第32話「絶対に救いたいから」
「リンデロート。……おい、聞いてるか、リンデロート?」
「あっ、はい。すみません。ちょっと驚いてしまって──」
「今、本当は何を考えていた?」
指摘されて、オフェリアはびくっと身体を小さく跳ねさせた。自分の気持ちを誤魔化すように、作った拳を胸に当てながら。
「大した事なんて。ただ、どうやって戦おうかって……」
「やれやれ、困った奴だ。さっさと伯爵邸へ引き返せ」
空から降ってきた馬ほどの大きさをした魔獣たちが二人を取り囲む。無差別に見えて、いくらかは統制が取れているかのように動いていた。だが、彼らは瞬時に落雷によって黒焦げになっていく。セレスタンの手には、大きな紅玉の杖が握られている。
「ここは俺に任せて行ってこい」
「で、でも……私も戦わないと……!」
彼女の中にある天秤には、ジョエルたち家族の命と、皇都にいる人々との命が掛かっている。しかし、それがどうしたというのだと言わんばかりの呆れ顔で、セレスタンは彼女に杖の先を差し向けてハッキリ言った。
「俺は誰だ? セレスタン・テルミドールは大英雄であり大賢者だ。俺の右に並ぶ魔導師など世界のどこを探せば見つかるのか言ってみろ。──お前の本当に守りたいものを守りに行きなさい。そのために、俺は戦ってあげられるのだから」
五年も前に肩を並べて知っていたはずだ。どれだけ頼りになる仲間なのか。だが、彼らに頼ってばかりではいられないと思った。少数の命のために、大勢を見捨てるような真似をしていいはずがない。切り捨てなければならない。そうやって諦めようとしたものを、セレスタンは拾いに行かせたがった。
「人間は独りでは生きられない。大切なものを取りこぼすな、お前の人生になくてはならないものを捨てようとするのは、五年前と何も変わらない結末を連れてくる。次はないぞ、リンデロート。ここは俺に任せて行け、これくらいは一人で十分だ」
次々と現れる魔獣をいとも容易く魔法で迎え撃ちながら、オフェリアの行く手を阻もうとする者を優先して排除する。彼女は、「ありがとうございます」と、それだけを震える声で言って背中を預け、来た道を引き返す。
伯爵邸からは随分遠く離れてしまった。急いで戻ろうとすれば、その行く手には必ずと言っていいほど魔獣たちが立ちふさがり、その最中に襲われている人々を見捨てることもできず、何度も足止めをされた。
「くっ……! 何匹いるんですか、もお~!」
イライラする。騎士団や皇都の兵士たちが総出で戦闘、救助にあたっているが、とても人手が足りない状況。そのうえオフェリアは武器がなく、素手での殴り合いは硬い外皮を持つ魔獣たち相手では分が悪く、何度も打ちつけたせいで血だらけだ。
「あと少し、あと少しで着くのに、こんなところで足止めなんて……」
「手を貸してあげようか、オフェリア」
彼女の真横を突風が吹く。──いや、突風ではない。鎧を纏った騎士だ。たった一振りで、道を塞いでいた何匹もの魔獣たちが瞬間に引き裂かれた。
「シャーリン! どうしてここにいるんですか!?」
「なあに、外の騒ぎはすぐに気付いてね。結構片付けたから手伝いに」
得物ひとつあれば多少大きい程度の魔獣は相手にもならない。剣についた血を振り払い、鞘に納めてから「ここら一帯はヴェロニカも戦ってる。薬で無理をしてはいるけれども」と安心させるように微笑んで、彼女の肩をぽんと叩く。
「急いでるみたいだね、ボクも一緒に行くよ。道を塞がれては困るだろう?」
「……ほんと、皆さんおせっかい焼きですねえ。私がそんなに好きですか」
「ボクは可愛い子なら皆大好きさ! ほらほら、行こう。時間が勿体ない!」
「ふふっ、頼りになりますう。よろしくお願いしますねえ、シャーリン」
両手剣を軽々振るい、次々に魔獣を倒して駆けていく。さきほどまでの窮屈さはどこにもなく、血と臓物で作られたといういささかのおぞましさのある道も、今は天の導きのようにさえ思えてくるほど、躊躇なく走ることが出来た。
そうして、ようやく伯爵邸に着いたときには数十分も経っていた。敷地内は静かで、特に荒らされた形跡もない。邸内ではホールにメイドたちが集まっていて、その中心でロイナが青ざめた顔をして、しゃがみこんでいる。
「……奥様? どうしたんですか、何かあったのですか?」
「あ……! オフェリア、よかった、戻って来てくれたのね!」
希望が見いだせたと勢いよく彼女に縋りつき、ロイナはわんわん泣きだす。
「ジョエルが出て行ってしまったの! 悲鳴を聞いて外へ出たらひどい状況で……ここは安全だから少しでもみんなが助かるように誘導するって、危ないからやめなさいと言っても聞かなかったのよ! お願い、あの子を……あの子を助けて……!」
伯爵邸はセレスタンが万が一の事態に備え、先回りしてオフェリアのためにと強力な結界を張っていたので、皇都を荒らす魔獣たちではとても突破できない聖域と化していて安全地帯になっている。そのため、一人でも多くを助けようとジョエルは飛びだしてしまった。危険を顧みず、誰かの悲鳴を放っておくことはできない、と。
呆然として、一瞬、思考が回らなかった。過ったのは、以前に少しだけ話した事だ。彼女はすっかり失念していた。
『誰であっても助けるよ。私が君に助けてもらったように、私もそれを繋ぐのが当然だ。決して見捨てたりしない。たとえ自分が死ぬかもしれなくても』
──ああ、そうだ。そういう人だった。早くいかなければ。ロイナの肩に震える手を優しく置いて、今にも泣きたいほど、もしかしたら自分には出来ない、最悪の現実が待っているかもしれない恐怖に耐えながら、気丈にもゆっくり頷く。
「お任せください、奥様。私が、オフェリア・リンデロートが必ずや、その命を果たして戻ります。ですので、今しばらくお待ちくださいませ」
そうだ、じっとしている場合ではない。立ち上がった彼女に、「もうレディと呼ぶのは失礼かな、鉄拳騎士さん?」と、ナックルダスターを投げ渡す。くたびれた雰囲気のある傷だらけの武器は、五年前にオフェリアが愛用したシンプルだが思い入れのあるものだ。
「それ嫌いだっつってんですけど、ぶっ飛ばしますよ」
サッと手に嵌めて握り締め、真剣な目つきで彼女は邸宅を出た。




