第19話「ロイナの故郷」
御者に新たな行き先を告げ、やはり数時間は馬車に揺られる事になったが、特に何か問題が起きることもなくヒペリカム男爵領の小さな村に着く事が出来た。事前に聞いていた通りに村は活気とは縁遠く物静かではあったが、かといって貧しさに困っているふうでもない。愛情こそ感じられなかったが、少なくともガレトは約束を守っていたと分かり、ロイナもそれには深く安堵と感謝の気持ちを持てた。
「これはロイナ様、お戻りになられたんですか?」
村の人々はロイナをよく慕っていて、馬車から降りて来たのを見つけてすぐに駆け寄ってきた。伯爵家に嫁いだと聞いて二度と帰ってこないと思っていたので、元気そうな姿を見られて良かったと口々に言って喜んだ。
「お迎えありがとう、また皆に会えて嬉しいわ。ね、パパとママは元気にしてる? 大事な人たちを連れてきたから紹介したいの」
「それはもう、ロイナ様が嫁がれてからも精力的で……」
自分の娘が身を売ってでも家族を、領地の人々を守ろうとしているときに、自分たちが暗い気持ちで伏せっているわけにはいかないと、身を粉にして働いて、これまでに何度か過労で倒れたこともあるほど、ヒペリカム男爵夫妻は努力家だった。ロイナが優しく真面目に育つのも納得がいく。
領民たちとの話も程々にして、ロイナは「こっちよ、案内するわ」と、少し遠くに小さく見える男爵家の邸宅に懐かしさを覚えながら軽い足取りだ。
「まだ少し寂れてる雰囲気はあるけれど、良い村でしょう。ガレトは冷たい人だったし、家族と手紙のやり取りもしていなかったから、こうして帰ってきて様子を見れて良かったわ。ありがとう、オフェリア」
「別に、私はな~んにもしてませんけどねえ」
嫁いでから外部との連絡手段は使用人のみだったロイナは、ガレトの指示もあって、手紙を送る事さえ許されていなかったので、いつもどこか塞ぎ込んだ気分で過ごしていた。もしかしたら両親からの手紙も捨てられているのかもしれないと思いながらの毎日は、申し訳なさすらあった。だから少しでも気が紛れるだろうと散歩を日課にして、せめて外の景色だけでも、と楽しんだ。
そんな日常も、ある日突然にやってきたオフェリアのおかげで、見るも鮮やかに解体されていき、気付けば自由を得ていた。待ち望んでいた帰郷に胸が躍った。元伯爵が冷遇してはいなかったか不安だったが、実際に帰って来てみると、穏やかな空気はより良くなっていて、心から安心できたのがなによりだった。
「それにしても長閑で本当に良いところだね、お母様の故郷は」
「うふふ、ありがとう。こうして二人を連れて来られて嬉しい!」
多くの人々から見て、男爵領は立派とは程遠い。資金援助がなければ立て直すのにも苦労したか、あるいは没落して、今頃は廃村になっていてもおかしくない。それでも以前より活力に満ちているのは、上手くいった証拠だ。ロイナも思わず足取りが軽く、満面の笑みに溢れた。そのうえ二人に褒めてもらえたのだから感無量だ。
「さあ着いたわ。久しぶりだから、ちょっと緊張するかも」
男爵邸はさほど大きくなく、ほんの少しだけ快適な暮らしが領民よりも出来ているのだろうと思う程度に収まっている。家を囲む塀はない。出迎えの格子門も、何も。ただあるのは、玄関の横に並んだ優しさの感じる花壇だけだった。
「あまり大きくないでしょう、ごめんなさいね」
「ふ~ん。私の住んでた家よりはずいぶん立派に思いますよう?」
「私も別館の部屋から殆ど出たことがないから気にならないかな」
二人とも生活は狭い範囲でしか過ごしてきていない。特にオフェリアは自分の居場所が孤児院にはなかったし、出てからも魔獣戦争の最前線で武勲を立てるまでは、物置小屋のような狭い家で暮らしていた。ジョエルはずっと閉じ込められていたし、いまさら家の大きさなど、言われるまで気にも留めていなかった。
安心したロイナは「そう、ならいいけど!」と扉を開く。村に来る客は滅多とおらず、男爵邸はいつでも誰かが来るのを歓迎しているため玄関は使用人がいるときのみ常から解放されていた。
「ただいま~。……って言えばいいのかしら?」
ちょうど掃除をしていたメイドが、彼女たちに気付く。
「はいはい、どちら様……あっ、お嬢様! 何年ぶりですか!?」
「ブレア、久しぶり。もう十年近くになるわ」
「もう、手紙も何度も送ったのに全然届かないから……」
「やっぱりね。ま、それはあとで話しましょ。パパたちはどこに?」
「ちょうど裏庭でティータイムを。お呼びしますか」
少し考えから、ロイナは首を横に振った。
「ううん。せっかくだから驚かせたいの、自分で行くわ」
「でしたらご案内いたしますので、どうぞ!」
他のメイドたちが見たらすぐに伝えに行ってしまうかもしれないので、ブレアと呼ばれたメイドが気を利かせて彼女たちの先頭を買って出た。ロイナとはずっと仲が良い同年代のメイドで、お互いに何を考えているか分かるくらいの大切な親友でもあった。
「ありがとう、いつも気が利いて助かるわね」
「滅相もございません。さあ、行きましょう!」
 




