12.無策
▼首相官邸 (2月10日 22:00)
「なんだ、あの番組は!あんな勝手なこと言って!」
速水官房長官が、真っ赤な顔をして怒っていた。
あるキー局が独自に警告を発した、という情報を得て番組の録画をチェックしていたのだ。
危機管理センターでは、NHKと国内全ての民放、そして海外の主要メディアの番組を一週間分録画するシステムが備わっている。
「速水君、構わんよ」
田辺首相が、ぐったりとした様子で官房長官をなだめた。
今の状況においては、政府が主導で、被災している国民に手を伸べる術がない。
警察、消防はもちろん、災害派遣命令を発して待機させている各地の自衛隊も同様だ。
視界ゼロの猛吹雪の中で救助活動は行えない。
空はもちろん、陸上も、そして海上からも近づくことはできなかった。
もはや日本の首都東京は、いや関東地方全体が「陸の孤島」となっていた。
堅固な建物、ビルなどにいる人々は、今のところ大丈夫だろう。
だが、ちょうど夕方の時間帯から猛吹雪が始まったため、外に居た人は多い。
特に、路上の車中に閉じ込められた人は、このまま積雪が進めば、ほぼ全員が助からないことになるだろう。
1時間ほど前に、気象庁長官と話をしたが、彼は首都高速上の停止した車列の中にいた。
よほどの僥倖がない限り、長官には二度と会うことができない。
そして、連絡が繋がらない閣僚は他にも何人かいる。
いずれも車での移動中だった。
電車は、かろうじて最寄の駅まで運行して難を逃れた車両もあったが、運行中のほとんどの車両は、緊急停止信号により、駅と駅の間で停車せざるを得なかった。しかし、前が詰まったままだから、動かすことはできない。
そして、もはや線路は雪で覆われているから、物理的に動かす手段がなくなった。
せめてもの救いは、まだ電気が通じているので暖が取れていることだが、車両全体が雪に覆われてしまえば、別電源だとは言え、停電は免れない。
もちろん、ブリザードの中に一歩踏み出せば助かる術はなく、避難する方法も失われている。
学校、店舗、会社、ありとあらゆる施設に人々が取り残されている。
それらの人々が、避難や帰宅する手段がない。
何より、このまま降雪が続けば、普通の一軒家では倒壊などの恐れもあるから、自宅が安全とも言えなくなってくる。
警察、消防など公的な機関も、今は頼ることは不可能だ。
唯一、対応が可能な自衛隊も都内に展開している部隊は、こうしたブリザードの中で活動するための装備を持たない。
ありとあらゆることが手詰まりになっている。
それも、時間が立てば立つほど、より深刻な状況へと向かっている。
こんな状況だ。
政府が手を差し伸べる手段を持たない以上、個人レベルでの対応に頼るしかない。
だが、政府の公式発表として「打つ手がないから個人で対処して欲しい」とは言えないのだ。
それを聞いた国民がパニックに陥る問題もあるし、外交上の問題もある。
国民を見放した政府の立ち位置は、悪くなって当然といえるだろう。
ついさっき、災害対策基本法に基づく災害緊急事態の布告は行ったが、実効性でいうとあまり意味はなかった。
「誰かが言わないといかんことを、言ってくれたんだ。感謝せんとな」
通常なら、災害に見舞われた地域は避難勧告を行う。
外国であれば、もっと強い意味を持つ「避難命令」を発令するのだろうが、日本に避難命令に該当する制度は設けられていない。
「警戒区域の指定」が、逆説的な避難命令に当たると考えてよいのだが、もちろん関東全域はすでに警戒区域に指定されていた。
入ってくるな、という命令は出せても、外に出れない状況では逃げ出せ、という命令が出来ない。
人心を不安に煽る、という点では、今回の報道は問題視されるべきものだが、個人レベルでの対処しか手段が残されていないなら、最悪の事態を伝えることも時には必要だ。
それに、映像を見る限り、彼女は非常に上手く話してくれた。
政治家では感情を揺さぶるああいう訴え方はできない。
官房長官は、首相が言った「感謝」の意味合いを悟ったのだろう。
黙って頭を下げた。