第11話 やりました! やったんですよ! オタクが必死に! その結果がこれなんですよ! ③
それからしばらくの間は静かなもんで、終いには、……え、なにがそうさせたの? 控えめだけどご機嫌な鼻歌が聞こえてきた。
「あっ! これ知ってる!」
ふいにガチャリと金属音。
その聞き覚えのある音に、ゆっくりと、ただしさっきの珍行動な前例があるからな。警戒し、薄目で声のほうを覗き見る。
「ヤバ! 懐かしすぎてウケる! 日曜の朝やってたヤツだ」
僕の苦虫を噛み潰したような顔はドコ吹く風。彼女はとっくに美少女フィギュアに飽きたのか、今度はロボット玩具のコーナーへと興味を移していた。
そこは、幼少期から毎年集め続けるロボの群れが。これも、僕こだわりの並びで数段に別けて飾ってある。
そのちょうど胸の高さにあるひとつに、彼女は目を輝かせていた。
ロボの腕を恐る恐る動かして、そのたびに関節のクリックがカチリカチリと音を立てる。
ようやく自分の知っているものに出会えた喜びか、それとも当時の記憶を懐かしんでいるだけなのか、彼女は感嘆の声と共にどんどんと並んだロボに眼を滑らせていく。
「これとか小学校に上がる前にやってたよね。うっわ、チョー見てた」
次は一番下の段。めざとくなにかのロボットを見つけたのだろう。
さっきまでとは違う弾むような別ベクトルの声色に、これもオタクの特性なのだろうね。自分の趣味を相手も好きであれば、単純に嬉しい。
「その辺にあるのは、ちょうど10年くらい前のシリーズですね」
そうだよな。彼女だって、腐っても同世代。幼少期なんて、男子も女子も見てる番組はそう大差ない。
「もうそんな前か~。メッチャ好きだったな~」
彼女が次から次に動かしたロボットをもとの体勢に戻しながら、――持ち主としては、あまりこれらを素手で触って欲しくはないというのが本音だけど、まぁ、ヘタに注意して、万が一にも険悪な雰囲気になるくらいなら、今みたいに彼女がご機嫌でいてくれた方がマシだからね。
そもそも子供向けのロボット玩具はそう簡単に壊れるようにはできていないし、百歩譲って、ベタベタとメッキ部分に触れなければ無問題か。
「そうですn――」
どれどれ。次は何を見てるのかなと、胸を躍らせ――僕はこの日二度目となるだろう。
「っとぉ!!」
勢いよく、顔を背けた。
盛大に首の骨を鳴らしつつ、きゃー!! と、危うく僕は叫びかけてしまった。
「たしかさ~、黄色が女の子だったっけ~」
確かに下の方は見づらい。でも、しゃがめば充分に見える高さには作ってある。それなのに、
……なにがどうしたらそうなるのか。
無理に動かした首がズキズキと痛む。すぐにでも顔を正面に向け、酷使しすぎた首をねぎらってやりたい気持ちは山々だけど、スマン。今しばらくの辛抱だ、堪えてつかーさい。なんせ、
僕の隣。そのすぐ下の方。目と鼻の先にそれはあった。
「内容は全然覚えてないけどね~」
彼女が何か話かけてきているが、――ところがどっこい、今はそれどころではない。なんせ、なんだあれは。なんなんだ。アレはいったいなんだった?
すぐに目を背けたからまじまじとは見ていないが、あれは……そうだよな。あれだよな。
ピンク。まん丸としたピンク。
――そこには、大きな桃がフリフリと動いていた。
【尻】、臀部。ヒップ。今風に言えば、Hey Siri! といったところか。
やかましいわ、ボケ。
ゲキ寒のボケに対する、セルフつっこみ。現場における、僕の混乱のほどを誰かに受取って欲しい。
……まるで、ひなたぼっこ中のネコが、ぐーっと伸びをしたような体勢に近い。
両膝に手をついて眺める姿勢のせいで、立ち位置的に『それ』が堂々と僕に向かって突き出されていたのだ。
しかも、何度も言うが、今日はなんだってそんな格好してんだよ。
けっして大きくはないが形の良い、まん丸としたお尻が、ショートパンツ越しにハッキリとその姿形を見せて、それがフリフリと左右に揺れ……
「よいしょっ!!」
「きゃッ!?」
僕はかけ声と共に、自分の頭部をゲンコツでセルフ強打。
名付けるなら、そう。【煩悩退散パンチ】といったところか。
僕というヤツは、何処まで行っても、しょせんは男子高校生というわけだ。自分のリビドーを制御できていない。
鈍い音がした。グラングランと視界が揺れ、同時に、短くだけど可愛い声も聞こえた気がする。
まず間違いなく、突然の奇行に彼女は驚いただろう。隣の男が、いきなり自分で自分の頭を殴ったのだ。
ちょっとしたコブくらいは出来るかもしれない。それぐらいの勢いと威力はあった。
だけど、なんのこれしき、痛いが痛くない。矛盾だらけの感想だけど、脳裏に焼き付いたお尻の形に、――ダメだ、思い出すんじゃないよ。暴走したとあっては言い逃れできない。
もちろん、彼女にヒドいことはしない。するつもりもない。女性の感情や意見を無視して、それこそムリヤリってのは絶対にダメだ。
たまにラブコメで起こる、読者を曇らせる行動ナンバーワン(僕調べ)だ。
男として、美人を目の前にすればしかたない。大なり小なり当然の行動だとどこかで誰かが言ってはいたが、そんな三大欲求で動くヤツが、何を隠そう僕はもっともキライなんだ。
そういうヤツが出てくると、ストーリーに湿度が増して、悲しみが増える。
どの作者も、全ての作品をハッピーエンドにするばかりではないわけで、ストーリー上、良かれと思ったその展開に胸を焼かれ、脳を焼かれたことは一度や二度ではない。
抉れて爛れた心の傷は、簡単には塞がらない。長い間、ことあるごとに思い出しては、そのたびに心を腐らせていくのだ。
だから、僕は誓っている。絶対に女の子を傷つけない。
しかも、こちらは彼女に想い人がいることを知っている。一生懸命に、恋をしていることを知っている。
相手側の感情は、そりゃ、合ったこともないからさ、どう足掻いても読めやしないけれど、もしすると順調に時を重ね、キラキラな両片想いをこじらせているのかもしれない。
もしそうなら、なんと素晴らしいことか。まさにラブコメの王道だ。
最近は、マンガやアニメにおいての純粋なラブコメが減った気がする。時代がそうさせるのか、年々その手のジャンルが衰退しているようで、ひとつまたひとつと名作が完結していくばかり。
その割には、一向に増えない新作ラブコメというジャンルに、なぜなのかと悲しみを募らせる日々が続くなか、突如として目の前に舞い降りたのが彼女のラブストーリーだ。
不器用な少女が、意中の相手に振り向いてもらうため努力する。
ここまでは見事なまでに僕の妄想なのだけど、こんなにまで見目麗しい女の子だ。もちろん性格だって――うん。山あり谷あり紆余曲折はあるだろうけど、きっと彼女は相手の心を掴むはず。
その過程を、ラブコメ好きの僕だから声を大にして言える。そういう話を一ファンとして間近で見聞きしたいだけなんだ。
だからこそ、そんな最高のストーリーに、どうして間男が割って入ることが出来ようか。
とくにコレといって取り柄のないしょうもない僕だけど、かっこ悪いことぐらいは知っている。
これからのふたりにちょっかいかけようなど、無粋もここに極まれり。
アニメやマンガにおけるチャラ男やモテ男のような、そんな心を無くしたモンスター。もとい本能で動く猿のような、そんなあっち側の人間にはなるまいと、そう心に決めているのだ。
それに輪をかけて、今は階下に例のゴリラが構えているという、とんでもなシチュエーションだ。
もしかすると、今もあの閉じた扉の向こうで息を殺して聞き耳を立てているかもしれない。
そうなれば、何かあったら一発即死。
見たぞ聞いたぞと、弾かれた鉄砲玉のように飛び込んでくるだろう。そして、やっぱりやったか。いつかやると思っていたぞと、鬼の首を取ったように、嬉々として僕の事を腕力を持って断罪するだろう。
それならば、たかがゲンコツの一発。この程度の痛みで思いとどまれるのなら、それこそ力の限りである。悪しき心よ消え去れ、痛みと共に。
「……き、急になに。ビックリすんじゃん」
「すみません。蚊がいたんで」
彼女は、バネ仕掛けのように立ち上がりちょっとだけ後ずさり。
こんな時期に蚊? まだ早いっしょ。と、彼女は僕の突飛な行動を間違いなく訝しんでいることだろう。
「あのさー、急に大声出したりとかヤメてよ。アタシもわりかし騒がしいほどだけど、ちゃんと時と場所くらいは弁えてんだから」
「す、すんません」
どこかムッとした顔で、彼女の機嫌はどうやら斜め。
不意打ちとはいえ、僕なんかに驚かされたのだ。それが彼女の癪に障ったのだろう。
でもさ、そんな目をされましてもですね、アナタのお尻があまりにも魅力的で、なんて言えるわけもないだろう。僕は、無言を貫くよりほかはない。
「今度からは、マジで気をつけてよね。ビックリすると寿命が縮むのよ? 知らないの?」
彼女はまるで年下の弟でも諫めるかのように、眉尻を上げ、僕に剥けて指を差した。
まさか、彼女のような今風の女子に、こうもド正論で説教されるとは思ってもいなかったけど、確かに驚くと寿命が縮むってのは聞いたことがあるし、そのせいでこの子の貴重な一生が削れてしまったのなら謝罪してもしきれない。
でも、今日のこの一件に対しては、僕は自分の出来る最善の回避行動を取りました。これだけは胸を張れる。
「……ん?」
……それよりも。
僕は、ふたり落ち着きを取り戻しつつある部屋で、とある事に気がついた。もとい、――それはなんだと、戸惑ってしまった。
僕に向かって突き出された少女の細く長い人差し指、その握り混んだ左手に、なにやら見慣れたものが見えるのだが……。
「え、なによ。なんか文句あんの?」
僕はいまだ、ご立腹ですよと言いたげな彼女の顔を見て、次に、その左手に視線を動かした。
釣られるように目を動かした彼女の手には、
「「あ」」
……それは、約10年前に放映された特撮もの。当時、大人もハマった名作ストーリー。更には、その変形機構の素晴らしさから同年のおもちゃ大賞を総ナメにした一品。
「あの、……それ」
彼女の手にあったのは、その――ロボットの腕だった。
さっきまで彼女の触っていた玩具の右腕。おそらくは、僕が驚かせてしまった拍子に、勢いよく捥いでしまったのだろう。
まさか、ウソだろ。――ちょっと前に偶然目にしたリサイクルショップでの光景がフラッシュバックする。
仲の良い店員が『いいの、入ってきましたよ』ドヤ顔で、その表情が、流石にコレは持ってないでしょとマウントを取ってきたように見えて、……なーんだと。
僕はカウンター気味に勝ち誇ったんだ。
『いやー、流石に箱付きの完品しか持ってないですね』
その日その場所でショーケースに飾ってあったのは、状態こそ良かったが、箱なしの現状品。
まさかと驚く店員に対し、どうだ参ったかと、鼻高々とマウントを取り返したんだ。
その時の値札には確か、一、十、百、千、ま、……う、うぐぐ。どうしたことだ、本能がストップをかけているのだろうか、思い出したくないとでも言いたいのか、急に目の前が遠のいて見え始め……。
一瞬で、僕の部屋を静寂だけが支配した。
そんな水を打ったような静けさの中、ポツリと一言だけ。
彼女が、今にも消えてしまうかのような小声で、
「……高い?」
いかんせん、同世代のお財布事情は似たようなもの。
それを鑑みても、10年前に販売終了しているのだ。各家庭のあれやこれやで毎月のお小遣い額にいくらかの差違はあるだろうけど、レア度でパンプされたあの金額が、目の前の子にとって、安いだなんてあろうはずがない。
僕の雰囲気と、その顔色にただならぬものを感じたのか。二、三、口をパクつかせると、みるみるうちに顔から血の気をなくし、――彼女はゆっくりと回れ右。
ポニテを揺らしながら、さっきまで居たロボット棚の前に音も無くしゃがみ込み、
「き、気のせいじゃないかな~って……」
自分の身体で隠すように、ガチャリ。ガチャリ。
ちょうど彼女の背中越しでよく見えないのだが、……僕にとっては聞き慣れたその音が、何かをそこで少女が行っていることを伝えてくる。
……ちょっ、このっ、なんで、どうなってんのよコレ……。
続けて聞こえた声からは、消え入りそうな声量とはうらはらに相当な焦りの感情も伝わってくのだが、
……マジお願いだから、今だけでもくっついて。マジで。
この子、まさかとは思うが、この土壇場に来てまでどうにか証拠隠滅を図ろうとしているのか。ウソだろ、まだ、逃げ切れるとでも考えているのだろうか。
「だ、だってアタシ、なんにも触ってないし。そうよ、なんにも壊してな――ひぃいい!」
「っ!」
――それもまた、突然だった。
声を殺し、息を殺し、焦りを隠し、まるで何事もなかったかのように平静を装うと努力する少女だったが、それを台無しにするかのように、唐突に、ロボット棚のほうからけたたましい音が鳴ったのだ。
さっきまで彼女が口にしていた言い訳も、「ウソーっ!!」今度は引きつった叫びに代わる。
――あの子の身体の向こう側。
とっさに身を乗り出すようにして見ると、――彼女のいる位置から奥まで。長さとして1メートルちょっとか。数にして5シリーズほどのロボが見事なまでにドミノ倒しになっていくじゃないか。
お、おい。おいおい。おいおいおい!! 何やってんだ!
きっと、腕を元どおりにしようとした結果、隣のロボに手か何かが当たってしまったのだろう。一度バランスを崩したロボットはそのまま次から次に段々と。
倒壊を抑えようにも、ただでさえ狭い部屋だ。彼女の身体がジャマでそこまで行くことが出来ない。
あ、……ああ、……あああ……。
順番に倒れていくロボットの群れ。はじめこそ1体、2体と、彼女もしゃがんだ体勢からそれこそ全身を使って腕を伸ばしたが、……少女の悲痛な叫びも空しく、最終的に、そんな端まで届くわけもなく。
こうなったら、……もうダメだ。どっかのバトルマンガのような呻き声しか出てこない。
目の前で、一番端のロボがイヤな音と共に倒れた。同時に、
「ぐぇぇぇ……」
ベシャッっと力尽き、道路で干からびたカエルよろしく、諦めを告げる断末魔。……ついには床の上で、彼女はロボを両手に伸びきったまま寝そべるように果てた。
そのとき、僕はどうしてたかって? そりゃ、自分の城が音を上げただただ無情に崩れていく様を呆然と見てたさ。
――蒐集は一生、されど亡くすのは一瞬。
それらを手に入れたときの涙と努力と喜び。出会えた幸運に感謝したあの頃を思い出し、諸行無常とはこの事か。その儚さに、呆然と立ち尽くすより他なかった。
まともや訪れた静寂に、今度もイヤな雰囲気が積もっていく。
しんと静まりかえった部屋の中で、最後に、床の上で動けなくなったピンク色のカエルが、
「……ごめんなさいぃぃ」
ひーん。と、弱々しく鳴いた声だけが、どこかもの悲しく、そして、やけに遠くに聞こえた。




