第20話「港町から」
ブレアの案内で、庭にテーブルを置いてコーヒーを飲みながら、ゆっくりくつろぐ夫婦を見つける。ロイナの両親は表情がそれほど明るいとは言えなかったが、穏やかに話していた。庭にはいくつもの種類の花が咲いていて、夫妻が丹精込めて育てているのが分かるような優しい視線が注がれていた。
「ごきげんよう、ヒペリカム男爵様」
わざと他人行儀にロイナが声を掛ける。いったい誰だと振り返った二人は、ロイナを見て言葉を失った。思わず椅子から立ち上がってしまうほど驚いて、信じられないと言いたげに口をぱくぱくさせている。
「おお……本当にロイナなのか?」
「ええ、パパ。忙しくて手紙も遅れなくてごめんね」
抱き合って喜ぶ家族の姿をジョエルがぼんやり見つめる。気付いたオフェリアが、そっと彼女の肩を抱き寄せた。
「いいですねえ、こういうの。私たちも抱き合います?」
「ハハ、遠慮しておくよ。傍にいてくれればそれでいい」
「承知いたしました~。仰せの通りに、お嬢様」
くるっと振り返ったロイナが二人に手招きした。
「こっちへ来て、二人共。お互いに紹介しておきたいの」
呼ばれて近くへ行くと、ロイナの父親が深く頭を下げる。
「娘がお世話になって……。私がヒペリカム男爵のオーリス、そしてこちらが妻のリーン。細々とだが、この村で静かに暮らしています」
伯爵家で起きた事は手紙に知っていたが、帰って来るとは知らずもてなすこともできなかったと謝罪の言葉を口にするのに、ジョエルが首を横に振った。
「私たちこそ、突然お訪ねしてすみません。お母様の故郷だと聞いたので、どうしても立ち寄りたく思い……嗚呼、自己紹介をしなくちゃ。私はジョエル・ミリガン。アルメリア伯爵家の娘です、それからこっちが私の専属メイドのオフェリア」
紹介を受けてオフェリアがスカートの裾をつまんで持ち上げ、深く膝を曲げてお辞儀をして「ヒペリカム男爵様にご挨拶申し上げます」と、普段の姿からは想像もできない丁寧な挨拶をしてみせた。
「そんなに畏まらなくてもいいんだ、私たちには地位なんてあってないようなものだから、どうか気にせず、気楽に接してほしい」
「いえいえ~。奥様の大事なご両親ですから」
オフェリアもジョエルも、すぐに歓迎されて打ち解けた。事情が事情なだけに深くは尋ねたりせずに気を遣い、近くで待機していたメイドたちに「お客様の部屋をご用意してさしあげなさい」と指示を出し、村にいる間は好きに過ごしてほしいと優しく言った。特にジョエルには孫を見るような温かい視線を向けて。
「新しくお茶も用意させるから、少しゆっくり話そう。ちょうど今日、港町から新鮮な魚をいくらか届けてもらうんだ。ぜひ皆に振る舞わせて──」
そのときに、タイミングよく声がした。
「ちわーっす。ヒペリカム男爵様、届け物に参りました!」
メイドに案内されて顔を出したのは二十代そこそこに見える、黒髪のウルフヘアに紫のインナーカラーが目立つ女だ。目つきは鋭いが快活な雰囲気に溢れていて、耳には星の形をしたピアスが揺れる。
「いつもありがとうね、ヴェロニカちゃん」
「いえいえ、アタシもお世話になってますから……」
作業着に身を包んだ女のアイスグリーンの瞳がオフェリアを見つけた。
「あれっ。オフェリアじゃねえか、ここで何してんだ?」
「ヴェロニカこそ魚の配達って何してんですか?」
ちょうど港町に会いに行く予定だった相手。オフェリアが探している大英雄の一人で、自由奔放に刺激を求めて領内をウロウロしているはずなのが、目の前にいるヴェロニカ・エッケザックス。四人の英雄の中で最も強かった。魔獣戦争においても誰より前線に立っていたが、その最中に片足を失い、現在は義足の生活を送っている。
それを知っているのは、仲間であるオフェリアたちだけだ。
「奥様、すんません。ちょっと話しても?」
「もちろん良いわよ。お友達なんでしょう」
「ありがとうございます、では失礼して……」
ちょいちょい、と手招きをされてオフェリアもジョエルに目配せする。何者かを知っているロイナが気遣って「ジョエル、私たちはこっちでお茶をしましょう」と誘う。なぜ隠しているかは知らなくても、事情があるなら言わないほうが良いと思ってのことだ。オフェリアは「お時間頂きますね」と邸内へ入った。
ヴェロニカは外にいる男爵たちの視界から外れると、おもむろに煙草をくわえて、何かあったのかと即座に尋ねた。
「こちらを渡しに来たんですよ。小さい島で暮らしてると聞いてたので、そちらまで伺うつもりだったのですが、まさか魚の配達なんてしてるとは」
「ばっきゃろ、今も島暮らしだよ。ただまあ、漁が楽しくてなぁ」
差し出された手紙を奪い取るようにして、さっさと封を開けた。
「自分よりも何倍もでけえ魚と、自由の利かねえ海の中でやり合うってのがたまんなくてよ。そのついでに、ちょっとしたサービスで新鮮な魚の配達ってのをやってんのさ。喰うのにも色々と獲るもんで、港町でも仕事を手伝ったりしてんだ」
ヴェロニカに頼めば普通よりも速く届くうえに、彼女が持つ特別な箱──セレスタンが彼女のために作った魔法の箱──で鮮度を保たれているので、少し離れた町や村でも美味しい魚が食べられると好評だった。
追い求めた刺激的な毎日とはやや遠いが、今は満足している。
「ま、おかげで取引先も増えて色んな話が聞けるんで、アタシも退屈はしてねえや。顔見知りが増えてくると、みんなが笑って迎えてくれるのが嬉しいもんさ。ある意味じゃあ刺激的って言ってもいい。求めてたもんとはいささか違うが……」
手紙を読んだヴェロニカの表情が険しくなった。
「……んだよ、議会からの招集か? 珍しいな、お前がこんなもん」
「ええ、そうなんですよう。実は魔獣が出たとかで」
「へえ~。そいつは傑作だ、それでアタシらにまた働けと?」
「答えはどちらでも構いません。強要ではないですし、それに、」
ちら、と視線は作業着に隠れた左足の義足に向く。
「もし招集に応じるのが私だけだったとしても、ヴェロニカの分まできっちり働いてみせます。それくらいは出来ると思ってますからねえ」
フッ、とヴェロニカが笑って肘で小突いた。
「生意気言ってんじゃねえよ。これはてめえのために失くしたわけじゃないんだ、下らない責任なんざ感じる必要ねえさ。それよか、パシヴァル観光ならついでにうちにも寄っていけ。──ちょうど見せておきたいものがあるんでね」




