17.エピローグ
▼大阪管区気象台 (2月14日 03:00)
大阪管区気象台は、三重県を除いた近畿地方、山口県を除いた中国・四国地方を管轄して、気象情報の発表やいろいろな観測を行っている機関だ。
また、気象庁が緊急地震情報を発表できなくなった場合には、代行して発表することになっている。
今回の大雪で、気象庁が機能を停止せざるを得ない状況になったため、今は、気象衛星などから得られる情報を、気象庁に変わって分析し、発表している。
その大阪管区気象台・気象防災部予報課で、予報業務を担当しているベテランの予報官は、ここ3日間、簡単な仮眠だけで業務を続けていた。
気象庁が、業務を大阪管区気象台に委譲したのが2日前。全職員が召集された。
あり得ない気象状況に、予報課のメインサーバーも「not clear(不明)」のエラーしか返さなかったが、昨日の未明に台風が動き出すと、ようやくシステムが稼働し始めた。
もっとも、その予測は分単位でめまぐるしく変化し続けたのだが……それでも、昨夜には関東地方全域の大雪に関する警報は解除することができた。
日付が変わる前までは大勢いた課員も、一区切りついたことで、一人で当直を行う予報官を残して誰もいなくなった。室内も予報官がいるブロック以外は照明が落とされている。
室内全体に暗がりが広がる中、コンピュータが立てる規則正しい唸りが、眠気を誘う。
予報官は、パソコンの作業を中断して、目頭を揉んだ。
関東地方全域に暴風雪をもたらした台風だが、今は東の海上で勢力を弱めている。もう本土への影響はないだろう。
いまだに偏西風は蛇行を続けて、本来とは違った気象図を描いていたが、やがて時間と共に、それも落ち着くだろう。
偏西風の異常によって、北極海から日本海まで東アジア全体を強い寒気が覆ったままだが、東シナ海から四国沖にかけて、太平洋側は新たな南岸低気圧の発生は見られていない。ようやく峠は越えられたようだ。
観測史上、いや歴史上も、関東地方だけでなく北国でも平野部でこれだけ短時間に、これだけの大雪が降った記録はないはずだ。
少なくとも自分は知らない。
都市部で、10メートル以上の積雪が、それも首都・東京に降ったとは、いまだに信じられない。
夕方には、陸上自衛隊がヘリから空撮した神奈川から東京にかけての映像が送られてきたが、映っていたのは、雪原とビルかマンション、そして送電塔の一部だけ、という恐るべき風景に目を疑った。
わずかに高架部分の高速道路が、蛇が雪原を這ったような筋を残すだけで、一般道は影も形も見られず、その痕跡は、わずかに電柱の先端部分が規則正しく並んでいるところにしかない。
電柱は、8メートルから16メートルまで電力柱、電話柱などいろいろなタイプがあるが、一般的には16メートルの長さが多く、六分の一は地中に埋めなければならないため、地上部分は最大で約13メートルだ。
その電柱が、わずかな部分のみ突き出て並んでいるということは、積雪はゆうに12メートルを越えているのだろう。
実際、政府からも、都内から南関東の平野部で12メートル、北関東の山間部で18メートルの積雪と発表があった。吹き溜まりなど、さらに多くの積雪量となっている場所も多いはずだ。
河川も、蛇行した凹みの線が示すだけで、それも一級河川以外は区別ができない状況だ。
撮影者が、どのあたりなのかを音声で入れていたが、おそらく戸建て住宅が並んでいたと思われる地域は、高低差で波打つ平原となっているだけで、動くものは何一つ捉えられていなかった。
ビルやマンションが立ち並ぶ地域の映像は、下層階が全て雪に埋もれていて、まさに映画の世界だった。
人影は、マンションの雪面から飛び出た部分のベランダにしかなく、ヘリに手を振るそれらの人が救助されるまでには、まだ長い時間がかかるだろう。
この雪原に飛びだして体が埋もれたらどうなるかは想像できるだろうから、雪原に足を踏み入れる者はおらず、ひたすら待つしか方法はない。
そして夜には、夕方にヘリで救出された首相が、大阪の伊丹駐屯地に置かれた対策本部で会見を行い、檄を飛ばしながら救出活動を訴えていたが、その困難さは容易に想像できる。
当然だろう。
これだけ雪が積もると、多少、気温が上がることがあっても、すぐに雪が減ることはない。
路面が見えるまでには、相当な日数を必要とすることになる。
導線が確保できなければ救出作業も十分には行えない。いや、部分的な救出活動には取りかかれても、深刻な積雪に埋もれた被災者全てに、その手が差し伸べられるのは、かなり先になるだろう。
12メートルの積雪量は、人の手で、どうこうできるものではない。もちろん、除雪車も自車の二倍以上の高さの雪に対処はできないから、取りかかりは全て人力で行うしかない。
だが……気温が上がれば雪は少し解けて、そして下がれば今度は凍る。
除雪作業も、日を追うごとに困難さが増すことになる。
道路部分は、いたるところに車が埋まっているから、除雪作業は困難を極める。
さらに、その埋まった車の中のほとんどに、人が残されている。もっとも、生存は厳しい状況だが、一台一台を全て、安否確認が必要だ。
そして、道路部分の除雪と残されている車両の移動が終えられない限り、救出活動も遅々として進まないだろう。
まだ2月であることを考えれば、ある程度、雪を除雪できて、本格的な救出活動に取り組めるのは、一ヶ月以上かかるのではないだろうか?
犠牲者の数は、想像もつかない。
すでに、関東全域が停電しているが、その解消には、まず一定の除雪が必要になる。ということは、長期間、ライフラインが完全に断たれた状況になることは間違いない。
水道もガスも停止したままだ。
上水道施設も、ガスの供給設備も、停電状態では使えないし、雪に埋没した状態を解消しない限り、復旧作業もままならない。
警察、消防、そして医療も、全てが雪の中で停止状態だ。
今、生存できている人も、そのデッドラインは近くまで迫っている。72時間の壁、とまでは言わないが、病人や乳幼児など、一刻も早い救出が必要な人も大勢いる。
そして、ビルやマンションが立ち並ぶ地域では生存者の方が多いはずだが、一戸建てが立ち並ぶ住宅街は、かなり厳しい状況と思われる。
窒息の恐れもあるし、倒壊の恐れもある。何より、ライフラインが断たれている中で、寒さや飢えにも耐え続ける必要がある。
そして、そのビルやマンションの生存者の救出も容易ではない。地下街や地下鉄など、比較的安全と思われる場所にいる人も同様だ。
すぐには除雪ができない地上からは時間がかかるし、ヘリで救出できる人数は知れている。
全ての生存者を救出するには、とてつもない時間が必要になるだろう。
大雨や噴火、地震などの災害も怖いが、まさか雪害がこんな状況を生むとは……
もちろん、今回は、常識外のことがいくつも起きている。
今の季節、八丈島沖に三日にわたって、台風へと変化した低気圧が居座ることなど想像もできなかった。
真冬の2月に台風が発生すること自体が信じられない。
また、猛烈な風が猛吹雪となって、避難や救助が一切行えなかったことも想定外だった。
予報官はもう一度、目を揉んだ。
……今回の気象が起きた原因は、どこにあったのだろう。
気象庁に入ってきた情報では、大学の研究機関から南極で発生した大地震との関係、八丈島沖の海底火山の影響、そして地軸の傾きや自転速度も加わって、特異な状況が生まれた、という話があったが、常識外のことが起きたことだけは確かだった。
科学的な解明については、今後の研究に委ねるしかないだろう。
最近、異常気象が続いている。
それこそ毎年、世界中のどこかで、「史上最悪」が更新された災害が起きている。
だとするなら、また同じようなことが起きるのではないか?
今後の行く末を案じ、予報官が小さくため息をついた時、パソコンが「ピコン」と何かを知らせてきた。
なんだ?
揉んでいた目を開けて、パソコンを見た予報官の目に飛び込んできたのは、自動予報システムにより予測された警告だった。
『大雪特別警報:該当地域 関東地方』
!!!!!!!!!!
その文字に、予報官は身を固まらせた。
今回の大雪をもたらした低気圧は、すでに日本を離れ、東の海上にある。
それに、新たな南岸低気圧はどこにも発生していないし、一時間ほど前にチェックした天気図にも発生の予兆はなかった。
あるいは、新たな南岸低気圧や熱帯低気圧が突然、出現したとでも言うのか?
予報官は背筋が凍るのを感じた。
慌ててパソコンを操作した予報官は、画面が表示した天気図を一瞥する。
――太平洋側には、南岸低気圧の発生はない……そして、今回現われた突然変異のような熱帯低気圧も見られない。
では、なぜ??
……ん??
予報官は目を見開いた。
「こ、これは――カットオフ・ロウ!」
カットオフ・ロウ。別名「切離低気圧」。
蛇行した偏西風が、低緯度側に張り出して切り離されると、独立した渦となることがある。
この渦は、寒気を取り込んだ低気圧で、夏ならば、太平洋側に激しい集中豪雨や雷雨をもたらし、冬は北陸以北の地域に豪雪をもたらす。
本来なら、雪の場合は日本海側に降るのだが、極稀に太平洋側に雪をもたらすことがある。
そして、今、自動予報システムは、異常な蛇行を続ける偏西風が描く天気図から、切り離された寒冷低気圧が生み出されること、そして、その切離低気圧と周囲の気圧配置が、関東地方に雪をもたらすことを予測していた。
冬の時期、数十年に一度しか太平洋側に雪をもたらさない切離低気圧が、なぜ今、このタイミングで現われたのか……
いや、おそらく今回の一連の異常気象をもたらした流れの一つであることは分かる。
だが――
もし、今、さらなる大雪が関東地方を襲ったら、どうなるのか?
確かに今回は、暴風雪を伴う降雪ではない。静かに降り続ける雪だろう。
しかし、救助を待つ地域へ深々と降り続く大雪は、どんな影響を与えることになるのか――
想像はできる……だが、想像したくなかった。
しかも切離低気圧は、偏西風の流れから切り離されている。
そのため、動きが遅くなる特徴がある。
動きが遅い、ということは悪天候が数日間続くことになる。
予報官は、震える指でマウスをクリックし、予報範囲の日付と予想雨量を表示させた。
『予報範囲:2月15日~2月21日』
『予報範囲内の総雨量:450ミリ』
一日あたりの雨量は60ミリ程度に過ぎない。積雪量換算で考えるならば30センチほどだ。
しかし……一週間降り続くとなれば、上乗せされる積雪量は2メートルを越えることになる。
ライフラインが失われた中で始まる、一週間降り続く純白の世界――
パソコンの文字を見た予報官は、無垢な白さに覆われた邪悪な闇が笑っている幻想が脳裏に浮かんだ。
純白の悪魔……
その嘲笑は、真の意味で「終わりの始まり」を告げているように思えた。
お読みいただき、ありがとうございました。
また、ブクマ、評価いただいた方には、特に感謝いたします。
次作も、機会があれば、ぜひご覧ください。
次の自然災害のテーマは、「コメット(彗星)」の予定です。
【コメット(彗星)】
ある日、ハワイに設けられている小惑星地球衝突最終警報システムが、未知の彗星の飛来を検知した。最接近までは30日。
突然現われた、その未知の彗星は従来の彗星の10倍以上の速度で近づいていた。
時速200万km。音速の1600倍、光速換算でも500分の1の超速度で飛来する彗星は、果たして地球にインパクトするのか――
4月には投稿をはじめられればと思っています。




