第4話「悪意への信頼」
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カミヤの人選は正しかった。夕刻、日が暮れる前にやってきたベルモアは少し地味めの落ち着いた雰囲気があるドレスを身に付けて伯爵家を訪れ、事情を家政婦長に話して、しばらく正式に雇われることになった。
当初の予定通り、名目は花嫁修業の一環として、だ。
「……なーんか思ったより人気者ですねえ」
ベルモア・サントリナ。サントリナ子爵家の令嬢で、凛々しい顔立ちと真面目で正義感の強い男勝りな性格から、彼女は結婚とは縁遠い憲兵隊という職業を選んだ。他の貴族令嬢のように茶会を楽しむ時間があるのなら、少しでも民が安寧の中で暮らしていくためにひとつでも悪事が減る努力をしたい、と。
銀色の長い髪に露草色の瞳が特徴的で、子爵家自体は歴史が浅く目立たないが、彼女の美しさに惹かれて名を知る者もそれなりにいる。見目の通りに強い性格だが、貴族としての最低限の礼節を備えているうえに、オフェリアと違って猫を被るのが上手く、周囲に取り入るのが得意だ。情報収集や潜入には都合が良い。
たった数時間の間に家政婦長やメイドたちを仲間にして、その日の業務を終えたあとの食堂はベルモアの話題で持ちきりだった。おかげでわざわざオフェリアの陰口をたたく人間は少なくなったが、複雑な気分だった。
しかし、それでオフェリアやジョエルに対する行いがなくなるわけではない。本館での仕事が増え、それを利用して彼女を追い出そうとする流れは変わらない。むしろ加速する結果になった。
ベルモアという新しい仲間が加わったことで、オフェリアを邪魔者として扱う流れはより激しくなった。彼女をやめさせて、快適な環境を構築しようというのだ。まさに計画通りに事は進んでいた。
「では今日の巡回ですが……オフェリア、あなたがベルモアの案内をしなさい。邸内にも入ってはいけない部屋などありますから気を付けて。よろしいですね?」
家政婦長の指示に、幾人かのメイドは不満げだったが、オフェリアは「もちろんでございます」と満面の笑みで答えた。ちょうど、少しだけ話がしたいと思っていたところだったので、偶然とはいえありがたい仕事だった。
そして誰もが寝静まった頃、オフェリアは予定通りにベルモアを連れて邸内の巡回を始める。本来、伯爵家では当然のように執事が行うのだが、今日に限っては体調を崩してしまい、代理の者が必要になった。メイドたちは、そういったときに代理を任されることがあり、家政婦長はわざと邸内に詳しくないオフェリアに任せた。
「さあさあ、お仕事を始めましょうか~」
「……本当に大丈夫なんですか、リンデロート卿?」
邸内の地図は持たされたが──流石に迷わせてしまっては家政婦長が後で困るので──どこが入ってはならない部屋かもよく分からない。施錠が出来ているか、異常がないかを確かめるだけの仕事とはいえ、勝手に開けでもしたら大事になる。
「大丈夫ですよお、ベルモア嬢。もともと標的は私なんですから、もし見つけたら『ベルモアを巻き込んで、自分の罪をなすりつけるつもりだったでしょう!』とか言い出すに決まってます。それって逆に面白いと思いません?」
ベルモアには何も面白くない。何を言っているんだと詰めたくなったが、でかかった言葉を喉に押し込んだ。
「まあ、今日は何も起きませんよお。代理以外が邸内を夜にうろうろしているのが見つかった日には、それこそ泥棒だと言われても否定できませんからねえ。家政婦長もはっきり名指しで決めてましたし?」
もしも代理を頼まれたときにオフェリアが一人だけだったのなら、陥れようとする可能性も十分にあったが、今はベルモアが一緒にいる。既に周囲に馴染んでいる彼女を巻き込んでまで騒ぎを起こせば、大事になるのは間違いない。
伯爵家で働くメイドたちはほぼ全員が平民出身だ。共に働く仲間とはいえ子爵令嬢に迷惑をかければどうなるか、という恐れがある。取り入ろうとする者は多いとしても、迷惑を掛けようとする者はまず考えられなかった。
「彼女たちが動くとしたら、そうですねえ。私たちがいなくなったあとかなあ。それから問題が起きるとしたら厨房みたいな、当たり障りのない場所だと思いますよ。食材や備品の最終チェックもするので、そのあとでしょうねえ」
毎朝、毎晩の徹底した管理。朝になったら数が減っていると言い出すはずだと語り、それをさも可笑しそうに言うので、ベルモアは不思議に感じた。
「なぜ、絶対に彼女たちがやると言い切れるのです?」
尋ねられ、一歩後ろを歩くベルモアに振り返り──。
「人間は成功体験を無視できないんですよ。ここ数日、彼女たちは私に対して陰湿な嫌がらせをしてきました。そのたびに僅かでも反応があれば、上手くいったと思って、前以上の成果欲しさにエスカレートしていく。だからやりますよ、絶対に」
あえて泳がせたことで、相手がどういった動きをするかを観察していたオフェリアには、次に何を仕掛けてくるかなど簡単に予想ができた。彼女たちはジョエルの味方をするオフェリアがどこまでも気に入らないのだ。
だから必ず行動に移してくれるという、ある種の信頼とも言えるものがあった。悪意はいつだって、暗がりからにじり寄ってくるものだ、と。
「期待していてくださいよお、ベルモア嬢。あなたの毛嫌いする悪意が、どれほど世の中に沁みついたものなのかを確かめる良い機会ですから」