第14話「家族で」
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「──と、いうことで。アリンジューム家の方から知り合いへ招待状を届けてほしいそうでして。なんと旅費まで出してくださいましたから、さっそく支度致しましょう。今日にも発ってほしいと言われましたので!」
あまりに急な話にロイナもジョエルもきょとんとして、話についていけない。オフェリアはそんなことお構いなしにトランクを用意して、次から次へと勝手にクローゼットを開けては、ジョエルの服を詰め込みながら。
「あまり時間ないんで手伝っていただけますう?」
具体的な事は殆ど話さなかった。自分が誰かを彼女に教えるつもりはなく、もし知ってしまったら、今での関係が変わってしまいそうな気がして、出来る限り隠して過ごす事にした。そのせいで大貴族のアリンジューム家から仕事をもらってきたという体になったので、随分と驚かせてしまった。
ジョエルはどこか嬉しさもありつつ納得も出来ない雰囲気ではあったが、ロイナは「せっかくジョエルが色んな場所を見られるのなら」と乗り気で手伝いを始める。こんな機会でもなければ、きっと外に出ないだろうから。
「仕方ないな、私も手伝うよ。だが、いったいどこへ行くんだ? こんなに荷物を用意するのだから、随分と遠い場所になるんだろう?」
「まず最初に行く予定は皇都のすぐ近くですよお」
魔獣が現れた森とは真逆の方向にある大きな森、ガラホート。どこかの大貴族が所有すると言われるほど広大で、勝手に入れば処罰を受けてしまうので、基本的には誰も近寄らない場所だ。実際の所有者はジョエルたちの目の前にいるのだが。
「そんなところに人が住んでいるというのか?」
「ええ。まずはその方にお会いする必要があるんですう」
ぎちぎちに詰めて無理やり閉じたトランクを軽々持ち、オフェリアは笑顔だ。
「ひとまず二時間くらいで着く場所ですから、行きましょ行きましょ! 森には別荘もあるので、そちらも使っていいそうですよ! ほらほら、見て下さい。馬車も用意してくださったみたいですよ、行かなきゃ損です!」
背中をぐいぐい押されて、何がなんだかと思いながらもジョエルたちは出発した。不在の間は執事長と家政婦長の二人が管理を任され、気合の入った様子で「行ってらっしゃいませ!」と三人を送り出す。
少し前なら不安もあったが、今は彼らに対して強い安心感を持つ事が出来た。主人がしばらく不在でも立派に与えられた仕事をやり遂げてくれるだろう、と。
そうして馬車はがたごと揺れ、石畳を蹄が叩いて小気味よい音を立てる。ジョエルは初めての旅行に、流れる町の風景から目を離せない。これまでは遠くから眺めるばかりで、どこまでも広がる手の届かない絵画の向こう側の世界だったが、今ならどこにでも行けるのだと胸が高鳴った。
「……なんだか夢みたいだな」
「紛れもない現実でございますよお、お嬢様」
「ふふ、分かってるとも。ただ嬉しくてね」
ずっと籠の中で暮らすのだろうと思っていた十七年間は、あっさり幕を閉じた。その代わり、陽の光が当たる新たな物語が始まり、固く閉ざされていた世界への門が開かれた。これを夢だと思わず、なんだと思えるのだろう? ジョエルには、まだ信じられない。だが、確かにこれは現実なのだと嬉しさが抑えきれなかった。
「奥様も最近は外に出られてなかったみたいですけど、いかがですか。良い気分転換になればとお誘いしたんですが、迷惑じゃなかったですか?」
いまさら聞くようなことではないかもしれないが、と恐る恐る尋ねてみる。ガレト・ミリガンの一件で、彼女の仕事は山のように増えた。邸宅から出る時間も殆どなく、いつもは日課だった散歩もせず、執務室に籠る毎日が続いていたので、少しオフェリアも気に掛けていたところだった。
ただ、あまりにも仕事熱心で嫌そうな顔をひとつも見せないため、もしかすると残りたかったのではないだろうかと、途端に不安になった。
「ううん、全然迷惑なんかじゃないわ。そろそろ休まないといけないって皆から言われてたところだったから。それにアリンジューム家からの依頼だって言えば、誰も口を挟んだりしないでしょうし、気兼ねなく休む理由が出来て嬉しいくらいよ」
それに、とロイナは隣で窓の外を眺めるのに夢中なジョエルを見つめながら、少し照れくさそうに頬を掻く。
「こうやって家族で旅行だなんて、私もしたことがなかったから。オフェリアのおかげで、夢がひとつ叶った気がするわ。本当にありがとう」
「いえいえ~。私は当然の事をしただけですよお」
厨房の食糧庫から勝手に持ち出した小さな袋に手を突っ込み、リスのように次々とナッツを頬張って満足そうに笑う。「あら、まさか持ってきたの?」とロイナに尋ねられても、オフェリアは堂々としたものだった。
「ちゃんと書置きしてきましたから大丈夫ですよお、これも言えば多分ノイマンが……こほん、アリンジューム家が経費として計上してくれるはずです」
袋の中身が無くなって、少し寂しくなる。まだ出発して二十分も経っていないのに、あと一時間以上を何を食べて過ごせばいいのだ、と思いながら。
「まあ、何も気にせず楽しむ事だけ考えていきましょう!」