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漂泊の民と野営料理  作者: 飴丸


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漂泊の民と固焼きビスケット

 街道が段々と広くなると、人の行き交いも多くなる。旅人でも、漂泊の民でも。

 馬車を曳くのは商人か、旅芸人の一座。徒歩で行くのは、冒険者や傭兵。家族単位で移動する遊牧民もいる。すれ違う時に互いに頭を下げるのは、挨拶というよりも、互いに敵では無いと示すのが役目だ。下手な揉め事を起こしたら、自分達の寿命を縮めることにしかならないのだから。

 そんなことはまるきり考えていないのだろう、頭巾で髪を隠したモルニィヤが通り過ぎた馬車へ向かってひらひらと手を振ると、乗っていた子供だけでなく、周りの男連中も脂下がった顔で手を振り返した。見た目だけなら若くて美しい女が笑顔で愛想を振っていれば、大抵の男は喜ぶ。春をひさぐ女と見られたのかもしれない。

「モル、そろそろ顔も隠しとけ。面倒が増えちまう」

「んー?」

 心配を押し殺してスヴェンがそう告げると、嫌そうにちょっと眉を下げたが、もそもそと首巻で口元を覆った。暑くて嫌なのだろうが、スヴェンも既に焼き印入りの頬を隠しているし、赤紫鱗もその鼻面をすっぽりと布で覆っている。各々見咎められると厄介な容姿をしているので、人通りの多い街道だけでなく、其処に続く次の目的地でもあまり顔を晒したく無いのだ。

「……あれ、なぁに? おっきなまち?」

「然り。谷を塞ぐ関を作った、只人の街だ」

 段々と行く先に見えてきたのは、巨大なる封折山脈。その麓に沢山の風車が並び、街道を遮るように、遠目から見ても解る程高い煉瓦の壁が建っている。通り抜ける風と川により、山間に広がった谷を塞ぐ街だ。水があり、森があり、道が繋がる場所。そして山を越える方法が此処を通るしか無いが故に、人が集まり、畑を広げ、街が作られた。

 人が作った国と国の境でもあり、壁と関が作られた。隣国へ続く唯一の出入り口であり、沢山の旅人が通り抜けていく街道の街。漂泊の民で、知らない者はいないだろう。

「あそこ以外に道がねぇんだよ。流石に封折山脈は超えられねぇしな」

 普段は国境と呼ばれる場所も、辺境を狙って掻い潜るのが漂泊の民の道だが、此処だけは難しい。嘗て崩壊神が始原神に敗れ、大陸を折り畳んで封じられた際、二度と出て来られないよう世界中から岩と土を集められたと言われる岳山。世界一高い山麓には様々な魔が住まい、頂上の近辺は夏でも雪が降るという。入り込んだものは生きては出られないと、全ての人に畏れられる場所だ。

 普段は己の道を塞ぐものを良しとしない赤紫鱗も、決してかの山に登ろうとはしない。普段の道を占う術でも、そちらへ向かう卦は出ないらしい。モルニィヤはよく解っていないようだったが、ふたりの決定に逆らうことは無く、素直に頷いてから口を開いた。

「じゃあ、あそこは入れるまちなの?」

 無邪気な問いにスヴェンは頬を掻き、赤紫鱗は鼻面を虚空に向けてふんと鳴らす。漂泊の民を内に入れる街道沿いの街は少ないと、彼女も知っているからこそだろう。大概の街にとって漂泊は排すべき相手であり、面倒が増えるだけである。それ自体はこの街でも変わらないが――

「一応まぁ、通る方法はあるっちゃある。ただ、時間はかかるし面倒臭ぇんだ」

「已むを得まい。業腹ではあるが」

「ふうん?」

 そう喋りながら歩き続けると、壁が随分と近くに見えてきた。その真ん中に聳える城門と、その周りに犇めき合っている沢山の人々も。

「順番に並べー! 飛び越した奴は後ろに回されるぞ!」

「おい、押すんじゃねえよ! 痛ぇな!」

 鎧兜を纏った兵士達が声を張り上げ、門の前に立ち塞がっている。並べられた者達は皆似たような巻紙を差し出し、その内容を兵士達が広げて確認ていした。国や街、商人の互助会などが発行している通行証だ。旅商人はそれが無ければ他国での商売が出来ないし、他の者達も持たなければ国境を超えることを禁じられている。……勿論、普段なら漂泊は踏み倒す物だ。

 更に通行証に不備が無いか、偽物ではないかと詳しく調べられ、更に通る者の人となりなども厳しく審査される。それに時間がかかる為、門の前には様々な人が大行列を作り、天幕を既に構えている者もいた。数日かかるのが当たり前だからだ。

「何でそいつらを先に通すんだ! こっちはもう二日待ってるんだぞ!」

「うるせぇな、こっちだって高ぇ金払ってんだ!!」

「偽物じゃあありません! ……家族だけでも、先に通すわけにいきませんか!」

「かあちゃん、どこー!?」

「今日の分はもう閉め切りだ! 明日まで待て!」

「ふざけんじゃねぇ!!」

 否、最早そこは行列と呼ぶには混沌とし過ぎていた。声高な兵士の声に苛立ちを募らせた荒くれ者がつっかかり、あちらこちらで騒ぎが起こっている。飛びかう罵声にモルニィヤは怯え、自分より小さなスヴェンの背中にそっと隠れて縮こまった。

「やれ、何時もの事だが醜悪であるな」

「今回は特に酷ぇな。いつも通りにやるぞ」

「致し方無し」

 今日はこれ以上進まぬと皆解っているのだろう、諦めてその場に座り込む者達の間を縫い、煉瓦壁を伝うように街の外れへと移動していく。

「……どうするの?」

「どうせ漂泊にゃ、通行証なんざ元々無ぇからな。そういう奴ら用の方法もあるんだよ」

 そう言いながら辿り着いたのは、街から大分離れた森近くの、樹木の切り出し場だった。この大きな街で使う材木や薪の為に、木は幾ら切っても足りない。畑を広げる為にも、原生林を切り開く必要があり、その人足を集める天幕が建てられていた。その中にスヴェンを先頭にして入り、元締めらしい不愛想な男にこちらも朴訥に告げる。

「三人頼むぜ」

 スヴェンと同じく罪人の焼き印を押されている者や、通行証も無い漂泊の民がこの関を通る方法。ここで日銭を稼いで、門を守る兵士へ賄賂として積むのだ。人に寄るが、銀貨を三十枚程出せば大概は目零ししてくれる。

「……そっちは女か? 西側に行けばもっと稼げるぞ」

 元締めの男からじろりと値踏みする視線で見られて、モルニィヤがまた縮こまるのをさり気なく赤紫鱗が背中に庇った。西側の壁沿いには、集まる旅人や兵士達が利用する娼館仕立ての天幕があることをスヴェンも当然知っている。冗談じゃないという思いに蓋をして軽く肩を竦め、首を振りながら、さりげなく首巻をずらして頬の焼き印を見せてやる。こういう時には、軽い脅しに使えるのだ。もう一人が蜥蜴人だということも気づいたらしく、元締めの男は嫌そうな顔をして首を振った。どうやら関わると面倒の方が多いと判断したのだろう。

「両方とも、あんたが面倒見れるんだろうな。兵士の見張りもいるんだ、厄介事は起こすなよ」

「解ってるって」

 蜥蜴人の事も、言葉の通じない只の獣だとでも思っているのだろう。街に住まう只人なら珍しいことでもない。赤紫鱗も不満げに喉を鳴らすが、此処で揉めても良いことは無いので堪えている。内心で詫びつつスヴェンが目線だけで宥めていると、三人分の木札を放られたので、中空で掴む。

「此処の人足の証だ、無くすなよ。盗みも殺しもするな。日当は金陽が一番西端の山に差し掛かったら渡すから、此処に来い」

「へいへい」

 この街とて、素性も気質も解らぬ厄介者が、関に阻まれて溜まっていくのは不本意なのだ。揉め事を起こさず、とっとと別の国へ行って欲しいのが本音。だからこそ、僅かな金子を渡して街の益になる労働を課し、無駄な諍いが起きぬように監視している。

 面倒だし時間はかかるが、これが一番確実に関を超える方法なのだ。



 ×××



 一応斧は貸してもらえるが、年季が入った歯零れも多いものばかり。少しでもマシなものを皆我先にと奪い合うので、一本木を切るのも一苦労だ。

 しかも、太い幹を斧で切るだけでは終わらない。生い茂った下生えを刈り、広がる根にも斧を振り、切り株を掘り出す。そこまでやらなければ金にならないのだ。

「――えい!」

 確りと埋まっている切り株を、両腕で掴んでぐいっとモルニィヤが引っ張ると、みりみりと音を立てて根が地面から離れていく。

「あんまりでかい声出すなよ」

「んん? うん」

 モルニィヤは不思議そうだったが、周りの同じような人足達が、モルニィヤの膂力を見て目を剥いている。彼女が本気を出せば一日で五本や六本切り出せそうだが、目立つのも拙いのだ。因縁を付けられるならまだしも、業績を信用されない可能性すらある。視線を集めないよう、スヴェンは大人しく下生えを錆びた鎌で刈りつつ、食べられる穂のある草を選んでこっそり摘んでいく。

 倒れた木を赤紫鱗が、片手で斧を振るって適当な大きさに切り、これも借り物の背負い籠に入れていく。ついでに、逃げ遅れた穴熊を一匹術で眠らせて仕留めていた。これで今日の夕飯は確保できただろう。

 ……森を好き勝手に切り開くことについて、樹と水の竜を崇める彼には思うところがあるらしいが、只人の所業を声高に責めることはしない。

 もっと言うなら、スヴェンと出会ってすぐの頃に「只人が生きる為には森を殺すしか無いのであろ」とちょっと呆れたように詰られた。まあそれもご愛敬だ、スヴェンから見ても事実ではあるし、互いの生き方を否定しても無駄な諍いが起きるだけだし、どうにもならないと解っているので。

 籠一杯にした薪を運ぶのは、天幕の近くにある煉瓦小屋だ。谷川から流れて溜まった粘土を集め、型に入れ、焼いて煉瓦を作る。どれもこれも重労働の為、後ろ盾のない旅人達が此処でも労力として使われていた。

 籠の中の薪は三人分たっぷり。これだけやっても、一日に貰える銀貨は僅かに数枚。門番を満足させるだけの金額を三人分揃えるのに、何日かかることやら。面倒だけれど、続けるしかない。

 流石に飢えさせれば文句が出るので、一応人足場でも朝晩の食事は出るのだが、大きな鍋で雑に煮られた、薄味の麦粥が一人一杯だけ。

 見咎められないよう、少し離れた所で竈を構え、鍋に水と三人分の粥、そして集めた草の穂を入れて煮込む。先程捕らえた穴熊も捌いて焼いたが、粥を啜る他の連中にぎろぎろと見られた。力ずくで奪われなかったのは、鹿の角を飾った杖を携える「得体の知れない」蜥蜴人が焚火の前で睨みを利かせていたからだろう。

「……みんな、こっち見てるね」

 モルニィヤはすっかり他人の視線に委縮してしまって、大きな体を限界まで縮めて串焼きをちみちみ齧っている。食欲が落ちていないのは結構なことだが、彼女にとっては非常に居心地が悪いのだろう。気付けば割と長く共に歩いてきたが、彼女が人の悪意に対して敏感であること、力なら負けないだろう只人に対しても悪意を向けられたら怯えてしまうことに、スヴェンも気づいている。嘗て奴隷商人に捕まって見世物にされたのが、未だに傷となっているのだろう。

 飢えと苛烈な環境が命を奪う辺境と、人同士の悪意が命を削る人里と、果たしてどちらが生き辛いのか――スヴェンとしてはどちらも似たり寄ったりではあるが、飯も自由に食えないのは確かに居心地が悪い。なるたけ早く三人分の金を貯めなければ、と決意を新たにした時。

 食事用の小麦を馬車で運んできた、恐らくこの街の住人がスヴェン達の近くを通りがかった。がらがらと音を立てて車輪を引く、痩せた馬の手綱を取っていた青年が、ぁ、と小さく声を上げ、慌てたように馬車を止めた。転がるように御者席から駆け下り、三人の方へ走り寄ってくる。

「――スヴェン兄ちゃん!」

 慌てた声に懐かしい呼び方をされて、食事の手を止めて思わず振り返ってしまったのは、不覚だった。前にもこんな事があった筈だ、自分の名前を知っている奴なんて、碌な奴が居ない筈なのに。駆け寄ってきた青年の顔に、面影を感じてしまった。

「……ノール、か?」

 嘗て同じ旅芸人の一座に身を置いていた、子供の一人の名前を口から零してしまうと、相手が本当に嬉しそうに破顔したので、もう逃げられなくなってしまった。



 ×××



「小麦、届け終わりました」

「おう、ご苦労さん。……そいつらは?」

「俺の知り合いです。街を抜けて風車小屋まで行くんで、大丈夫ですよ。あとこれも」

 本日集めた銀貨の内、半分を御者の青年がそっと握らせると、見張りの兵士は得たりと頷き馬車を通した。街の住民用の通用門は、正面の大門よりも警備がずっと緩い。多少少額でも渡してやれば、もう何も言われなかった。

「ごめんな、スヴェン兄ちゃん。連れの人も、街の間は伏せといてくれ」

 ひそりと荷台の中に囁く声に、スヴェンは軽く頷くだけで応える。更に奥の方で荷物のように丸まっている、相棒と娘の分も。

 街の中は、とても活気に溢れていた。漸く関を超えた旅人達は食事や娼館に金を落とし、商人達は丁々発止の売り買いを市場で繰り広げている。

 割と身綺麗な格好をした子供達が、歓声を上げて馬車の傍を駆けていく。モルニィヤが思わず顔を上げて外を見ようとしたが、赤紫鱗の爪手でぐっと抑え込まれた。見咎められたらまた面倒な事になるからだ。平和で豊かな街に、漂泊の民は異物にしか成り得ない。

 やがて、馬車はゆっくりと大路を進み、大門とは反対側の門へと辿り着く。其処にも兵士はいたが、出る側は入る側よりも厳しく見られない。残りの銀貨を渡すだけで、笑顔で通された。

「……あれ、なぁに?」

 ずっと抑えられていた頭が漸く解放されたので、すぐさまぱっと馬車の外に顔を出したモルニィヤが、吃驚して大きな青瞳をぱちくりとさせた。

 陰ってゆく金陽の弱い輝きの中、強い風が通り抜ける谷の両脇に、ずらりと煉瓦で建てられた風車が並んでいた。風に吹かれてぎぃし、ぎぃし、と軋んで回るその姿に、赤紫鱗も鼻先に皺を寄せている。彼も最初に此処を通った時、非常に驚いていた。

「何時見ても面妖なものだ、あの石塔は」

「小麦を挽いて粉にするとこだよ。風の力で中のでけぇ臼を回すんだ」

 この街に来た時点で非常に不機嫌だった相棒の背を叩いて宥めつつ、モルニィヤに教えてやると、御者台から噴き出す音がして振り向く。慣れた手つきで手綱を操る青年は、酷く懐かしそうな顔をしていた。

「スヴェン兄ちゃん、変わってねぇな」

「……褒めてねぇだろそれ」

 眉間に皺を寄せて睨んでやると、慌てて首を振る様も、子供の頃と重なってしまって嫌になる。過去なんて、思い出したく無かったのに。

 彼は嘗て、スヴェンが若い頃に腰を落ち着けていた、旅芸人の一座に居た子供のひとりだった。子供の中では年嵩だったスヴェンが、いつの間にか子供達のまとめ役になって、面倒ばかりかけられていたことを、彼も思い出しているのだろう。

 やがて馬車はひとつの風車小屋の前に止まり、漸く頭巾を脱いだモルニィヤが改めてそれを見上げ、ぽかんと口を開けた。

「ふぁああ……」

 自分より何倍も背の高い建物を間近で見るのも初めてな上、それが動いているのだから不思議で仕方が無いらしい。大きい瞳をくるくる回して、その動きを追い続けている。

「目ぇ回すなよー、モル」

「――成程。気紛れなる風竜オーフエレを捕らえる無謀か」

 赤紫鱗も興味深げに遠慮なく小屋の中を調べ、回る風車の軸が中の機構に伝わり、歯車を噛み合わせて大きな碾き臼を動かしているのを突き止めたようだ。その臼の隙間から零れ落ちる磨り潰された小麦の粉に、納得したように喉を鳴らす。

「只人が喰らうものに工夫を凝らすのは、貴様を見てよく理解しているが。これもその一環であるか」

「まぁな。只の麦粥だと一束一食だが、粉にして麺麭(パン)を焼きゃあ三食になるだろ」

「故に只人は増え続ける。地の全てを覆う程に増えれば、後は減るしかあるまいに、何故そうあらんとする?」

「さてね。誰も彼も、死にたくねぇからじゃねえかな」

 あまり考えずに言った言葉だったのだが、一瞬虚を突かれたように赤紫鱗が灰色の瞳をぎょろりと見開き、その後何故か納得した風に爪先で顎を撫でた。何かが琴線に引っ掛かったらしい。

 そういえば蜥蜴人の生き方として、ひとり生まれたらひとり死ぬのが正しい、と彼が言っていたことを思い出した。彼自身が、それに憤って、己の里を捨てて漂泊になったことも。

 なんとなく気まずくなって、先に小屋から出るとノールが笑顔で手を振って見せた。ここで小麦粉を作り、街中に運び込むのが今の彼の主な仕事らしい。

「お前も、よく生きてたなぁ」

「こっちの台詞だよ。本当に、スヴェン兄ちゃんなんだな。……生きてて、良かった」

 罪人の焼き印を持つ男に涙ぐむその青年は、人足場で再会したスヴェンに驚き、喜び、急いで街を抜けるのなら手助けできる、と胸を張って見せた。全身を鱗で覆った蜥蜴人や、子供のような振る舞いをする背の高い女には驚いていたけれど、スヴェンの連れならば問題は無いと頷いて、此処まで運んでくれたのだ。

「狭いとこだけど、此処に泊まってってくれよ。俺は夜になったら街に帰るし」

「そっちに家があんのか?」

「うん。嫁さんと子供もいるよ」

「マジかよ!」

 聞き捨てならない言葉に、思わず呻いてしまった。照れたように笑う姿は、昔洟を垂らして自分についてきた子供とは全く重ならず、己の顎を摩ってしまう。それぐらいには、時間が経ってしまったことを突き付けられた気がした。

 何となく、ゆっくりと街に向かう道を並んで歩きながら思い出す。思い出してしまう――昔のことを。

 スヴェンが嘗て身を置いていたカシム芸人団は、場末の貧乏な一座だった。子供でも金を稼ぐために厳しく芸を叩きこまれ、失敗すると容赦なく叩かれたし、飯を抜かれるのもいつものこと。稼がない者に食わせる必要は無いと言わんばかりに。

「飯が無い時、兄ちゃんが俺達にこっそり作ってくれたよな。食える草とか、集めてくれて」

「いつの話だよ……」

 思い出を指摘されてむず痒さに眉を顰めるが、事実ではある。子供達よりは年嵩であったけれど、スヴェンも下っ端には違いなかった。多少のナイフ投げが出来る程度の腕では碌に駄賃も貰えないので、いつも腹を空かせていた。

 だからこそ、道中で食べられそうな野草を集めたり、一欠片の麺麭をふやかしてスープに入れたり、如何にか腹を膨れさせる美味いものが食えないかとばかり考えていた。子供達全員分の僅かな食いでを合わせて、一緒に食事をした。大人たちに取られないように、こっそりと。

「兄ちゃんが居たから、俺は、俺達は生きてる。……あの時だって」

「……」

 ほんの少し沈んだノールの声に、あまり思い出したくないことまで思い出す。

 夜の夜中に、厳つい鎧を纏った兵士が天幕に来て、何やら大人たちと話していた。街に住む者に目をつけられると厄介なことを、旅暮らしなら誰でも知っている。――近場に滞在していた、この国の王子の命を狙った者がいるのでは、と難癖をつけられたのだ。

 兵士が帰ると、その日の内に団長から、ばらけて逃げろと命じられた。落ち合う場所だけ大人連中で決めたらしく、誰も振り返らずに僅かな蓄えと商売道具を抱えて、三々五々逃げ出した。怯えて戸惑う子供達は捨て置かれ、何処に行くか誰も教えないまま。足手纏いは置いていかれる、当然のことだ。

 だからスヴェンはこっそり身を潜めてその話を聞いて、子供達を連れて落ち合う場所まで逃げ出した。だが集団の上、足が遅い子供も多い。芸人達が逃げたことに気付いた兵士達の追手がかかり、追いつかれそうになって――

「俺達を森の中に隠して、一人で行っちまったよな。だから……そんなの、つけられちまったんだろ?」

 悲しそうに顔を歪ませて、ノールが指すのはスヴェンの頬。刻まれた罪人の焼き印は、もう痛みなど無い筈なのに、僅かに引き攣ったような気がした。単純に、自分の口が勝手に笑みを作ったからかもしれないけれど。

「昔の話だろ。お前らが生きてるかどうかすら、今の今まで思い出さなかったぜ」

「嘘だぁ。兄ちゃん優しいもの、絶対俺達がどうなったか気にしてただろ」

 やはり、昔の知り合いなど会うものではない。図星を刺されて、口を噤むしかなかった。大分風車小屋から離れてしまったので、そろそろ戻るか――と踵を返しかけた時。

「……なぁ、兄ちゃん。兄ちゃんは今も、旅してんのか」

「おう。旅っつーか、漂泊だけどな」

 当たり前だろう、と意味を込めて言うと、何故だか弟分は凄く、決意を帯びた顔をして。

「兄ちゃんもこの街に、腰を落ち着けねぇか? 俺、もう五年も住んでるんだ。市民として認められて、街の中に住むのも、結婚も許された。兄ちゃんも、此処に住み続けたらそうなるよ。俺が紹介すればきっと――」

 必死な声音だった。心の底から、兄貴分の行く末を心配して出た提案だった。寄る辺の無い子供が長い間腰を落ち着けられるぐらい、豊かな街なのだろう。それは痛いほど解る、解るから――苦笑しか出来ない。

「おいおい、こんなん付けてる奴ぁ流石に無理だろうよ」

「冤罪じゃないか! 俺だって、後からあの時の話を聞いたよ! 王子様の暗殺なんて、そんな大それたこと俺達に、兄ちゃんに出来るわけねぇ!」

「だとしても、だ」

 泣く子供を諭すように、目線を合わせて低い声で言った。ぐっと詰まるノールから目を逸らさずに告げる。

「今更どっかに住むなんて、面倒しか起こらねぇだろ? それに、俺は――こういうのが、性に合ってんだ」

 思ったよりも自然に、ころりと言葉が出た。

 そう、どれだけ厳しい道程であっても、腹を減らすことが多くても、一つ間違えれば簡単に命を落とすとしても。スヴェンは、漂泊の暮らしが、思ったよりも気に入っている。相棒の占いに身を任せて足を進め、作った飯を喜んで食べる娘の顔を見るこの生活が、決して悪くないと思っているからこそ。

「気持ちだけ、受け取っとくぜ。――ありがとうな」

 照れ臭いが、流石に言わなければ駄目だろうと思い、いつになく素直に礼をした。ノールは誤魔化すようにぐいと目元を拭い、納得はしていないような顔のままだけれど、小さく頷いた。

 そのまま、一人でとぼとぼと街へ向かう弟分の背に、声をかけた。

「ノール」

「……、」

 振り向いたべそをかく顔が子供の頃と同じで、笑うしかなかった。

「これ、大分薄くなってんだろ?」

「えっ? ……う、ん。そうかも」

 もう痛みの無い、少しだけ凹凸のある頬を自分の指で撫でながら言う。たまに川面に映すぐらいでしか、確認したことは無いけれど。

「だから、いいんだよ」

 あのお節介な相棒が、時間と余力がある限り、毎夜治癒の術をかけてくれている。――それだけでもう、充分だと思ってしまったのだから、仕方が無いのだ。



 ×××



 ぎぃし、ぎぃし、と風車が軋む。辺りには夜の帳が落ち、ゆるゆると山脈の向こう側から銀月が昇ってきた。少し風が収まって来たらしく、風車の動きはゆっくりだ。

 それを、モルニィヤは地面に座ったまま、ぼんやりと見上げている。頭には、さっき谷川まで降りて洗ってきた鍋を被ったままだ。隣で焚火を起こした赤紫鱗は、いつもの石や器、枯れた草花を取り出して、次の道筋をどうすべきか占いを行っていた。

「……ねえ、おとさん」

「何用か」

 占いをしている時に邪魔をしては駄目だ、と解っているのに話しかけてしまった。返事が返ってきたことにほっとして、尚も続ける。

「おかさん、ここにのこるのかな」

 一瞬、赤紫鱗が動かしていた指を止める。雑念を払うように土に爪で文様を描き、鼻先からシュウと息を吐いた。

「それは、あれが決めることだ」

 赤紫鱗の声は、いつも重たくて厳しい。でもそれは正しいことなので、モルニィヤは頷くしかない。

 馬が引く車に乗せてくれたあの只人は、スヴェンの古い知り合いだという。詳しくは知らないが、彼にとってきっと、大事なひとだった筈だ。多分、モルニィヤにとっての、本当の両親と同じぐらいに。

 只人は只人で集まって村を作る。当然だ、巨人も蜥蜴人もそれは代わらない。同じもの達が集まって暮らす方が良いことを、モルニィヤだって知っている。自分が嘗ていた里も、白い貝殻に覆われた隠れ里も、とても居心地が良かったことを知っているのだから。

 だから、もし、もしも、彼がこの街に残りたいと言ったら、モルニィヤはそれに従うしかない。解っている、解っているのに、じわりと自分の胸の中に苦い何かが広がって、苦しい。上手く言葉に出来ないまま、ぎゅっと膝を抱えて蹲っていると。

「よう、ただいま」

「! おかさん!!」

 いつの間にか、街に向かっていた筈のスヴェンが戻ってきていた。何かが詰まった麻袋を小脇に抱えたまま、いつも通りの皮肉気な笑みを浮かべて。

「お。鍋洗ってくれたんか。ありがとな」

「ぅ、う、ん」

 ひょいと被ったままだった鍋を取り上げられて、何か言いたいのに、喉がきゅっと詰まった気がして何も言えなくなった少女に対し、占いを終えたらしい赤紫鱗が座ったまま地に手を付き、こちらへと向き直った。

「それは?」

 彼が指したのは、スヴェンが抱えている麻袋だ。指摘された方はまたにやりと笑って、その場に座り込んで胡坐を掻き、足の間に鍋を置く。

「ノールの奴に、大分等級低いもんだが、譲って貰えた小麦粉だ。こっから暫く手に入れらんねぇだろうし、麺麭より乾蒸餅(ビスケット)だな」

 そう言いながら、無造作に鍋の中へざばりと粉を入れ、水袋から水も注ぐ。てきぱきと自分の荷物から、残り少なくなった蜂蜜と岩塩も取り出して加えていく、その手つきに全く遅滞は無い。

 その様を見ながら、モルニィヤはぱちぱちと目を瞬かせ、言葉の意味を考える。これから先、と彼は言った。まだ自分が行ったことのない、この街を超えた先にある場所へ行く為の準備を、今まさにしているのだ、と理解して。

「……え、へへ」

 その意味が頭の奥まで辿り着いた時、モルニィヤは自然と笑っていた。



 ×××



 へにゃりとした子供の笑顔にスヴェンの方は訝し気に眉を顰め、首を傾げた。

「んだよ? 見てるんなら手伝ってくれ、こいつが一まとまりになるまで練るぞ」

「ん! する!!」

 勢い込んでモルニィヤが向かい合って座り、鍋の中に手を突っ込んでくる。水と粉が混じり合ってべたべたとしたそれを握って混ぜて捏ねるのは、まあまあ大変だ。子供は泥遊びのように楽しんでいたが、手にくっついたものを自分で舐め取ろうとしたのでごん、と軽い頭突きで止めた。

「あぅ!」

「つまみ食いすんな。火ぃ通さねぇと腹壊すぞ」

「うー」

 まぁこいつの腹は強いから大丈夫かもしれないが、念のためだ。頬を膨れさすモルニィヤと共に、暫く鍋を挟んで練り続けると、段々と生地がまとまり、丸々とした一塊になる。

「できたー?」

「ま、こんなもんか」

 麺麭を作る時には、このまま少し放置して膨れてくるまで待つのだが、今日は乾蒸餅なのでこのまま焼きに入る。鍋の底に張り付くように拳で押し付け広げ、指でつまめるぐらいの大きさになるまでナイフで切り分け、火にかけて蓋をする。

「匂いが強くなってきたら教えろよ」

「ん!」

 これでじっくり焼いた後、蓋を取って更に焦げる寸前まで火を入れて固焼きにすると、濡らさない限りは中々腐らない非常食になる。軽くて持ち運びも容易だし、漂泊にとっては便利な食糧のひとつだ。

「旦那、次に森があったら蜂探してくれよ」

「蜂の巣か。小さきものを探し、得るは運試しぞ」

 すっかり軽くなった蜂蜜の壺を振りながら、モルニィヤと同じように鍋に視線を向けている赤紫鱗に訴える。春から夏に季節が動くと、花が増えて蜂も蜜をよく集める為、巣が大きくなって見つけやすくなるのだ。相棒の術を使えば蜂に刺されず簡単に巣蜜や蜂の子も手に入れられるので、機会を逃したくは無い。彼自身も蜂蜜があればスヴェンの料理の幅が広がるので、慎重な言葉と裏腹に異は無いだろう。

 暫く、焚火の音と風車が軋む音だけが夜の静寂に響いていく。銀月以外は星の僅かな光しか無い、いつ獣や盗賊に襲われるか解らない、街に住む者にとっては危険しかない場所の筈なのに、この静かな空気も、スヴェンは嫌いでは無い。

「おかさん! いいにおい!」

「お、ちょっと待ってろ」

 すぐに静寂はモルニィヤの大声に引き裂かれてしまったが、それも嫌ではない。鍋の蓋を開けて、焼きが足りないものをひっくり返して鍋底に落とし、更に焼く。やがて茶色くなった欠片を肉刺で掬い、熱さを堪えて口に放り込んだ。

 唾液を含めて柔らかくしても、がり、とかなり力を入れて噛まなければ砕けない代物だが、口の中に広がる淡い甘さに満足する。

「ん、こんなもんかな。……モル?」

 普段なら、何か作ればすぐさま食べたいと騒ぐ娘が、もすんとスヴェンの背中に顔をくっつけてきた。やはり街を抜けてからも本調子ではないのか、とつい心配の虫が湧いてしまうが、くぐもった声は思ったよりもはっきり聞こえた。

「おかさん、ごめんなさぃ」

「……なんだよ、急に」

 急に謝られた意味が解らず肩口から後ろを向くと、青い頭がもぞもぞと背中に摺り寄せられ。

「おかさんが、このまちにのこる、の、いいこと、なのに。やだ、って、思っちゃって、ごめんなさぃ」

「――はは」

 そこで漸く、モルニィヤの心配事が何なのか理解してスヴェンは笑った。笑うしか無かった。どうやら、前に海の巨人達が暮らす街に寄った時に、自分が味わった如何しようもない寂寥を、彼女も今まさに感じていたらしい。

 何ともむず痒くて、後ろにどうにか手を回して青い髪をわしわしと撫でてやる。ほんのちょっと涙ぐんだまま持ち上げられた顔に、改めて向き直り、唇の前に焼きたての乾蒸餅を差し出した。

「ほれ、口開けろ」

「ふぇ、んぐっ」

 反射的に開いた口に乾蒸餅を放り込むと、がりり、とすぐに噛み砕く音がして、ぱあ、と大きな瞳が輝く。巨人の顎なら、この固焼きも容易く砕けたようだ。

「おいひぃ!!」

「そいつぁどうも。旦那も食うかい?」

「貰おう。――うむ、美味也」

 同じく、珍しく強請って来なかった赤紫鱗にも差し出すと、すぐさま噛み砕いていつも通りの反応が返ってきた。

 どうやら、自分で思っていたよりも、このふたりに心配をかけてしまったらしい。勿論、ここで詫びるのもどうかと思うので、代わりにもう一枚ずつ、乾蒸餅をそれぞれの口に放り込んでやった。

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