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恋人に逃げられた伯爵令嬢、親が許婚として連れてきた従弟と畑をやってます。継母は私を追い出したいみたいだけど。

作者: 幌あきら

柴野いずみ様主催の【スパイス祭り】参加作品です。

スパイスのチョイスは『サフラン』です。

ちなみにサフラン、クロッカスの仲間です。クロッカスに似た紫色の可愛らしい花を咲かせます。


スパイスっぽくないという突っ込みは、心の中だけにしてくださるとありがたいです(汗)

1.

 モニカ・バーニック伯爵令嬢は、およそ貴族令嬢とは思えぬ出で立ちで、()()で精を出していた。


 精を出していたというのは少々前向き過ぎる言い方かもしれない。

 どちらかというと、ただむやみやたらと(くわ)を振り回している……?


「くっそ~! アルベルトめ!」

 さっきからモニカは、ずっと好きだったアルベルト・サスマン侯爵令息への悪口が止まらないのだ。


 モニカは(くわ)を振り上げ、力いっぱい土に突き立てた。

「私という者がありながら、別の女と結婚するってどういうことよーーー!!!」


 さっきからずっとこんな調子で(たがや)しているため、農地の土は深くふっかふかになっている。


「うん、いいね! その調子だ、モニカ! いい感じで(たがや)せてるぞ。農地拡大だ!」

 モニカの従弟(いとこ)のフランク・ランバートがモニカに満面の笑顔を向ける。


「フランク~~~!!! 土のことはどーでもいいのよ! (なぐさ)めてくれてもいいじゃない!」

 モニカはキーっと怒った。


「モニカ。アルベルトのことは言ったってしょうがないだろ」

 フランクは苦笑した。

「それに、俺はおまえの畑づくりを手伝わされている身なんだからな。むしろ俺を(ねぎら)ってくれ」


「なんて言い方するの!? 私を可哀(かわい)そうだとは思わないの?」

 モニカはフランクを(なじ)ろうとしてまた(くわ)を振り上げたが、ふと思いついた。

「いや、待てよ、アルベルトの結婚は人づてで聞いただけなんだから、もしかしたら嘘ってことも……」


「それはないんじゃない」

 フランクはさらっと言った。

「俺も聞いたから」


「うわあああ~。アルベルト~!」

 モニカはまた涙目になった。


「いい加減アルベルトのことは忘れろって。婚約してたわけでもなかったんだし。そもそもモニカの前から消えてもう3年にもなるだろ」


「消えたとか言わないで。なぜかわからないけど、もう会わないって言っただけよ」


「そう。会わないって言って3年だぞ!? モニカのことなんかもう完全に忘れてる」


「絶対忘れてないわよ! フランクのバカっ」


「バカって……」

 フランクは一瞬むっとした顔をした。


「アルベルトはこうしてこの花をくれたのよ。私はこんなに大事に育ててるの……」

 モニカは(うら)めしそうに、足元に咲くクロッカスに似た紫色の花を見た。


「ああ、知ってるさ! どんなに大事に育ててきたか。俺はモニカからこの花の手入れを(まか)されて、この3年間、ずっと枯れないか見張ってたんだからね。そして、この花は、今や畑にまでなった!」

 フランクは口を(とが)らせた。


「だって……。だって!」

 モニカは涙目になった。

「あの日。大好きだった少年のアルベルトが急に『もうお会いできません、さようなら』って言って私の(てのひら)の中にこの紫色の花を押し付けたのよ。彼の苦しそうな顔をいまだに覚えているわ。私はアルベルトの思い出を失いたくなかったんだもの」


「分かってるよ、モニカ」

 フランクはため息をついた。

「そして、モニカが大事に育て増やしたから、このサフランは利益を生む一大商品(いちだいしょうひん)になったと」


「商品とか言うな!」

 モニカは怒った。


「俺にとっては商品だよ。3年前に(うるわ)しの少年が思い出に差し出した紫の花……って規模じゃなくなってるだろ、どーみても! 見ろよ、このサフラン畑!」


「そ、それは途中からフランクが商売っ気を出してサフランを追加したからでしょ!」

 モニカは(こぶし)を握って言い返した。


 フランクはもう一度ため息をついた。

 そう。この広大なサフラン畑こそが、モニカのアルベルトへの愛の深さ。


 俺も、よく3年もこの畑づくりに付き合ってきたものだ……。

 まあ、モニカの悲しむ顔を見たくなかったし、モニカの一途(いちず)さを踏みにじるのも嫌だった。

 だから、不本意(ふほんい)ながら、他の男の思い出の花をこうして一緒に世話してる。


 3年前まで、そう、少女のころのモニカにとってアルベルトがどれだけ大事な存在だったか、俺は隣で見てきたからよく知ってる。


 フランクが10年前、ここ叔父のバーニック伯爵領に引き取られた頃、ちょうど時期を同じくしてサスマン侯爵家のアルベルトは、この遠縁に当たるバーニック伯爵の領地に静養に来た。


 生まれてからずっとこの辺境の地にいたモニカは、フランクのこともアルベルトのことも歓迎してくれた。しかしアルベルトへの歓迎ぶりは特別だった。モニカにとっては王都から来たアルベルトがとても珍しかったようだ。

 もともとモニカは好奇心旺盛な娘だったし。


 モニカより二つほど年上のアルベルトは聡明で何でも知っていた。そして王都の礼儀作法を全て身に着け洗練されていたし、物腰も柔らかくイケメンだった。

 さらにとても優しかった。


 モニカが誘えば馬の遠乗りにも付き合ってくれたし、お茶にも付き合ってくれた。

 面白い本をモニカに(すす)め、一緒に内容を語ったりもしていた。

 そう、当時はモニカとアルベルトは毎日一緒に過ごしていたのだ。


 アルベルトにとってもモニカはたぶん大事な娘だったのだと思う。

 遠乗りで馬から落ちたモニカを背負って、血相を変えてバーニック伯爵家へ届けてくれたのもアルベルトだった。

 継母(ままはは)と何やら喧嘩して屋敷を飛び出したモニカを、家中(かちゅう)の者で一晩中探し歩いたときも、結局見つけたのはアルベルトだった。


 あの時フランクは、モニカが行方不明になり生きた心地がしていなかったので、モニカが見つかって心からホッとしていた……はずだった、本当は。

 しかし、アルベルトの胸にしがみつくモニカを見たとき、フランクはホッとするどころか胸が痛くて苦しくなった。見つけたのが俺だったらよかったのに、と何度も思った。


 当時領内では、もうモニカとアルベルトは婚約するんじゃないかともっぱら噂されていた。

 領内で公認の仲だったのだ。


 なのに、急にアルベルトは、3年前のある秋の嵐の夜、『もうお会いできません、さようなら』とモニカに告げ、バーニック伯爵領を去っていったのだった。

 突然のことに呆然(ぼうぜん)としていたモニカの手の中に、この紫色の花を押し付けて。


 モニカはアルベルトが去ったことを分かっていなかった。

 毎日「アルベルトは?」と(たず)ね、「もう領内にはいらっしゃいません」と侍女が答え、アルベルトが訪ねてこない日を何日も重ねて、ようやくモニカは理解したようだった。

 アルベルトが去ったということを。


 数日間、モニカは紫の花を眺めてぼんやりしていた。

 水をやるのも忘れていたので、そのうち花が(しお)れかかってきた。


 それでモニカははっとしたらしい。

「フランク! たいへんよ、私の花が枯れてしまう! なんとかして!」

と泣きながらフランクに頼って来た。


 そしてフランクがこの花の責任者になった。


 フランクはモニカのために、庭師と一緒に花を調べ、この紫の花がサフランという名前だと言うことを知る。

 運よく球根付きだった。

 フランクはその花を土に植えてやった。


 花が終わりかけた頃、モニカが泣きべそをかきながら

「枯れたら終わり? 種は取れるの?」

と庭師に聞くと、

「種はできませんがね。球根で増やせますよ。」

と庭師が答えた。


 モニカの目が輝いた。

「毎年咲かせられるのね! じゃあ想いだって永遠だわ!」


 それ以来ずっと、フランクはこのサフランの花を育てるのを手伝わされている。


 最初は数本だったサフランの花は、一年ごとに株を増やし、そして、3年もすればけっこうな数になった。


 だがフランクはモニカのアルベルトへの想いまでには付き合えない。

(えーっと、なんで俺こんな花の世話に忙殺(ぼうさつ)されてるんだっけ……?)

 アルベルトが残した花を前にして、フランクは度々(たびたび)はっと(われ)に返る瞬間があった。そのときの(むな)しさは格別だ……。


 フランクは「俺は商業的にサフランを育てているのだ」と自分に言い聞かせた。

 サフランの花の赤いめしべが香辛料として使えるから。


 料理や美容やらに絶大な人気を(ほこ)るのに、めしべしか収穫できないサフランはグラム当たりの価格がたいそう高い。


 フランクは我ながらこのアイディアが気に入った。

 そうだ、これは商売だ! 俺が育ててるのは恋敵(こいがたき)のアルベルトの思い出なんかじゃない!

 畑で栽培する価値が十分にある、スパイス!

 わはははは、これは商品だのだ!


 そしてフランクは、どうせ世話するんだし、と別の区画に大量にサフランを追加し、ついにこうして、畑と呼べる規模まで広がったのだった。


 さらに、バーニック家のサフランは、モニカの手前、使用人も世話に手を抜けず、おかげで色付きも香りも最高級。とても値が付いた。


 ……だって、それ以上どうできるというのだ?

 アルベルトへの思いを断ち切れと俺がこの畑を焼き払えば、モニカが俺のものになるとでも?


 そんなことは絶対にない。

 モニカがアルベルトを忘れられるまで、付き合うしかないじゃないか。






2.

 その頃、バーニック伯爵宅では、バーニック伯爵とその夫人がモニカの今後について話し合っていた。


 バーニック伯爵夫人とは言っても、モニカにとっては継母(ままはは)に当たる。

 モニカの母が一人娘のモニカを残して15年前に病死してから、バーニック伯爵家へ迎え入れられた後妻だ。


 バーニック伯爵は男の子を欲しがっていたが、この後妻との間に生まれたのは結局女の子一人、モニカの異母妹に当たるメリッサだけだった。


「旦那様。サスマン侯爵家のアルベルト様が結婚なさったようで、モニカが荒れているんですって」

 バーニック伯爵夫人は人目を(はばか)るような言い方をした。


 バーニック伯爵も頭を悩ませていた。

「モニカはちっともアルベルト殿のことを忘れておらんようだ。まったく、いくら遠縁とは言え、あんな者(アルベルト)を受け入れなければよかった。(わし)は、モニカと結婚させてバーニック家を継がせるために、わざわざ妹の元からフランクを連れてきたんだぞ。なのにモニカはちっともフランクとの婚約を承知せん!」


 バーニック伯爵夫人は、伯爵の『伯爵家を継がせる』という言葉に一瞬(まゆ)(しか)めた。しかし気を取り直すと猫なで声になった。

「旦那様、モニカはアルベルト様を(した)ったまま一生独身で暮らすと言っております。このままではフランク様との縁談はさっぱり進展しないんじゃないですか。もうフランク様にはメリッサを(めと)らせて爵位(しゃくい)を譲ればよろしいでしょう」


 バーニック伯爵は少し(うな)ってから(うなず)いた。

「まあ、爵位(しゃくい)の方はそうだな……。姉を差し置いて妹では少々人目がと思っていたが、もうモニカも18だものな。ここまで分からず屋では(わし)(かば)いきれん」


 バーニック伯爵夫人は「そうでしょう、そうでしょう」とほくそ笑んだ。

「幸いメリッサはフランク様を好いているようですし」


「ほう」

 バーニック伯爵は目を細めた。

「ならフランクの気持ち次第(しだい)だな。『モニカの婚約者な』と言い含めていたのにさっぱり話が進まんから、あいつには悪いと思っていたのだ。せめてもう一つの『バーニックの爵位を()る』くらいは守らんとな」


 バーニック伯爵夫人は嬉しそうに微笑んだ。


 しかしバーニック伯爵は急に父親顔になった。

「とはいえ、モニカの方だって『一生独身で暮らす』なぞ許さんぞ」


 バーニック伯爵夫人は機嫌(きげん)がよくなっていたので、

「そうですわね。でもアルベルト様が(かな)わぬとなっては……」

(つぶや)いてから、少し意地悪な顔になって、

「まあもう少々強引でも、気軽には帰ってこれないような遠いところに、さっさと()ってしまったらいかがですか?」

と言った。


「ふむ。遠いところか……」

 バーニック伯爵はまた思案顔(しあんがお)になった。

(わし)懇意(こんい)にしているグリーソン男爵なら少々融通(ゆうずう)がつくかもしれん。確かご子息がいるはずだ」


「ああ。マイルズ・グリーソン様ですわね!」

 バーニック伯爵夫人はぱっと顔を明るくした。


 バーニック伯爵領から遠い、王都からも遠い、グリーソン男爵領。

 あまり社交界に出ない家だから子息の顔は思い出せないけれど、何を()(ごの)みしているのか、はたまた女性に相手にされなかったのか、マイルズ・グリーソン男爵令息には女性の噂はあまりなかった。

 ……何より、メリッサとフランクと結婚させるには、モニカをさっさと追い出さねばならない!


「旦那様、そのお話とっても良いと思いますわ」

 バーニック伯爵夫人はにっこりと笑った。

「すぐさまその手筈(てはず)を整えましょう」





3.

 1,2か月が経った頃、バーニック伯爵はモニカに、マイルズ・グリーソン男爵令息の身上書(しんじょうしょ)を手渡しながら婚約の件を伝えた。


「は?」

 モニカは()頓狂(とんきょう)な声を上げた。

「いや、普通に(イヤ)ですけど」


「バカもんっ!」

 バーニック伯爵は怒鳴った。

「嫌とか言える歳か!?」


「ひどいわ! 娘の幸せとか考えずに結婚させちゃうわけ?」

 モニカが言い返す。


「うるさい、うるさい、うるさいっ! お前はさっさと結婚しろ!」

 バーニック伯爵はまた声を張り上げた。

「結婚して赤ん坊でもできたら、そのうち『ああ~幸せだな』とか思うものなんだから」


「なによ、そんなの嘘! 結婚は人生の墓場(はかば)って顔してる人、いっぱいいるわよ! 変な価値観押し付けないでよね!」

 モニカは手に持っていた身上書(しんじょうしょ)を床に叩きつけた。


「あっ! こらっ!」

 バーニック伯爵が(あわ)てて拾い上げる。


「とにかく、私は誰とも絶対に結婚しませんから!」

とモニカは言い捨てて、すごい勢いで部屋を飛び出して行った。


「許さんっ! 何があろうとマイルズ殿との縁談は進めるからな!」

 バーニック伯爵は顔を真っ赤にして、モニカの背に向かって大声を出した。


 何よ、何よ、何よ!

 モニカは泣きそうな顔をして(こぶし)をぎゅっと握った。


 絶対(イヤ)よ。

 誰よ、マイルズって。


 アルベルト以外の男の人とは絶対に結婚なんかしないんだから。


 アルベルト……。


 モニカは自室に戻ると、ベッドに()()した。


 アルベルトとの思い出が(いや)(おう)でも浮かぶ。


 モニカはある日のアルベルトとの馬の遠乗りの日を思い出した。


 あの日モニカは、お気に入りの山の岩場に行こうと、アルベルトを誘ったのだ。


 初めはなだらかな丘陵(きゅうりょう)地帯を行くが、途中からは木の多いところを抜けていく。

 細い尾根道(おねみち)辿(たど)っていくと、急に木がごっそり姿を消し視界が開ける。そこは岩場の露出(ろしゅつ)した(がけ)になっていた。

 (がけ)に端に大きな岩が埋まっていて、頭の部分を土からはみ出して空に突き出していたのだ。


 その岩からは眼下(がんか)の緑の谷を一望(いちぼう)でき、またとなりの山の全貌を眺めることができるので、モニカのお気に入りだったのだ。


 二人は御供(おとも)も連れず、気ままに出かけた。

 しかし、途中まではとても天気がよかったのに、急にぶ厚い雲が太陽を隠したかと思うと、ゴロゴロと(かみなり)が鳴りだした。雨もぽつぽつ降り始めた。


 二人は嫌な予感がしていたが、木々を抜けて(ひら)けた岩場に出た瞬間、(あん)(じょう)、ピカっと空を切り裂く稲妻(いなづま)が走った。

 臆病(おくびょう)なモニカの愛馬は、(おび)えて足を止めた。


 (かみなり)となると、岩場も、木々の少ない丘陵(きゅうりょう)地帯も怖い。

 まだ木々の中にいた方がましかもしれない。とはいえ、木にも(かみなり)は落ちる。

 雨もだいぶ激しく降り出した。


「モニカ。横道に()れよう」

 アルベルトは冷静に言った。

(かみなり)が近い。沢沿(さわぞ)いへ下りる。沢筋(さわすじ)横土(よこつち)(えぐ)られている場所があるから、そこで雨も(しの)げるだろう」


 モニカは少し躊躇(ためら)った。

沢筋(さわすじ)は雨で水が増えたとき危なくないかしら」


「水の湧き出し口から比較的近い場所だ。雨が激しくなるようなら考えるが」


 その時、またゴロゴロと空気を震わす音が聞こえた。

 馬がさらに(おび)えて首を垂れた。


 その様子を見てモニカは(うなず)いた。

「そうね。わかったわ。とりあえず行きましょう、馬が動くうちに。落雷(らくらい)に巻き込まれてもつまらないしね」


 モニカとアルベルトは馬を降り、道を(はず)れると、比較的歩きやすそうな場所を探してそろそろと慎重に(さわ)の方へ下りて行った。


 木々のおかげで斜面はしっかりしていたが、馬がいるとめんどうだ。

「モニカ大丈夫(だいじょうぶ)か」

とアルベルトは心配そうに声をかけたした。


大丈夫(だいじょうぶ)よ。誘ったの私だもの。悪かったわね」


(かみなり)は仕方ない。ははは。いつまで馬がおとなしくしてくれるかな。こんなところで馬に機嫌(きげん)(そこ)なわれると厄介(やっかい)だね」


 しかし、アルベルトの予想は当たってしまった。

 モニカの馬の性格は他の馬より臆病(おくびょう)だったので、歩きなれない悪道(あくどう)で、耳を落ち着きなく動かしたり、首を振ったり、歩みを止めたりした。


 そのうち雨は本降(ほんぶ)りになってしまった。


 アルベルトは遠慮(えんりょ)するモニカと(なか)ば強引に馬を交換すると、モニカの馬を引きずって、なんとか横穴(よこあな)まで辿(たど)り着いた。


 少し(さわ)から離れた足場の良いところに馬をつなぐと、二人は一先(ひとま)ずほっとした。


 そして、横穴(よこあな)(もぐ)り込むとできるだけ雨を避けて奥まで入り、二人はぴったりと寄り沿って座った。


 モニカの耳には、しとしと降り落ちる雨の音や(さわ)を流れる水の音と、アルベルトの呼吸音が聞こえてくる。


 と、途端に、またゴロゴロ、ゴロゴロゴロ……と太く長く(かみなり)が響いた。


(かみなり)をやり過ごすまでの辛抱(しんぼう)だから」

 アルベルトは安心させるように(やわ)らかく言って、そっとモニカの肩を抱いてやった。


 モニカはドキっとして心臓が急に早く高鳴りだした。

 ああ。アルベルトの体温が伝わってくる。

 ふと見上げたアルベルトの横顔。耳が少し赤かった。


 ずっと好きでよく遊んでもらったけど、こんなに近くに座るのは初めてかもしれない。


 ふとアルベルトがモニカの方を見た。

 二人の目が合った。


「何見てんの」

 アルベルトは()れて口を(とが)らせた。


 モニカがドキドキして何も答えられずにいると、

「めずらし。モニカが弱って見える」

と、アルベルトはそっと目を細めて笑った。


「もう」

 モニカはそう言うと、仕返しにぐいっとアルベルトの腕を引っぱった。


「あ、あぶなっ」

 アルベルトは思わず倒れかかりそうになって、腕を土壁(つちかべ)についた。腕で()()って体を支える。


「モニカ、ちょっといたずらが過ぎるだろ」

 アルベルトが驚いて目を上げたとき、モニカはいきなり、無防備(むぼうび)なアルベルトの(くちびる)にキスをした。


 アルベルトは驚いて目を見開いた。

 (あわ)てて唇をずらしてモニカの目を見る。


 モニカは急に恥ずかしくなり、真っ赤にした顔を(そむ)けた。

(ぎゃあああ、やっっっちゃっっった! なにしてんの、私!)

 耳まで真っ赤になる。そして、どうしたものかと(くちびる)をぎゅうっと結んだ。


 アルベルトは「そうか」と思った。そしてモニカの心がいじらしくなった。

 思わずアルベルトの口元(くちもと)(ゆる)む。


「モニカ、ごめん。顔を上げて。」

 アルベルトはそっとモニカの(ほお)に手を伸ばした。


 モニカは自分からキスしたくせに、びくっとして肩を(すく)ませた。

(いや、恥ずかしすぎて無理だろっっ!)


「モニカ」

 アルベルトは真面目な顔でモニカを(のぞ)き込んだ。

大丈夫(だいじょうぶ)。」


 モニカの()を冷や汗が流れた。目をぎゅっと(つむ)る。

(何が大丈夫(だいじょうぶ)なのよおっっっ。恥ずかしすぎて死ぬっ)


 アルベルトは、モニカがきっと心の中でオロオロしまくってしているのだろうと思って、可笑(おか)しくなった。

「モニカ。大丈夫(だいじょうぶ)だって。同じ気持ちだから」


「え?」

 はっとしてモニカが顔を上げると、アルベルトの少し()れた微笑(ほほえ)みにぶつかった。


「いいってことだよね」

 アルベルトはそう言ってモニカの腕を(つか)んで体を引き寄せた。


「えっ、ええええっ」

 モニカが(自分で()いた種なのに)()()った。

(嘘っっ、これアリだったの!?)


(かみなり)もよい仕事をするもんだね」

 そう言ってアルベルトはモニカの(こし)に手を回し、口づけた。


(あ……)

 モニカはアルベルトにキスをされて心臓らへんがぎゅっとした。

 好きだって気持ち、伝わってくれた。アルベルトもこんなに優しくしてくれる。


 そして、そのままアルベルトの肩に手を回し、身を(まか)せた。


 二人はしばらくお互いに気持ちを確かめるように(くちびる)を重ねていた。


 そのとき、何というタイミングだろうか、急に、パキッ、カサッと沢沿(さわぞ)いを歩く気配がした。


(誰っ!?)

 二人は思わず体を離した。

 アルベルトも咄嗟(とっさ)のことで驚きながら、モニカを守ろうと身をすっと前に身を乗り出した。


 ガサッカサカサッ パキッ

 足音はこちらへ近づいてくる。


(こんなところに誰が……)

 モニカは乱れはないか、ささっと髪を()でつけ、胸元(むなもと)を正した。


 と。

 横穴(よこあな)の二人の前に現れたのは、イノシシの親子だった。

 母イノシシが2匹のウリ坊を連れている。


「イ、イノシシ!?」

 モニカは思わず声を上げた。


 母イノシシは子供らを雨宿(あまやど)りさせようとこの横穴(よこあな)に連れてきたに違いない。

 先客を(ねた)ましそうな目つきで見た。

 

「あははっ」

とアルベルトは笑った。

「イノシシと考えていることが全く同じだったとは」


 アルベルトはイノシシに向かって

「すまなかったね」

と優しく声をかけた。


 せっかくお互いの気持ちを確かめあっていたのにイノシシに邪魔された、とモニカはむすっとした。

(くそうっ。イノシシめっ。鍋にしてくれるっ)


 アルベルトはそんなモニカのほっぺたをつんつんと(つつ)いた。

「そんな顔しなくても。イノシシに言ってもしょうがないだろ」


 それでもモニカがしゅんとしていたので、アルベルトは「はははっ()ねないの」と笑ってモニカの肩を抱いてやった。


 イノシシの親子はしばらく二人の前をうろうろしていたが、やがて(あきら)めたのか姿を消した。


雨宿(あまやど)りさせてやろうだなんて、母イノシシの愛情も深いものだな」

 アルベルトのモニカを抱く手に力がこもった。


(あ……、アルベルトの手……。まあイノシシに邪魔されたけど、アルベルトが抱っこしてくれてるからいいか)

 モニカは気を取り直した。


 二人は黙ったまま、満ち足りた気持ちで雨を眺めていた。


 やがて雨が止んで、輝くような木漏(こも)()が二人のいる(さわ)まで差し込んできた。


「晴れたね」

 アルベルトが(つぶや)いた。


 ふと(さわ)の方に目をやったとき、紫の花が岸辺に群生(ぐんせい)で咲いているのが見えた。

 クロッカスに似た紫の花は光を浴びてピッカピカだ。


 きれいだな、とモニカは夢見心地(ゆめみごこち)で思った。

 私、この日のこと、絶対に一生忘れない。







4.

 さて、モニカが散々(さんざん)婚約を拒否したのにバーニック伯爵は、マイルズ・グリーソン男爵令息を屋敷に招待した。


 豪華な客間でニコニコ顔で出迎えるバーニック伯爵。

 その横で、無理やり並ばされたモニカとモニカの従弟(いとこ)のフランクは、苦虫を()(つぶ)したような顔をしていた。

(結婚は絶対しないって言ったのに!)

(モニカは自分と結婚するはずなのに!)


 マイルズは精悍(せいかん)な若者で、背が高く(たくま)しい体つきだった。アルベルトやフランクよりずっと背が高い。そして真面目で誠実そうな顔つきをしていた。


 モニカの横で異母妹(いもうと)のメリッサが首を(かし)げる。

 これほどの男性なら王都でも話題になっておかしくないはず。

 どうしてこれまでほとんど社交界で噂を聞かないのかしら。

 誰か他に心を決めた女性でもいるか、よっぽど中身に問題があるか、どっちかね。


 マイルズはそんなバーニック家の者の心中(しんちゅう)など全く知らず、バーニック伯爵の前に立つと、微笑(ほほえ)みを浮かべて(うやうや)しく礼をした。

「お久しぶりです、バーニック伯爵。お招き感謝いたします。この(たび)はお嬢様をわたくしめにくださるそうで」


(誰があんたなんかと!)

(誰がお前なんかに!)

 モニカとフランクは心の中で同時に突っ込んだ。


 しかしバーニック伯爵は満面の笑みをたたえ腕を大きく広げて歓迎した。

「いや~本当に、よく来てくださった、マイルズ殿! こんな()き遅れで申し訳ないが、末永(すえなが)くよろしく頼む!!」


「いえ」

 マイルズもにこにこしている。

「ありがたいお話ですよ。自分もこれまで女性には(えん)がなく、いたずらに歳を重ねてしまいました。今回こんな格式高いバーニック伯爵家からお話をいただきまして! もう身に余る光栄だとしか」


「さあさあ、マイルズ殿! こちらがそのモニカです。さ、モニカ、挨拶せんか!」

 バーニック伯爵はモニカの背を勢いよくバンっと(たた)いた。


「う……」

 モニカは口を開けなかった。

 歓迎の言葉を言えば婚約が成立してしまう。

 かといってこのような(かしこ)まった場ではマイルズを厳しく突き放すようなことも言いにくい。


 モニカが出方(でかた)(うかが)い困っていると、マイルズは優しく微笑(ほほえ)んだ。

戸惑(とまど)っていらっしゃいますよね。でもよいのです。時間をかけて受け入れてくだされば」


(受け入れないわよ!)

 モニカは顔をぷいっと(そむ)けた。


「これっモニカ!」

 バーニック伯爵がきつい声で(しか)った。


 しかしマイルズはモニカの心中(しんちゅう)など微塵(みじん)も気づいていないように、まっすぐモニカの目を(のぞ)き込んだ。

「モニカ様。私は堅物(カタブツ)で女性に気の()いた一言も言えません。でも、あなたを大切にいたしますよ。……今回もあなたがお好きなものと聞いたので、これを」

 マイルズはさっと従者に合図した。


 従者がなにやら大きな(かご)を持ってくる。


 バーニック伯爵夫人とメリッサが思わず身を乗り出してその(かご)の中身を見ようとした。

「何これ!? やだかわいい~ウリ坊? あれ、でも死んでる?」


「はい。モニカ様はジビエが好きと聞きまして!!!」

 マイルズはえへんと胸を張りながら得意気(とくいげ)に笑った。


「え? イノシシ?」

 モニカは思わず眉を(しか)めた。


 しかしバーニック伯爵は笑顔を作ると、

「おおっ! これはマイルズ殿! うちの娘の好物(こうぶつ)を知っているとは!」

大袈裟(おおげさ)にマイルズの手を取った。

「そうなんですよ、モニカは秋になるとジビエばっかり! 毎日でも食べさせてやってくだされ! なに、お金は心配なさるな、うちからたんまりお送りしますから! ジビエの(くら)を立てましょうぞ!」


 フランクはバーニック伯爵の態度にムカムカした。

(さりげなくお金のちらつかせて、どんだけモニカを押し付ける気なんだ)


 モニカも腹の中でキーっと怒っていた。

好物(こうぶつ)って、すご~く子供の時だけよ! あの日以来、ジビエでもイノシシ肉は食べないことにしたんだから! ってゆーか、なんでこいつが私の好物(こうぶつ)を知ってるのよ!)


 マイルズはモニカの(にら)みつけるような目線を勘違いして、

「あ、モニカ様。もしかして、なんで私がジビエのことを知ってるのかと驚いておられますか? ふふふふ。なんと今回、サスマン侯爵家のアルベルト様に聞いてまいりましたからね!」

と鼻を天狗(てんぐ)にして(のたま)った。


 その名を聞いて、モニカは凍り付いた。

 アルベルトがこいつ(求婚者)に好物とか教えたの!?

 いや、ちょっと待って、私がイノシシ肉食べるのやめたこと、アルベルトは忘れちゃったの?


 くそ、アルベルトめ!


「もう結構(けっこう)ですわ」

 モニカは体裁(ていさい)など全て忘れて、低い声で言った。


 そしてモニカはドレスをひらりと(ひるがえ)すと、呆気(あっけ)にとられるマイルズを置き去りにして、さっさと客間を出て行った。


「モニカ!」

 (あわ)ててフランクが後を追う。


「こら~モニカっ! 客人の前で!」

 バーニック伯爵は顔を真っ赤にしてカンカンに怒った。


 バーニック伯爵夫人は急いでマイルズに()け寄って(なだ)めようとした。

「申し訳ありませんわ! あの子だいぶ頭がおかしいんですの! でも普段はここまでじゃありませんのよ。どうぞ、どうぞ、あの子を見捨てず、さっさとマイルズ殿のグリーソン男爵領に連れてってくださいまし!」


 マイルズはこの展開についていけず完全に狼狽(うろた)えてしまった。

 なぜモニカはこうも気分を(そこ)ねたのか。何が気に(さわ)ったのか。


 それからマイルズはようやく何か言わなければならないと気づいたが、何を言っていいのかわからない。

「え……と」


(なるほどねえ)

とモニカの異母妹(いもうと)のメリッサはマイルズを見て思った。

(このどことなくズレてる感じね?)


 これなら女に縁がないのも納得だわ。

 あんまりモテないから、今回こうしてバーニック伯爵(みずか)ら名指しで娘を(もら)ってくれと言われて、有頂天(うちょうてん)になっちゃったんでしょうね。


 メリッサは「お異母姉様(ねえさま)もお気の毒ね」とふふと笑った。

 私ならこんな男性と結婚したらイライラすると思うわ。


 そのとき、バーニック伯爵夫人が

「マイルズ様?」

と小声で話しかけた。


「あ、すみません、はい」

 マイルズはおずおずと答える。


「あの、もしよろしかたら、こちらを……」

 バーニック伯爵夫人はマイルズの手に何やら(にぎ)らせた。

 そして耳元に顔を寄せるとさらに小声で言った。「()(ぐすり)ですわ。結婚は決まっているのですもの。いがみ合った夫婦生活など嫌でしょう? 多少、薬に頼ってもよろしいんですのよ?」


 マイルズはがばっと(はじ)けるように飛び上がると、バーニック伯爵夫人から離れた。そして誇りを傷つけられたように(にら)みつけた。

「とんでもない! こんな(モノ)には頼らない。私はモニカ様に誠実に向き合って、きちんと正面から受け入れていただく!」


「あら」

 バーニック伯爵夫人はがっかりした顔をした。

 馬鹿正直(ばかしょうじき)め。


 しかしすぐに気を取り直すと、バーニック伯爵夫人はさも善人(ぜんにん)のように微笑(ほほえ)んだ。

「そうですわね。でもこれは恋のお守りとしても使えますのよ。どうぞお持ちになって」


 お守りと言うのは嘘だけど、手元にあれば使う気になるかもしれない。

 バーニック伯爵夫人は心の中でいやらしく笑った。






5.

 さて、その頃自室に戻ったモニカは肩を震わせていた。

「アルベルトめ! 何なの! 私が本当にあんな男のものになればいいと思ってるの!」


「あんまりカッカしないで」

 フランクは心配そうな顔でそっとモニカの肩を抱いた。


「フランク! あんた、なんでしれっと私の部屋にいるのよ!」


「ええ! ダメなのかよ。(なぐ)めに来たのに」


「さっさと客間に戻ってあの男を追い出してちょうだい!」


「そりゃ喜んで追い出すけども」

 フランクは苦笑した。

「しかし一体(いったい)なんで急にあんな男が来たんだろうね?」


「お継母(かあ)さまよ。私を追い出したくてしょうがないの。アルベルトに期待していたのにそのアルベルトが結婚してしまったから、別の候補を探してきたんだわ」


「ちょっと、ちょっと、ちょっと! 俺は何さ。モニカの婚約者の(てい)でここに引き取られてるのに」


 モニカは無表情でフランクを見やった。

「なんであんたが私の婚約者なのよ! 冗談(じょうだん)も休み休み言いなさい」


「ええっ? 冗談なの、これ!? はあ……」

 フランクはため息をついた。


「とにかく、フランクはあの男を追い出してちょうだい。イノシシの死骸なんか持ってきて、バカにしてますと言っておいて」


「追い出すのは異論はないけどね」

 フランクはため息をついた。

「そろそろ俺のことも本気で考えてくれよ」


 モニカは手元にあったクッションをフランクめがけて投げつけた。

「誰が考えるか! フランクの(クセ)に!」


「投げんな! 分かったよ。まあ、行ってくるさ」

 フランクはもう一度ため息をついて立ち上がった。


 ちっとも俺のことは眼中にないんだな、とフランクは思った。

 どれだけ待てばいいんだ?

 でも、こうしてアルベルトがマイルズを()したということで、モニカも大分(だいぶ)アルベルトには失望しただろう。

 アルベルトはとっくに結婚しているのだし……。


 それにしても。

『追い出したいお継母(かあ)さま』

 そういうことか!

 たぶんバーニック伯爵夫人は、モニカを追い出して、俺とメリッサを結婚させて爵位(しゃくい)()がせるつもりだな。

 それであの気の毒なマイルズ・グリーソン男爵令息がやってきた、と。


 俺はずっとモニカが好きだった。『婚約者だから』といって引き合わされた可愛らしい天真爛漫(てんしんらんまん)な少女。

 しかし、すぐさま出現したアルベルトにモニカの関心は奪われ、モニカはアルベルトの名前しか呼ばなくなった。

 それでも、この思いは消えなかった。

 今更(いまさら)メリッサと結婚なんてできるか。


 とにかく、マイルズ殿には帰っていただこう。

 マイルズ殿にモニカを()るわけにはいかないから。恋敵(こいがたき)には消えていただく。


 フランクは、侍女から『先ほどの客間はもうお開きになっていて、マイルズ殿は晩餐(ばんさん)までの時間、別室へ案内されている』と聞いたので、そちらへ足を運ぶことにした。

 マイルズ殿に何と弁解しようかなどと頭を巡らせながら。


 フランクがその客室に辿(たど)り着くと、急に扉があいて、屋敷の使用人が飛び出てきた。

 使用人の(あわ)てぶりを見るとこの部屋の準備に少々()かりがあったようだ。


「おっと。マイルズ殿が気分を害されていなければよいが」

とフランクが思った時だった。


 扉の隙間(すきま)から、フランクの目に、異様な物が飛び込んできた。


 マイルズは客室の長椅子に腰かけながら、何か胡散臭(うさんくさ)そうな目で小瓶(こびん)を眺めていたのだ。


 あの小瓶(こびん)は!

 フランクは知っていた。

 バーニック伯爵夫人が、何かここぞというときに、手にしているのを見かけていたからだ。


 バーニック伯爵夫人の持ちモノ……。

 フランクは嫌な予感がした。


「マイルズ様!」

 フランクは思わず声を上げた。

 閉まりそうになる扉を礼儀もなく咄嗟(とっさ)に開けてしまう。


「おや? これは、え~っと、フランク様?」

 マイルズは目を丸くしながら、突然の訪問客の方を見た。


「大変失礼いたします。しかし、マイルズ様。お手持ちのモノは何でしょうか!」

 フランクは声を(あら)げた。


「ん? あっ!」

 マイルズは途端(とたん)にバツの悪そうな顔になった。

「いや、これは違うのだ。私のモノではない。バーニック伯爵夫人に渡されてね」


「中身はなんです」

 フランクは刺すように聞いた。


「ん? あ、ああ、()(ぐすり)だったかな?」

 マイルズはフランクの勢いに押される形で思わず素直に答えてしまった。


 周りの使用人たちが思わず手を止めた。


「なんですと!」

 フランクの目が()り上がった。

「マイルズ様、あなたという人は!」


「え!? あ、いや、誤解ですよ! 私はこんなものを使おうなどとは(つゆ)にも思っておりません!」

 マイルズはようやく事の次第(しだい)に気づいた。

 そして自分の()の悪さに(くや)しくなった。


「どうでしょうか。先ほどのモニカの態度ですからね。力ずくで既成事実(きせいじじつ)でも作ってしまおうとお考えになったのでは!?」

 フランクが()く。


「違う! 私は本当にそんなことは考えていない! ただ渡されたことを思い出して、ふと手に取り眺めていただけだ!」

 マイルズは弁解した。


 それはその通りだったのだと思う。

 この実直そうな男がそんなセコイ手を使うとは思いにくい。


 しかし、フランクはこれはいい口実(こうじつ)になると思ったし―――、『()(ぐすり)』なんて代物(シロモノ)をこの男が持っていることが気に入らなかった。


「バーニック家はそのような薬を使ってまで婦女を手籠(てご)めにする者を認めるわけには参りません。事は(おおやけ)には(いた)しませんから、どうぞ適当にお帰りくださいませ!」

 フランクは(だん)じた。


 マイルズは顔色を変えた。なんという(はじ)だろうと思った。

 この薬はバーニック伯爵夫人から手渡されたものである。()(ぎぬ)だ。なぜ自分がこのような汚点を作らねばならない。

「フランク様。これで私が帰れば、そのような(けが)らわしい小細工(こざいく)を私が(ろう)していたことになる。決して認められません」


「ほう」

 フランクは(にら)み返した。

「ではマイルズ様は我がバーニック家がそのような(けが)らわしい小細工(こざいく)(ろう)したと(おっしゃ)りたいのかな」


 マイルズはぐっと言葉に()まった。

 その通りなのだが、フランクの手前、バーニック伯爵夫人の名を(けが)すようなことは軽々しく言えない。

 バーニック伯爵家とグリーソン男爵家。

 マイルズには身分の壁もあった。


「私は口が堅い。黙っていますよ」

 フランクは言った。

(そもそもバーニック伯爵夫人(奥様)がやったことなのだから誰にも言えぬ。)


 そのとき、ようやくマイルズは、フランクの目の奥の意図(いと)に気付いた。なるほどおそらくフランクは、全部を分かっていて何か茶番(ちゃばん)をやっているのだ。


 それからマイルズは、モニカのさきほどの(かたく)なな態度を思い出した。

 モニカは私を容易には受け入れまい。

 ここはフランクに貸しを作って手を引いた方が得策のようだ。

「分かりました。そういうことに致しましょう」


 マイルズは腹を決めると、すぐさま使用人たちに「(くに)に帰るぞ」と告げた。

 ハラハラしながら話を盗み聞いていた使用人たちは、マイルズの言葉に一斉(いっせい)(うなず)き、帰り支度(じたく)を始めた。


 マイルズがモニカとの縁談を辞退するという話は、すぐさまバーニック伯爵夫妻に伝えられた。


 バーニック伯爵は暗い顔をした。しかしさきほどのモニカの態度を見て多少の覚悟はしていたので、あまり何も言わなかった。


 対して、バーニック伯爵夫人の方は金切り声をあげた。

「まあ、どういうことですの!? マイルズ様がお帰りになる!? ああ、昼間のモニカの態度ね!?」


(いやいや、あなたのせいですよ。)

とフランクも、あの場に居合(いあ)わせていた使用人も思ったが、()(ぐすり)の件についてはフランクが戒厳令(かいげんれい)()いたため、誰も何も言わない。


「まったくモニカときたら!」

 バーニック伯爵夫人は忌々(いまいま)しそうに唇を()んだ。

 追い出せないじゃないの。


 しかし、バーニック伯爵夫妻には特に何かできるわけではなかった。

 そうして、結局気まずいしこりを残して、マイルズ・グリーソン男爵令息は帰っていった。






6.

「旦那様。マイルズ・グリーソン男爵令息からのお手紙ですわ」


 サスマン侯爵家のアルベルトは、妻からマイルズの書状を受け取った。

 急にアルベルトの脈拍(みゃくはく)が速くなった。


 あの日、知人のマイルズが(ほお)を紅潮させウキウキしながらモニカとの縁談のコツを聞きに来た時から、アルベルトはずっと重い気持ちで毎日を過ごしてきた。


 (まん)(いち)モニカが結婚を受け入れてしまったら、モニカは本当に手の届かない人になってしまう。


(この手紙は自分の(おろ)かさを確認するためのものだ。読まねばならない。)

 アルベルトは頭を振って雑念を追い払うと覚悟を決めた。そして息と吸い込むと、かさっと手紙を開いた。


 そして、飛び込んできた文字に、心の中でガッツポーズした。

『婚約には(いた)りませんでした』『助言いただいたのに申し訳ない』


 よし。首の皮一枚つながった。


 アルベルトが手紙を食い入るように眺めているので、アルベルトの妻が「あなた?」と(いぶか)しんだ。


 アルベルトは視点の定まらぬ目をしていたが、やがて何かを吹っ切ったようにふっと妻の顔を見た。

 心配そうにアルベルトの顔を(のぞ)き込んでいた妻が、何かを(さっ)した顔をした。


「旦那様、今がその時ではございませんか?」

 妻が(やわ)らかい口調で言った。


「それは……」

 アルベルトは躊躇(ためら)っている。


「何を躊躇(ためら)ってらっしゃいます。期を(のが)せばもっと後悔なさいますよ。いろいろ嘘ばっかりだと怒っていらしったのはあなたでございます」

 妻は(さと)すように言った。


 アルベルトは言いにくそうに続けた。

「しかしそれはあなたに迷惑をかけることになる。やっとあなたはこうして平穏な日々を……」


「これは契約結婚だと申しましたでしょう!」

 妻が大きな声を出した。

「私たちは同志(どうし)です。もう。シャキッとなさいませ!」


 アルベルトはビクッとした。

 妻の目を見ると、妻は晴れやかな顔をしている。

「私の方も実は準備は整っておりますのよ」


 アルベルトは驚いた。

「そうだったのか!」


「ええ。ですから気兼ねなく暴れていらっしゃいませ」

 妻は力強くアルベルトの背中を押した。





7.

 さて、マイルズを追い返した次の日、今日も相変わらずサフラン畑で雑草抜きに(せい)を出していたモニカは、屋敷の家令(かれい)が息を切らして飛んできたのを見て、怪訝(けげん)そうな顔をした。


 家令(かれい)はモニカの前で一礼すると、息を整える前に、

「アルベルト様がいらっしゃいました!」

と告げた。


「は!? ア、アルベルト!?」

 モニカは一瞬ポカンとした。


 しかしその顔つきはどんどん険しくなり、最後には(にら)むように家令(かれい)を見ると、

「もう奥方がおられるアルベルトがわざわざ私に何の用です?」

と言い放った。


「それは(うかが)っておりません。しかし、もうじきにこちらに来られます」

 家令(かれい)は答えた。


 するとすぐさまあたりが少し騒がしくなって、アルベルトが従者を従えてこちらにやって来るのが見えた。

「本当にすぐじゃないの」

 モニカはアルベルトの姿を認めると、家令(かれい)に文句を言った。


「申し訳ありません。()めたのですが、アルベルト様は『無礼(ぶれい)承知(しょうち)』と」

 家令(かれい)は冷や汗をかきながら言い訳をした。


 しかしモニカは家令(かれい)の言葉は聞いていなかった。

 (まばた)きもせずただじっとアルベルトを眺めていた。


「モニカ!」

 アルベルトはモニカに駆け寄り思わず声を上げた。

「ずっと会いたかった」


 ……会いたかった?

 モニカは不審(ふしん)に思った。去っていったのはそっちでしょ?

「アルベルト様。今日は何の御用(ごよう)? マイルズ様のこと? その件はとっくに御破談。何の弁解(べんかい)もいりませんわよ」


「アルベルト『様』だなんて他人行儀(たにんぎょうぎ)な言い方しないでくれ」

 アルベルトはムッとした顔で言った。


「あら。だって3年も会ってませんのよ、もう赤の他人だわ」

 モニカはわざとつっけんどんな言い方をした。


「赤の他人ね。そうかもしれないな。この3年であなたはたいそう美しくなった。別人のようだ」


「まあ! そんなことを言うの! あなた、本当に残酷(ざんこく)ね!」

 モニカはいっぺんに丁寧な物の言い方が消し飛び、辛辣(しんらつ)言葉遣(ことばづか)いになった。

「私を捨てて行ってしまったくせに!」


「捨てて行ったとはまるで私が悪いような言い方じゃないか」

 アルベルトは憤慨(ふんがい)した。

「迷惑しているから出て行けと言ったのはそっちでしょう」


「はあ!?」

 モニカは頭を殴られたかのようなショックを受けた。

「何それ!? 誰からそんなことを!?」


 アルベルトは急に眼を鋭くした。

「あなたのお母上に。従弟(フランク)と結婚させ爵位(しゃくい)()がせるのは決まっているのに、私がいてはモニカの決心がつかず、モニカが毎日思い悩んでいると」


 モニカは首を大きく横に振った。

「その話、ぜっっったいに、あり得ないわ! あの人(継母)は私を追い出したがっているもの。メリッサに爵位(しゃくい)()がせたがっているわ。マイルズ様の件もあの人(継母)首謀者(しゅぼうしゃ)よ。あなた(アルベルト・サスマン)なんて大歓迎のはずよ!」


 アルベルトはハッとして、モニカの()をじっと見た。

 モニカもアルベルトをキッと見返す。


 それからアルベルトは(うなず)いた。

「確かに変な話だったのだ。私が身を引けば従弟(フランク)との結婚が(まと)まると聞いていたのに、3年もその話が出ないうえ、急にマイルズ殿の話が浮かび上がったものだから」


 それからアルベルトはふっと地面の紫色の花に目を落とした。

「……これは、サフランだね? バーニック家のサフランは王都でもよく噂に聞く」


「そうよ」

 モニカはふんっと鼻を鳴らした。

「昔大好きだった男の子がくれた花なの。思い出とともに大事に育ててきたわ。だけど、その相手が結婚したという話を聞きまして。焼き払ってしまおうかと思っているところよ」


 ぺかっと光る紫の花がモニカの足元で風に揺れた。


 サフランの花からは赤いめしべが顔をのぞかせている。


 モニカはそのとき、はっと気づいた。

「分かった。あいつだわ」


 アルベルトも(うなず)いた。

「ええ。バーニック伯爵夫人からと言付(ことづ)けたのはあいつです」







8.

 そのとき、二人の背後で飄々(ひょうひょう)とした声がした。

「やあ。これは良いサフランでしょう? この品質ならクレオパトラも喜んで入浴しますよ。おたくの奥方にもどうです?」


 それはフランクだった。


 フランクはアルベルトとモニカに近寄り、(あいだ)に割って入った。

 アルベルトをちらりと見て、君には妻がいるだろ、と牽制(けんせい)している。


 モニカは肩を震わせた。

「あなたがアルベルトを追い出したの」


 フランクはそっと目を()らした。

「さあ。何のこと。」


 モニカはまた声を(あら)げた。

「何のこと、じゃないでしょ!」


 フランクはモニカの方を向いた。

「さっぱりなんだけど」


 しかしモニカは疑惑の目をしたままだ。フランクはため息をついた。

「モニカ。もうアルベルトは結婚してる。今更(いまさら)言ってもどうにもならないだろ」


 そのときアルベルトが口を(はさ)んだ。

「いや、どうにもならなくない。そういうことなら私が離婚すればよいだけの話だ。妻とは『形だけの夫婦』だから」


「は? 離婚?」

 フランクは思わず口をポカンと開けた。


「ええ」

 アルベルトは険しい顔をした。

「あのときは私も若かったから、モニカが幸せになるためなら身を引こうとも思ったがね。どうやら、モニカが私に身を引いてもらいたがっていたのは嘘だったようだ。それなら身を引く理由はないよ」


「いや、だからって離婚なんて。いくら『形だけ』でもそんなあっさり急には」

 フランクは少し(あせ)った。


「いや、モニカが私の求婚を承諾したと今の妻に伝えれば、ものの一時間で離婚が成立するだろう。モニカとのことは誰よりも応援してくれているからね。私たちは、難しい恋に身を(やつ)した自分たちを(なぐさ)めあう同志だから」

 アルベルトは呆気(あっけ)にとられた顔のフランクを面白そうに眺めた。

「今の妻の方もね……。ははは、近々政変(せいへん)が起こるかもしれないよ。これ以上は言えないけど」


 それからアルベルトはモニカの方を向いた。

「悪かったね、モニカ。マイルズ殿の縁談話を聞いたとき、よっぽど自分が立候補しようかと迷った。しかし横入(よこはい)りもあまりに無粋(ぶすい)で。代わりにイノシシを届けたけどどうだったかな?」


「まあ! イノシシはあなたの(いや)がらせだったの!?」

 モニカは目を見張った。


「そうだよ。モニカはきっと気分を(がい)すると思ったからね」

 アルベルトはうまくいったとばかりに、にっこり笑った。


 フランクは顔を(しか)めた。

「今日はアルベルト様は何しに来たんです。まさか本当にモニカに求婚するつもりで?」


「うん」

 アルベルトは大きく(うなず)いた。


 フランクの目つきが険しくなったが、冷静に言い返した。

「モニカは俺と結婚してバーニック家を()ぐ。あなたの出る幕はありません」


「うん」

 またアルベルトは(うなず)いた。

「そうだったんだけど……でも、今は私もバーニック伯爵には手土産(てみやげ)があるから」


手土産(てみやげ)?」

 フランクは息を()んだ。


 アルベルトはまたにっこり笑った。

「私の今の妻の実家はバーニック伯爵領の隣。自殺未遂までした娘(私の今の妻)を嫁にもらってやる代わりに、我がサスマン家が持参金でいただいたのは、ここバーニック伯爵領を(うるお)すラテリア川の水源地帯。バーニック伯爵がずっと欲しがっていた制水権(せいすいけん)をなんと土地ごとだ。今の妻との偽装結婚(ぎそうけっこん)も意味があったんだよね」


偽装結婚(ぎそうけっこん)……」

 フランクは(うつ)ろな声で繰り返した。が、ハッと気づいた。

「いや、逆にそんな持参金もらってちゃ、離婚できないだろーが!」


「まあ、それはできるんだ。妻の方も私との偽装結婚(ぎそうけっこん)で……いや、まだ言えないな。でも、とりあえずたぶん、あんまりあの人(私の今の妻)は敵にしない方がいい、ははは」

 アルベルトはあっけらかんと笑った。


 フランクは話が自分に不利な方に進むのでだんだん青ざめた。


 アルベルトは微笑(ほほえ)んだ。

「ところで、フランクとも久しぶりだね。元気にしてた? モニカと一緒にサフランを育ててくれたんだね」


 フランクは何も答えず、凍り付いた目でアルベルトを睨んだ。


 そのときふとモニカが声を上げた。

「でも、あなたが去ったあの日、なんであなたはサフランを私に手渡したの。あの(さわ)に咲いていたのはイヌサフランだったでしょう」


「ああ、気付いてたんだね」

 アルベルトは面白そうに笑った。

「イヌサフランは毒草だ。食べりゃ人が死ぬからね。庭に植えるわけにいかないだろ」


「『庭に植える』って。私が植えると思ったの?」

 モニカは胡散臭(うさんくさ)そうにアルベルトを見た。


「思ったよ。確信があった。サフランは私からバーニック家への、せめてもの(いや)がらせだよ」

 アルベルトは笑った。

「紫の花が咲いてるうちはモニカは結婚する気にならないんじゃないかってね。価値がある花ならみんなも世話するだろうし。そうしたら、その通りになった!」


 フランクはぎゅっと(くちびる)()んだ。

 こいつの思い通り?


 モニカは少し悔しそうな顔をしたが、観念(かんねん)したようにふふふっと笑った。

策士(さくし)ねえ」


 それからモニカはフランクを振り返った。

「ってことで、私アルベルトと結婚するわ! あんたはバーニック伯爵家を()ぐ大事な人だから、私はこれ以上何も言わないことにするわね。メリッサ(異母妹)をよろしく!」


 フランクはじっと黙っていたが、やがて盛大なため息をついた。

「はああああ。こんなことになるなら、泣き叫ぶおまえでも何でも、さっさと抱いときゃよかった! 既成事実(きせいじじつ)さえ作っちまえば、こっちのもんだったのにな!」


 アルベルトは目を()いた。


 フランクはそんなアルベルトを(うら)めしそうに見た。

「そんなに怒るなよ。うまいことあんたを追い出したのに、あんまり毎日モニカがあんたの名前を呼ぶから、手を出せなかったんだ。俺の気持ちも分かれよ。ササっと横から()(さら)いやがって!」


 アルベルトは正直に目を落とした。

「まあ、その気持ちは分かる。私も婚約が約束されていた君や……今回のマイルズ殿には……全く同じ気持ちにさせられたから」


「共感しちゃだめじゃん!」

 モニカが突っ込んだ。


 アルベルトは首を振った。

「いいんだよ、モニカ。でもフランク、祝福してくれよ。3年待った俺たちの気持ちを()んでやってくれないか。絶対に幸せにするから」


「嫌だと言ったら?」

 フランクが聞くと、


「イヌサフランを盛る」

とアルベルトは即答した。


「こらっ!」

 モニカが突っ込んだ。


「いや、嘘だよ」

 アルベルトはにっこりした。


 フランクはふうっと息を吐いた。


お袋(バーニック伯爵の妹)親父(ランバート子爵)と離縁してそれぞれが別の人と再婚したから、俺にはもう帰る場所がない。バーニック伯爵家にいられるだけマシなんだ。できればそれがモニカの横だったらと夢見ていただけさ」


「フランク……。ごめんなさい。あなた本当の本当に、本気だったのね」

 モニカは申し訳なさそうに言った。


「これだもんなあ」

 フランクは苦笑した。

「いいよ。分かったよ。アルベルトとくっついてしまえ。俺はおまえにも、バーニック伯爵(叔父)夫妻にも世話になってるからな。これ以上駄々(だだ)()ねない」


「ありがとう、フランク!」

 アルベルトは嬉しそうにフランクの肩を叩いた。

「それで、私の今の妻が近々起こすだろう政変(せいへん)なんだけど、バーニック伯爵家の乗り切り方を教えるから……」


「おいっ! 待てっ! さっきから気になってたんだ! おまえの妻が起こす政変(せいへん)って何だよ!」

 フランクはもう我慢できないと、アルベルトの言葉を(さえぎ)った。


「あ、いや、それはまだ言えないんだけど……」

 アルベルトは笑顔のままだ。

「あと、『妻』じゃなくて『今の妻』ね」


「くそっ! もう、ややこしいな! 言えないのに乗り切り方は教えてくれるのかよ」

 フランクはイライラした。

「それから、俺はこのサフラン畑はどうしたらいいんだ?」


「私の思い出にしてよ」

 さらっとモニカが言った。


「死ね」

とフランクは返した。

「こんな手のかかる草、正気じゃねーわ」


「そうか。じゃあ、遠慮なく、球根は全部掘り起こさせてもらうから」

 アルベルトはにこっとして言った。

 それから小声で、

(残ってたらメリッサ殿のご不興(ふきょう)を買うでしょうからね。)

といたずらっぽく言った。


「死ね」

ともう一度フランクは苦々しそうに言った。

「傷心中に別の女の名前を言うんじゃねーよ」






9.

 こうして、アルベルトは今の妻と円満離婚をし、モニカは無事アルベルトと結婚することになった。


 そしてフランクはおとなしくモニカの異母妹(いもうと)のメリッサと結婚することになった。


 バーニック伯爵夫妻とメリッサの喜びようといったら半端なかった。


 しかし時を同じくして国王陛下の隠し子スキャンダルをきっかけとして、大規模な政変が起こった。国王に隠し子が見つかり、王妃一派の圧力により(みそぎ)という形で国王が退位させられそうになったのだ。しかし、実はその隠し子が過去に王妃一派によって暗殺されそうになっていた証拠が次々と出てきて、王宮貴族の世論が割れ勢力図が大きく変化、結局王妃とその一族が更迭(こうてつ)されるという事態になった。アルベルトの元妻が言っていたのはこのことである。まあ、これはまた別の話なのだが――。


 とにかく、サスマン侯爵家とバーニック伯爵家は、みごとこの政変を切り抜け、賢く領地を荒廃から守ったということだ。

 この両家の領地には、こっそりサフランが植えられている―――。

最後までお読みくださりありがとうございます!

とても嬉しいです。


柴野いずみ様主催の【スパイス祭り】参加作品です。


サフランというスパイスは紀元前から使われている香辛料で、今でもパエリアとかカレーとかに入っています。

色や香りの他にも美容やら何やらに効果があると信じられていて、昔はクレオパトラがここぞという日にサフランの湯で入浴したという伝説があるそうです。


お話にも出てくるイヌサフランは、サフランと咲く時期も花の色・形も似ていますが、サフランとは違う花です。

サフランは自生していないのに対して、イヌサフランは自生しているし湿地でも育つということで、このお話ではイヌサフランが出てきます。


イヌサフランはコルヒチンという毒物を含んでいる毒草なのだそうです(日本でも稀に中毒で亡くなる方がいるそうです)。

口に入ると危ないので、アルベルトはモニカに託す花として、イヌサフランではなくサフランを選びました。似ている花で代替したのです。安全を最優先したのですね。


以上説明(ネット情報)が長くなりまして、申し訳ありません。


こちらのお話、もし少しでも面白いと思ってくださり、ご感想やご評価をいただけましたらとても励みになります。

最後までお読みくださりありがとうございました!

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イラスト: ウバ クロネ
― 新着の感想 ―
[良い点] ストリーに意外性があり、面白かった [気になる点] すごく面白く読んでたのに、最後が簡単にいなされたかんじで消化不良。政変? 今の妻はどうなったの?  フランクは伯爵家を乗っ取るのではなか…
[良い点] 「スパイス祭り」から拝読させていただきました。 中編ですが、最後までお話が二転三転。 展開が読めませんでした。 楽しませていただきありがとうございます。
[一言]  フランク派だったのですが、まさかの結末に。サフランが、勝敗を分けましたか……。ターメリックライスも好きですけれど、サフランライスもいけます(お話が逸れました)。  主人公が幸せなのだから、…
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