第30話「ずっと続けば」
準備は着々と進んだ。日も落ちてすっかり暗くなり、部屋の灯りを点け、テーブルは美味しそうな料理で彩られた。手際よく準備も終わって席に着き、「いただきます」と声をそろえて食器を手に取った。
「美味しいわね。魚をこんなふうに調理するのは初めてだったわ」
水に溶いた小麦粉で揚げた魚に塩をまぶして食べる。簡単だが、通常はパン粉で揚げるのが一般的なので、ロイナも意外そうに口にしながら、初めて食べる料理の美味しさに舌鼓を打った。これはまた食べたくなる、と。
「少し離れた小さな島国ではよく食べられてる調理法らしいですよお。本当は、なんだっけ……きちんと色々調合した粉で揚げるそうなんですけど、具体的な材料を忘れてしまったのでえ。簡単に作るならこれでも構わないのは覚えてたんですが」
少し油っぽくないだろうかと心配そうにジョエルに視線を送る。
「私も美味しいと思うよ。特に、塩だけで食べるなんて発想はなかったな。魚も身がふわふわしていて食感も良いし、また作ってくれるかい?」
「もちろんですう。ヴェロニカに言えば配達もしてくれそうですし」
改めて詳しく調べ直せば、正しい調合も分かるだろう。きっと伯爵邸で働くメイドたちにも簡単に作れるはずだから、みんなに教えるのも悪くないかも。そんなふうに思いながら、またひと口食べる。揚げたてのさくっという音が小気味よく響く。
「そういえば、あのシャーリンという人とも仲が良いのか?」
「あ~。そうですねえ。……私も色々ありましてえ」
水を飲んで喉を潤す。脳裏には、五年前の事が過った。
「昔、すごく荒んでた時期があって。いつ死んだっていいなんて自暴自棄だった私に、皆さんが手を差し伸べて下さったんです。そのときに、私にもきっと出来ることがあるはずだって、自分を見つめ直す事が出来たんですよ。だから今もずっと感謝してます。軽口叩いたりもしますけど、ずっと。それが私の恩返しですかねえ」
真剣な目つきで、皿に残った魚の尾をフォークの先でつつきながら話は続く。
「こんなちっぽけな命でも、誰かを助けられるかもって。そんな事を考えながら、色んな仕事に手を出しました。興味本位ってのもそうなんですけど、おかげで、お嬢様たちに出会えました。……私、少しは役に立ってますかねえ?」
ロイナとジョエルは顔を見合わせてから、二人「もちろん」と声を揃えた。オフェリアがやってこなければ、きっとまだ鳥かごの中に囚われたままの人生だったはずだから。何もかもが良い風向きになったのは、間違いなく彼女のおかげなのだ。
「君のおかげで、こうして旅行も出来たわけだし……本当は彼らに会う仕事だったのに、私たちの面倒まで見てくれるのは、何度礼を言っても足りないくらいだよ。いつの間にか、すっかり食事も喉を通るようになった」
「ええ、私からも礼を言わせてちょうだい。あなたは凄い人よ、オフェリア。命だけじゃなくて、心までも救ってくれたのだから。全部、あなたのおかげ」
褒められて、照れながら「ふひひ」と上ずった笑い声をあげる。全員は助けられないかもしれない。でも、目の前の二人くらいは絶対に守りたいと思った。
「さて、と。食べ終わったことだし、私たちが片付けてあげるから、オフェリアは先に休んでていいわよ。ね、ジョエルもそう思うでしょう?」
「もちろんです、お母様。オフェリアも疲れてますから」
二人の提案を慌てて断ろうとする。従者たるもの、主人に代わってもらうことなどあってはならない。しかし、二人はそれを強く望み、押しに負けた彼女は仕方なく「じゃあ、今日は甘えちゃいますかねえ」と、少し嬉しそうにしながら二階の寝室へ上がっていく。遠ざかっていく足音を聞きながら、食器の片づけが始まった。
「……お母様は気にならないんですか?」
「うーん、何がかしら」
「オフェリアの事ですよ。彼女、何者なんでしょう」
少しずつ感付き始めてはいる。けれども、あまり探りを入れるのも申し訳なくて、彼女に直接聞けなかったジョエルは、なんとなく話題としてロイナに尋ねてみた。
「そうねえ、いったいどんな人なのかしらね。あなたは気になる?」
「気にならないと言えば嘘になります。でも、誰でも良いと思ってる」
「だったらそれで良いんじゃない? 彼女が話してくれるまでは」
そのつもりではいた。いつかきっと話してくれる。そう思ってはいても、その時が来たら、オフェリアがどこか遠くへ行ってしまうのではないかと恐れた。なのに、そのときが近い気がして仕方がない。
「このような時間が、ずっと続けばいいんですが」
「皇都に戻ったって何も変わらないわ。私たちはずっと家族よ」
「……ええ、そうですね。その通りだと思います」
伯爵邸でたくさんのメイドや庭師たちと一緒に日々を過ごしながら、必ず傍にはロイナとオフェリアがいて、当たり前のように皆で笑顔になれる。そんな幸せが、きっと待ってくれているはずだ。そう信じて、微笑みを浮かべた。