第29話「気が変わった」
頼まれて案内すると、ヴェロニカがちょうど目を覚ましたところだった。まだベッドにいるが、今は体を起こして、元気を取り戻している。セレスタンのおかげで症状の進行は遅れているが、いずれにせよ限界が近いのは間違いない。それでも暗い顔ひとつせず、彼女は明るく振舞った。
事情を知ったシャーリンとしては、決して笑えない話だ。
「最強の戦士が、今やベッドに横たわるようになったとは」
「てめえも変わんねえだろ。その目のせいで辞めたくせによ」
「言ってくれる。ボクとは比べ物にならないじゃないか」
たかが魔獣二匹を相手に気を失うほどの体力のなさ。五年も前には単独で数百匹も倒したというのに。共に戦った者には、あまりに信じられない──いや、信じたくない話だった。特にシャーリンは、彼女の強さに憧れていたところもあり、目の前で弱っている姿を見て愕然とした。
「大丈夫だっつの。今日はたまさか薬を飲むのを忘れてたから、余計にこうなっちまったんだよ。前に海の中であいつらとやり合ったときには、こんなふうにはならなかった。……ま、無理に動かしてるって点は否定しねえがな」
そう言いながらも鼻高々な口ぶりには、やれやれと肩を竦めるしかない。今でも魔獣が再び軍勢で現われでもしたら、先頭を切って戦斧を振り上げ、高らかに勝利を宣言するまで嵐の如く暴れ回るつもりなのだ。
「良くないよ~。ただでさえ片足食い千切られて鈍くなってるのに」
「あっ、馬鹿! その話をここでするんじゃねえ!」
しまったと慌てて口を塞ぐ。ジョエルとロイナは初耳だった。
「ろくでもねえ話だ、忘れてくれ。色々あるんだよ」
「……私はそう思いません、ヴェロニカさん」
ジョエルが首を小さく横に振った。
「私たち戦場に立てない人間は、あなたたちのような大英雄に守られるしかない。あなたの失った片足の痛みは分かりませんから、謝ったり、哀れんだりはできませんが……ただ、そうやって命を懸けてくれたからこそ私たちは救われている」
深く頭を下げて、静かに「改めて礼を言わせてください」と、命を救ってくれた事に感謝を述べた。もしヴェロニカがいなければ、今頃は指一本でさえ残っていなかったかもしれない。一瞬の出来事の、どれほどが心に根ざす恐怖になったことか。
「へえ。なんつうか、別に感動はしねえが、悪くねえ気分だ」
同意したシャーリンがこくこくと頷く。
「高貴である者ほど謙虚だと言うが、まだまともな貴族ってのもいるものだね。流石にボクも驚いちゃったな。……で、どうするんだい、ヴェロニカ?」
尋ねられてベッドから降り、クローゼットの中にある軽装の衣服を手に取り、周りの目など気にもせずに着替え始めた。肌の露出が多く動きやすい服は少しくたびれていて年季が入っている。義足は布が引っ掛からないように露わにされており、鋼鉄の塊がきらっと光を反射した。
「はっ。手入れはしちゃいたが、こいつを着るのは五年ぶりか」
「相変わらずよく似合ってるねえ。抱きたくなるよ」
「てめえがアタシに喧嘩で勝てたら考えてやる。ほら、行くぞ」
二人が部屋を出ていこうとするので、オフェリアが呼び止めた。
「どこへ行くんですか? そんな状態で、もう少し休まれたほうが……」
セレスタンの魔法と薬のおかげで健康な状態を無理やり保って動かしては、また倒れるかもしれない。そう気遣っての事だったが、本当は分かっている。ヴェロニカもシャーリンも、そんな呪文で立ち止まる人間ではなかった。
「アタシは正直、貴族ってのが嫌いだ。富だの権力だのを振りかざしながら庶民にゃ狼のように振舞うくせして、いざってときはまるで何も出来ねえ子鹿みてえに弱者を装う卑怯者の別名だと思ってた。……だが、気が変わった。そうじゃねえのもいるらしい」
ビシッとジョエルを指差しながら、ウインクをして──。
「てめえの筋の通し方ってのを誇れよ、ジョエル。その言葉がなけりゃあ、アタシは皇都に行こうとも思わなかった。──じゃ、また会おうぜ。次は皇都でな!」
「オフェリア、君のことも待っているよ。彼女にはボクが付き添おう」
そういって二人が部屋を出ていき、パタンと扉が閉じる。
直後、ヴェロニカが戻ってきて扉を開き、顔だけ覗かせた。
「島にあるもんは家の中だろうが何でも好きなように使えよ。せっかく来たんだから、てめえらは少しくらいゆっくりして行きな。じゃ、あばよ」
それから三人は、ひと晩だけ過ごしてから、軽く港町を観光して帰る相談をした。元々長いバカンスも想定しておらず、いつまでも伯爵家を空けておくつもりもなかったので、ヴェロニカたちだけを皇都に送っておしまいでは格好がつかない。
とはいえ滞在を勧められたのに断って追いかけるのでは、それはそれで厚意を無下にする気もした。ならば、ひと晩くらいは好きにしてもいいだろう。お腹も空いてきたところでオフェリアは「まずは腹ごしらえですねえ」と、釣った魚を厨房へ運ぶ。
「私も手伝うわ、オフェリア。一緒に作りましょ」
「もちろんですう。お嬢様もいかがですか?」
「当然、私も行くよ。まだ不慣れだけど、料理は楽しいからね」




