第4話 僕と、あの子と、ポチ袋 ①
夕暮れ時の、寒い寒いコンビニ前で、
「昨日はありがとね」
彼女がそう言って、可愛いポチ袋を手渡してきたもんだから、僕は手を伸ばした。
こちらがありがとうというのはおかしいけれど、助かった。これでいつもの生活に戻れると、その時の僕は手放しで喜んだ。その時までは。
――金を貸すときはあげるつもりでやれ。
もはや常識になりつつあるフレーズだけど僕の場合もやっぱりそうで、明日になれば、もしかすると例のアイス代が返ってくるかもなんて甘い考えは、いざその日になると、ものの見事に露と消えた。
朝も早よから今か今かと緊張しながらも、出来るだけ平静を装いつつ、何食わぬ顔で登校したわけだけど、なんてことはない。取り越し苦労とはこの事か。
こちらの心持ちなんて当の彼女にはドコ吹く風。
おはよーと元気な声からはじまり、またねーとサヨナラ。朝から夕方まで、授業中以外はいつものようにクラスの人気者達でコミュニティを作り、おしゃべりに花を咲かせっぱなし。
対する僕はというと、いつものようにクラスの隅っこで息を殺し、騒がず目立たず、ひっそりと。
たまに来る友人達と、やれ、どこそこのカードショップでお目当てのカードが安く買えただの、今期のショップ大会は景品が良いから全力だの何だの。まるで、誰某の暗殺計画を企てる日陰者のような内緒話。
その際、昨日出たマンガ雑誌のネタバレを当たり前にくらい、酷くムカっ腹がたったが、その一点に関しては昨日の僕の重大なプレミが原因なわけで、口惜しいことに不平不満を言える立場にはいない。泣く泣く聞き役に徹したわけだ。
予想どおり、例のラブコメマンガが今週は神回だったらしく、鼻息荒く盛り上がる友人達を横目に、僕がダンマリだからね。友人達もどうしたんだと不思議がってはいたが、読んでないんだから語れないし、それに、昨日起きた彼女の一件は伏せるしかない。
恨み言のように話したところで、友人達が代わりに取り立ててくれるわけでもなければ、バカだなお前、そんなときは走って逃げろくらいに笑われて終わりなのは目に見えている。
そんなこんなでマンガのネタバレを除けば、特にこれといった波風の一つも立たず、今日という日がいつもどおりに終わりそうなわけだ。
――白状すると、ほんのちょっとの淡い期待が僕の中にはあった。
あの時、彼女はハッキリ『貸して』と言ったし、僕も『奢る』とは言ってない。
だからあのアイス代は貸し借りとして成立しているわけだ。
きっと。おそらく。たぶん。
となると、借りたものは返すのが当然で、その際に、もしかするとお礼の一つも添えられて、合法的にあんな美人のクラスメイトとお話が出来るかもしれない。そう夢見たわけだ。
僕の周りのヤツらなら、天地がひっくり返ってもそんなことあるもんかと、腹を抱えて笑いそうだけど、――良いじゃないか。こんなしょうもない僕だけど、たまには女子と話したくもなるんだよ。
なんてたって僕は男子高校生。女子に興味が無いと言えば嘘になる。
そりゃ僕だって、バニラブさんと定期的にお話ししてるわけだから、それ以上を望むのは贅沢だってのはわかる。でも、違う。違うんだ。だってバニラブさんは天使なんだもの。
神様が誤って地上に誕生させてしまった奇跡の子に、なにが女の子とお話しがしたいだ。そんな思春期に塗れたクソみたいな劣情を抱くのは僕的に最大の禁忌。
だからこそのガス抜きとでも言うのだろうか。
その分不相応な感情が間違って暴走しないように発散させる。なんて言い方すると、有らぬ方向に語弊が生じるだろうけど、簡単に言えば、同世代女子との適度な楽しい会話ってのがあらゆる粗相を防ぐ特効薬であり、男の子としても憧れているし、その機会を欲しているわけさ。
モテない男のモテない所以がココに全て詰まっている気もするが、まぁいいさ。笑いたければ笑え。
ここまで聞くと、それならば攻めろと。そんな受け身で待つよりも債権者なんだからガンガン行くべきだ。お金の取り立ても、女の子との会話も一気に片が付くだろうと。そういう過激派もいるだろう。
でも、それはそれでちょっと待ってもらいたい。
自分から代金を返してくれと、そう言えれば話が簡単なことはわかっちゃいるが、今一度話を蒸し返すようだけど、僕と彼女には、大きな格差という壁がある。
大名行列を横切れば、ズバッと無礼討ちにあう。それがわかっていながら突っ込むバカはいないだろう?
さらには、あの手の人種はいまいち挙動がつかめないところが多過ぎて、今までにも、カウンター気味に論点のずれた見当違いなウザ絡みが火を噴くシーンを、ことあるごとに目にしてきた。
そうなれば、どっちが悪いかなんて根っこからうやむやにするのがヤツらの手口だからね。最悪、こっちが悪者にされて酷い目に遭ったなんて話は、ちょっと探しただけでも腐るほど出てくる。
あのクラスメイトがそんなことをするかどうかなんて、この薄い関係性ではわかりようも無いのだから、なおさら警戒するに越したことはない。
現実には、こんな陰キャに彼女みたいな陽キャのボスが直接どうこうってのはありえないだろうから、これこそ取り越し苦労というヤツだろうけど、まぁ、あれだ。皆まで言うな。
陰キャの長い僕ですよ。釈迦に説法とはまさにこの事で。
簡単に言えば、本音と建て前ってヤツだ。
彼女が皆の前で堂々と僕に話かけてくる。そんなことが夢のまた夢なんて百も承知だし、そもそもが、万が一にも衆人環視の元でそんな大胆なことされた日には、僕のガラスのハートが粉々に砕けちる。
脳内ではラブコメ的なお約束を夢見てはいるが、僕ら陰キャ、日々現実を噛みしめて生きているからね。高望みはしない。
理想は、マンガやアニメのボーイミーツガール的な展開。
でも現実は、変に目立てば、『アイツ最近調子ノってね?』からの不登校まで追い込まれる、そんなスーパーコンボが即発動。
今まで日陰に生きてきた側からすれば、強い光は毒だし、お日様の下を自由に生きてきた側からすれば、そんな湿ったヤツら、鼻に触るらしい。
あとはまぁ、ここだけの話。
恥を忍んでこっそりと打ち明けるが、朝からちょこちょこと彼女の様子を盗み見ているわけだし、相変わらず、その綺麗な横顔に見惚れてしまいそうになってるわけで、まるでストーカーみたいな行動に、自分でも気持ちの悪いことしてるなって自覚はあるのだから余計にこちらからはいけそうに無い。
あらかじめ下駄箱や机の中にでもお金を入れておいてもらえれば万々歳だったわけだけど、僕より遅く登校してきた彼女だ。そんなタイミングなんてありゃしない。
どう転んでも、彼女は厄介な女の子ということだろう。
どの手札を切ったとしても、解決には至らない。ならば、僕としても、夢見つつ、妄想しつつも、相手の生息域に無遠慮で入り込みはしない。
陰キャを長くやっていれば自ずと身につく基本スキル。これが常に発動しているとでも言うべきか。
余計なイベントなんて起こすべきでは無いと、彼女が行動に移しやすいよう、こうやって朝から待ちの姿勢を貫いたわけだ。
まぁ、結局の所、特筆すべき事なんざ起こりゃしなかったのだから笑い話にしかなりはしない。
ただ、何から何まで空振りだったわけではなくて、……これは強がりかな? 強がりだろうね。
気のせいかも知れないけれど、ほんの数回だけど、目が合ったことだけは言わせてくれ。
でも、だからなんだという結果で終わるのだから、笑い話か。
こっそりと見る僕の目と、あの形の良い瞳がバチリと合いはするんだけど、でも、その都度さっきまでのニコやかな表情を一瞬で真顔に変え、プイッと視線を逸らされてしまう。
わかっちゃいたけれど、あぁそうかい。
陽キャから陰キャへのお手本のような対応だ。見事としか言えないさ。
まったく。なんだあの態度は。と思いはした。アレが借金をしているヤツの取る態度かね。睨みつけてやろうか、とさ。
ただ、腹を立て感情のままに行動したとして、彼女との諍いが向こうの連中に気づかれればこちらが倍返しの血祭りに合いかねないわけで、全くもって賢いプレイングではないわけだ。
とにかく、根暗が一方的に気を張って、無駄に疲れるばかり。あれよあれよと下校の時間になってしまった。そういう事だ。
ただアイスを買った人間と、そのアイスをもらった人間。それだけの間柄に、何を期待していたのかという話。
ウダウダと言い訳ばかりの前振りだったけど、とどのつまりがその程度。
遠くから聞こえる学校のチャイムを背に、あ~あ、と気怠さのまま、冷える帰り道をひとりトボトボ歩いて行く。
赤紫色の空に、どこからかカラスの声。ほうと吐いた真っ白な息に、妙な敗北感が混ざる。
今日一日のことを、我ながらよくもまぁこうもクドクドと思い返せたもんだ。こういうタイプが社会に出れば真っ先にハゲて心を病むのだろう。
人生ラブ&ピース。みんな違ってみんな良いはずなのに、なんだか昨日から僕だけその円環のなかからはじき出された気がしてならない。
アイスはカツアゲされるし、バニラブさんとも変な空気になっちゃうし。
こんな日は、いつもの玩具店でカードのストレージでも漁りながら、日中に起きたイヤなモノを全てキレイサッパリ忘れ去りたいものだけど、皆まで言うな、今の僕には金が無い。
虎の子がいくらかありはするけれど、それに手を付ければ今月末に出る新弾のカードが買えなくなる。
あぁダメだ。それだけは避けないといけない。
もし買えないとなると、もはや恒例ともなった、バニラブさんとのパック開封がお流れになってしまう。
カメラ越しだけど、毎回バニラブさんと楽しく盛り上がれる僕の中では大切なイベントなんだ。中止ともなれば悔しさで気が狂いかねない。
だから、きっと無意識だろう。……足の向くまま気がつくと、まさかまさかでもう店の前なんだ。
日頃の刷り込みというか、反復練習というか、考え事をしながらでも到着するのだから、もはや身体が覚えているのだろう。我ながら、余計なことをと歯ぎしりをひとつ。
さらには、ほら見たことか、だ。
そもそも結局入らずじまいなのだから、行かなきゃ良いものを、大きな窓越しに見た店内では、チクショウ。馴染みの顔が、皆、楽しそうにプレイしていた。
胸の躍る喧噪と、独特な空気感。こんなワクワクの濃い店、カバンに入ったお気にのデッキと僕の右手が疼いてしまう。
でも、今の僕にはガチャポンを回す金すら無いのだから、はなからお金を落とす気の無い人間はお店的にも邪魔なだけ。
知り合いに見つかれば店内に呼ばれるだろうし、言えば誰かしら席代くらいは貸してくれるだろう。だけど、お金の貸し借りで嫌な気分になってしまっているわけで、なおのことそれだけは避けたい。
はやる気持ちをムリヤリ抑えこみ、逃げるようにその場を離れ、――同時に何だかどんどんと腹が立ってきた。
今日一日、あぁも感情的になるなと自分に言い聞かせてきたけれど、なんだこれは。無駄に遠回りしただけの最悪な放課後となってしまったのだから、我慢にも限界がある。
金も無ければカードでも遊べない。ないないづくしの悪循環。
自分のまいた種的な側面もあるけれど、それでも、僕だけが悪いわけでは無いはずだ。不公平だ。
別にモノに当たるわけじゃ無いけれど、小石を探す。
今日みたいに学校でイヤなことがあった日や、カードの大会で手札事故を起こした日。がっつりメタゲームを食らった日なんて特にそうだ。
小石を壁に蹴りあてながら帰路につく。この石蹴りは僕の精神安定剤のひとつかもしれない。
これでも運動神経は並くらいはあると自負しているからね。さらには小さな頃からこんな性格なんだ、外に出せない鬱憤は数え切れるもんじゃない。その都度、コツンコツンと小石を蹴ってれば、イヤでも上手くもなるさ。
親からは、いい年して拗ねてるみたいだからヤメなさいとも言われるけども、
「――あぁ、くそ」
普段なら同じ石コロを自宅まで蹴り進めることができるのだけど、――今日はダメだ。何をしても上手くいかないようだ。
もう少しでゴールというそんな位置。例のコンビニまで来たところで、僕の石コロは路面で見事にイレギュラー。無慈悲にも、側溝へと吸い込まれてしまった。
ええい、忌々しい。
辺りを見渡しても手頃な石は落ちていない。家まではあと十分ほどだけど、不完全燃焼だな。余計に腹が――
「――子供っぽいことやってんじゃん」
夕闇が迫る町に、聞き覚えのある声がほのかに響く。――それは、とてもキレイな声だった。
確かに油断はしてたし、腹に据えかねた感情で視野も狭くなっていたけれど、とっさに見た声の先は、駐車場の出口の端。
「よっす」
車除けのポールに腰掛けるようにして――彼女がいた。