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大英雄はメイド様  作者: 智慧砂猫
第二部

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序幕『大賢者の名に懸けて』

「うむ、悪くない出来だ」


 庭の畑からもぎ取った大きなトマトを木漏れ日にさらす。ぷっくり艶やかで、やんわり熟れている。きっと瑞々しくて良い味がするに違いないとセレスタンは、一人でひっそりと微笑みを浮かべた。


 皇都で起きたアリンジューム公爵家の事件から一ヶ月。今頃は公開処刑でもされた頃だろうか、と物騒な光景が頭を過ったのを振り払う。


「今日はカレーにでもするか。……フッ、あの小娘に会いたくなるな」


 思い浮かべるのはジョエルの笑顔だ。一緒に料理を作った日が恋しくなった。たまには誰かと過ごすのも悪くない、と。そう思うと、たまにはシャーリンかヴェロニカでも誘ってみようかという気持ちも湧いてくる。


「やれやれ、俺も歳を取ったか? 他人が恋しいなど」


 穏やかで誰にも邪魔されず、ただ魔法の研究だけしていられれば良かった。なのに、気付けば仲間の顔ばかりが頭の中に思い浮かぶ。


 採れたての野菜を持って家に戻り、テーブルの上に籠を置いて、ひとまず料理はあとにしようと足を運んだのは、地下の研究室だ。彼は必ず、食事の用意をする前には研究室に一時間籠る週間をつけていた。とても狭い場所で、テーブルが部屋の幅にぴったり収まるような倉庫も甚だしい。だが、その狭さが彼の集中力を強くした。


「さて、と。こいつの正体をきっちり調べないとな」


 テーブルの上には小さなルーペと、いくらかの砕けた黒曜石が転がっている。ヴェロニカが腹の中に蓄えさせられていたものを回収したものだ。


(……あれから一ヶ月。魔力をまったく失わないどころか、この黒曜石に関しては自己生成している。皇都中に散らばっていたものや、ヴェロニカの島にあったものとは性質が違う。全てノイマンたちの嘘だと思っていたが)


 大英雄としての矜持ゆえか、休まずにずっと黒曜石について調査していたセレスタンも、なぜ魔力が自然に生成されているのかがまったく掴めなかった。これまで手に入れてきた黒曜石とはまったく性質が異なっているため、そもそも同じ宝石なのかさえ疑い始めている。半ばお手上げといった状態だ。


「蘇生された魔獣たちが呑み込んでいたものとも違う。……とすると、これはノイマンが言っていた通り、魔獣たちの出現に関連するものなのか?」


 もし秘密が解明されれば、今後にまた魔獣が現れたときの対処にも繋がるかもしれない。その研究結果が用意できれば大勢の命を救う事に繋がる。他人と関わるのは嫌いだったが、自分の手に全て掛かっていると思うと手は抜けない。基本的には善人な気質が、彼を突き動かす。これが自分の持つ運命なのだ、と。


「──うおっ。なんだ、今、揺れたのか?」


 ずずん、と音がして、天井から埃や細かな砂がぱらぱらと落ちる。静かな森には似つかわしくない大きな揺れに、作業を中断して外の様子を窺う。


「なんだ、これは……何が起きた?」


 眼前の光景に驚かされた。家が半分、吹き飛ばされている。砲撃か何かでも受けたのかと思い、衝撃で飛ばされて潰れてしまったトマトの破片をつまむ。


「残念だ、大事に育てていたんだが」


 背後から迫る何かの気配に、トマトの破片を捨てて、振り向きもせずに指先から雷撃を放って何者かを吹っ飛ばす。焼け焦げた臭いで、やっと振り返った。吹き飛んだ壁の跡にだらんと垂れて息絶える大きな蛇の魔獣を目に映す。


「森には結界が張ってあったはずなのにどこから……」


 調べようとして、セレスタンは何かが落ちてくるのに咄嗟に気付いて躱す。周囲を吹き飛ばすほどの大きな槍の一撃に、目を丸くする。


「──あら、避けるだなんて面白いわね」


 強い獣の臭い。強烈な魔力の気配。槍を纏う黒く輝く雷。────敵は人の言葉を介してこそいるものの、セレスタンには相手が魔獣であると分かった。


「半人半馬、いや、山羊か? 随分と醜悪な奴だ」


 背に向かって伸びる鋭い角。流れる黒い髪。横長の瞳を持つ大きな女が、槍を引き抜いてクックッと歪な笑みを浮かべる。


「分析家ねえ。嫌いじゃないわ、さすが大賢者様ってところかしら」


「俺を誰と知っていて狙ったのか。だとしたら只者ではないな」


 ふと手の甲に輝く杖の紋章に気付く。今までにない強い輝きに、さすがのセレスタンも敵がどれほどの相手かを察した。


「いいだろう、最初から本気でやる必要がありそうだ」


 広げた手から放たれる強い光は杖になり、しっかり両手に握り締める。


「本気でやる? 馬鹿言わないで、あなたをまともに相手してたら、アタシだってどうなるか分からないわ。負ける気はしないけどさあ」


「だったら引き下がってくれると嬉しいんだが」


 半人半山羊の女はくすくす笑って──。


「んなわけねえでしょうがよお。あなたを殺しに来てるってのに。大人しく死ねっつってんの、分かんないのかしらねえ。大賢者様のくせに!」


 どんっ、と地面が大きく砕ける。たったひと跳びのために放った後ろ足の勢いで僅かにぐらりと揺れる。空高く飛び上がり過ぎて、森の中からでは視界がうまく確保できないセレスタンは目を凝らす。空からまた槍の一撃を降らせるのではないか、と。


──その警戒心を逆手に取られてしまった。


「……ああ、そうか。大人しく死ねとはそういう事か」


 空に見える黒い雷。空から槍を振りかぶっているのだろう敵の気配。気を取られたセレスタンは、背後から襲ってきた何者かの太く鋭い鉄の矢によって腕を吹き飛ばされた。撃たれた直後でさえ、そのもうひとりの何者かの気配を感じられないまま。


 ぼとりと遠くへ転がった、杖を握る腕を見る。冷や汗が噴き出したが、彼はうめき声のひとつもあげず、いつもと変わらない無表情を貫く。


「やれやれ……。紋章の輝きが強い理由が分かったときには、もう遅かったようだな。──囲まれて逃げる隙さえないとは」


 片腕を失くしても、自身の魔法で軽く止血してみせる。だが、状況は最悪だ。謎の女の魔獣一匹に加え、大木に張り付く射手の存在。腕が六本あり、顔の上半分を奇妙な鉄仮面で覆った、骨と皮だけのような肉体の怪物。


 骨で編んでいるのかと見て思う強弓を手に、気味が悪かったのは、だらりと口から垂らした舌で、喉の奥から出てくる矢を掴んでいる姿。


 他にも彼の前に立ちはだかったのは、真っ黒なぼろきれとも言えるローブに身を包んだ、死臭を放つ三体の人型と思しき魔獣の存在。絶体絶命と思しき状況の中で、彼はようやく謎が解けたと大胆不敵な笑みを浮かべ、それからため息をつく。


「今更分かったところで、どうにかなる気配などないが……。ま、出来るところまではやってみるとしよう。──大賢者の名に懸けて」

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