第40話「非人道的な実験」
巨大な蛇の身体がうねり、鞭のように襲い掛かる。高い天井、広い部屋も、暴れ回る巨体には狭く感じた。オフェリアは、その巨体の隙間を縫ってノイマンにだけ狙いをつけ、魔獣にいっさい傷をつけようとしない。
(……最悪ですねえ、お嬢様になんて言えばいいのか)
魔獣と合成された人間がグレイスであるのはひと目で分かっていた。元に戻る方法がなければ、どうするべきかを考えて至った結論は処分だけだ。きっとジョエルはひどく悲しむだろうが、仕方ないと諦めるしかなかった。
ひとつ彼女が安心したのは、大して強くない事だ。いくら合成されたとはいえ、使われた魔獣も元はといえばオフェリアたちが戦って倒した数いるうちの一匹に過ぎず、グレイスが使われた理由も『おそらくは自我を制御して操るためだろう』と気付いていた。わざわざ倒さずとも、ノイマンさえどうにかしてしまえばいい、と。
「おっと。わたくしではなくグレイスの相手をしてくれませんか」
「ちっ。卑怯じゃないですか、妹を盾にするだなんて」
接近に気付いたノイマンの周りをぐるりと巨体が肉の壁になる。見た目以上に俊敏で、一度下がって態勢を立て直す。次はもっと勢いよく突っ込むべきか、と思考を巡らせた。部屋には細工などなく、ただひたすら広いだけ。
勢いさえつければ、次は突破が十分可能であると見て、深く呼吸を整える。
「よし、今度こそ行きますよ!」
トンッ、と床を蹴って駆け、襲い来る巨体の鞭を躱しながら、今度こそノイマンを捕えようとする。しかし、再び邪魔が入った。グレイスが、その身を挺してノイマンの前に立って両手を広げ、庇ったのだ。これにはオフェリアも拳が止まった。
「くっ! やはり気絶くらいはさせておくべき──」
ぬるりとした動きでグレイスがオフェリアの身体に手を触れた。
「……ア……オフェ、リア……!」
名前を呼ばれた瞬間、彼女の苦痛に歪んだ表情が見えてしまった。血の涙を流しながら、美しかった顔が、オフェリアと鼻先を触れ合わせそうな距離まで近づき、そして小さな声で「助けて、オフェリア」と呟く。
全身がぞわっと毛羽立った。苦悶の言葉が戦意を削ぐ。まだグレイスは生きているのだ、と握った拳が緩んだ。──だが、その一瞬の油断が致命的な隙となり、美しかった少女の口が裂け、鋭く並んだ牙が肩に食らいついた。
「ぐあっ……! この、離れなさい……!」
ぶちっ、と酷い音がした。軽く小突くだけでも怯ませられたのは、人間が本体になっているからだろう。噛みつかれた肩が切り裂かれ、どくどくと溢れてくる赤黒い液体の臭いと焼かれたような痛みの熱さに歯を食いしばる。
「なるほどなるほど。面白いですね、リンデロート卿。あなたのような方でも、知った顔に懇願されると神経が緩んでしまいますか」
「この外道……。何が目的であれば、こんな真似ができるんです?」
ノイマンがくすっと笑う。
「愛国心から、と言っても信じては頂けないでしょうね。皇国はあまりに平和を享受しすぎて、およそ武力と呼ばれるものを持ちません。次にまた、本当に魔獣の襲撃があったとき、どれだけの犠牲が出るかは分かりません。実際、あなたも目の当たりにしたはずです、先の皇都襲撃で、誰がまともに戦えたのでしょう? なんの備えもせず、慌てふためいて命を落とすだけでは役立たずだ。これはそのための技術なんですよ」
死んだ魔獣を蘇生させ、操ることが出来れば、魔獣同士の潰し合いをさせられる。五年前の魔獣戦争では英雄の到着を待つ間に何百人もの犠牲がでてしまった。にも関わらず、皇都では相変わらず平和が永遠に続くと錯覚している。
あまりに下らない理由で死ぬくらいなら、もっと犠牲を減らすための努力をすべき。ノイマンは、その考えに加えて自らの知的好奇心を埋めるために実験を繰り返し、斥候としてヴェロニカたちに魔獣を差し向けたのだ。
「武力が必要であると考えて魔獣を蘇生するまでは、百歩譲って理解しましょう。ですが、ノイマン。あなたがやった事は、いたずらに民の命を摘み取っただけの蛮行に過ぎないでしょう。皇都の人々が、騎士が、憲兵たちが、どれだけ犠牲になったか分かってるんですか!? みんながどれだけの恐怖と悲しみを背負ったか……!」
怒りに叫ぶ彼女に、ノイマンは冷徹な目を向けた。
「目先の犠牲など些細なものではありませんか。もし次に魔獣が現れれば、もっと悲惨な結末を迎えるかもしれないのに? あなた方が次もまともに戦えるなんて、どうして言えるのでしょうか。あれは……そう、いわば必要な犠牲だったのですよ」
ステッキがこん、と床を叩いた。
「もうお喋りはおしまいにして、実験の続きを致しましょう。合成した人間は元に戻らない。既に多くの人間で試しましたが、結果は同じでした。グレイスも例外ではない。もうあなたに仕留める以外の手はありません」
構えたオフェリアの動きがぴたっと止まり、目を見開く。
「多くの人間で、試した……?」
「ええ、そうです。ああ、でも安心してください」
にまぁと歪に笑うノイマンの声が嘲笑に上ずった。
「もちろん使ったのは、先の実験で死んだ皇都の騎士や憲兵たちです。魔獣と合成したあとで蘇生させてみたんですが、どいつもこいつも自我も知能も持たないゴミクズ同然だったので、さっさと処分してしまいましたがね?」




