港街サリーシャ 思わぬ旅人
新章です。
2020年2月8日に見直しを行いました。
魔鉱石の鑑定方法を変更しています。
港街サリーシャ
この港街サリーシャは大都市アルカリスに一番近い港街だ。冒険者が『塔』で搾取した物の一部をこの港街から各国に流通させる。そのためこの街は国で一番発展している港街であった。
そんなサリーシャの市民街の一角で素振りをしている少女がいた。歳の頃は十四、十五歳。まだ、日が昇ったばかりの時間なのに少女は一心不乱に木剣を持って素振りをしていた。
少女にとっては十年前にこの街に来てからの毎日の日課だ。通常の木剣より、小振りの木剣を使い、何度も何度も同じ型を繰り返していた。亡き父に教わった唯一の型を忘れないように何度も何度も繰り返し素振りを行っていた。
「名前はトリスさんで年齢は四十二歳でよろしいですか? 随分と見た目と違っ……失礼しました。見た目が私と同じくらいに見えましたので」
兵士はそう言って身分証明書の作成を始めた。
街の門の一画に設置している詰め所でトリスと呼ばれた男は街に入るための検査を受けていた。
このサリーシャでは外部からくる人が大勢いる。当然人が多く集まればトラブルも増える。そのトラブルをなるべく抑え込むため、初めて街に訪れる人は検問で一人一人を確認して身分証明書を発行する。
もし、事件に巻き込まれたとき身分証明書は必要になるのと善からぬことを企む者を事前に入れないための処置だ。
トリスは前にいたリザ村の村長から紹介状を書いてもらっていたので比較的スムーズに検問を受けることができた。
「それでリザ村の村長から紹介状があるので身分証明書は問題なく発行いたします。後、滞在期間は何日にしますか? 滞在日数で税金を納めて頂くことになっています」
「一日で幾らになりますか?」
「はい、一日で大銅貨五枚になっています。あっ、すみません。初回の方は身分証明書の代金の銀貨五枚を支払うことになっています」
兵士は壁にかけてある料金表を指で指しながら申し訳なさそうに答えた。壁にかけたあった料金表は確かに兵士が言った金額が書かれていた。
大銅貨五枚は安めの昼食代と同じくらいの金額で、銀貨五枚はこの街の一日の平均収入の半分になる。
金額を提示されたトリスは今の自分の懐事情を考えた。
硬貨は金貨と大銀貨、銀貨、大銅貨、銅貨をそれぞれ持っていたが金貨と大銀貨以外は余り持っていなかった。紹介状を書いて貰った漁村で手持ちの銀貨と銅貨の大半を使っていた。
この後は宿屋に行き、拠点を確保後にいろいろと小物を買う予定だった。なるべく細かい硬貨は残しておきたかった。大きい硬貨は店によっては遠慮されることがあるからだ。
金貨と大銀貨を換金する方法もあるがこのような大きな街では悪質な店もある。この街の情勢に詳しくないトリスにとってはなるべく換金は後回しにしたかった。しかし、こうなっては仕方がない。トリスは宿屋をみつけた後、すぐに換金をすることを決めた。
「何か問題でもありましたか?」
トリスが返事をしなかったので兵士は心配して声をかけてきた。
「いえ、手持ちの硬貨が少ないのでどうしようかと悩んでいました。この後に小物を買う予定だったので小銭はなるべく残しておこうかと思っていたところです」
「そうでしたか。ちなみに何か金貨や鉱石などを換金する予定でしたか? 良ければ信用できる店を紹介しますが……」
「本当ですか?」
「はい、この先の商業区画の入り口付近にある貴金属店です。店長は私の叔父が経営していましてラロックと言う名前です。店の店員に伝えてみてください」
兵士はトリスの話を聞き親切心から店を紹介した。門番の仕事をしていれば外部の人間と接触する機会が多い。トリスのように換金用の金貨を持っている旅人は珍しくない。
門番は店の詳しい場所をトリスに伝えた。トリスもせっかくなので門番の厚意に甘えることにした。
トリスは十日分の滞在費と身分証明書の代金を門番に支払った。
「宿屋に行くより先に行ってみてください。もしかすると宿屋も紹介してくれるかもしれません。では、こちらが身分証明書になります。紛失されますと再発行に銀貨三枚がかかります。また、こちらが十日分の滞在証明書になります。ここに書かれている日付よりも長く滞在して警備兵に見つかると罰金が科せられます。罰金は延長した滞在日数につき大銅貨十枚になります。気を付けてくださいね」
「ありがとうございます」
「延長する場合はここか街の中心にある役場かここと同じ詰め所で手続きを行ってください。では、お疲れさまでした。これで手続きは終了です」
トリスは兵士から身分証明書と滞在証明書を受け取り、詰め所を後にした。兵士に紹介してもらった店に行くために商業区画に方に足を向けた。
「ふぅ~。初日の初仕事が無事終了。疲れたぁ」
トリスを見送った兵士は詰め所で一息ついた。兵士は今年で三十歳になり、十日前にようやく副兵士長に任命され、今日から正式に副兵長として仕事に就いたのだ。
その初日に初めて見るタイプの人間、トリスと対話はかなり緊張していた。
街への入る検問の仕事は初めてではない。兵士になって真面目に働き、その功績を認められて、何年も前から任されるようになった仕事だ。副兵士長の職務の一つでもあったので仕事自体に問題はなかった。
ただ対応した相手が問題だった。
物腰も柔らかく言葉使いも丁寧だ。字もきちんと読めていたし、書いた字も綺麗だ。その様子からかなり高い学があり、貴族かそれに準じる者かと思った。だが着ている身なりはボロボロでしかも身分証明書を持っていなかった。
少なくとも他の街で暮らしていたり、小さい町や村に住んでいたなら身分証明書はあるはずだ。だがトリスが持っていたのは村長からの紹介状だけだった。さらに紹介状には村長自身が身元保証人をすると書き添えがあった。身元不確定者にこんなことをすることは滅多にない。盗品かと疑ったが紹介状は封蝋がされた封筒に入っており、手紙にはトリスの特徴も書かれていた。盗品の可能性も低かった。
きちんとした紹介状があるので拒否する明確な理由もないのでトリスの身分証明書を発行した。だが、念のために叔父の店を紹介した。兵士は親切だけで叔父を紹介した訳でない。叔父は貴金属店の他に副業として様々な商売に手を出している。人を観る目は自分よりも肥えている。何か問題になるような気配があれば叔父が見抜くだろう。
門番は数日以内に叔父の店に行くことを決め、次の業務に向かった。
トリスは兵士に教えてもらった道通りに進んだ。兵士の言葉を完全に信用はしていないが、この街の情報がないのでひとまず信用することにした。
「貴金属店 金木犀。ここか?」
兵士に教えてもらった場所にたどり着いた。指定の建物は三階建ての古い建物だった。だが見た目は綺麗に掃除されており、建物の作りもしっかりしていた。一目で上等な店だと判る。
初見で入るのは躊躇する店構えだが折角来たので入ることにした。もしダメだったとしてもそのときは別の店でも紹介して貰おうとトリスは考え扉を開けた。
扉を開けると備え付けのベルが鳴り、ベルの音を聞きつけ店の奥から女性の従業員が出てきた。従業員はトリスを見つけると一礼して挨拶をしてきた。
「いらっしゃいませ。ようこそ金木犀にお越しくださいました。本日はどのような御用件でしょうか?」
「換金です。金貨と大銀貨を換金したいのですが、よろしいですか?」
「承りました。奥の部屋で行いますので御案内します。失礼ですが当店はどなたかの御紹介でしょうか?」
トリスは門で身分証明書を発行した兵士のことを伝えた。彼の叔父がここの経営者と聞いてきたことを従業員に伝えた。従業員はそのことを聞くと一言礼を述べ、トリスを奥の部屋に案内した。
「こちらでお待ちください。今、店主のラロックを呼んできますので奥の席でお待ちください。荷物はよろしければそこにある箱の中に、外套はポールハンガーにおかけください。では、暫くお待ちください」
従業員はそう言うと部屋から出て行った。
案内された部屋はテーブルが一つと椅子が二つ。奥にポールハンガーとその横に大きめの箱が置いてあり、入り口の近くには棚が置いてあった。
トリスは従業員に言われた通り外套を脱ぎハンガーにかけ、荷物袋を箱の中に入れた。荷物袋の中から財布を取りだした。財布の中に金貨と大銀があるのを確認して、護身用の剣は腰のベルトから外し机の端に立てかけた。
暫く部屋の椅子に座っていると部屋の扉がノックされた。
「どうぞ」
トリスが答えると扉が開き、中年の男が入ってきた。歳は五十歳を過ぎた禿頭が印象的な男だ。
「ようこそ本日は金木犀を訪ねて頂きありがとうございます。私はこの店を経営しているラロック・テルナーと言います。本日は甥のリックスの紹介と伺っております」
男はラックスと名乗り一礼するとトリスの前に立ち右手を差し出してきた。トリスも立ち上がり、差し出された右手を掴み、握手を組み交わした。
「失礼します。お茶をお持ちしました」
先程の従業員がラックスに続き部屋に入ってきた。トリスとラックスの前にカップを置き琥珀色のお茶を淹れた。お茶からは優しい香りが鼻をくすぐった。従業員はお茶を淹れ終わると部屋から退出した。
「では早速換金に移りたいと思います。硬貨の御用意をお願いします」
従業員が出て行くのをラロックが確認すると、早速商談を始めた。ラロックは部屋にあった棚から天秤と重り、磨き布、紙とペンを取り出し机の上に置いた。
トリスも金貨と大銀貨を財布から出しテーブルの上に置いた。
「硬貨の鑑定には少し、時間がかかりますのでお茶を飲みながらお待ちください。南東の島国から仕入れた品で旅の疲れを落とすのに効果があります」
ラロックはそう言い硬貨を磨き、鑑定を始めた。トリスはせっかくなので出されたお茶を飲んだ。お茶は仄かに甘みがあり、優しい匂いと相まってとても気分が落ち着くいいお茶だ。きっと値段もそこそこする品とトリスは思った。しかし、そうするとなぜ自分はここまで歓迎されているのだろうと疑問が湧いてきた。
トリスは見た目は普通の旅人の格好をしている。前に滞在していたリズの村には旅用の衣料や道具がなく、今着ている服や靴は村長から譲り受けたものだ。長年使っていたために服や靴は日に焼けて薄汚れており、所々穴も開いている。お世辞にも見栄えがする格好ではなかった。
大きな取り引きをするのならラロックの対応も判るが、トリスは硬貨の両替にきているだけだ。手数料を幾らかは支払うがこの店にとっては大きな利益を得る取り引きではない。そのことを考えるとこの店の対応は親切過ぎる気がした。
何か裏があるのか。トリスは少し警戒をしながら硬貨の鑑定が終わるのを待った。
「お待たせしました。硬貨の鑑定が終わりました」
ラロックはそう言うと一枚の紙をトリスに渡した。紙にはトリスが出した金貨と大銀を換金する銀貨と銅貨の枚数が書かれていた。
「こちらの硬貨はすべて本物と判断させて頂きました。そこから換金する銀貨と銅貨の枚数を記載させて頂きました。こちらの金額になります。よろしいでしょうか?」
「手数料について記載していないのはなぜですか」
ラロックがトリスに渡した紙に書かれて両替の金額は適性だった。普通ならこれに手数料がかかる筈だが手数料については一切記載がなかった。トリスは視線を一度ラロックから机の端に立てかけた剣に視線を向けた。何かトラブルが起きたら直ぐに対応できるように意識を正した。
「手数料が書かれていないのはあなたと他にも取り引きをしたいからです」
「他に取り引きですか?」
予想もしなかったラロックの言葉にトリスは不審に思った。目の前にいるラロックは他に何を取り引きしようとしているのか? トリスはラロックを警戒するが、ラロックは柔和な笑顔を浮かべ話を続けてきた。
「はい、トリスさんは硬貨の他に何かを換金する予定ではないでしょうか? 宝石の原石と言った物、もしくはアクセサリーなどを売るのではないでしょうか?」
「どう言うことですか?」
「失礼ですがトリスさんは余り旅に慣れていない、もしくはつい最近までどこか別の場所にいて最近になって旅を初めたのではないでしょうか?」
「!」
「その様子ですと当たらずとも遠からずですかね」
トリスはラロックに対しての警戒度を上げた。何が起きてもすぐに対応できるように身構えた。
「そう警戒しないでください。私からすればトリスさんの方がよっぽど怪しいのですから」
「私が怪しい?」
「はい、順を追って御説明します。まず、あなたが着ている服ですが十五年ほど前に行商人の間で流行したデザインです。ある行商人がそのデザインの服を着て商売を行ったところ大成したのです。験担ぎで他の商人も真似をしました。一時期ですがこの辺りの行商人は皆同じ服を着ていました。しかし、暫く経ってその服を着た人が不審死することが多くなりました。野犬に襲われた者、山賊に殺された者、病気になった者。そんな人が数多く出てきました。普通に考えれば着ている人が多いのでそういう目に遭う人は少なからず出てきます。しかし、悪い噂は広がりやすいです。ましてや験担ぎで始まったことですから悪い噂を聞いた商人はすぐに着るのを止めました。今ではその服は商人の間では敬遠されています。だから私はその服を着ているあなたは誰かからか譲って貰ったか、安く買い取ったと判断しました」
「確かにこの服は貰いものだが……」
「そうでしたか。それなら私の予想した通りです。そして、トリスさんは旅を始めたばかりです。旅に慣れた人でもその服は着ません。その服はかなり傷んでいます。旅に慣れた人は補強するか新しい服を買うでしょう。しかしあなたは着続けています。私の予想ではこの街で新しい服を買う予定だったのではないですか?」
「…………」
「沈黙は正解と受け取りますが、そうなるとあなたが両替した理由が判らない。旅用の服を買うなら両替する必要がありません。旅用の服は普通の服と違って丈夫な素材でできていますから値段もその分高いです」
ラロックの予想と指摘は的を獲ていた。トリスは反論することはせず、静かにラロックの話を聞いた。
「次に、あなたの荷物の少なさです。旅をしてきてその荷物袋では小さ過ぎます。その袋の大きさではせいぜい替えの下着と数日分の食料と水しか入りません。旅をするには荷物は少ない方が良いですが野営の準備も無しに旅に行くのは自殺行為です。ここまで行商人の護衛としてきたとしてもこれからは必要になります。最低でも野営の道具を買う必要がありますから」
「大きな荷物を宿に置いてきた可能性は?」
「それはありえません。粗野な輩だったら判りますが、あなたと接した短い時間ですが、言葉使いや識字ができることからかなり高い教養を身につけています。そんなあなたが清潔にできる環境に身を置いたのに、身なりを整えないのは不自然です。私の予想ですが、あなたは本来なら旅の汚れを落とすために、宿を先に決める予定でした。次に古着屋などで普段着を購入して、旅に必要な道具の購入や旅用の服の下見をする。その後に街の情報を集め、売れる物を売りまとまった金銭を作る予定だった。違いますか?」
トリスは両手を軽く上げ「まいりました」と一言いい席を立った。箱の中に入れてある荷物袋から石のような物を取り出した。ラロックは満足気に笑みを浮かべその様子を見ていた。
「悔し紛れに一言だけ言わせて頂きます。私が売ろうとした物に宝石の原石やアクセサリーはありません。鉱物です。そして、これがその鉱物です」
トリスは拳くらいの鉱物を一つはラロックに手渡し、残り二つは机の上においた。ラロックは受け取った鉱物を早速鑑定した。一見ただの黒曜石に見えるが黒曜石にしては色が淡いく僅かだが鉱石事態が光っている気がする。ラロックはこの鉱石の特徴に覚えがあった。
「トリスさん、これはもしかして」
「お察しの通り魔鉱石です。大都市アルカリスにある『塔』の内部でしか取れない鉱石です」
「やはり、しかも純度がかなり良い。これはB級品、いや場合によってはA級品でも取り引きできる逸品」
魔鉱石
魔鉱石は人が加工することで様々な現象を起こせる鉱石のことだ。照明に使われたり、水を浄化したり、熱を生み出すこともできる。
大都市アルカリスの『塔』でしか取れない魔鉱石はF級品からS級品の七段階で取り引きされている。一番ランクが低いF級品でも需要は十分にある。今、ラロックが持っている鉱石は質が良く大きさも申し分ない。上から二、三番目に分類できる品で、相場ではこれ一つで金貨十枚以上の値が付く。
「自分で言っては何ですがこんな希少品が出てくるとは思いませんでした。鑑定装置を使ってもよろしいですか?」
「はい」
ラロックは先ほどまでの笑みはなくなり、三つ全ての鉱石を真剣に鑑定を始めた。見れば見るほどこの魔鉱石の質は良い。ラロックは部屋の棚に先ほどまで使っていた天秤を戻し、代わりに魔鉱石を鑑定する道具を取り出した。
鑑定装置は魔鉱石を指定の場所に置くと反応し、装置の一部が光る仕様になっている。C級品以上の魔鉱石から反応し、質が良い物ほど光量が増す仕掛けだ。
ラロックは魔鉱石を鑑定装置に置き、装置を作動させた。鑑定装置の一部が光り始めた。装置からは発せられる光量はラロックが予想していたよりも強く、トリスが渡した魔鉱石は良品だと示していた。
思っていた以上の品質にラロックは焦りを隠しながら魔鉱石を装置から取り出した。そして、トリスに魔鉱石の買い取り金額を提示した。
「三つ合わせて金貨五十枚で買い取ります」
先ほどの門にいた副隊長の一年分の給料と同額をラロックは提示した。これだけの逸品は滅多に出てこない。ラロックは自分が今買い取れるギリギリのラインで交渉することにした。
「――えっ!」
思わず素の声を出したのはトリスだった。自分が予想していた金額よりもかなり高い金額を提示されたからだ。トリスは三つ合わせて金貨三十枚になれば良いと思っており、予想額以上の金額を提示され思わず素の声が出てしまった。
トリスが内心慌てていたが、ラロックも思わぬ品に内心取り乱していた。
(今の反応からすると提示した額が少し安いか。しかし、この店でいま使える金貨は五十枚が限度だ。後払いにしてもう少し上乗せすることもできるが……どうする。下手に金額を上げれば向こうから更につり上げられてしまう)
(この鉱石ならせいぜい金貨三十枚と思っていた。なのになぜこんな値が付く? 鉱石の価値が高騰しているのか? だがリズの村ではそんな話はなかったのに……)
(しかし、この鉱石は欲しい。一旦向こうの提示する金額にして前金として幾らか払い、後払いにしてもらうか)
(ここで売ってしまえば予想していた金額よりも高い。不都合はないが何も判らないまま売ってしまうのは良くない。――どうするべきか)
「ラロックさん、少し話を聞いてよろしいですか?」
沈黙を破ったのはトリスだった。ラロックとトリスは互いに悩んでいたがトリスの方が先に結論を出した。
「この魔鉱石三つを金貨四十枚でお売りします」
「なっ!」
思ってもみなかったトリスの提示にラロックは思わず声を上げてしまった。商人としてあるまじき醜態にラロックは己を恥じたが、トリスはそんなことはお構いなしに売るための条件を提示してきた。
「この鉱石を売る代わりに私の質問に正直に答えてください。特に難しい質問はしません」
「…………判りました。質問に答えます。トリスさんは何を聞きたいのですか?」
「なぜこの魔鉱石を金貨五十枚で買い取ろうとしたのですか? この鉱石なら金貨三十枚が相場だと思います。前に立ち寄った村では特に鉱石が高騰しているとは聞いていません。むしろ昔より安く手に入ると聞きました」
トリスは素直に疑問に思っていることをラロックに話した。商人との駆け引きの際に正直に伝えるのは愚策である。トリスは師匠からそう教わっていた。自分の情報を無条件に相手に与えてしまうと相手はそれを利用してくる。それは取り引きの際にマイナスの要素になる。
だが、トリスはそのマイナスの要素よりも情報を欲した。服のことといい、魔鉱石のことといい、トリスは自分が世間の情報に疎いことを再認識した。仕方のないことだが今後のことを考え、傷が浅いうちに情報を集めることにした。
「トリスさん、あなたは一体……」
何者なのですか? とラロックは問いただそうとした。しかし、寸前で言葉を飲み込み余計な詮索は止めることにした。
「――いえ、何でもありません。余計なことは言いません。私もこの魔鉱石が金貨四十枚で手に入るのは嬉しい。ここ最近の魔鉱石の事情をお話しします。トリスさんが先ほど言ったことは半分正解で半分間違っています。魔鉱石はF級品からC級品までの品質なら確かにここ十年で安く手に入るようになりました。しかし、B級品からS級品は違います。これらは逆に入手が難しくなっています。高騰しているのはその所為です」
「ランクの高い魔鉱石は『塔』での採取率が悪くなっているのですか?」
「いえ、違います。単純に冒険者がいないのです。品質が高い魔鉱石は上級の冒険者でないと滅多に採取することができないのは御存じですよね」
「ええ、知っています。しかし、そうなると冒険者の質が落ちたことになる」
「それも少し違います。確かに冒険者の質は落ちているかもしれませんが、一番の問題は冒険者組合の規則が改定されたからです」
「規則の改定?」
「十年ほど前に冒険者の死亡率を下げるために規則を一部改訂したようです。低レベルの冒険者に対して無謀なことをしないよう『塔』の中の活動場所を決めているのです。
その所為かF級品からC級品までの鉱石は良く採取され価格が下がっています。しかし逆にB級品からS級品まで品は一部の冒険者のみしか採取できず、価格が高騰しています」
冒険者組合の規則改訂。これは思わぬ情報だ。しかも冒険者組合が冒険者の行動に制限をかけるとは余程のことだ。何かあったと考えるべきか? それとも誰かの策謀か? トリスは今得た情報を積極的に調べていくことにした。
「ラロックさん。情報をありがとうございました。お約束通りこの鉱石は金貨四十枚でお譲りします」
「おお、ありがとうございます。ですがそれではこちらが得が多すぎてしまいます。何かご入り用の物などはございませんか? こう見えて貴金属店の他にも商売に手をだしていますので御用意できるかと思います」
「では、紙とペンをお貸しください。必要な物を書きます。あとは宿屋を紹介してください、荷物を預けられる宿がいいです」
トリスはラロックから紙とペンを受け取ると必要な物を書き出した。旅に必要な道具一式と野営の用のテント。それに服も新調するので下着から普段着まで必要な物をすべて紙に書いてラロックに渡した。
ラロックは紙を受け取ると扉のそばに備え付けて鐘を鳴らした。
暫くすると扉がノックされた。ラロックが扉を開けると先ほどの従業員がいた。ラロックは従業員に紙を見せながら指示を出し、従業員は支持を受けると一礼してその場から離れた。
「道具に関しては二日で用意できます。服に関しては寸法を測った方が良いでしょう。今、仕立屋を呼びましたのでそれまでお待ちください。待っている間は従業員用の風呂をお貸しします。一人用の風呂ですが旅の汚れを落とすには十分だと思います」
ラロックの気遣いにトリスは素直に感謝し好意に甘えることにした。
ラロックの案内で店の一番奥にある従業員用の風呂に案内された。途中で布と代えの下着、麻でできた大きめのガウンを渡された。
至れり尽くせりの対応でトリスは少し居心地が悪かったが久しぶりの風呂は嬉しかった。旅で汚れた身体を綺麗にできるので気持ちを切り替えて風呂を楽しむことにした。
2020年9月22日に誤字脱字と文章の校正を修正しました。