4つの問題
サブタイトルを修正しました。
老人の追憶は一旦本編の閑話に投稿する予定です。
「ここから出る術が見付かった」
先ほど老人から言われた。希望の言葉。
老人は数日前に倒れ、手を尽くしたが一向に回復しなかった。
男は老人から教わった傷を癒やす魔術。状態異常を治す魔術。呪いを打ち消す解除魔術。思う限りの手を尽くしたが老人は回復させることはできなかった。
寿命
どんな病や傷を癒やすことはできる魔術があったとしても寿命だけは治すことはできない。
かつて大賢者と呼ばれ、あらゆる物事に精通した老人には判っていた。前々から体調が思わしくなかったからだ。
老人がこの『迷宮』に落とされてから二十五年の月日が経過していた。老人の年齢を考えると人生の約三分一をこの『迷宮』で過ごしたことになる。
老人は男と同じように殺されかけ、この『迷宮』に流れ着いた。一人で『塔』を探索していたところを二十人規模の暗殺者に取り囲まれた。
暗殺者に狙われる理由は多々ある。暗殺者に襲撃されるのもこれが初めてではなかったからだ。しかし、このときの暗殺者の襲撃人数は最高記録の二十人。老人は半数以上の暗殺者を戦闘不能にしたが、手傷を負った暗殺者が放った魔術を受け川に落ちた。
暗殺者の魔術を受けたのは逃走するためにわざと受け、川を使って離脱しようとした。風属性の魔術で自分の周りに障壁を作り、川の流れに身を任せていたらこの『迷宮』に流れ着いた。
不運なことに川の流れは老人が思っていた以上に急で、意図せずにこの『迷宮』に来てしまった。だが、好奇心の塊だった老人はこの『迷宮』に魅了され、脱出を後回しに『迷宮』の探索をし始めてしまった。
最初の二年は新たな発見に一喜一憂して満足の行く日々だった。『迷宮』の魔物は強力だったが、三十年近くも一人で冒険者をしていた老人には問題はなかった。
しかし、二年を過ぎると人恋しさが出てきた。都市へ戻りたい欲求が出てきたのだ。その頃から本格的に『迷宮』からの脱出方法を探し始めた。
また、時折自分と同じように川に流されてくる者がいないかと自分が流されてきた場所に足を運んだりもした。
それから一年、二年と時間が経過した。その間に『迷宮』から脱出する方法は見付からなかった。自分と同じように流れ着く者がいないかと川に足繁く通ったが、流れ着くのは魔物の死体が多く、極稀に人間の水死体が流れ着くだけだった。
そんな日々が続き老人の心は次第に疲弊していった。だが、『迷宮』に流れ着いて五年目にして転機が訪れた。その日は十日ぶりに訪れた川辺での出来事だった。いつもの様に川辺に行ったが人や死体はなかった。
しかし、誰かがいた痕跡を見つけた。川辺のある一部の土が僅かだが他と違っていた。何かを振り起こしたか埋めたような形跡だった。慌てて近づき辺りを見ると靴跡が見つかった。魔物の足跡とは違う、人間が履く靴の足跡だった。
自分と同じように生きている人が流れ着いたのだ。老人はすぐに探索魔術を使い辺りを探索した。
『グォォォォォォーー』
突如、魔物の咆哮が鳴り響いた。魔物は意味もなく咆哮を上げることはしない。狩りをするときは静かに近づき素早く獲物を仕留める。咆哮を上げるのは敵対者が現れ威嚇するときだ。敵対者とは自分の縄張りに入り込んだ敵意ある者。すなわち、人間と接触したときに魔物は威嚇の咆哮を上げる。老人は急いで魔物の声をした方に向かった。
老人が走り始めしばらくして大型熊の魔物がいた。そして、その足元には血まみれの青年が横たわっていた。
『光よ』
老人の力ある言葉とともに大型熊の魔物の目の前に光が炸裂した。
光のみを生み出す魔術で殺傷性はない。しかし、大型熊は目を押さえもがき苦しんでいる。薄暗いところで突如目の前に強い光が現れ、その光をまじかで見てしまったのだ。普通の人間であれば失明する可能性もあるほどの光量だ。
大型熊がもがき苦しんでいる隙に老人は意識を集中して次の魔術を完成させた。
大型熊の首が胴体から落ちた。老人は無詠唱で風の魔術を唱え、風の刃で大型熊の首を刎ねたのだ。
老人は他に魔物がいないか警戒しつつ血まみれの男の容体を確認した。息はしている。しかし四肢が欠損していた。このままでは出血多量で死んでしまう。
老人は手持ちの回復薬を振りかけ、回復魔術を唱えた。
「う、う、うっ」
回復魔術をかけ終わると青年の口から呻き声が漏れた。どうやら回復魔術が効いたようだ。老人は血まみれの青年を担ぎ自分が拠点にしている場所に運んだ。
その後は助け出した男と協力して『迷宮』の出口を探すことになった。
最初に手足を失った男のために義手と義足を与えた。男が義手と義足に慣れるまで探索はせずに男にここでの生活について様々なことを教えた。
義手と義足の使い方は勿論、五年間ここで得た知識やこの『迷宮』の構造や魔物の種類なども教えた。
男が義手と義足の扱いを覚え、私生活を問題なく過ごせるようになるのに、男を助け出してから三ヶ月のときが必要だった。
男が老人の補助なしで単独で魔物と戦えるようになったのはさらに三ヶ月、男を救出した日から半年が経過していた。
男が戦えるようになってからは魔術の手ほどきも行うようになっていた。男は剣士だったが義手と義足を使うために魔力の使い方を身につけた。義手と義足を扱うには魔力を必要とし、老人に予想通り後天的に魔力即ち魔素を感知し、自らの意思で扱えるようになった。
男と出会って一年が経過したころから老人にある変化が訪れていた。男と一緒にいるうちに『迷宮』を出る意欲が薄れてきていた。いや、正確に言えば『迷宮』への脱出する意欲はあるが、それよりも救出した男の方が気になっていた。
男は友人に殺されかけここに流れ着いた。この『迷宮』を出て友人に復讐することを目的としている。それゆえか、戦闘に関する知識や戦闘スタイルは目を見張るほどの速度で習得している。義手と義足はこの頃には自分の手足のように扱っている。魔術に至っては初級の攻撃魔術は概ねマスターしていた。
危うい|。
このまま男が成長すれば間違いなく数年後には自分と肩を並べられるほどの人物になる。かつて都市にいた頃は賢者と呼ばれ単独の冒険者で最強と言われた自分と同格になる。その強さが復讐に使われた場合、どうなるのか?
老人はその先のことはあまり考えないようにした。この『迷宮』から出る方法もまだ見つかっていない状況でそんなことを考えても詮無きことだ。それよりこれから男に教えることの内容について考えを改めた。
今までは義手と義足の使い方と戦闘技術を主体に教えてきた。だが、それだけではきっと男は潰れてしまう。復讐を完遂するまでは生きていけるだろう。しかしそれでは復讐が終わった後は何も残らないだろう。
怒りの感情だけで人は生きてはいけない。人としての喜びや哀しみ、楽しさを忘れてはいけないのだ。老人はそう考え、男に戦闘以外の技術を教えることにした。自分が今まで学んできた様々な技術と知識を教えた。
それからは攻撃系の魔術の他に回復系や補助系の魔術も積極的に教えた。人との交渉の仕方や処世術、自国の文字や歴史、文化は勿論、他国の文字や言葉、文化についても教えた。果てには宮廷での作法や社公ダンスまで教えた。
男は魔術の訓練や戦闘に関わることは積極的に学んだが、その他について最初は渋っていた。だが「復讐する際にどのような経緯で必要になるかは判らない。覚えておいて損はない」と老人に諭されてからは真面目に取り組むようになった。
その頃から男にとって老人は自分を救ってくれた恩人としてではなく、その実績や様々な知識を目の当たりにして師として尊敬するようになっていた。
そんな生活が二十年続いた。
『迷宮』の出口は一向に見つからなかったが、老人はある方法で『迷宮』をでる方法を思いついた。それは五年前に男が編み出した魔術を使用することでこの『迷宮』から脱出できる。
粘液生物。
粘液生物は細胞核と呼ばれる本体とその細胞核を守る粘液で構成されている。討伐するには細胞核を砕くしかない。細胞核は粘液に守られているため粘液を火で焼いてむき出しになった細胞核を壊すのがセオリーだ。
しかし、粘液生物の種類にもよるが細胞核のみを先に砕くと粘液が残る。残った粘液は水のように液体比率が高くなる場合、個体のように固まる場合。気体になって蒸発する場合と様々な状態に変化する。
この残った粘液は有効利用ができる。粘液生物の種類にもよるが、様々な用途に使える。ある粘液生物の液体は軽く熱すると粘り気が出て冷ますと固まる性質がある。これは接着剤や補強材の素材になる。
他にも鋼ほどの強度はないが軽くて丈夫な粘液生物の粘液があり、服や装飾品の留め金具として需要がある。また、違う種類の粘液生物は一度凍らせてその後に高温で熱すると鉄よりも固くなり、切断工具の材料に使われている。
様々な種類の粘液生物がいるが、この『迷宮』の生息する粘液生物は少し特殊だった。細胞核を破壊すると丸いゼリー状に纏まる。火で熱してしまうとすぐに蒸発してしまい、他の粘液生物の粘液とは違っていた。
その違いは魔力を込めると自在に形状を変化させるのだ。魔力を流すと同時に形の感覚《イメージ》を送ると粘液はその形状や硬度が変化する。体積以上の変化は望めないがこの『迷宮』では重宝する素材だった。
老人はこの性質に着目し様々な道具を作成した。日用品やナイフなどの戦闘用具、そして男に義手と義足として与えた。魔力と感覚《イメージ》を送るのは最初は戸惑うが、なれれば自分の手足のように扱うことができるのだ。
そして、五年前に男はある術式を作成した。粘液生物の粘液と特殊な魔術式を組み込んだ魔鉱石を組み合わせ、眷属粘性動物を完成させた。
この眷属粘液動物は通常の動物を使役するタイプとは全くの別物で、粘液生物の粘液と魔術の術式を組み込んで動く。言ってしまえば魔術道具の一種だ。
通常の使役動物は動物や昆虫を使役させる。動物や昆虫は術士の命令を受けてそれに従っているが動物や昆虫にも意思が存在する。
例えば鼠を使役して、どこかの家に潜入させた場合、鼠は命令に従い家を探索する。視覚情報や聴覚情報は術士と共有できる。常に術士とコンタクトが取れるのでかなり応用が効く。
しかし、その命令も本能といった行動より優先度は低い。腹を空かせれば術士の命令よりも食料確報を優先し、飼い猫に見つかり追いかけられれば逃走してしまう。
また、術士は使役動物の種類を選ぶことはできない。自分と波長があった動物や昆虫と使役契約を結ぶので種類が限られてしまう。
男が作った眷属粘性動物は基本魔術道具のため扱う人を選ばない。魔力と扱い方法さえできれば子供でも操作できる逸品だ。老人は初めてその性能を目の当たりしたときは腰を抜かすほど驚いた。形状は術師のイメージでどんな形にもなれ、最初に眷属粘性動物と感覚共有を繋げれば遠隔操作と視覚共有、聴覚情報も共有することができる。はっきり言って今までの使役動物と比べると規格外の性能だ。
唯一の欠点は鉱石に保存している魔力が尽きた場合はそのままの形状でその場に放置されてしまう。しかし、魔力が尽きる前に石の形状に変化させれば普通の石との区別はまずできない。魔力切れさえ気をつければこれほど探索に便利な道具はない。
はっきり言って偵察や暗殺を生業とする者からしたら喉から手が出るほど欲しい品である。老人は男にこの魔術道具がいかに優れており、いかに危険な物かを男に説明した。仮に『迷宮』から出たときは人前での使用を禁止するのは勿論のこと、信用できる人物以外は情報の秘匿及び譲渡を控えるように約束した。
その眷属粘性動物と材料になった粘液生物の粘液を組み合わせると『迷宮』から脱出できる可能性がでてくる。まず、粘液生物の粘液で簡易的に船を造り、眷属粘性動物で先行偵察と周囲の確認を行う。この方法で老人や男がここにたどり着いた川を下っていき、この『迷宮』を出るのだ。
だが、問題が四つある。
一つは地上までの距離。
一つは魔物との遭遇。
一つは船の強度。
最後に魔力量、集中力、体力と言った術者の力量。
この四つの問題をクリアしなければ『迷宮』から脱出することはできない。
だが、この条件をクリアすることは自分ではできないと老人は悟っていた。
プロローグ終了まであともうちょっと。
2020年9月21日に誤字脱字と文章の校正を修正しました。