第1話 キモオタに優しい女子高生などいない ①
暦の上では春なのに、夜ともなれば寒いのが、なんとも解せぬ今日この頃。
今日も今日とてのそのそと、背を丸めて歩く帰り道。吐く息のほのかな白さに眼鏡をやられ、まだまだ冬の底力を痛感する。
先だって入学を許された我が高校からは、クールビズはもうしばらく先だろうに、何をどうトチ狂ったのか防寒着の一切を禁止され、いまだ寒風吹きすさぶ日が続くなか、既製の学生服のみでなんの寒さをしのげようかと、酷く憤ったのは記憶に新しい。
『寒いというから寒いのだ』
ポツポツと街頭に照らされはじめた帰宅路で、ブルリと震えた身体をさすりながら、いつぞや誰かに言われた言葉を思い出す。
まぁ確かに、某かの言わんとせんところはわかる。
幼い頃は背が伸びるからと言われて牛乳を飲まされたし、今となってはそれが何かプラスになったのかと問われれば、背丈も平均くらいには伸びたから、何かしらの利点は有ったのではないかと言えるくらいには感謝している。
往々にして、プラシーボ効果とは少し違うかもしれないけれど、思い込みというものは案外バカに出来ないものだ。
今回のコレも、寒いという思い込みが自己暗示となり余計に寒さを感じ取ってしまう。おそらくはそういう事を言いたいだろうことはわかる。
重ねて言うが、確かにそれはわかる。
わかるのだけど。――そうは言ってもこの寒空の下だ。
わかっていても納得のいかないことはあるし、デモもヘチマもあるもので。
ならばなぜと、僕みたいなバカもバカなりに考えるのだ。
そう、ならばなぜだ。
なぜ、この昨今、世間様では温暖化温暖化と九官鳥のように繰り返していたはずなのに、一向に温かくならないのか。
賢い人に聞けば、こうこうこれこれと納得のいく説明が返ってきそうなものだけど、ええい、メンドクセェ。寒さで荒んだ心は、聞く耳なんか持っちゃいないさ。
もう四月に入ったというのに、ここまで寒けりゃあんなもんブラフの一種だろ。
いったいあれは誰に対してのプロパガンダだったのかと四方八方に恨み節を吐き散らす、そんなまだまだ肌寒く未だコートの手放せない季節に、――きっかけは、ほんの些細なことだった。
後から思うと、もしこんなにも寒い日が続かなければ、このきっかけも起きなかっただろうし、今日という日はもう少し緩やかに平坦に、つつがなく終わりを迎えへて明日になっていただろう。
それが意味があるのかないのか。僕にはこれっぽっちもわからない事だけど、――それは、一切の予告なく起きた。
もう19時を回る頃だろうか。そんな野暮用で少し遅くなった帰り道、とあるクラスメイトとコンビニ内で出くわしたのだ。
僕としては、今日発売のマンガ雑誌を買いに寄っただけ。あとは、ついでにシャーペンの芯でも買おうかなと、まぁ、本当にその程度の事だった。でも、
「――ねぇ、キモオタ」
勝手知ったる行きつけのコンビニで、ちょうどお目当ての商品に手を伸ばしたところ。――思えば、それが彼女から贈られた最初の言葉だった。
薄い財布と相談しながら、マンガのお供にスナック菓子の一つでも買って帰るべきか。家に買い置きがあれば大損だが、もしも無ければ最悪だ。後で後悔するくらいなら、今ココで買っておくべきか。
なんてマヌケに迷っていた僕の脳ミソは、ピタリとその動きを止めた。
なんせ、僕に向かって紡がれた声はあまりにも飾り気がなく、かつ、妙に聞き覚えがあって、そして、コンビニ内にとても良く通った。
「ちょっとさ、お願いあんだけど」
声につられて振り向いた先には、アイスコーナーの陳列棚が。
いつからそこにいたのだろうか。どこにでもある大きさの、言ったら手狭なコンビニの中。距離にして数歩の位置。そこに、――彼女がいた。
彼女の呼びかけに、すぐに返事を返そうにも、声なんて出やしない。
「お~い?」
だって、僕はこの子を知っている。
名前と声と外見以外はただのひとつも知らないのだから他人と言えば他人だけど、同じ教室でとても目立つ子なんだ。
俗にいうカーストや陽キャ陰キャで分けるなら、彼女は常にクラスの中心にいるキラキラ星から来たエリート。
片やこちらは教室の端で息を殺す毎日。キモオタと揶揄されるとおりの劣等種族一直線。
見てくれ? そんなもん、端から比べるまでもないんだからどうかやめてくれ。
向こうがちょっと今風な派手めの女神なら、僕は道端に転がる凸凹の石コロだよ。
そんな子が、なにがどうしてそうなったのか。いつの間にやら煙のように現れて隣に立っているのだ。
もちろんお互いに接点はないし、それこそ向こうは僕なんて認識していないと思っていただけに、驚いた。
教室ではあれほど騒がしいくせに、なんだってこの場に限ってはまるで霞のような静かさなのか。
こちらを見るあのぱっちりとした両の瞳に、通る鼻筋。手入れの行き届いた明るくふわふわなミルクティーブラウンの髪は毎日のように目にしているはずなのに。
それなのに、普段ならイヤでも目立つ彼女に、不覚にも、僕は今の今まで気づけずにいた。
「もしも~し?」
彼女は、教室とは違い緩く纏めたおさげを揺らし、整った顔をこちらに向けて、呆れたように「よっす」と、軽く手を振ってくる。
おそらくはこの近所に住んでいるのだろう。
お互いに、同じ高校へと通っているわけだし、なによりもこの狭い町内だ。行きつけのコンビニがバッティングするくらい、ありえることだ。別段驚くことでもない。
でも、温かそうなモコモコの部屋着に大きめのダウンジャケットを羽織っただけのラフな出で立ちは、大人びた教室内で見る彼女の雰囲気とは少し違っていて、その無防備な日常感に、何故だろう、心臓が跳ねた。
「返事くらいしなよ」
はい。おっしゃるとおりです。
見た目だけでも相当に悪いボンクラが、うんともすんとも言わないんだ。彼女は少しの苛立たしさを言葉に乗せてきた。
向こうとしては、クラスメイトに話しかけただけなのに、相手はダンマリなのだから気分のひとつくらい悪くもなるだろう。
はじめての会話で、大なり小なりのいざこざは世間一般的にはあまり褒められたものではないけれど、僕としても彼女の不機嫌は腑に落ちた。
その時僕は自分でもなんと言ったのかわからない、上ずった返事を返したはず。
そんな僕の挙動に彼女は何を感じ取ったのか、ふんっと面白くなさそうに鼻を鳴らし、「まぁ、どうでもいいけどさ」一言。
そして、
――ただいまの時刻、おおよそ19時半。
「お金、貸してくんない?」
突き出された手のひらに一切の躊躇はなかった。
「……え?」
行きつけのコンビニで、彼女は堂々とたかってきたのだ。