表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/17

7.暴風雪


▼首相官邸 (2月10日 18:00)



「いったい、どうなってるんだ!」


田辺首相の厳しい言葉に、気象庁の技官は首をすくめた。


「わかりません。いえ、起きたことは分かっています。南岸低気圧が突如、停滞して発達し始めたんです」


「低気圧が発達?それは予測できていなかったのかね」


「予報値では、南岸低気圧は、990hPaの気圧で、ゆっくりとしたスピードで太平洋東方へと移動する予想でした。それが降雪と同時に、八丈島南方に停滞して、気圧も下がり始めたんです」


午後4時過ぎ。


降雪と同時に猛烈な風が吹き始め、都内は視界がほぼゼロに近い状況になった。


いわゆる「ホワイトアウト」だ。


二時間近く経過した今も、その勢いは全く衰えていない。


「現在、気圧は970hPa。まだ下がり続けています」


「下がり続けている?」


首相の問いに、技官はごくりと唾を飲み込んだ。


「低気圧は発達し続けている、ということです」


猛烈な吹雪は、ほぼ一瞬で関東全域の交通網を遮断した状態になった。


秒速20mの吹雪はブリザードだ。


本来なら、こうした地吹雪は、積雪した雪が舞い上がって起きることが多い。

だが、今回は、降雪がそのまま吹雪となっていた。


気象庁は、慌てて特別警報を発したが、夕方の時間帯、多くの人々が猛吹雪の中にさらされることになった。


「で、いつ回復するんだ?」


「は?」


「だから、この雪はいつ止むのかを聞いとるんだ!」


首相はいらだっていた。


大雪になるとは聞いていたが、首都機能が唐突に混乱する状況は、想像していなかったからだ。


「…………分かりません」


技官は、しばしの沈黙の後、小さな声で答えた。


「この雪が、どれくらいで止むのか分からんというのか!」


技官は、覚悟を決めたような顔になった。


「申し訳ございませんが、このような天候は前例がありません」


「前例がない?」


実際、技官が得ている知識では、今の状況は起き得ないことだった。


「今回は南岸低気圧が原因で降雪しています」


「それで?」


「南岸低気圧は、温帯低気圧です」


「それがどうしたと言うんだ」


首相は、技官が何を言いたいのかが分からなかった。


「温帯低気圧とは、暖気と寒気が接触して作られる低気圧で、前線を伴います。

通常は、暖気がなくなることで前線は閉塞、低気圧は消滅することになります」


技官はホワイトボードに、簡単に図を書いて説明を始めた。


「それに対して、熱帯低気圧は暖気のみで構成され、前線を伴いません」


「熱帯低気圧というと、台風になるあれかね」


「そうです」


技官は、首相の言葉にうなづいた。


「熱帯低気圧の勢力が弱まると、寒気が入ってくることで温帯低気圧に変わります。

でも、その逆のパターンはありません」


「逆のパターンというと?」


「温帯低気圧が熱帯低気圧に変化することはない、ということです」


「だから何だと言うんだ!」


ついに首相は大声を上げた。


技官の説明は理解できるが、それが何を意味するのかが、首相には分からなかった。


「こ、今回、南岸低気圧は発達しながら、熱帯低気圧に変わりつつあるんです。信じられないのですが……」


首相の怒気に耐えられず、技官は口ごもりながら説明を続けた。


「八丈島の近海は今年、冬でも水温が高い状況でした。

ところが今日の昼ごろから、その海域の水温が30度近くまで一気に上昇したんです」


気象学の知識があまりない首相にも、技官が言いたいことがおぼろげに分かってきた。


「ということは何かね。今、その南岸低気圧は、本来常識ではあり得ない熱帯低気圧に変わりつつある、というのかね?」


技官の喉が大きく動いた。


「はい……海水の潜熱が寒気を押しのけながら上昇気流を生んでいることが衛星写真で確認されています。

さらに、偏西風が異常な蛇行を示しており、ちょうどその蛇行した間にすっぽりと挟まって動かない状況になっているんです」


技官は、ホワイトボートに、数字と文字を書き始めた。


「熱帯低気圧は風速によってトロピカル・デプレッション、トロピカル・ストーム、シビア・トロピカル・ストーム、そしてタイフーンに分類されます。

風速17.2メートル以上になるとトロピカル・ストーム、いわゆる台風と呼ばれることになります」


「で?」


「温帯低気圧は、どれだけ風速が早くなろうとも、元々の低気圧の仕組みが違うため台風と呼ばれることはないのですが、このまま今の海域に停滞を続けると、南岸低気圧が熱帯低気圧に変わり、さらに台風になる恐れがあります」


「もし、台風に変化すると、どうなるのかね」


「…………」


技官は、再び言葉に詰まった。


だが首相に説明しないわけにはいかない。


「現在、偏西風はちょうど関東地方と台風をUの字で取り囲むような流れになっています。

関東地方の上空には強い寒気が流れ込んでいるため――台風は、偏西風に囲まれ停滞したまま、雨の代わりに雪を降り続けさせることになります」


「台風が雪を降らす?そんな馬鹿な!」


「いえ。実際2013年10月には、台風26号が北海道に雪を降らせました。

いわゆる『雪台風』です」


首相は、台風が雪を降らすことがあることを、初めて知った。


「現在、風速は20メートルを越えており、万一、停滞した状態で熱帯低気圧に変わるようなことがあれば…………気圧は、理論上、900hPaを下回るかもしれません」


「それは大変なことなのかね」


「過去、日本の本土における最低気圧だった台風は、911hPaです。1934年9月21日に、高知県の室戸岬で観測されました」


室戸岬。


その名称に首相は聞き覚えがあった。


「まさか、その台風は――」


「ええ。室戸台風です」


室戸台風は、1945年の枕崎台風、1959年の伊勢湾台風と並んで「昭和の三大台風」と呼ばれた台風の一つだ。


その歴史的な台風を上回る規模となる恐れがあるというのか?


ようやく首相にも、事態の深刻さが分かってきた。


「では……」


「そうです。このまま南岸低気圧が停滞して、万一、台風に変わった場合、過去最大クラスの台風が関東全域に雪を降らせ続けることになります」


技官の声は震えていた。


「しかも推定では、風速20メートルを越える猛吹雪のまま、です」


首相の顔は、みるみる内に、青ざめていった。


「台風並みの風速を保った猛吹雪が、雪を降らせ続ける。そう言いたいのか君は?」


「そうです。それも今の場所に停滞し続ける限り」


猛烈な台風の最中、屋外での活動は大きく制限される。


今回は、それが吹雪として襲ってくるのだ。


屋外での活動は、制限どころか、一切行うことは不可能だろう。


「ただ、まだ確定したわけではありません。この後、低気圧が動き始めてくれれば、そのような事態には陥りません」


首相はしばらく沈黙した。


「では、いつ動き始めるのかね」


技官は答えを口に出すのをためらった。

さっきと同じ答えを言わざるを得ないからだ。


もちろん首相もその答えは分かっていて、あえて聞いたのだろう。



「分かりません」



技官は、下を向いて首を横に振った。



これからは火曜日と金曜日にアップしていく予定です。


次話「8.悪化」、明日投稿予定です。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] あああああ素晴らしい!!! この雰囲気!この雰囲気の小説を求めていた!!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ