第17話「これからが大事」
たくさんの野菜を摂って戻り、日も暮れ始める頃にセレスタンを主導にして夕食作りが始まった。手慣れたオフェリアやロイナはともかく、じゃがいもの皮むきでジョエルが苦戦する。彼はそれを見て、くすっと笑う。
「随分とぎこちないな。貴族令嬢はやはり料理は苦手か?」
「すみません、ずっと閉じ込められていましたから」
「閉じ込められていた? 何か事情があるようだが……」
ちらとオフェリアを見ると、彼女かぎろりと睨んだので、聞いてはいけない事だったのかと察して少し気まずくなった。
「まあ、聞きはしないし興味もない。苦手なら座っていても構わんのだぞ、俺は無理に手伝ってもらいたいわけでもないから……」
セレスタンは気遣うのが苦手だ。言葉を優しくしようと思っても、つい悪い方向へ出てしまう。オフェリアがまた鬼の形相になったので、これでは逆効果なのかと内心で慌て始めたが、ジョエルは嬉しそうに微笑んだ。
「いいえ。ようやく自由になれたんだから、これくらいは手伝いたい。ううん、手伝いたいというよりは、教えてもらいたいと言った方が正しいかも」
ああ、だからか。とセレスタンは納得する。ジョエルへ向けた視線は、オフェリアを思うのと同じものになった。これが大切なものなのだろう。そう理解して。
「ウム、そのじゃがいもは少し大きい。どれ、持ちにくいのならまずは二つに切ってしまおう。皮を剥くための道具を作っておかねばな。不慣れな娘に包丁を持たせること自体が間違っていた。ひとつずつ覚えていこう」
二人のやり取りに、オフェリアとロイナが顔を合わせた。
「……ガレトもあれくらい優しければよかったのだけれど」
「望んでも手に入らないものはありますから。でもね、奥様」
鶏肉をひと口サイズに切りながら、オフェリアは小声で話す。
「これから手に入れられるものはたくさんあります。もう手に入らないものよりも、これから抱えるもの
を、ずっと大切で貴重なものにしてあげればいい。産みの親にはなれなくても、育ての親にはなれますでしょう?」
ロイナが不安に感じていることを見透かすオフェリアに、彼女はふふっ、と小さく笑い声をあげた。なんと鋭いことだろう。悩んでいたことが、雪のように解けて消えていく。ありがたい言葉だと思った。
お母様と呼ばれても、結局は他人。自分は本当の母親にはなれないから、距離感をどう保てばいいのか分からなかった。あまり馴れ馴れしくしてもうんざりされてしまうのではないか。歩み寄ってくれたはずのジョエル。差し伸べてくれた手に、自分が怯えてどうするのか。頭では分かっていても、不安はずっと胸に渦巻いた。
それを他人の言葉が背中を押してくれることもあるのだ。
「ええ、そうね。私、ちょっと怖がりすぎてたかもね」
「その通りですよ。私なんかもっと衝撃的な出会いですからねえ」
まさか開けてもらえない扉を堂々と蹴破って中に入ったのが最初の出会いとは、そうそう信じてはもらえまいと自分で可笑しくなる。それでも怒られたりしなかったのだから、図々しいほうがいっそ清々しく受け入れてもらえるはずだ。そんなアドバイスに、ロイナも「そうしてみるわ、まずは扉を蹴破るところから」と冗談めかす。
(親子かあ。私の親はどんな人だったんだろう?)
物心つく頃には孤児院にいた。小さいながらも荒々しい性格で、華奢なくせに誰よりも力が強かった。誰とも反りが合わず、いつだって『金がないからって親に捨てられた、親もお前なんか要らなかったんだ』と揶揄される。
実際のところ、どうだったのかは分からない。ただ孤児院だけは最悪な場所だった。いつも悪者にされるのはオフェリアで、そのせいで食事を抜かれることもあれば、懲罰を受けたこともある。未だに鞭で打たれた感触は忘れていない。
舌をかみ切って死んでやろうかと思うような日々。やがて孤児院を出たあと、行く当てもなかった彼女は、他の三人の仲間と共に魔獣戦争へ赴くことになる。それはオフェリア・リンデロートにとって、このうえない好機。いつか夢見た、自分の死に場所に相応しいじゃないか。そんな考えをしていた。
仲間の言葉に救われたのはオフェリアも同じだ。ずっと孤独の中を彷徨いながら、それでもいいと言い聞かせ、本当は独りが寂しいのをひた隠しに生きてきた。両親が、いや、たとえ片親だったとしても、いれば違う人生を歩めたのか? ときどきそんなことを考えてしまうこともあるが、今は立派に幸せであった。
「……シャーリンにも会いたいなあ」
ふと、そんな言葉が漏れた。
「シャーリンというのは誰だい、オフェリア?」
「んがっ、お嬢様!? いつの間に隣に!」
気付けばロイナは鍋を運んでセレスタンのところへ行っていた。皮むきを終えたジョエルは「休憩していいぞ」と言われたので、様子を見に来たのだ。
「ずいぶんと考え事をしてるみたいだったから、話しかけるのが申し訳なくてね。それで、シャーリンというのは大切な友達?」
「ええっと、まあ、はい。知り合いですねえ」
そう聞いてジョエルは嬉しそうな顔をした。
「君の友達なら、きっとすごく良い人なんだろうね」
「もしかして会ってみたくなりましたか」
「ああ、興味がある。会わせてくれるのかい?」
オフェリアは彼女の頭をぽんと優しく撫でながら。
「ええ、必ず会えますよ。そのときを楽しみにしていて下さいね」




