大都市アルカリス 講義と風呂
エルとナルはトリスに抱えられたまま彼の野営地に戻った。トリスはエルとナルを一旦野営地に下ろすとそのままエルの剣を取りに行った。
エルは来る途中の道筋を確認していて、確かにここはエルが巨大緑毛虫や赤い猟犬と戦った場所の近くだった。
野営地はまだ準備の途中であるが確かにテントが置いてあり焚火の準備などがされていた。一般的な野営と変わらない準備がされていて、ここで一晩明かすのは少し心もとないとエルは思った。しかし『塔』での野営の仕方などエルは知らないのでトリスに任せるしかなかった。
そんなことを考えてるうちにトリスがエルの長剣を持って戻ってきた。
「はい、エルさんの剣です。」
トリスが拭いてくれたのか巨大緑毛虫の体液は付着していなかった。エルは受け取り長剣を確認すると刃の至る所が欠けていた。
「ありがとう。やっぱり少し刃毀れしているわね。」
「巨大緑毛虫の体液には少し腐食性がありますから。宜しければ研いでおきますか?」
「いいの?」
「ええ、後で研いでおきます。まずはエルさんの足の治療が先です。」
エルは長剣をもう一度トリスに渡した。トリスは受け取った長剣を置きエルの右足を確認した。
エルの右足は巨大緑毛虫の毒で赤く腫れている。しかし応急処置をしてたのでこれ以上は酷くはならない。トリスは手持ちの薬草で塗り薬を作ることにした。
トリスは自分の鞄から薬草と薬研、乳鉢を取り出して薬の調合を始めた。
エルがその様子を何となく見ていると不意にトリスが話し始めた。
「先ほどの質問ですが。魔力を手足に覆って攻撃しました。そうすると幽霊でも倒す事が出来ます。」
「なっ!」
トリスが幽霊を倒した方法をエルに教えた。なんの対価も要求せずに世間話をする様にトリスは話しを続けた。
「魔力は魔術を使うためのモノと思われがちですが身体能力を向上させることも出来ます。私がエルさんを抱えて走れたのも魔力で身体能力を上げたからです。
幽霊を倒した時は拳や脚に魔力を集中させて攻撃しました。単純な攻撃が効かない幽霊ですが魔力は別です。むしろ魔力で攻撃した方が効率がいいのです。」
「でも、それじゃあ魔術師しか取得できないことになる。あなたは魔術師だったの?」
「私は元々剣で戦うのが得意な戦士でした。魔力の扱う術を知ったのは後からです。だから魔力を使えるのは魔術師だけではありません。誰にでも使えます。
剣術を習うのと一緒です。正しい指導者の下で正しく技術を学ぶ。魔術は確かに不思議な力ですが理不尽な力ではありません。」
「じゃあ、何で魔術師になるには魔力判定があるの?魔力が無いから落とされる筈よ。」
「剣術も子供には教えませんよ。五歳児が鉄の剣を持って振りませばどうなります。」
「骨や筋肉を傷める。」
「魔術も同じです。魔力判定は魔力の有無では無く、魔素を認識して魔力として扱えるかを調べるだけです。扱えない人が魔術を使おうとすると事故しか起きない。」
「魔素を認識して魔力を扱う方法は個人で差があるだけ?」
「そうです。生まれながら身につけているか。身体の成長と共に自然に身につくか、訓練しないと身につくかの違いだけです。水に泳ぐのと一緒ですね。出来る人は自然に出来て、出来ない人は泳ぐ術を学ぶ。」
「私でも訓練すれば出来るの?」
「ええ、ちゃんとした指導者の下で教えを受ければできますよ。」
トリスはそこまで話すとエルの右足に調合した薬剤を塗り始めた。薬剤は特殊な薬草が調合されているのか傷口に塗られるとスーっとして痛みが和らぐ。トリスは薬剤を塗り終わるとエルの右足に包帯を巻いて治療を終えた。
「では、次にスープを作ります。それが終わってから剣を研ぎます。あっ、でもその前にナルさんの衣類を洗濯する必要がありますね。」
トリスはそう言うと布袋を取り出し、布袋中からナルの衣類を取り出した。
エルは流石に男性が女性の下着を手で洗うのは問題と思い止めようとしたがそれよりも早くトリスは魔術を展開した。
トリスは魔術でナルの衣類に風の魔術の球状の障壁を張り巡らせた。次に水の魔術で水を作り、鞄から取り出した石鹸の粉と水を障壁の中に入れた。
風の障壁が水を受け止める為地面に水が零れない。そのままトリスは水を魔術で操り、風の障壁の中で水が回転し始めた。
「これが洗濯?」
「風の魔術と水の魔術の合わせ技です。汚れが良く落ちます。」
トリスの洗濯はエルが思っていた洗濯の方法ではなかった。魔術で洗濯をするなど聞いたことがない。魔術は戦闘に使われる術であって便利な生活の術では無い筈だ。だがトリスは気にした様子は無くナルの衣類を洗い続けた。
水で衣類の汚れを落とすと今度は風の魔法で衣類を回転させ水分をある程度飛ばした。さすがにそれだけでは乾かないので簡易物干し台を作りズボンと下着を干した。男性のトリスにナルの下着を触らせるのは気が引けたのでエルが干した。(この時物干し竿の代わりになる様な物が無かったのでナルの杖を代用した。)
衣類を干し終えるとトリスが近場で焚火を始めた。森に落ちていた枯れ木を集め火の魔術で火をつけた。焚火は暖かくこれならナルの衣類は直ぐに乾くだろう。
「魔術って使い方によっては何でもありね。」
エルはナルの下着を干し終えるとトリスの付けた焚火を見ながら呟いた。
「確かに覚えると便利ですね。でも使いすぎると気力が無くなって気を失います。」
「それは剣術や体術も一緒よ。体力が無くなれば動けなくなって寝てしまうわ。」
「そうですね。」
「そうよ。それよりもさっきの話しに戻るけど魔力を扱う方法は誰に聞けばいいの?
私思い出したの。ナルの様に魔術を使いたいと思ってナルが通っていた魔術師の先生に聞いたの。『私も魔術が使いたいって。』でもその人は『あなたは才能が無いから魔術は教えられない』って。」
エルは真剣な表情で話を続けた。
「でも変よね。魔力が扱えないならあなたの言う通りなら『まずは魔力は扱い方を学びましょう。』と言う筈。でもその人は『才能が無いから諦めなさい』と言った。誰でも出来るならそんなことは言わないわ。
私が昔騙されたの?それともあなたが嘘をついているの?」
エルは淡々と自分の疑問をトリスにぶつけた。トリスはその指摘を否定も肯定もしなかった。
「魔力を自然に扱える人はそれを人に教えることができません。普通の人が息の仕方を教えて欲しいと言われて教えることが出来ないのと一緒です。だから教えてもらうには魔力の扱い方を訓練で身につけた人に教わるしかありません。」
トリスの回答はあまりにも現実味が薄い話しだった。魔力を扱う為に訓練するには同じよう魔力の扱い方を訓練で身につけた人に教わる。そんな稀有な者は果たしてこの都市にいるのだろうか。少なくともエルは聞いたことがない。
いや、先ほどエルは確かに聞いた。魔力の扱い方を知らない者か魔力を扱えるようになった話を目の前にいるトリスから。
「そっか。なら今度その人に教えて貰うわ。借りを全部返した後に手土産を持って教えを乞いに行くことにするわ。」
「門前払いされないようにして下さい。たぶんその人は偏屈で素直に教える人ではありませんよ。」
「大丈夫。対価はちゃんと払うわ。私にできることならなんでもね。」
エルはそう言うとナルの隣に腰を下ろした。それ以上は何も聞かないことにした。
自分達はまず明日無事に帰る。その後にきちんと助けて貰ったことに対してのお礼をする。技を教えて貰うのはその後にすればいい。エルはそう考え眠っているナルを見守ることにした。
トリスはエルと話し終わった後スープを作りエルに渡した。夕食を作る前にエルの長剣を研ぐのでそれまでの腹の足しにと思いスープを作った。そろそろナルも目を覚ます頃なのでナルの分も作ってエルに渡しておいた。
スープを作り終えたトリスはエルの長剣を持ってエル達から少し離れた場所に移動した。剣を研ぐ際は集中したいので一人になった。
トリスは砥石と水を取り出し改めてエルの長剣を見た。長剣は巨大緑毛虫の体液の所為で刃毀れしておりこのままでは得物を斬ることが出来ない。トリスは砥石に水をかけ丁寧に刃を研ぎ始めた。トリスは剣を研ぐのは得意だった。二十年間剣の手入れを毎日行っていた為、研ぐ技量は熟練の域に達していた。
剣を研ぎながらトリスは改めて今日の自分の行動を客観的に見直した。エルを助けたことや、魔力について講義したこと、そしてこうしてエルの長剣を整備している自分が意外だと思っていた。
トリスは最初はエルを助ける気は無かった。赤い猟犬の遠吠えを聞いた時は野営地の近くだったので警戒のために足を運んだ。そこで赤い猟犬と対峙しているエルを見つけた。
自分には関係ないと立ち去ろうとしたが、単身で赤い猟犬と対峙するエルを見て冒険者らしいと思った。痛めている右足を庇いながら魔物と対峙していた時のエルは凛々しく一匹でも多く魔物を屠ろうとする姿勢にトリスは好感を持った。その姿勢に惹かれ助けることにした。
エルを助けた後に話しを聞くと怪我をした自分の事よりもナル、仲間の身を案じて先行させたことや自分の事よりもナルを心配するエルをトリスは評価していた。
その後トリス行動したエルは強さを求めるための貪欲にトリスの事を知ろうとした。自分よりも階級の低いトリスに教えを乞う姿勢は実に冒険者らしいと思った。冒険者は強くなる為に努力は惜しんではいけない。『塔』の攻略を目指すならそれは必須だ。
トリスはそんなエルに好感を持ち色々世話を焼いた。たぶんエルは無事に帰ることが出来たらトリスに魔力の扱い方を聞くだろう。どんなことになるかは判らないがそれはそれでいいと思った。
トリスの今の目的は目立つことだ。他の冒険者が一目置くような存在になる必要がある。その為には恩を売り、名を広めて貰うことも一つの手段だ。もしエルやその関係者が自分の目的の前に立ち塞がるならその時に対処すればいい。
エルと話した限り魔力の扱い方を人に教える方法は一般には広がっていない。二十五年以上前に提示され、二十年前に確立した技術が一般に出ていないのは明らかに作意を感じる。だがその所為で技術の進歩が疎かになっている。二十年間技術を磨き続けたトリスにとってその技術の初歩を誰かに教えても問題は無かった。
長剣を研ぎ終えたトリスがエルの元に戻ると何やら騒がしい声が聞こえた。茂みをかき分けエルの元に戻るとナルが目を覚ましていた。トリスはエルのはからいでナルに軽く自己紹介をした。
ナルと二言三言、話しをしてみたがナルの印象はエルとは異なっていた。容姿はそっくりでもエルの様な勝気な所とは違い、ナルは素朴で素直な雰囲気だ。もっともトリスの階級を知ると絶望的な顔をしてその場に蹲ってしまった。
「いい湯だね。」
「そうね。」
「私、こんなお風呂に入ったの久しぶり。」
「いつもは沐浴か蒸し風呂だからね。」
「こんなにいっぱいのお湯に浸かれるなんて贅沢だよね。」
「貴族や大商人は毎日入っているみたいよ。」
ナルの呟きにエルは答えながら風呂を堪能していた。森の一画に掘られた穴にお湯を溜めた簡易風呂にエルとナルは入っていた。
風呂には薬草が数種入っており傷ついた彼女達の身体を癒してくれていた。
『塔』の中でこんな贅沢が出来るとはエルとナルは思わなかった。『塔』の中での気の緩みはそのまま死を意味する。そのため探索中は常に気を払わないといけない。朝から夕方にかけて探索を行うと心身はかなり磨り減る。そんな状態でなければならないのに今は気が緩んでしまっている。
先程のナルとの口論もそうだがトリスがいると不思議な安心感があった。彼は冒険者になりたての初心者だが実力はトップクラスとエルは思っている。しかも普通の冒険者が持っていない幅広く深い知識を持っている。そのことがエルとナルに不確かな安心感を与え今の状況になっていた。
湯船に浸かりながらエルは先ほどのトリスとのやり取りを思い出していた。
「夕食が出来るまでお風呂でも入ってください。」
トリスとナルの自己紹介が終わった夕食の準備を始めようとしたところでトリスから思わぬ言葉がでた。
確かに一日中『塔』の中にいたせいで汗や埃で身体は汚れている。確かにお風呂があれば身体を洗いさっぱりしたいところだが『塔』の中にお風呂などはない筈だ。
エルはトリスの言っている意味が判らず混乱しているとナルが呆れながらトリスの提案を否定した。
「トリスさん、E階級のあなたは何か勘違いしているようですかここは『塔』です。お風呂なんてあるわけありません。仮に近くに水場があったとしても魔物がいる確率があるので肌を晒すなんて愚の骨頂です。」
「別に水場に行く必要はないですよ。そこの茂みの先にお風呂を作るのに適した場所がありますから。魔物もしばらくはここには来ないはずです。ここにいた魔物は今日狩りましたから。」
「仮に魔物が来なくて場所があってもお風呂なんて作れません。どうやって作るんですか?」
「ナルさんは魔術師ですよね。魔術師なら土の魔術と水の魔術、火の魔術でお風呂を作れますよね?」
「ナル、そうなの?」
エルの問いかけにナルは首を横に振った。トリスは魔術師なら風呂を作れると言うがナルは魔術で風呂を作ったことはない。むしろ攻撃以外で魔術を使うなんてことをしたことが無かった。
エルもナルの態度から察したのかトリスに手本を見せて貰うことにした。
「トリスさん、悪いけどナルの変わりにやってみて。」
「いいですけど簡単ですよ。魔術師のナルさんの方が上手にできると思いますが。」
トリスはそう言うと茂みの奥に移動した。エルもナルも後を着いて行くと確かに広く空いた場所があった。トリスはまず土の魔術で地面に穴を掘り、掘った穴の側面と底をを土の魔術で固めた。次に水の魔術で穴の中に水を溜め、最後に火の魔術で火球を作り水の中に入れて水を温めた。
こうしてトリスは魔術で簡易風呂を魔術で作成した。トリスは思った通りに風呂が出来たことに満足し、風呂が出来たことにエルは喜び、風呂を魔術で作ったことにナルは驚愕した。
「土が思ったよりも扱い易くて泥にならなくて良かったです。土の加工を失敗すると壁や底の土が水と混ざって泥水になってしまいます。本来ならゴーレムの生成術を使えば楽なのですが、魔術師でない私では扱えないのでこうして土の魔術で作成しました。」
「あっと言う間に出来たね。これならナルも出来るの?」
「出来るけどこんなの思い付かなかった‼️確かに穴を掘る事や土を固くするのは土のゴーレムの生成術の方が効率がいい。でもそれを生活に使うなんて誰も考えない。思いつかない。」
「そう言えばさっきナルの下着とズボンも風の魔術と水の魔術で洗ったけどそれも特殊なの?」
「魔術で洗濯!?見てみたい。」
ナルはそう言うとトリスに実践して欲しいと頼んだ。トリスは断る理由も無かったので安請け合いをした。
「いいですけど何を洗いますか?」
「エルの下着!」
「なっ!」
ナルはなぜかエルの下着を洗うように言い出した。ナルの突然の暴挙にエルは怒りと羞恥心で顔を赤くしながら却下した。
「嫌、絶対に嫌!」
「何で!だって私の下着は洗濯して貰ったんでしょ。なら次はエルの番だよ。」
「ナルの下着は汚れたからして貰ったの。私の下着は汚れてないからいいの。」
「それは嘘。一日履いた下着が汚れていないなんて何処の聖女よ。それにお風呂に入った後にもう一度脱いだ下着を履くの?」
「そ、それは、その。」
「女の子としてそれはどうかと思うよ。だから早く下着を脱いで。」
「女の子は人前で下着は脱がない。ここにはトリスさんがいるのよ。」
「トリスさんは後ろ向いているから大丈夫。」
ナルに言われてエルはトリスの方を見るとトリスは我関せずといった感じでこちらに背を向けていた。時折風呂に何か投げ込んでいるがエルとナルの話し合いには参加するつもりは無いらしい。
「トリスさんは見ていないから早く脱ごうよ。」
「...いいわ。ナルがそこまで言うなら脱ぐわ。」
「やったぁ。」
「但し、ナルが腰に巻いているタオルは返して貰うからね。」
「えっ!」
突然のエルの反撃の言葉にナルは硬直した。ナルは自分の腰に巻いているタオルを取られると下着もズボンも履いていないのでとてもよろしくない格好になってしまう。
「早くして、このまま脱いだら私は変態になっちゃう。」
「・・・エルさん。このタオル取ったら私が変態さんになっちゃうからそれはちょっと。」
「いいじゃない。どうせ見せても減るもんじゃないし。」
「減るよ。女の子として大事な物が激減するよ。ガサツなエルとは違うもん。」
「あああああああああ!ガサツって言った。人が気にしていることを。」
「ガサツじゃん。大雑把じゃん。男勝りじゃん。髪の毛が長いだけで他は男の子と一緒じゃん。」
「私が男の子だったらナルはなんなの。私の方が腰が細くて胸も大きいじゃん。」
「あああああああああ!胸が小さいって言った。人が気にしていることを。私だって平均値くらいあるよ。」
「上げて、寄せてようやく平均値の手前でしょ。」
「言ったなぁ。戦争だ。こうなったら戦争だ。」
「受けてたつわ。」
湯船に疲労回復の薬草を入れながらエルのナルの言い争いをトリスは聞いていた。魔術の話しから急に低次元の言い争いを始めたエルとナルを傍から見ると随分と間抜けに見える。
だがナルの魔術に対する姿勢は先程のエルとよく似ていた。貪欲に技術を学ぼうとする。口では罵りあっているが似た者同士なのだろう。だから馬が合いパーティーを組んでいるのだとトリスは納得した。
結局二人の言い争いはトリスが別のタオルを出すまで続いた。
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