大都市アルカリス 新年の宴
「痛っ!」
新年を間近に向かえるある朝、トリスはいつものように目を覚ますと四肢に痛みが襲った。この痛みは幻肢痛だとトリスはすぐに判った。四肢を失って既に二十年以上も経ったが未だにこの痛みが襲ってくる。原因は肉体的な理由でなく、精神の問題であることはトリスも認識していた。
幻肢痛がトリスの精神が原因であるならその要因となるなるのは過去の出来事。トリスが幻肢痛に襲われるときは『迷宮』や復讐に関わることが引き金となっていた。
「師匠の命日が近い所為か……」
トリスの師であるウォールドが他界して二年が経とうとしていた。師であり、父であったウォールドの死はトリスにとってとても辛い出来事であったが、ウォールド自身は天寿をまっとうしたため後悔や無念はなかった。だから、トリスがウォールドについて何かをするつもりはない。敢えてすることはウォールドの親族に彼の生き様を伝えることだけだ。だが、それも既に終わっている。ウォールドの死についてはトリスの中では決着がついている筈だった。
「いや、あの人にまだ伝えていなかったな」
トリスはある人物のことを思い出した。自分と同じでウォールドの弟子である人にまだ伝えていないことを思い出した。
冬が訪れてから二ヶ月で過ぎると多くの村や町、都市では子供から老人まで新年を迎える準備に追われる。村や町では住人総出で新年を祝う宴が催され、首都や都市では王族やその土地を治める者からの挨拶なども行われる。厳しい冬を乗り越え、これからくる新しい年に誰もが喜びを感じながら祝うのだ。
アルカリスも例外ではないが、『塔』が存在するアルカリスでは他とは違った催しが行われる。都市を治める市長を中心に盛大なパーティーが開かれる。新年を祝うパーティーは自国の王族も訪れるだけでなく、他国の王族や要人達も訪れる世界有数のパーティーでもある。
このパーティーにはこの都市の要である冒険者も呼ばれる。呼ばれる冒険者は二十人も満たない人数だが、この場所に呼ばれることを夢見る冒険者も少なくなかった。
冒険者を選考するのは勿論、冒険者組合からだ。その年で活躍した冒険者を選出するがこの審査には毎年職員達が難義する。トップパーティーのリューグナー、アナトード、天元槍華を選出するの当然のことだが、その他の冒険者を選出するのが職員達の頭を悩ませる。
交流のある冒険者を贔屓したい気持ちは職員達に確かにある。しかし、パーティーには各国の王族や要人達も出席するので、実力を満たしていない冒険者を呼ぶことはできない。選出は冒険者組合の面子にも関わってくることなので、選出は厳選に行われた。
「今年の出席者のリストだ。目を通してくれ」
都市の中心部にある役場の一室でジェテルーラは昨日決まった冒険者のリストを市長のダールに手渡した。名前が書かれている冒険者は十日後に行われる新年のパーティーに選出された冒険者だ。ダールはリストに目を通しながらジェテルーラに尋ねた。
「今年の選出はどうでしたか?」
「――かなり揉めた。ある男の所為で」
「トリスさんですね。彼の名前もここにありますから、彼を除外する動きもあったのですか?」
「ああ、トリスは今年冒険者になったばかりの新人だ。新人がいきなり選出されるのは波乱を呼ぶ可能性がある。しかし、単独で巨大猪を討伐した者は過去にいない」
「その功績だけでも十分に選出される理由になると思いますが……、秋にリューグナーと一騒動があったのが原因ですか?」
「そうだ。職員の中にはトリスとリューグナー、特にモンテゴと衝突することを恐れている者が多い。秋のことからまだ数ヶ月しか経っていない。なるべく顔を合わせる機会を作らないようにした方が良いと考えている職員が多い」
「しかし、トリスさんを選ばなければそれはそれで問題がおきる。トリスさんと縁を作りたい各国の要人からもクレームがくるでしょう」
「その通りだ。トリスが出席を辞退するか、リューグナーの代表をモンテゴ以外の誰かが務められればいいのだが……。無駄な期待だ」
リューグナー、アナトード、天元槍華はパーティーとして選別しているので代表者と数人のメンバーが出席すればいい。リーダーが必ず代表者になる必要はないので、モンテゴ以外の人物が出席してくれた方が今回は都合がいいとジェテルーラは思っていた。
「モンテゴ本人は出席しなくてもいいと思っているかもしれませんが、奥方のメルスさんがそれを許さないでしょう。彼女は年に一度のパーティーを楽しみにしていますから」
「その通りだ。しかも今年は『彼女』が出席する噂が流れている」
「彼女……、リッドナー夫人ですね。あの人が久しぶりにアルカリスに帰ってくる噂があります。確か彼女の夫は国王の側近ですから、都市に戻ってくるならこの国の要人として出席するでしょう」
「今年はいろいろとクセのある人物が集まりそうだな」
「それを上手にまとめれば私の再選の後押しになりますから私としては嬉しい限りです」
「上手くいくことを願っている」
ジェテルーラの用事はこれで終わったので彼は席を立った。ダールも新年のパーティーの準備に忙しいので、ジェテルーラを引き留めるようなことはせずに彼を見送った。
トリスの屋敷のリビングでクレア、エル、ナル、そしてアルフェルトと双子のルーラ、レベッカの六人が談笑していた。アルフェルトはアルカリスに来てから何度もトリスの屋敷を訪れ、トリスと関係を持とうとしていたが、ことごとく失敗していていた。
最初はアルフェルトのことを警戒していたクレア達だったが、何度もトリスに袖にされて落ち込んでいるアルフェルトを見かけ警戒心は次第に緩んでいった。ある日、落ち込んでいるアルフェルトにクレアが声をかけたことが切っ掛けで、アルフェルトやクレア達の距離が急速に縮んだ。今では談笑するまでの仲となっていた。
身分の差は勿論あるが、アルフェルトが男性と偽って生活していたため、歳の近い友人がいなかったので純粋にクレア達との話は楽しかった。なのでトリスの屋敷内であれば身分のことについては気にしなくていいと容認した。
そんな訳でアルフェルトは純粋にクレア達との会話に花を咲かせていた。今日の話は間近に迫っている新年のことについてだ。
「ねえねえ、バエルでは新年のパーティーはどんなことをするの?」
「バエルは年中気候が暖かいので新年のパーティーでは海を泳ぐ儀式をします。小さな島を一周泳ぐことで、その年は病気や怪我などから身を守る効果があると言われていますよ」
「面白そう。他にはどんなことをする?」
「それ以外はこちらの国と一緒ですね。でも、特別な料理があります」
「どんなの、どんな料理なの?」
「魚にとても酸っぱいソースをかけるのです。私も食べたことがありますが一口食べただけで口の中が大変なことになりますよ。でも、その魚を全部食べるとその年は幸福な一年になると言われています」
アルフェルトの話にクレアは楽しそうに聞いていた。異国の文化に触れるのが新鮮なのかいろいろと話をしていた。エルとナルもルーラ、レベッカと話が弾んでとても楽しく会話をしていた。暫く六人が楽しく談笑しているとリビングの扉が開き朔夜が入ってきた。
「おや、王女様が来ていたのかい」
「朔夜さん、こんんちには。今日はクレア達にお茶会に誘われてきました」
「そうかい。ゆっくりしていきな」
「はい、そうさせていただきます」
「それと話は変わるけどトリスはいるのかい?」
「トリスはママ達と出かけているよ。何か用事?」
朔夜がトリスの所在を確かめるとクレアが出かけていることを朔夜に伝えた。朔夜は懐から一枚の封筒を取り出した。封筒は遠目でも品質が良いと判り、きちんと蝋封までされていた。
「朔夜さん、それは?」
「トリスにこれを渡すように冒険者組合から預かってきた。新年のパーティーの招待状さ」
「トリスが選ばれたの!」
トリスがパーティーの参加者に選ばれたことにクレア達は驚いた。しかし、驚きは一瞬でトリスの実力なら選ばれても不思議ではないと思い直した。
「いいなぁ。私も出席したいな」
「確かに憧れるよね。選ばれたら冒険者の中でトップクラスだと認められた証になるよね」
「私はパーティーの内容が気になります。どんな催しがあるのかとても気になります」
クレア、エル、ナルは朔夜が持っている招待状を見ながらそれぞれの感想を零した。
「冒険者に取ってはやはり新年のパーティーは一種のステータスのようですね。トリスは自力でそれを掴みとった。さすが、私の目に狂いはなかったようです」
「でも、トリスさんをパーティーのパートナーに誘うアルフェルト様の作戦は失敗になりましたね」
「くっ」
「トリスさんの気を引く作戦は良いと思いますが、もう少し工夫しないと駄目ですね」
「……クスン」
ルーラとレベッカにトリスを誘うための作戦を駄目だしされた。立案者のアルフェルトは泣きそうになるが、クレア達そんなアルフェルトに気が付かずパーティーのことで大盛り上がりをしていた。
「朔夜さんは新年のパーティーに出席したことがあるのですよね。どんな感じでした?」
「私も数回しか出てないから詳しくは説明できないけど、絢爛豪華の一言につきるね。それとこの国の王族や各国の要人がくるからとても緊張したよ」
「緊張?」
「礼儀作法だよ。普段のなら気にする必要はないけど、王族やそれに近い人の前で無礼をしたらそれだけで罪になるからね。もっとも新年のパーティーでは冒険者の振る舞いは大目に見られるけど、やっぱり進んで王族や貴族と揉め事は起こしたくないよ」
新年のパーティーでは冒険者が貴族に無礼をしたとしても罪になることは滅多にない。普段は礼儀とは無縁な生活をしている冒険者に礼儀作法を説いても意味はないからだ。冒険者に求められるのは強さだ。過酷な『塔』から生きて戻ってくるだけの強さが冒険者に求められ、新年のパーティーに出席する冒険者はその強さが証明されたことでもある。貴族や要人達もそのことは十分に理解しているので冒険者の無礼な態度は笑って許している。
「まあ、トリスなら礼儀作法でしくじることはないと思うけど、それよりも別のことが心配だよ」
「別のこと?」
「パーティーに出席する同業者もいるだろう」
「あっ!」
朔夜の指摘にクレア達も思い当たった。秋にリューグナーと揉めトリスは多額の見舞金をリューグナーから奪い取った。それ以降は特に問題などは起きていないが、向こうの胸中はどうなっているかは判らない。
「パーティー会場で物騒なことは起きないと思うけど、嫌がらせを受ける可能性はあるね」
「嫌がらせ?」
「一部の貴族は冒険者を人というよりも野生の獣と思っている。野生の獣だから礼儀や作法に疎いのだと冒険者を軽視している。だから冒険者を小馬鹿にするような物言いや悪口を言ってくるのさ。モンテゴは貴族との繋がりが多いからそう言った貴族をトリスに嗾けてあざ笑ってくるかもしれないのさ」
朔夜の推測が現実的におこるのかは不明だ。しかし、矜持が高いモンテゴがトリスに手をださないとは考えられない。どんなことが起きるか朔夜やクレアには全く想像がつかなかった。
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