08:み吉野病院・丁
【2-8】
その薬の効果には驚いた。
身体が自由に動く。
金縛りから解放されたみたいだった。
「楽になったかい?」
「はい! こんなに楽になるなんて……信じられません!!」
「最初はどうなるかと思ったが、そうか……良かったよ」
顔のしわをぐしゃぐしゃにして微笑む。
「……」
確かに、あと少しの時間耐えれば痛みはおさまる。
しかし。
苦しみから急に解放された細胞がみんなして歓喜している。
俺も意図せず笑顔がこぼれる。
「生き物が苦しんでいたら、助けたくて仕方ない性分でな……」
老医師はぼそりとつぶやいた。
「えぇと、お金は……」
「要らない、要らない!」
そして彼は俺のおでこに手を当て
よし、とうなずく。
「ところで君、今の症状ってよくある事なのかい」
「まぁ…… はい。 持病みたいなものです」
「ふん、そうか……」
老医師は再びカバンをごそごそする。
「ほら、君にあげるよ」
手渡された紙袋の中にはアルミシートが一枚入っていた。
「高校生に注射器はリスキーだから、錠剤という形で渡すよ。
大丈夫。その効果は今の注射に劣らないよ」
そして続ける。
「錠剤が切れたらここに連絡しなさい、またあげるから」
錠剤の入った袋に住所と電話番号をペンでササっと書く。
書かれたものを見る。
あれ?
「この住所…… お医者さんの病院ってこの近くなんですか?」
というかこの住所は……
「? あぁ いけねぇな 昔の癖が出た」
ははは……とこぼして違う住所を書く。
「……名前をうかがってもいいですか」
「み吉野 大和。 今私たちがいるこのみ吉野病院の院長……だったものさ」
……やはり
「とうとう明日取り壊されることになって、会いに来たんだ。そしたら君がいた。
この土地が情報庁に買われて……いや、やめよう。これは楽しい話じゃない。話す側にとっても聞く側にとっても」
彼はその悲しそうな目が見られないように暗闇の方へ顔を背ける。
「ほら、もうこんな時間だ。家に帰りなさい」
この場を去るように促される。
あたりに散らばった服を素早く回収してリュックを背負う。
「ありがとうございました!!」
老医師はその場に立ったまま俺にそっぽを向いて手を挙げて返事した。
できるだけ早く病院を出る。
自転車のスタンドを蹴ったその時だった。
「うわぁぁぁぁぁ……!!!!!!! あぁぁぁぁ!!!!!!!」
俺を救ってくれたその人は、泣き叫んでいた。
「ただいま」
「おかえり! お疲れ様!!」
帰り道に彼のことでいっぱいだった頭の中を紅水さんの笑顔が上書きする。
それに、
『おかえり』と誰かが言ってくれることなどなかった。
家に帰れば誰もいなかったのだ。
俺はそのことばを何度も何度も反芻し、消化する。
「夜渡橋さんから連絡きた?」
「え、何のこと?」
「今日の21時30分に白露に電話するって聞いたけど」
現在21時40分。
「連絡なんて何も来てなかったはずだけど……」
ポケットに手を突っ込む。
探し始めてから5分。
……
「スマホ置いてきた…… 多分廃病院……」
くっそぉ……
「それなら私が車出そうか?」
「いや、いいよ。自転車ですぐだし……
ごめん、その間なんだけどさ、バイト服の洗濯をお願いしてもいいかな」
「それはもちろんいいけど……」
「ありがとう! 洗濯機は風呂場のとなりにある!」
「……うん、わかった! 気を付けてね!」
「うん!」
俺は靴のつま先でトントンと床を軽く蹴る。
続く