第41話「許せない」
多くの命が奪われたあと、アリンジューム家は密やかに死体を偽装して自らの実験室に運び、魔獣との合成を繰り返した。何人も犠牲にして道具に変え、思わしくない実験結果に頭を悩ませながら、彼はひとつの可能性に基づいた結論に辿り着く。
耐え得る肉体が存在しないのだ。魔獣と融合して耐えられるのは大英雄ほどの選ばれた強靭な肉体を持つ者か、あるいは魔獣の魔力に適合できる何かがあれば違うかもしれない。グレイスは、新たな実験の土台に丁度良かった。
馬鹿な妹がよく懐いている、と心の中でせせら笑い、何も知らずに実験の道具にされた事への失意は大きく、そのときの表情といえば彼には快感の過ぎたものだった。さらに実験の結果も自我を半ば失いかけながらも、僅かに残って制御まで利くのだからなおさら嬉しかった。
あとはどの程度まで動けるか? 実際に合成した魔獣よりも、ただ蘇生しただけの単細胞的な本能に従う魔獣のほうが強いのでは話にならない。完璧に制御できたところで、新たな魔獣が出現すれば餌食になるのが見えている。
「それにしてもまあ……素材を山ほど消費して結果は散々。あれこれ策を弄したのに、完成したのがたったの二体で、そのうち一体はこうまで出来損ないとは。魔獣と合成しても魔力を殆ど持たないような落ちこぼれではやはり無駄でしたか」
ステッキが床を叩くのを合図に、グレイスが叫び声をあげて再び襲い掛かった。こうなってはもはや致し方ない。いつまでたってもジリジリと時間ばかり浪費してセレスタンを待っているうちに、先にオフェリアが音をあげてしまう。
「……すみません、グレイス嬢」
謝罪の言葉など、きっと届かない。恨まれたっていい。横から薙ぐような巨体を片手に打って弾き飛ばし、突っ込んできた彼女の身体めがけて拳を放った。──突き抜けた腕の感触を、オフェリアは二度と忘れないと誓った。
「リア……オフェ、リア……」
頼りない声が小さく響く。申し訳なさに「すみません」と再び謝る事しかできなかった。だが、突然、小さなふたつの手のひらが彼女の頬を優しく触れて、柔らかく撫でた。愛おしそうに、優しく微笑むグレイスがそこにいた。
「あり、がとう。ごめ、ん、なさい。せっかく、お友達……なれ……た……」
泣きながら。一人の娘の命が絶えた。ただ落ちこぼれである事に嘆き、自分なりに努力をして生きてきた健気な娘が、その人生を呪うでもなく、ただ最愛の友人によって命を奪われ、どうしようもないほど情けないと悲しみ、感謝を述べながら。
その肉体が崩れていく。風に吹かれた砂の城もかくやの脆さで、ゆっくりと。オフェリアに優しく抱かれ、穏やかな気分で消えていった。魔獣との合成は肉体に強烈な負担を掛けていて、形を保つ事でさえ難しかった。それでも彼女はアリンジューム家の人間として、小さな魔力で必死に抵抗し、最後に僅かな自我を取り戻してみせた。
「あるじゃないですか、立派な才能が」
腕の中が軽くなった。残ったのは、心だけだ。
「……ブラヴォー。実に素晴らしい見世物でした。まさか最後に自我を取り戻すなんて、やはり腐ってもアリンジュームの血筋のようでしたね! 感動致しましたよ、お二人の美しい最後の別れは見ていて泣けてきそうです!」
拍手をしたノイマンがぎろりと睨んで、不敵に笑う。
「予想通り役立たずでも使い道はあるものです。おかげで、あなたの事がなおさら実験体としてほしくなりましたよ、リンデロート卿。あなたも、きっと魔獣との合成に耐えられる。自我を持ち、そしてわたくしの管理下に入るのです!」
大きく腕を広げて、けらけらと子供のような笑みを浮かべる姿に、オフェリアは久しぶりの憎悪を抱く。こんなにも誰かに殺意を抱くのは、孤児院に入ったばかりの頃を思い出す、と。自分を目の敵にしてくる職員たち。嘘を吐いて悪人に仕立て上げてくる子供たち。何もかもなくなればいいと思ったときよりも、遥かに強い憎悪だった。
「許せない……。何の罪も犯さず、ただ生きようと足掻いた人々の死を、なんの躊躇もなく笑っていられるあなたの神経をずたずたに引き裂いてやらなければ気が済みません。たとえグレイスに反対されようとも、あなただけは……」
怒りに握った拳が震える。今、すぐにでも殺さないだけ自分は成長したと思った。五年前であれば、容赦なく彼を捕えて全てを明るみにしようともせず、オフェリアはあっさりと一撃で叩き殺していただろうから。
それを彼はまだ嘲笑い、ステッキを胸に抱くようにしながら。
「アハハハハ! それはいい、許してもらおうとは思っていませんよ。でも、あなたから激しい抵抗を受けるのは困りますね。せめて手足をもいでおかないと。首だけでも襲い掛かってきそうな勢いではありますが」
彼がぱちんと指を鳴らすと、その合図と同時に地下室へ誰かの足音が迫って来る。二人分ある、とオフェリアが神経を研ぎ澄ませ、オフェリアは眉間にしわを寄せた。
「本当はここで紹介するために置いておくつもりでしたが、最近は目障りな鳥も飛んでいたので慎重な行動を取らざるを得ませんでした。グレイス程度を素材にした実験にまでお付き合いさせて申し訳ありません。ですが、本番はここからです。そうでしょう?──ヴェロニカさん」
オフェリアがやってきた通路から姿を現したのは、ヴェロニカだった。魔獣と合成されたのか、その手足は人間に近かったが、獣的な見目をしてふさふさの毛に覆われ、頭部には二つの耳がぴょんと立っている。驚くべき事に、尻尾まで生えているのだ。じっと見つめてから、オフェリアは少し不機嫌そうに──。
「ちょっと可愛くないですか。卑怯ですよ、あれは」
「いや、それはわたくしに言われましても……」
ごほん、と気を取り直してノイマンは言った。
「大切なのは外見よりも結果です。まさか魔獣のほうが取り込まれる流れは想定外でしたが、ともかくこちらが本命。そして、さらなる実験を行うため、あなたを捕えるのに差し向ける予定だったヴェロニカ・エッケザックスと魔獣の合成体。魔狼ヴェロニカといったところでしょうか。手始めに彼女に任せたのは人質の確保です」
にやりとする。ヴェロニカの背後には、もう一人、小柄な少女がいた。腰まで流れる美しい金髪。葡萄色の瞳。俯きがちで、今の状況を苦しく思っているのが察するに余りある表情に、オフェリアは絶句する。
「……お嬢様。そんな馬鹿な」




