒い羽織りをずぶぬれにしながら、涙かどうかも分からない頬を伝う水滴に、彼女は寂し気に微笑んで、墓に刻まれた名を見つめる。
「あいつはテルミドール家の一人息子で、いつも両親の言いなりだった。本人は何も言わないけど、いつも苦しそうな顔をしていた。だけどボクは何も言ってあげられなかったんだ。当時は全然身分も違って、会えるのは月に一度。それもセレスタンが屋敷を抜け出せたときだけだったから。……それでもボクたちは親友だった」
平民だったシャーリンは、セレスタンともっと気軽に顔を合わせられるようになるため、剣の修業に励んだ。そのうち騎士団に加わり、あっという間に昇進。前任の団長が高齢で退任する際に彼女を指名したおかげで、セレスタンとの距離もぐっと縮まった。このうえない幸運とも言えた。
それからほどなくして、魔獣戦争が起きた。
「ボクは貧民街で育ったが、それほど苦しい生活ではなかった。両親とも仲が良かったし、苦しいときはいつだって助け合って生きてきた。セレスタンは少し羨ましかったけど、でも、彼は彼で、ボクの事が羨ましかったって話してたなあ」
テルミドール家の事情など彼女も詳しくは知らなかったが、少なくともセレスタンが両親と上手くいっていない事はよく聞かされていた。いつか彼らの手から離れて自由に暮らしたい、と口癖のように話していたのを、よく覚えている。
『お前が羨ましいよ。俺には自分の気持ちを話す事さえ許されない』
魔獣戦争が起きる以前は、家門のためだと言い聞かせて自分の気持ちに蓋をした。魔獣戦争の後は、二度と彼に腹を割って話すという機会はやってこなくなった。テルミドール家の当主であったセレスタンの父親は、他の貴族よりも高い地位を目指して武勲を立てようとして、戦場で命を落としてしまったから。
「あいつはいつも後悔してた。自分の気持ちに正直になってぶつかり合っていれば、何か違ったかもしれないって。魔獣戦争で何を感じ取ったのか知らないけど、それからあいつは本当に優しい奴になった。表情はあんまり変わらないけどね」
立ち上がり、シャーリンは静かに敬礼して目を瞑った。
頬にぶつかる雨粒が、傷ついた心を洗い流してくれると祈って。
「戦いますか、シャーリン。泣いても何も変わらないなら」
「もちろん。君だって、そのつもりなんだろ?」
ずぶぬれのメイド服よりも心が重かった。オフェリアにとっても、セレスタンは恩人の一人だ。荒んだ哀れな小娘を、妹のように接してくれたから。
魔獣戦争が終わってから会いはしなかったが、ときどき様子見程度に手紙はくれた。いつだってそこには、彼女に対する慈しみがあった。
「私も、戦いたいです。でも敵が分からない以上、私には……すみません、あなたのお力になれないかもしれません。どうしても」
「泣きそうな顔するなよ、君らしくない。ボクも分かってるさ」
今のオフェリアには守るべきものがある。セレスタンが彼女を手助けしたように、自分もそうしたのだ。なのに彼女に命を落とすかもしれないと分かっていて、力を貸してくれと言う気にはなれないし、貸してほしいとも思わない。
むしろ、生きていてほしいと思う。自分以外の仲間たちには。
「ボクはもう一度、森へ行って、セレスタンが何か残していないかを確かめてくる。君は大事なお嬢様の傍にいてあげたほうがいい」
「いえ、それくらいなら私も行きます。行かせて下さい」
力になれる事があるのに、わざわざ黙って帰るほどオフェリアも落ち着いていられない。今なら敵も身を隠す以外になく、調査に二人で行っても問題ない確信もあった。今だからこそ、調査を徹底的に進めるべきだ、と。
「わかったよ、君の熱意は伝わった。……じゃ、今から行こうか」
「えっ。ずぶぬれなんですけど。せめて着替えていきません?」
「たしかに動きにくいね。わかった、ちょっと待って。いいものがある」
ごそごそ取り出したのは、エメラルドだ。宝石自体は市場によく出回る質の低いものだが、セレスタンが魔力を吹き込んだ便利アイテムのひとつだった。
「あんまり使った事はないんだけど、雨の日は必ず持ち歩くようにしてるんだ。使い方は……しっかり強めに握りしめるだけ。簡単だろ?」
ぎゅっと握り締めると、強い輝きが手の隙間から漏れる。それから淡い翡翠色の魔力が周囲を満たしていき、シャーリンとオフェリアの服を乾かす。まるでお日様の下に干してあったような心地よさで、僅かに纏った魔力が二人を雨から守ってくれた。
「旅をしてると服を洗いたくても洗えないときがあるから、そういうときのために、あいつが常に持ち歩くようにしておけって言ってさ。旅の必需品だとか言ってたけど、本当に今じゃすっかり手放せないよ。もう数に限りがあるけど」
思い出してくすっと笑う。セレスタンは意外と過保護だ。きっと子供ができたら愉快な父親だったんだろう、とシャーリンはもう見る事の出来ない未来を想像しながら、使い終わった宝石を、そっと彼の墓の前に置く。
「行ってくるよ、セレスタン。……君の祈りは必ずボクたちが繋ぐよ」
 




