6.特別警報
▼神奈川県横浜市のカフェバー (2月10日 16:00)
カラン、カラン……
ベル型のドアチャイムが、乾いた音色を響かせる。
「おお……さ、寒い」
ブル、ブルッと両腕で体を抱きしめ肩を震わせながら、松川滋は店に入ってきた。
入口近くにあるテーブルにカバンを置いてコートを脱ぐ。
いかにも冬らしい鼠色のコートは、下の方が擦り切れ、年季が入っている。
「今日は大雪になるらしいな」
奥井大輔が、読んでいた雑誌から顔を上げ振り向くと、滋に話しかけてきた。
滋と大輔は、同じ大学の四年生だ。
滋は、「ブレンド」とコップを拭いていたマスターに声をかけ、カウンターでくつろぐ大輔の隣に座った。
「俺、明日面接なんだ。雪、大丈夫かな?」
「シゲちゃん、面接ってどこ?」
見るからにオネエ系のマスター、阿達努が、ネルドリップの準備を始めながら滋に尋ねた。
このカフェバーは、雑居ビルの地下にある目立たない店だが、丁寧に入れるコーヒーは評判が良い。
昼間は、コーヒー目当ての客で結構、混雑している。
金曜日の夕方である今の時間帯は、大輔の他に客はいなかったが、これからワンショット目当ての客で混んでくることだろう。
「○×商事」
「ホントに?」
マスターは目を真ん丸にして驚いた表情を浮かべた。
○×商事は上場企業だ。
普通に考えれば、一流大学とは言えない大学に通う滋が面接に行ける企業ではない。
しかも、卒業間近のこの時期だ。
「あそこの人事部の部長さん、母方の伯父さんなんだ」
大輔と同じように、滋も昨年の夏に内定をもらっていたのだが、昨年末に内定を受けた会社が倒産してしまい、就職活動の再開を余儀なくされていた。
だが、新卒採用はほとんどの企業が終えており、途方にくれていたところ、欠員が出たということで、事情を知っていた伯父が連絡してくれたのだ。
「なんだ、コネなのね」
「なんだ、はひどいじゃない、マスター」
ウフフ、と笑いながらマスターは、ほんの少し長めにふやかしたドリップの香りを嗅ぐと、円を描くようにお湯を注いだ。
コクのあるコーヒーの香りがふわっと沸き立ってくる。
滋は、この香りが大好きだった。
気が置けない仲間と過ごす時間は、楽しい。
マスターがいれてくれたコーヒーを味わっていた滋は、ドアチャイムの音に何気なく振り向いた。
「ちょっと。外はすごい雪よ」
重厚な樫で作られたドアの前には、赤いセミロングのコートと髪から、白い雪を落としている女性がいた。
山本美紀も、この店の常連だ。
二人と同じ大学の大学院生で、気象学の研究を行っている。
「え?俺、さっき来たばかりだけど、もう降ってきた?」
「うん。降り出したと思ったら、あっという間に吹雪いてきたわ」
美紀の言葉に、大輔は立ちあがるとドアを開けて、階段の上を覗き込む。
ドアから細かな雪が吹き込んできて、慌てて大輔は閉めた。
「すごいな。本当に吹雪いている」
戻ってきた大輔の言葉を聞くと、マスターはリモコンを取りだし、奥の壁に据え付けられている液晶テレビのスイッチを入れた。
ちょうど、夜のニュース番組が始まったところだ。
大きなテロップで「都心に吹雪」の文字。
映像は、テレビ局の定点カメラからと思われるが、雪がすごい勢いでほぼ真横に流れているだけで、背景は何も見えない。
アナウンサーが少し緊張した顔でニュースを読み上げた。
「午後4時過ぎから降りだした雪は、現在、南関東の広い一帯で、猛烈な吹雪となっています。秒速20メートル以上の猛烈な風が吹いています。外出は避けるようにしてください」
そしてピンポン、という音と共に画面の上部に「気象情報」が表示された。
「東京、神奈川、千葉、埼玉に暴風雪特別警報」の文字が現れる。
「うわ、特別警報が出たのね」
「美紀さん、特別警報って何?」
美紀の驚いた言葉に、大輔が尋ねる。
気象学の大学院生である美紀は、大輔に説明した。
「特別警報は、数十年に一度の重大な災害が起きる恐れがあるときに出されるの。注意報、警報ときてその上が特別警報になるわ」
「それって、もしかしてやばい?」
「今日は大雪の予報だったけど、予想以上に積もるかもしれないわ」
美紀と大輔の会話を聞きながら滋は、明日面接に行けるかな、と思っていたが、このときはまだ、事態の深刻さに気づくことはなかった。
次話「暴風雪」、明日、投稿予定です。