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迷宮の底で復讐を誓う  作者: 村上 優司
人としての時間
9/140

港街サリーシャ 思わぬ展開

 三つ目の昼の鐘が鳴った。トリスは手土産を持って、朝、クレアと会った場所に来ていた。


 朝、クレアと別れた後にこの街をいろいろと見て回った。昨日は街の中を見て回る機会がなかったのでクレアと待ち合わせの時間になるまで港街サリーシャを見て回っていた。そのときに見つけたレモンムースを使った焼き菓子の店を見つけたので手土産として幾つか購入した。


「お待たせ」


 クレアの声が後ろから聞こえたので振り返ってみると私服を着たクレアが立っていた。髪型は変わっていなかったが朝の動きやすい格好ではなく、薄い青みが掛かった白いワンピースを着ていた。クレアの金髪とあいまってよく似合っていた。


「大丈夫です。私も今きたところです」

「そっか。良かった」

「では、行きましょう」

「…………はい、そうですね」


 待ち合わせをした恋人のような会話をし始めたが、トリスにはそんな気は全くないので服を褒めることもなく歩き始めた。対してクレアは年頃の女の子だ。せっかくお気に入りの服を着てトリスを迎えに来たのに当の本人は全くの無関心だったので少し落ち込んだ。


 クレアの態度は朝の状況と違って大きく変化していた。家に戻ったクレアはいつものように朝食を用意した。母親のレイラは朝帰ってくるので軽めの食事を作るのが毎日の日課だ。


 レイラは客の相手があるときは二つ目の朝の鐘が鳴ってから暫くして帰宅する。何も食べずに寝てしまうときもあるが消化のいいものを作り食べさせている。ここ最近は体調が悪いのか、なるべく消化がよく身体にいい物を作っている。


「ただいまぁ」

「おかえりなさい」


 朝食の準備を終えると母親のレイラが帰ってきた。疲れているのか声に張りはないが、いつもの用に穏やかな笑顔を見せてくれる。


「今、朝食できたから座って待っていて」

「ありがとう。でも食欲が無いのよね」

「駄目だよ。少しでもいいから食べて。何も食べないと身体に悪いから」

「分かったわ」

「残しても私が食べるからね」


 クレアは小さく切った野菜と同じくらい小さめに切ったパンを入れたスープを自分の分とレイラの分をテーブルに置いた。歯ごたえを考えるならもう少し大きく切った方がいいがそうするとレイラは余り食べない。前は平気だったがここ一ヶ月は食欲がないようで余り食べなくなった。


 レイラとクレアは自分の席に着いて朝食を食べ始めた。小さな切った野菜と黒パンのスープ。普通の家庭ならもう一品おかずが付くが、お金がないこの家ではいつものメニューだった。


「ねぇ、母さん。今日人が来るけどいい?」

「いいわよ。けど、何時頃? お店に行く前ならいいけれど一人のときに誰かを招くのは余り関心しないわ」


 レイラが店に向かうのは一つ目の夜の鐘が鳴る頃だ。年頃の娘が、普通その時間に他人を家に招くようなことはしないので釘を刺した。


「お店に行く前だよ。三つ目の昼の鐘が鳴るときに待ち合わせしているからその後に母さんに会って欲しいの」

「その人は男の人?」

「そうよ」

「あらあらあら、いいわよ。是非来て貰いなさい。私もちゃんと挨拶するからもう寝るね。疲れた顔では失礼だから」


 クレアの話を聞いたレイラは上機嫌になり、残りのスープを全て平らげて寝室に入っていった。急に元気になり、上機嫌になった母親に首をかしげるクレアだったがその理由はトリスが来たときに判明した。


 三つ目の鐘が鳴る少し前にレイラは起きてきた。顔を洗い身支度を調えていた娘の格好を見て目を丸くした。朝と同じ格好で勉強している我が子に目を疑った。


 クレアは剣の稽古をするのは朝だけとレイラと約束している。それ以外は家事をしたり本を読んだり勉強をして過ごしている。それはいい、問題は服装だった。これから男の人と会うのにお洒落の一つもしない娘に驚いていた。


「クレア。ちょっとこっちに来なさい」


 そう言ってレイラはクレアにお洒落を施し家から送った。クレア自身もお洒落をすることには抵抗はなかったが、何故レイラは自分にお洒落をさせるのか不思議だった。でも、お気に入りの服を着て髪を梳いてもらい出かけるのは悪くなかった。この格好でトリスにあったらどんな顔をするのだろう。


『褒めてくれるだろうか?』


 そんなことを思いながら待ち合わせの場所に向かったが、結局クレアが思う結果にはならなかった。




「…………あの角を曲がってもう少し歩いたら着きます」


 先ほどのことが尾を引いていて、クレアは少し落ち込み気味に淡々と道案内した。トリスは返事はするがそれ以上は何も言わなかった。クレアの服装にも何も触れない。『折角お洒落したのに無関心とはどう言うことだ!』と少し後ろを歩くトリスを睨みつけていた。だが、視線を少しずらすとトリスが何かを手に持っていたことに気が付いた。トリスは片手で持つには少し大きい木箱を抱えていた。気になって少し近づいてみると甘い匂いがした。


「手土産ですよ。レモンムースを使った焼き菓子だそうです」


 トリスはクレアの行動を察して木箱の中身を告げた。木箱には店の焼き印がされておりその焼き印にクレアは見覚えがあった。


「これ、ラフォードのお店の焼き印ですよね」

「ええ。お昼に姉妹店で食事をしたところ紹介されまして。せっかくなので手土産で買ってきました」


 トリスがお昼に食事をしたのはリフォードと言う小麦をメインに扱うお店だった。パンや麺類の料理が豊富に揃っており、トリスはいつもの用に大量のメニューを注文した。出された料理を残さず綺麗に食べるトリスをみた店長兼料理長はトリスのことを気に入り姉妹店のラフォードを紹介してくれた。流石にそのときは食べられなかったが、せっかくなので手土産にと思い立ち寄った。


「ここのお菓子昔食べたことがあるの。とっても美味しかった」

「それは良かったです」

「うん。また、食べたいと思っていたからとっても嬉しい」


 服は褒めて貰えなかったが思わぬ手土産にクレアの機嫌は良くなった。服のことなど忘れてトリスの持ってきた手土産に夢中になった。そんな会話をしているうちに目的のクレアの家についた。


「ただいまぁ」


 クレアは家の扉を勢いよく開けて帰宅した。台所でお茶の準備をしていたレイラはすぐに反応してトリスを迎え入れた。


「おかえりなさい。そちらの方が朝言っていた人?」

「はじめまして。トリスと言います。今日はお伺いしたいことがあり、お邪魔させて頂きます」


 トリスは礼儀正しく挨拶をし、持っていた手土産をレイラに渡した。レイラは礼儀正しいトリスを気に入り笑顔で手土産を受け取りテーブルに案内した。


「まあ、お気遣いありがとうございます。さっそくお茶と一緒に頂きます。狭い家ですがどうぞ寛いでください」


 レイラとクレアの家は小さな貸家だった。元々漁師や兵士の休憩場所として建てられた家でキッチンとリビングが一緒になっており、奥に小さな部屋が二つあるだけの小さい家だ。リビングに置かれたテーブルにトリスは腰かけた。


「いい人そうでお母さん安心したわ」

「……そう?」


 キッチンでお茶の準備をしている母子はトリスに聞かれないよう内緒話を始めた。


「そう言えばどこで知り合ったの?」

「朝の剣の稽古しているときに向こうから話しかけてきた」

「なるほど。なるほど。それで何時知り合ったの?」

「知り合ったのは……あ、お湯が沸いたよ」


 お湯が沸いてクレアはお湯をティーポットに移してお茶を淹れ始めた。娘の色恋沙汰に興味津々な母親と手土産のお菓子に夢中な娘の会話は最後まで認識がずれていた。


 後に二人はもっと母娘で会話をしておけばよかったと語った。


「お茶の準備ができました」


 クレアは淹れたてのお茶をトリスの前に置き、母親と自分の席にも置いた。レイラはお菓子用の受け皿とフォークを人数分、それとお菓子の取るトングを持ってきた。クレアはテーブルの中央に置かれた木箱を開けた。


 木箱を開けるとレモンと同じ大きさの焼き菓子が縦四つ、横四つに綺麗に並べてあった。木箱に魔鉱石が埋め込まれているため焼き菓子はちょうどいい温度で保温されていた。


((一人四つは食べられる‼))


 木箱を開けた瞬間に母娘は自分の取り分を瞬時に計算して、それぞれの受け皿にお菓子を移し始めた。


 そんな母娘の様子をトリスは微笑ましく見ながら一つ気になることがあった。レイラの体調が聞いていた通り悪いようだ。顔色は化粧で誤魔化しているが時折足取りが危ういときがある。疲労かそれとも性的な病気かは判らないが一度診てみる必要があると思った。


「では、お茶の準備が整いました。まずはトリスさんのお土産を頂きましょう。話はその後で」

「うん」


 レイラとクレアはそう言ってトリスのお土産に手を付けた。トリスもお茶を一口のみ焼き菓子に手を付けた。レモンムースの菓子は食べると思ったよりも酸っぱかったが後味が良かった。酸味がスーッと溶けるとあとに心地よい甘味がほんのり残る。思った以上に美味しいお菓子だ。それにレモンには疲労回復。糖分には神経の疲れを癒すと言われている。


 過剰摂取には気を付ける必要があるが、育ちざかりのクレアやきつい仕事をしているレイラにはちょうどいいお菓子だ。トリスがそんなことを考えながら二人の様子を見た。レイラとクレアはお菓子の美味しさに至福の笑みを浮かべていた。表情はさすが母娘なのでよく似ている。二人は一つ目を早速平らげて次のお菓子に手を伸ばしていた。


 トリスはゆっくり一つ目のお菓子を味わっていたが自分の分を半分食べたところで今日この家に来た目的を話し始めた。一応レイラとクレアに気を使い二人が二つ目を食べ終わったのを見計らった。


「今日、レイラさんにお会いしたのはお願いがあったので来ました」

「――お伺いします。私も一人の母親ですのでいつかこの日が来ることは覚悟していました」

「覚悟? では正直に話してくださるのですか?」

「それはトリスさん次第です。あなたの誠意次第で私も覚悟を決めます」

「誠意? 覚悟? よく判りませんが話を続けます」


 微妙に話がかみ合っていなかったがトリスは話を続けた。


「レイラさんの夫でクレアさんの父親は『イーラ・エーデ』で間違いありませんか?」

「……………………はい?」

「それは肯定と言う意味の返事ですか?」

「え、あ、いや。肯定と言うか、何で私の夫の話になるのですか?」

「今日伺ったのはそのことを聞くためです」

「クレアのことではなくて?」

「クレアさんの父親のことですが何か?」

「…………えっと、クレアと付き合いたいとか将来のことなどの話ではなく?」

「付き合う? 将来? いえ、私が聞きたいのは過去のことですが……クレアさん、レイラさんには何て言ったのですか?」


 二つ目を食べ終わり、三つ目の焼き菓子に手を伸ばそうとしたところで話を振られたクレアは悲しそうに焼き菓子を受け皿に戻して答えた。


「普通に母さんに会わせたい人がいるから今日連れて来るって伝えただけだよ」

「他には?」

「他は、男の人って言ったけれど」

「――その言い方だと自分の恋人や婚約者を親に紹介する言い方です。人によっては間違えますよ。現にレイラさんは間違えています」

「えっ!!」


 トリスの言葉にクレアは意味を理解して赤面した。朝の赤面とは比べ物にならないくらい首まで真っ赤だ。そんなクレアの様子にレイラも状況を理解し同じように赤面していた。まさか、恋人の紹介かと思ったら全く違う。一人で勘違いしてしまった。


((恥ずかしい))


 母娘は揃ってテーブルに顔を伏せてしまった。レイラは娘の恋人が来ると思い一人で舞い上がり、クレアは母親に恋人を紹介するような言い方をしてしまった。それをトリスに指摘され二人とも羞恥でまともに顔を上げることができない。まさかこんなことになるとは思っていなかったトリスは彼女達が回復するまでゆっくりお茶を飲んで待つことにした。




「いいえ、違います」


 しばらくして母娘の精神が回復したのでトリスは再度『イーラ・エーデ』のことをレイラに問い直した。しかし、レイラからの回答は否だった。レイラは先ほどのまでの柔らかい雰囲気ではなく、敵対者を見るような険悪な雰囲気に変わっていた。


 そんな母親の態度にクレアは何か思うところがあるのか落ち着かない様子だ。何か言いたいが先ほどのことが尾を引いて言葉にできないでいた。トリスも対照的な二人の様子を察していた。


「もう一度お聞きしますが、本当に『イーラ・エーデ』はあなたの夫ではないのですか?」

「違います。確かに以前『イーラ・エーデ』と言う方が私の夫だと噂が流れましたが、私の夫ではありません。冒険者だったと言う点では同じかもしれませんが全くの別人です」

「では、娘さん、クレアさんの剣の型はどこで習ったのですか? あの型は『イーラ・エーデ』が使っていた我流の型です」

「判りません。夫が以前誰かに教えて貰ったのではないでしょうか? 冒険者にはよくあることだと聞きます」

「そうですか……」


 トリスの言葉にレイラは全く取り合わなかった。


「トリスさん。美味しいお土産ありがとうございました。あなたの要望にはお答えできなく申し訳ございません。ですが私もそろそろ店に行かなければなりません。今日のところはお引き取りください」


 店に行くには実際はまだ時間はあるがレイラは話を切り上げることにした。これ以上話を続けるとトリスに()()()()()()()()()()()()可能性があったからだ。


「厄災から身を守る加護を」


 不意にトリスが呟き、懐からペンダントを取り出してテーブルの上に置いた。古ぼけたペンダントで先端の宝石は砕け装飾品の価値を失っている。しかし、トリスはこのペンダントを大事にしている。かつて『イーラ・エーデ』から譲り受けたこのペンダントはトリスにとって大切なものだから。


 そして、ペンダントを譲り受けたときにこの編み紐についても聞いた。恋人の故郷に伝わる独特の編み方で様々な編み方がある。編み方の一つ一つに意味があり、数種類の編み方をすることによって一つの護符としての意味を成す。トリスが持っているペンダントの編み方は『厄災から身を守る加護を』と言った意味を持っているとイーラから教えて貰っていた。


「どうして、これが……」


 レイラは動揺していた。テーブルの上に置かれたペンダントには見覚えがあった。正確に言えばペンダントの編み紐は自分が編んだものだ。二十年以上前に恋人であり夫であった人がいつも持ち歩いていたお守りの宝石に付けたのだ。


 編み紐を渡したのは婚約をして一年目の記念に渡した。だが、彼はこのペンダントと編み紐を他の人に譲ってしまった。それを聞いたとき、レイラは激高したのをよく覚えていた。




「何であのペンダントあげたのよ!」

「ごめん。仕方がなかったんだ。彼に渡す物がなくて。彼は恩人だったから下手な物を渡す訳にはいかなかったんだ」

「お金だっていいじゃない!」

「それだと誠意が伝わらない。それにこれからのことを考えたらお金は貯めないとダメだろう」

「……そうだけど」

「本当にごめん。でも彼にも生きて欲しかったんだ。同じ冒険者としてお互い頑張っていきたい」

「――はぁ。もうわかったわよ。許すのは今回だけだからね」

「ありがとう。フレイヤ」




 甘く切ない記憶をレイラは思い出していた。夫はペンダントを渡した人は同じ冒険者で、何度か一緒に冒険をしたらしい。その人と冒険に行った日は機嫌がよく、だんだん夫が言う彼に会いたくなってきた。一度だけそのことを夫に言うと快く承諾してくれた。


 だがそれは叶わなかった。ペンダントを渡した人が冒険に行って帰って来なくなったからだ。何でも塔の中で魔物に襲われて川に落ちたらしい。その人の仲間と夫が捜索したが結局遺体すら見つからなかった。


 レイラはもう一度ペンダントを見つめ手に取った。編み紐の部分は自分が作ったもので間違いなかった。細い紐は切れないように丈夫な素材を選んだ。完成した後に一カ所だけ間違って編んだところがあり、うまく細工したところもこのペンダントにはあった。これを持っているということは目の前のトリスと言う青年は彼の関係者に違いなかった。


「あなたは一体誰ですか?」

「その質問に答えるにはあなたにもう一度答えて貰う必要があります。あなたの夫は『イーラ・エーデ』ですか?」

「…………はい、私の夫は『イーラ・エーデ』です。この子の父親でもあります。ですがこのことはどうか内密にして下さい。理由があるのです」


 しばらくの沈黙後、レイラは『イーラ・エーデ』と夫婦であることを肯定した。トリスにとってはそれは朗報だった。


「判りました。それだけ聞ければ十分です」

「クレアもごめんなさいね。お父さんのことは黙ってなさいって言っていて。でもこの人なら信用できるわ」

「うん。判ったよ。それでトリスさんはお父さんとどう言った関係なの? 昔知り合いにしては若すぎるよね」

「――その話をする前に誰か来たようです。お静かに」


 トリスがそう言った直後、扉が盛大に開き一人の男が入ってきた。男はいかにもチンピラと言った感じの風体だった。レイラはチンピラと知り合いらしく席を立ち扉の前に向かった。


「邪魔するぜ。レイラはいるかい?」

「ラグさん!? 今日はどうしたのですか? もう少ししたらお店に行きましたのに……」

「オーナーからの伝言を届けに来た。しっかり聞いとけ」


 そう言って男はレイラと話し始めた。


「彼は誰ですか?」

「母さんのお店の従業員」


 トリスはクレアは小声で訪問者のことを聞いた。訪問者はレイラの店の従業員でラグと言う。雑務をこなす人で今日はオーナーからの伝言を届けに来たようだ。しかし何やらレイラと揉め始めた。


「急にそんなこと言われても困ります」

「俺に言われてもなぁ。オーナーがそう言っていたから仕方がない」

「私は問題ないです。急に休め何て言われても困ります」

「でも、昨日も少しフラついていたし、体調が悪いならきちんと休まないとダメだろう」


 どうやらレイラの体調が悪いのを察して休暇を進めているようだがレイラは断っている。トリスが見たかぎりレイラは確かに体調を崩しているので口を挟むことはしなかった。


「クレアの嬢ちゃんも何か言ってくれ。レイラは体調が悪いのを隠して店に出ようとするんだ。娘からも無理するなって言ってくれよ」

「…………」


 ラグがクレアに話を振ってきた。しかしクレアは答えようとしなかった。レイラから仕事に関しては口を出さないようにきつく言われているからだ。トリスはそんな三人の様子を見て不可解なことに気が付いた。レイラの態度、ラグの態度。それぞれ立場と態度が一致していないのだ。


 レイラはなぜそこまでして、店に行こうとするのか。普通体調が悪ければ休みを取る。金銭の問題があったとしても下手に体調を崩して長期的な休暇が必要になったらその方が後々問題になる。


 ゆっくり休暇をとり、体調を戻した方が得策なのに無理に働こうとしている。レイラの容姿なら固定客もかなりいるはずだ。体調を戻して再度働けばよいはずが、なぜかレイラは切迫している様子だ。


 一番気になるのはラグの態度だ。ラグは従業員としてレイラを心配しているのではなく、この状況を楽しんでいるように見える。また、クレアを見る目も男が女を値踏みするようないやらしい目つきだ。子供に向ける視線ではない。


 その状況からトリスは一つの仮説を立てた。




 まず、賊に襲われ殺されたはずのレイラ達は生きていた。このことから賊に売られこの街で娼婦として生きている羽目になったと考えられる。娼婦で売られた場合はある程度金を出せば自分で自分を買い取ることができる。レイラはそうして今まで稼いできたに違いない。自分で自分を買い取るために。


 そして、それは娘のクレアにも言える。


 クレアも実は娼婦として売られているのではないか。この国の法律では十五歳未満の子供を娼婦として働かせてはならない。この法律はかなり厳しく守られている。そのため今までクレアは無事に過ごしてきていた。


 トリスはクレアを再度見た。歳はやはり十五歳くらいにみえるが娼婦として働いているようにはまだ見えない。色気や化粧っ気がなくまだまだ子供と言った感じだ。


(今なら間に合うか……)


 トリスはこの二人を助けるために行動を起こすことを決めた。


「おい、てめえは誰だ」


 ラグがトリスのことに気が付き話しかけてきた。トリスは自分の仮説を立証するため、行動を起こした。トリスは愛想のいい笑みを浮かべてラグに挨拶をした。


「私はトリスと言う旅人です。実は今朝クレアさんに助けて頂いたのでそのお礼に来ています。どうぞよろしく」

「おう、そうか。また、変な輩が来たと思ったぜ」

「変な輩とは?」

「ああ、そこのレイラに惚れた変質者達だよ。金がないから店には行けずにレイラを襲うとした連中のことだ。まあ、俺が二度と近づけないようにボコボコにしたがな」

「それは大変でしたね。お怪我とかされなかったのですか」

「雑魚にやられるほど軟じゃねえよ」


 ラグはそう見栄をついたが、実際はラグを含め数人で相手を集団私刑しただけだ。トリスもラグの立ち居振る舞いからそこまでの実力はないと判断した。


「それで今日はどうされたのですか? 先ほどから揉めていますが?」

「ああ、レイラのやつが体調が悪いのに店に出ようとするから止めているんだ。店は娼館だから、そういった奴を無理に働かしてもなぁ」

「確かに衛生面に気をつけないといけませんね。病気を移すとお店の信用にも関わりますからね」

「お前は判っているじゃないか。レイラ、聞こえたか。お前の我儘で店に迷惑がかかるんだよ。大人しく寝ていろ」


 ラグは勝ち誇った笑みを浮かべ、一方レイラは顔を青くして俯いてしまった。トリスの言っていることは正論であり、仮に病気だった場合は関係のない店の客に迷惑が掛かってしまうことをレイラは判っていたからだ。だがそれでもレイラにはお金を稼がないといけない理由があった。


「でも、レイラさんはなぜそこまでしてお店に出たがるのですか? 生活が困窮していても数日くらいならお店からも援助は出ますよね?」

「飯代や薬代くらい安く提供しているよ。レイラが金を稼ごうとしているのは借金の返済だよ。借金の返済。来月までに残りの借金を払わないと……」

「ラグさん!」


 突然レイラが大声を上げてラグの言葉を遮った。レイラを見ると鬼気迫るような顔をしていた。


「それ以上は言わない約束です」

「おお、恐い、恐い。でもいくら大声を上げて睨んでもお前がしている借金は減らないからな。残り金貨二十枚を来月までに支払わないとどうなるか判っているな」

「……もちろんです」


 レイラは唇をきつく結び、爪が食い込むほどこぶしを握り締めいた。トリスはレイラの様子から自分の仮説がほぼ正しいことを確証して次の手を打った。


「では、私が金貨二十枚を立て替えましょう」

「はぁ?」

「トリスさん!?」


 ラグとレイラにトリスの突然の申し出に驚き、クレアに至っては状況について行けないのか目を白黒させていた。


「お前何を言っているんだ。金貨二十枚だぞ。金貨二十枚」

「ええ、判っています。私が金貨二十枚を今から返済します。金貨の証文はちゃんとありますからご心配なく」


 トリスはそう言うと懐から金貨二十枚と金木犀でラロックが作成した証文をテーブルの上に置いた。金貨は偽造防止のために証文を作られることがある。金貨には国が発行した際の印があり偽装することはまず不可能だが、証文もあれば間違いなく本物と言える。ラグは証文と金貨一枚を手に取り確かめた。本物だ。少なくともラグにはこの証文と金貨は本物に見える。


「問題はありませんか?」

「う、うるせぇ。少し黙っていろ」


 ラグは残りの金貨十九枚全て確認を始めた。一枚一枚を丁寧に確認し、偽物がないか確認した。


 レイラはいつの間にかクレアに寄り添い成り行きを見守っていた。もし、これで借金を返せるなら娘を守ることができる。トリスには後で自分から事情を説明して立て替えて貰った分を誠心誠意返却しようと心に決めた。


 ラグが最後の一枚を確認したのを見計らってトリスが声をかけた。


「ラグさん。どうですか? 金貨に問題はないですか?」

「……俺には判断できない。オーナーを呼んでくるから待っていろ。金貨と証文はこっちで預かるがいいな!」

「判りました。では、ここでお待ちしています」


 ラグは金貨と証文をもってレイラの家から飛び出していった。ラグが扉から出て行くと「ドスンッ」と、後ろで物音がした。振り返ってみるとレイラが座り込んでいた。どうやら一連の騒動が終わり安心した瞬間に腰が抜けてしまったようだ。トリスはそんなレイラに手を貸し椅子に座らせた。


「安心するのはまだ早いですよ。多分これから店のオーナーが来ます。その後にいろいろと問題が起きるでしょうから荷造りをお願いします。時間は余りありませんよね」

「はい、ここから娼館まではそんなに距離はありません」

「この鞄をお貸しするので必要な物を入れてください」

「これは魔導鞄(マジックバック)ですか?」

「はい、中身はほぼ空なので荷物は全部入ると思います」

「判りました。クレア、すぐに必要な物をこの中に入れて」

「ええ、あっ、うん」


 突然の展開にクレアは混乱していた。借金のことは知っていたがトリスがそれを立て替えてくれた。これでレイラはもう娼館で働く必要がなくなる。そうなればここで貧しいながら穏やかな日が来ると思っていた。しかし、トリスとレイラは急に荷造りの話を始めた。どうしてここを離れないと行けないのか頭が状況に追いついていかなかった。


 そんなクレアに見かねたトリスが優しく声をかけてきた。


「クレアさん。申し訳ないですがここから出る準備をしてください。時間がないので説明を省きますが、早くしないとお気に入りのぬいぐるみや枕を置いていくことになります。枕が変わって寝られなくなると困りますよ」

「――子供扱いしないで! 枕が変わっても寝られるもん。寝られないのは母さんだもん」


 ぬいぐるみについては否定しなかったが、枕については否定し、母親の秘密を暴露しながらクレアは寝室に向かった。お気に入りの熊と兎のぬいぐるみを取りに行ったのだ。


「……わ、私も荷造りをしてきます」

「レイラさんはちょっと待ってください」


 娘に秘密を暴露され、少し赤面しながら寝室へ向かおうとしたレイラはトリスに呼び止められた。


「取り敢えず上着を脱いでください。みますので」


 トリスの思いがけない言葉にレイラの顔が更に赤くなったのは言うまでもない。




「なにぃ、レイラの借金を肩代わりするだと!」

「はい、これがその金貨二十枚と金貨の証文です」

「確かに証文は本物だ。金木犀の店とは何度か取り引きしたことがある。証文のサインは確かにオーナーの筆跡だ」

「では金貨は間違いなく本物で、レイラの借金は……」

「ああ、これで返済が終わった。どこのどいつだ人から金づるを奪おうとする奴は!」

「トリスと言う旅人です。見た目は二十歳過ぎの男です。後、剣を持ってましたが護衛はいませんでした」

「ふん、貴族や商人ではないな。後は冒険者か傭兵。もしくは騎士か」

「国に仕える騎士が娼婦の借金を肩代わりしますかね」

「……騎士とは考えづらいな。だが、そんなのはどうでもいい。問題はこのままではレイラと娘のクレアが取られてしまう。そうすると店の売り上げに問題が出てしまう」

「確かにレイラには固定客もいますから。それにクレアも娼婦になったらいい稼ぎになります」

「その通りだ。金の卵を産む鶏は多い方がいい。それよりもラグ、お前は暫く身を隠せ」

「はい? どうして身を隠す必要があるのですか?」

「お前は今日はどこにも行っていないし、何もしていない。体調が悪いからしばらく家で休むことになっていた。他の連中にはそう言っておく。後は判るだろう」

「…………そう言うことですか。判りました」




 レイラの家の扉がノックされた。レイラは家の扉を開いた。


「はい。どちら様ですか?」

「……俺だ。上がらせて貰うぞ」

「まあ、オーナーのデリさんですか。どうぞ、どうぞ。狭い家ですが入ってください」

「……邪魔する」


 レイラの言葉にデリは戸惑った。いや、正確に言うとレイラの容姿に戸惑っていた。昨日会ったときは体調が悪かったせいか生気もなく、影を帯びた印象だった。それが今は違う、生気があり浮かべる笑顔も柔らかく暖かい物だ。昨日と今日でまるで別人のレイラの様子にデリは戸惑っていた。


「どうかされましたか?」

「!?」


 デリが戸惑いなかなか部屋に入らなかったのでレイラが覗き込むようにデリを見上げた。その仕草はとても愛らしく、その表情は娼婦特有の蠱惑的な笑みだった。


『抱きたい』


 そんな思いがデリの脳裏をよぎったがすぐに払拭し部屋の中に入った。部屋にあるテーブルには娘のクレアと青年がいた。お茶をしていたらしく飲みかけのお茶と空になった木箱がテーブルに置いてあった。


(こいつが報告にあったトリスと言う旅人だろう。報告の通り、二十歳過ぎの若造で椅子のそばに剣を立て掛けている。やはり冒険者か、傭兵だろう)


 デリはクレアとトリスがいることを確認して開いている席についた。クレアは「お茶を用意します」と言い台所に向かい入れ替わりにレイラが席に着いた。


「デリさん。今日はどのような御用件でいらしたのですか? 出勤にはまだ早いと思いますが……」

「いや、昨日体調が悪そうだったので近くに寄ったついでに来たのさ。従業員の体調管理もオーナーの務めだからな」

「まあ、それは、それは、わざわざ心配して来てくださるなんて。ありがとうございます」

「気にするな。ところでそちらの御仁は誰かね?」


 デリはレイラ達から借金の話を振ってくることを待った。デリの計画ではレイラ達から借金の話を始めて、最終的にラグから金を受け取っていないと恍ける予定だ。それまでは関係のない話で時間を潰すことにしている。


「ところでそちらの方は?」

「彼はトリスさんで娘の友達です」

「トリスです。始めまして」

「そ、そうですか。こちらこそ始めまして」

「先ほどまで、トリスさんが買ってきてくださったお菓子を頂いていました。オーナーが来ると分かっていれば残しておきましたのに……すいません」

「ああ、気にするな。急に来たこちらも悪い」

「お茶を淹れましたのでどうぞ」


 先ほど席を外したクレアがお茶をデリに差し出した。デリはお茶を飲み一息ついた。


『何かがおかしい』


 お茶を飲み一息ついたがデリはレイラの態度が腑に落ちなかった。レイラはトリスを娘の友達と紹介した。本来なら借金の肩代わりをした恩人を娘の友人と紹介するレイラの行動が判らない。それにレイラは一向に借金の返済の話をしてこない。今も先ほど食べたお菓子の話をデリに聞かせている。


(ラグとの会話を聞かれたか? それなら向こうから借金の話をしてこないのは判る。だが、ラグと話をしたのは店の一番奥の部屋、即ちオーナーである私の部屋で話した。あの部屋は機密性が高く中の会話が漏れることはまずありえない。ではどうしてレイラは借金の話をしない。自分と娘の今後のことが気にならないのか)


 デリは見えない糸に絡まれている気がしてきた。何か目に見えないモノに自分を絡め取られている不安感に襲われた。不意にレイラと目があった。美しい瞳で流し目にデリを見ていた。


『抱きたい』


 また、先ほどの同じ思いが脳裏をよぎった。過去にレイラを抱いたことがある。この店に来たばかりの頃に研修と称してレイラを抱いた。そのときの彼女は夫を亡くしたばかりだが、娘を育てるために気丈にも男を受け入れていた。今のような妖艶さはなかったがあの抱き心地は良かった。その女が今は妖艶さを兼ね備え男を誘う術を身に着けていた。


(手放すには惜しい女だ。それに娘もクレアも母親に似て美しい容姿をしている。今はまだ生娘だが、男を知り調教していけば母親と同じようになるか、若しくはそれ以上の逸材になるかもしれない。

 そうなれば男はこぞって彼女らを買う。好色家の貴族や大商人の目にとまれば幾らでも稼げる。そうなればこの二人は正に金の卵を産む鶏だ。手放してなるものか)


 デリは邪まな思いを抱きこの母娘を何としても手放す気はなかった。だから焦る。いつもと様子が違うレイラの態度にどうしようもなく不安が募る。出直した方が得策に思えてきた。レイラが借金の話をしないのであればそのまま濁してしまえばいいとデリはそう考えレイラの家を出ることにした。


「今日はこれで失礼するよ。昨日と比べ随分と体調が良さそうで安心したよ。まあ、大事をとって今日は休んでも構わないぞ」

「お気遣いありがとうございます。では、お言葉に甘えさせて頂きます」

「ああ、わかった。ゆっくり休むといい」


 デリはレイラの言葉を聞くと席を立ちあがったその瞬間。デリの後ろから重い物が落ちる音がした。振り返って確認する前にレイラが落ちていた皮袋を拾い上げテーブルの上に置いた。皮袋の口は開いており、テーブルに置くと中からは金貨と数枚の羊皮紙が出てきた。


「まあ、これはさっきラグさんに渡した金貨と証文。それに私の契約書まであります。デリさん、ラグさんとお会いしたのですか?」

「なっ、なんだと」


(バカな。金貨と証文は確かに俺の部屋に置いてきた。レイラの契約書と一緒にしまっておいた筈なのに。それが何で此所にあるんだ!)


 予期せぬ事態にデリは軽く混乱した。オーナー室に入れるのは自分だけ。更にその部屋にある金庫の中にしまっていた物がどうしてここにある。胸のポケットに手を当てればそこに金庫の鍵はある。予備はないので金庫を開けるには金庫を破壊するしかない。仮に部屋に入れたとしても、金庫を破壊するような物音がすれば部屋の外の警備の者が気が付くはずだ。


 訳がわからないが何とかして誤魔化さないとレイラとクレアは自分の手から離れていってしまう。だが、その野心は叶うことはなかった。


「良かったです。デリさんが全然借金の話をしなかったのでラグさんと行き違いになっていたと思っていました。トリスさん、見てください。ちゃんと契約書と記載している金額を納めていますよね」

「確かにレイラさんとデリさんが交わした契約ですね。しかもクレアさんの十五歳の誕生日までに借金を返さないとクレアさんも娼館で働くことになっています。けれど残りの借金の金額は金貨二十枚ですのでこれで無事に完済ですね」


 誤魔化す前にトリスが契約書の中身を確認した。これで第三者として証人ができてしまった。


「これは違うのだ。確かに金貨と証文は受け取ったが、借金の全額貰った訳ではない」

「ですが残り二十枚と契約書の附属の資料に書いてありますよ」

「利子だ。利子が……」

「利子の分も込みで書かれていますよ」


 レイラと契約する際に逃げられないように事細かに契約書を書いたのが仇になった。契約書には期日までに支払えれば、契約は無効になるときちんと書かれていた。十年前に契約書を交わしたとき、レイラが全ての借金を返すとはラグは予想をしていなかった。


 もしものためにいろいろ手を尽くしていたが、その苦労はすべて水の泡となった。残る手段は一つしかない。デリはここにいる母娘を拉致してトリスを始末することにした。幸いなことに外に用心棒を三人待機させている。


 用心棒とは名ばかりで実際は元傭兵で犯罪行為を何度も行っている犯罪者だ。腕は立つので内密にこの街の裏組織が雇っている手勢だ。レイラの家に来る前に念のために裏組織に立ち寄りこいつらを雇ったのは正解だったとラグは内心で自分を称賛した。トリスが多少腕が良くてもこの三人をまとめて相手して勝つのは不可能だ。

 

 デリは嫌らしい笑みを浮かべレイラの家の扉を開けた。周辺の住民に聞かれたとしても金を渡して黙らせればいい。今、重要なのはレイラとクレアを拉致してトリスを殺すのがもっとも優先度が高い。


「お前たち、女達を拉致して男を殺せ」

「「「……判った」」」


 デリが扉を開けてそう叫ぶと屈強な男が三人レイラの家に入ってきた。三人とも服で隠れているが体中には大小様々傷がある歴戦の猛者だ。武器も室内で戦うことを想定していたのか短いが厚みにあるナイフを手に持っていた。


「おっ、上玉の女が二人もいるじゃん」

「報酬は要らないからこの女どもを好きにさせて欲しな」

「そいつはいい。デリさんよ、その条件でどうだい?」

「母親はいいが娘はダメだ。始めての相手をお前らにさせたら壊れてしまう。娼婦として使えるようになったら使わせてやる。それまでは我慢してもらうがそれでいいか?」

「俺はそれでいい」

「俺も構わない。その方が美味そうだ」

「俺は母親だけでいい。その分多く使わせて貰う」

「交渉成立だ。始末しろ」

「「「了解」」」


 デリがそう言うと男達はレイラとクレアに近づいた。レイラとクレアは男達が入ってきた時点で部屋隅に移動し互いを支えあっていた。男達が更に近づこうとしたときに両者の間いにトリスが割り込んだ。静かに何も言わず男達を睨んだ。


「おい、『ガキが出る幕じゃない。引っ込んでろ』と、言いたいところだがお前を始末するのも仕事だ。大人しく殺されろ」

「いやいや、抵抗してもらって構わないよ。世間知らずのガキは俺が相手してやる」

「相変わらずサディストだな。だが余り時間をかけると憲兵が来るから楽しみ過ぎるなよ」

「あいよ。そう言う訳だ。ガキの相手は俺がしてやる」


 三人の中で一番小柄な男が前に出た。小柄と言ってもトリスと同じくらいの体格だ。他の二人が大柄で小柄に見えてしまうだけだ。そんな三人に対してトリスは言った。


「俺は今年で四十二歳だ。俺をガキと言うことはお前らも大分歳を取っているんだな」

「「「「「「…………」」」」」」」


 部屋に沈黙が訪れた。まさかガキだと思っていた目の前の男が自分達より年上だとは思わなかった。用心棒達は全員まだ三十歳前後でデリも今年で三十九歳になったばかりだ。


 トリスの言葉にレイラとクレアも同じように驚いていた。レイラは(トリスを)ペンダントの持ち主だと最初は思ったが、見た目が余りにも若かったのでの血縁者と思っていた。クレアも見た目通りの年齢で自分より少し上だと思っていた。二人とも自分の夫と父親と同じ年齢とは思わなかった。


「どうした? 急に静かになって。まさか年齢を聞いただけで怖じ気づいたのか?」

「うるせぇ。爺がいきがるな」


 小柄な男はナイフを握り締めトリスに斬りかかった。トリスは自分の剣を抜くことはせず、右手を真っすぐ前に伸ばし左手を右腕の二の腕を掴んだ構えを取った。


『ゴッ』と鈍い音が部屋に響いた。次にトリスに斬りつけようとした男が足元から崩れ落ちた。周りにいた誰一人何が起きたのか分からなかった。突然男が一人で勝手に倒れたように見えた。


 レイラ、クレア、デリは状況について行けず呆けていた。用心棒の残り二人の男達は瞬時に警戒した。傭兵や用心棒で培った歴戦の勘が警告を出したのだ。ナイフを握りしめ腰を落とし、戦闘態勢をとったが既に遅かった。


『ゴッ、ゴッ』と鈍い音がまた聞こえた。今度は二回。デリは恐る恐る男達を見たその瞬間、残り二人の男たちも足元から崩れ落ちた。


「ヒィ」


 情けない声がデリの口から漏れた。男達は皆口を大きく開け気絶していた。顎の骨が破壊され激痛で気を失っていた。トリスは腕を降ろし男たちに近づくと首の後に手を当てた。何かの呪い(まじない)をしたのかトリスの手が男たちの首の後ろを触った瞬間に男たちは一瞬体を震わせた。


「これでこいつらは暫く手足を動かすことはできない」

「な、何をした」

「顎の骨を砕き、首の骨の一部を破壊した。暫くはまともに食べることも動くこともできなくなった」

「こ、こんなことをしてタダですむと思っているのか。こいつらはこの街の裏組織が雇っている用心棒なのだぞ」

「知るかそんなこと。先に手を出してきたのはそっちだろう。返り討ちにあって逆恨みするな。そもそもこいつらを雇ったのはお前だろう。その時点で今回のことはお前が首謀者であり、責任もお前がとるのが筋だ。相手の力量も読めず、雑魚を差し向けたお前の責任だ。裏組織から責任を取らせられるのはお前だよ」


 トリスの言葉は一般の組織では当たり前だが、裏組織の連中に通じるかは不明だ。しかし、せっかく連れてきた護衛兼用心棒を瞬殺されて、デリは冷静な判断ができなくなっていた。


「ああああ、お終いだ。何もかもお終いだ」


 デリは体を縮こめるブツブツと呟き始めた。そんなデリにトリスは交渉(脅迫)をして金貨二十枚をデリに渡し金貨を渡し契約書に返済したことのサインを書かせた。これでレイラとクレアは晴れて自由の身となった。トリスは契約書を懐に入れレイラとクレアに声をかけた。


「これでよし。では、予定通りここを立ち退きます」

「――口調……戻っている」

「口調ですか? ああ、先ほどの口調は普段の口調です。師匠の教えで初対面の相手や敬意払うときは丁寧に話すように教えられました。どうでもいい相手に丁寧な口調は疲れますから普段の口調になります。それよりもここから出ます。取り敢えず私の宿に……」

「嫌っ」

「確かに出会ったばかりの男の部屋に行くのは女性として抵抗があると思いますが……」

「そうじゃなくて。その口調が嫌なの!」

「……はい?」

「さっきの口調がいい。丁寧な口調はしないで!」

「クレアさん、何を言っているのですか? 今の状況で口調なんてどうでもいいでしょ」

「どうでもいいなら普段の口調にして。ねえ、母さんもそう思うよね」


 トリスの言葉を遮りながらクレアはズバズバと自分の主張を口にした。丁寧な口調の何が気にいらないのか、終いには母親のレイラにまで賛同を求めてきた。レイラも小声で「私も普段の口調の方がいいです」と言う始末だ。


 クレアの口調も態度も変わっていた。明らかに親しい人に話しかける気さくな態度だった。トリスはこのままで埒が明かないと思い、観念して普段の口調に戻した。


「判った。判った。これでいいのだろ」

「うん、すごくいい。丁寧だと他人行儀で嫌っ!」

「他人だと思うが」

「違うよ。だってトリスは父さんの仲間でしょう? 仲間は家族だって父さんが言ってたもん」


 イーラらしい持論だだとトリスは思った。だが、トリスはイーラの友人ではあったが仲間ではなかった。だが、今はそんなことを指摘している時間はない。


「とにかく、ここを離れて俺の宿に行く。レイラさんとクレアさんはもう一度荷物の確認をして。ここには二度と戻ってこられないからな」

「「呼び捨てでいいよ(です)」」


 呼び方はせめて丁寧にしようとしたが母娘そろって異口同音で拒否され、トリスは少し切なくなった。落ち込むトリスをよそにレイラとクレアは家を出て行く準備を始めた。



お盆休み中ですが私は仕事です。

台風が近づいているみたいなので皆さんお気を付けください。


2020年10月24日に誤字脱字と文章の校正を修正しました。

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