港街サリーシャ 思わぬ結果
人が死にます。苦手な方はご注意ください。
街の外れに屋敷がある。ここは一部の人間しか知らないヘルの隠れ家だ。夜も更けヘルが寝る準備をしていたときに突然オルトが訪れた。こんな時間に何事かと思ったどうやら朗報を得たのでわざわざ知らせに来てくれたようだ。
「さすがはオルトだ。もう名前までわかったのか」
「ああ。トリスと言う旅人でたまたまこの街に立ち寄った。目的は特になく観光で街を歩いていたらたまたまに目にしたクレアを気に入り、母親のレイラの借金を返す代わりにクレアを愛人にする予定だ。数日間観光を楽しんだら故郷に帰るみたいだ」
「そうか。そうか。人様の大事な用心棒を潰しておいて呑気に観光とは随分と良い御身分じゃないか」
『三人組の悪漢』を倒したトリスに関わる情報をヘルに話すとヘルは機嫌よく話を聞いた。もっともヘルにとってはトリスは殺害することは前提なので旅の目的などは気にならなかった。
「それでそのトリスと言う奴の居所は掴んだのか?」
「それはまだだ。だが、接触する方法はある。トリスはうちの情報屋から情報を買っている。情報屋とは定期的に会うことになっている。そのときに接触することができる」
「何で情報屋から情報を買っているんだ?」
「どうやらレイラがいた娼館の医者を探しているみたいだ。レイラはこのところ体調が悪くて薬を処方してもらっていたようだ。手持ちの分がそろそろなくなるので医者から薬を貰いたいみたいだ」
「なるほど。それで医者の情報を欲しがっているのか」
オルトは事前に決めていたトリスの情報をヘルに伝えていた。下手に偽りの情報を流すとこちらの策がばれてしまう。真実の一部を改ざんしてヘルに伝えていた。ヘルはその情報を素直に受け取りトリスをどう始末しようか考えていた。
「トリスって奴はいつお前の情報屋に会うんだ? だったらそこで襲うことはできるか?」
「明日会うことになっている。だが、その場所で襲うのは余りお勧めはしない。待ち合わせの場所は人通りのある場所だ。女の居場所も吐かせるなら人目の付かない場所に誘導してそこで処理した方が得策だ」
「そうだな。でも、どうやっておびき寄せればいい」
「例の医者が見つかったと言えば会うんじゃないのか? 実際に探しているんだし。そもそもデリの店の医者なら何処にいるかデリが知っているだろ。明日の釣る餌としておびき寄せ、始末できる場所に呼べばいいだろ」
「なるほど。いい案だ。明日の朝に部下たちに知らせて夜に決行するか」
「なら、後で誘導する場所を教えてくれ。情報屋とは明日の一つ目の夜の鐘が鳴る時間に会うことになっている。それまでに場所の連絡を頼む。後は情報屋がその場所にまでトリスを誘い出すと言うことでいいか?」
「ああ、文句なしだ」
「じゃあ、俺はこのまま帰る。それと明日は俺も様子を見に行くがいいか?」
「急にどうした? この件は余り関わらないと昼間言っていたが」
「興味本位さ。トリスと言う男を探っていくうちの興味が湧いただけだ。迷惑ならやめておくが」
「いいや是非来てくれ。新しい精鋭のお披露目だ。ダフネも呼んでいいぞ」
「声はかけてみるよ。ではお休み」
オルトはそう言ってヘルの隠れ家を出て行った。オルトが隠れ家を出て行くとヘルは機嫌よく自分の寝室に戻った。お気に入りの酒と肴を用意して前祝いをする。こんなに早く片が付くとは思わなく上機嫌だった。これで明日はトリスと言う旅人を始末できれば御の字だ。
元々最近のあの三人組の行動には目に余るものがあった。『都市』の方達もデイルがまだ領主を続けていることにも不満があり、近々別の方針を打ち出す予定だと連絡が来ていた。そうなったときにあの三人組はお払い箱だったのでちょうど良かった言える。
ヘルは上機嫌で前祝いを酒と肴を食らった。
オルトとヘルの話し合いがされている頃トリスもデイルとガゼルに話をしていた。先ほどのオルトと話した内容を伝え、明日にはヘルとその私兵達を始末することを話した。話を聞いたデイルとガゼルは驚いた顔をしていた。
「まさか、向こうの組織でもヘルが厄介者扱いされていたとは。しかもトリス殿を使って始末させるなどと同じことを考えるとは……」
「父上どうします。このままトリスさんにすべてをお任せしてよろしいのでしょうか?」
「私は別に構いません。一人で戦うのは慣れています。それに誰かと連携するにしても時間がありません。生兵法は大怪我の基ですから」
トリスは気軽そう言った。そう言われてしまうとデイルとガゼルも何も言えない。実際に戦うのはトリスなのでトリスの判断に任せるしかなかった。
「それよりも私が殺されたときは二人のことをよろしくお願いします」
「彼女達は責任を持って私が何とかする。この街には居られないから別の街か村で安全に暮らせるようにする」
「なるべく彼女達の意に沿うようにこちらも配慮する」
トリスがもしものときのための保険をお願いした。死ぬ気はさらさらないが万が一自分が死んでしまったときの保険をお願いし、デイルとガゼルはそれを了承した。それがトリスへの一番の援護だと二人は思った。
夜も更けてきているので話はそれで終わり三人はそれぞれの部屋に戻っていった。
トリスは自分があてがわれた部屋で寝間着に着替えた。レイラとクレアは別の部屋にいる。オルトの話だとこちらの滞在している場所までは把握していない。ここで襲われることはないのでレイラ達と一緒に部屋にいる必要はない。トリスはレイラ達とは別の客間を用意して貰った。
トリスは寝る前に愛剣の手入れをすることにした。明日は百人と切り結ぶので愛剣の調子を確かめた。剣は所々に傷ができていた。この剣を使い始めて二十年になるのだから当然と言える。大陸の東方で作られた「刀」と呼ばれている特殊な剣で、普通の鍛冶屋では直すことができない。だがそれでもまだまだ十分に使えるので明日の戦闘に支障はない。
トリスは百人と切り結ぶのはこれが初めてであったが特に緊張はしていなかった。あの場所にいたときは千匹の魔物と戦闘することもあった。それに比べれば大分ましだ。作戦も考えてあるので後は油断しないようにするだけだ。
剣の手入れを終えそろそろ寝ようとしたとき、扉がノックされた。
「トリスさん、レイラです。まだ起きていますか?」
扉をノックしたのはレイラだった。トリスは部屋の入り口に向かい扉を開けると昨日の夜と同じに寝間着姿のレイラが立っていた。こんな夜更けにどうしたのかと思ったがトリスは取りあえずレイラを自分の部屋に入れベットの上に座らせた。トリスは部屋に設置されている椅子に座った。
「こんな夜中にどうした? クレアに何かあったのか?」
「いいえ、クレアはよく寝ています。朝と夕方に剣の稽古をつけて貰ったのでヘトヘトです」
「そうか。明日は多分筋肉痛で普通に歩くのも辛いはずだ。身体に触るときっと怒るだろうな」
トリスの言葉にレイラは思わず笑ってしまった。トリスも頬を緩めながら二人してクレアの明日の様子を想像して笑いあった。ひとしきり笑いあった後にクレアは真剣な顔をしてトリスの部屋を訪れた理由を話し始めた。
「トリスさん。もしかして明日は何かあるのですか? 命に関わるような重大なことが……」
「!?」
「やっぱり。そうなんですね」
レイラの質問にトリスは虚をつかれ思わず表情に出てしまった。レイラもその表情から自分が言ったことが正しいと痛感した。
「どうして判った?」
「トリスさんが出かけて暫くして何か嫌な感じがしたのです。それでトリスさんに確認しようと思いお部屋にお邪魔しました。そして、トリスさんの顔を見たらますます嫌な感じがしてそれで……」
「女の勘はすごいな」
「明日何が起きるのですか?」
レイラの質問にトリスは正直に答えた。夕方にトリスが出かけた先で何が起きたのか。明日の夜に何が起きるのかを包み隠さずトリスはレイラに話をした。下手に誤魔化したり嘘をつくとクレアにもばれてしまう可能性があったので、口止めを兼ねてレイラに話した。
話しを聞き終わったレイラは泣きそうな声でトリスに訴えた。
「どうして、どうしてそこまでして頂けるのですか? イーラのネックレスの件でしたらもう十分にして頂きました。これ以上トリスさんが危険なことをする必要はありません。今日の領主様とのお話のときも口を挟みませんでしたが、本当は断ってくださって良かったのに……」
「イーラのネックレスは俺の命を救ってくれた。でもそれだけじゃないんだ。このネックレスは俺に人としての目的も与えてくれたのだ」
「人としての目的?」
「ああ、俺はこれから人として褒められないことをするつもりだ。そのことをある人に話をしたらこう言われた。『お前のやることは儂は否定しない。だがそれだけのために生きるな。世話になった人が要れば、まずその人やその人の家族に報いろ』と。だから俺がしているのは全部自分のためだ。自分がしたいことする前の準備みたいなものだから余り気にするな」
トリスはそう言って笑った。だがその笑みは先ほどとは違い、どこか作り物のような冷たい笑顔にレイラには見えた。
娼館で働いていた頃にトリスと同じような顔をする客がごく稀に来ることがあった。その客達は皆二度と店に来ることはなかった。風の噂では何処か遠くの異国に奴隷として売られたり、亡くなったと聞かされた。
同僚の話ではそういった客達は最後の思い出として娼館で遊びに来ていると言っていた。レイラは先ほどのトリスの表情とトリスのやりたいことは不吉なことのように思えた。
だがらレイラはある決心をした。
レイラは立ち上がると着ていた寝間着に手をかけ、ゆっくり脱ぎ始めた。羞恥心から顔が赤くなるのが自分でも判る。何度も娼館で自分の裸を他人に見られているので、普段ならここまで恥ずかしい気持ちは出てこない。だが目の前にいるのがトリスだとなぜか恥ずかしさが湧いてくる。けれどレイラは手を止めなかった。
全ての衣類を脱ぎ捨てレイラは左手で乳房を書隠し、右手で秘部を覆った。恥ずかしそうに視線を下に向けるが身体はトリスに向けていた。
一方トリスは突然衣服を脱ぎ始めたレイラの行動に驚いた。声をかけて止めようとしたがレイラの身体に見惚れてしまい、声をかけられずそのまま見入ってしまった。
レイラの裸体は綺麗だった。とても美しくとても十四歳の娘がいる一児の母親には見えなかった。
「トリスさん。私の身体はどう思いますか?」
「…………綺麗だ。お世辞抜きでそう思う」
「抱きたいと思いますか?」
「ああ」
心の中でイーラに謝罪しながらトリスは答えた。ここで変に嘘を言っても通じないと思いレイラの質問にトリスは素直に答えたのだ。
「でしたら明日は必ず帰ってきてください。どんなに遅くなっても私は待っています。必ず『ただいま』と声を掛けてください。そうしたら私はあなたに抱かれても構いません」
レイラの言葉を聞いてトリスは何故レイラがこのようなことをしたのかようやく合点がいった。レイラは保証が欲しいのだ。明日必ずトリスが帰ってくる保証が欲しい。そのために自分の身体をトリスに差し出したのだ。
トリス自身はは死ぬ気は全くないし、先ほども言った通りトリスはまだ目的の準備をしている最中だ。この先、何があろうとも必ずやり遂げる覚悟はある。しかしレイラにはそう見えていなかった。
それについてはトリス自身も思うところはあった。自分の命を軽く扱っていると自分でも思っている。もし明日死んだとしても、しょうがないと割り切っている自覚はあった。だがそんなことをレイラに伝えても彼女は心配するだけだ。だからトリスは必ず帰ってくることを約束する。
「判った。明日必ず帰ってくる」
「約束ですよ」
「ああ、約束する。だからそろそろ服を着ろ。風邪を引くぞ」
トリスにそう言われ、レイラは更に顔を赤らめ服を着た。
翌朝トリスはクレアと稽古を行った。昨日の稽古のせいでトリスの予想通りにクレアは酷い筋肉痛に襲われていた。クレアは歩くのがやっとだがトリスは構わず稽古を行った。まず筋肉をほぐすためにゆっくりと柔軟体操を行った。クレアは悲鳴を上げながら何とかこなした。
柔軟体操が終わると今度は組手を行った。組手は武器は持たずに素手のみで攻撃を捌く方法を教えた。武器を持たないときに魔物に遭遇したときや対人戦での対処方法だ。組手はクレアの身体に気を使ってゆっくりと体を動かしながらトリスはクレアに教えた。
昨日と同じ時間までクレアの稽古は続いた。稽古が終わるとクレアは案の定動けなくレイラの助けを借りながら汗を拭き朝食を食べた。クレアは朝食を食べ終えると昨日のように眠ってしまった。トリスは昨日と同じようにクレアを寝室に運んだ。その後はゲイルに許可を取り昼食後の稽古用の道具を庭に設置した。
昼過ぎ。目を覚ましたクレアと昼食を取り、トリスは庭に設置した身体の体幹を鍛える為の道具を説明した。大道芸でよく使われる綱渡りだ。怪我をしないように高さは膝より少し低い位置にしてある。この綱の端から端まで時間を掛けずに渡れるようになれば、かなりの体幹が感覚が良くなる。
戦いにおける体幹は重要になってくる。特に冒険者が挑む『塔』の内部は様々な環境がある。足場の悪い場所も多く、そこで戦闘をするには身体のバランス感覚が高くないと命を落とすことになる。
クレアにそう説明すると玩具を与えられた子供のように何度も綱渡りに挑戦した。最初は一歩踏み出すこともできずすぐに縄から落ちてしまっていた。何度か行ううちに数歩は進むようになった。
意外だったのは傍で見ていたレイラも挑戦し、レイラの方がクレアよりもバランス感覚が良い。最初の数回を試すと十歩ほど歩くことができた。病のせいで運動不足気味なレイラにもちょうど良い運動になるので二人で交互に使うこととなった。
余談だが二人のためにトリスが飲み物を厨房に取りに行き、戻ってくるとガゼルとティナもなぜか綱渡りをしていた。庭を散歩しているときにクレア達を見かけ、面白そうだったのでガゼル達も参加したと聞いたときはさすがに驚いた。
夕方。レイラ達に出かけることを告げてトリスはデイルの館を一人出て行った。
街外れの一角に今は使われていない倉庫がある。ここは数年前までは小麦などを保管していたが、持ち主の商人が小麦の取り引きに失敗して手放した物をヘルが安値で買い取った。
倉庫は百人が入ってもまだ広さに余裕があり、夜になると周囲には人影はなくなる。オルトとダフネは護衛にレイモンドとヴァン、そしてリーシアを引き連れその場所に訪れた。
オルトが倉庫に到着すると扉をヘルに言われた方法で叩くと倉庫の扉が開いた。扉を開けるとヘルの私兵がすぐ横に階段があることを教え、二階にヘルがいるのでそこに行くように言われた。
オルト達は指示に従いに階段を上がった。階段の上からは下が見通せるようになっていた。奥の方までは光が届かなく見えていないが人の気配がするので多分私兵を奥に待機させているのだろう。
「時間通りだな。ダフネも一緒で何よりだ。そっちの三人は護衛か?」
「ああ、最近雇ったレイモンドとヴァンだ。女はダフネの身の回りの世話をできるように連れてきた秘書のリーシアだ」
オルトに紹介されて三人は頭を下げた。ヘルは軽く手を振って応えたが興味は既になく、これから来るトリスに向けられていた。
「後少しでトリスと言う奴はくるのだな」
「部下から情報屋と会ったところを確認させた。道に迷ってなければ、もう直ぐ着くさ。それと情報屋には手を出すなよ」
「判っているって。俺の狙いはトリスだけだ」
「それにしてもたった一人の相手にこの人数は大げさじゃない? オルトに話を聞いたときは正直やり過ぎと思ったわ」
「まあな。だが一応うちの用心棒を倒した実力者だ。用心に越したことはない」
「それで結局相手は殺すの?」
「ああ、女の居所を吐かせた後にな」
ダフネに質問にヘルは悪びれた様子もなくそう答えた。ダフネはそれっきりこの件に対して興味を失った。好き好んで集団私刑を見る趣味はない。今回はオルトが積極的に誘ったので仕方なく来たのだ。
裏組織のトップ達がそんなやりとりをしていると倉庫の扉が乱暴に叩かれた。
「噂をすれば影か。どうやら着いたようだ」
ヘルも獰猛な笑みを浮かべて顎で指図した。近くにいた私兵は扉にいた私兵達に合図を送り、重たい扉を開けるとそこには二人の男が立っていた。
倉庫の前に辿り着いたトリスとザックはオルトからの連絡通りに倉庫の扉を乱暴に叩いた。暫くして重たい扉が開いた。トリスとザックは扉を開けた私兵達に中に入るように言われ倉庫の中に入った。倉庫の中は薄暗く奥まで見えない。
「ようこそトリス」
扉から二十歩ほど進むと後ろのから声が聞こえた。トリスは振り向き見上げると小柄な男が立っていた。
「お前が例の医者か? 医者には見えないが」
「残念ながら俺は医者じゃない。取り立て屋だ」
「取り合当て屋? 借金をした覚えはない。何かの間違いだろ」
「お前が一昨日怪我をさせた男達がいるだろう?」
「デリの用心棒のことか?」
「そうだお前のせいで奴らは可哀想にもう仕事をすることができなくなった。その治療費と迷惑料を払ってもらう」
トリスは懐から硬貨一枚を取り出してヘルに投げつけた。ヘルは顔に当たる前に硬貨を掴み取った。投げつけられた物が銅貨と分かるとヘルは顔を歪めた。
「どう言うことだ」
「お前が言った治療費と迷惑料だよ。釣りはいらない。とっておけ」
トリスに挑発されたと判ったヘルは激昂した。
「ここまでコケにされたのは久しぶりだ。女の居所を吐かせたらてめぇは魚の餌だ。お前達打ち合わせ通りにやれ」
ヘルがそう言うと倉庫の中は明るくなり、奥まで見通せるようになった。倉庫の奥には百人ほどの私兵がいた。私兵はトリスを取り囲もうとしたので、ザックはトリスから離れ階段のところまで避難した。予定通り私兵はザックを無視してトリスを完全に取り囲んだ。
「一応言っておくが、死にたくないならここから去れ」
トリスは剣を抜きながらそう私兵達に言った。私兵達は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに笑い始めた。一対百ではどう考えても自分たちが負けるとは思っていない。その奢りが命取りとも判らずに。
私兵は互いに目で合図して小手調べに五人がトリスに斬りかかった。
前から三人、後ろから二人がトリスに斬りかかった。だがトリスは臆することなく、瞬時に前に踏み込み剣を振った。そのままの勢いで後ろに向き、今度は後ろにいた二人に斬りつけた。
斬られた男達は皆首を切られ大量の血を流していた。十を数える頃には身体が痙攣してその後動かなくなった。僅か間に五人の男の命が消えた。
笑っていた私兵達の表情は一気に凍り付いた。剣を合わせることなく瞬時に五人の命を奪ったトリスの実力は凄まじく、先ほど言ったトリスの言葉が重みを増した。
「どうした。来ないならこっちから行くぞ」
トリスの挑発に残りの私兵は恐怖に駆られながらトリスに斬りかかった。『殺らなければこちらが殺られる』私兵達は瞬時にそう判断して一斉に行動を起こした。
しかし、それは悪手だった。トリスがそうなるように仕掛けた罠だった。トリスは私兵達の注目が自分に向けられていることを確認して次の手を打った。
『光よ』
トリスが魔力を込めた言葉を唱えるとトリスの頭上に光が生まれた。生み出された光は途轍もない強い光量を放ち周囲を光で包んだ。
光を生み出す魔術は一般的な魔術で、魔術師なら誰でも扱える簡単な魔術だ。魔術師でなくても魔鉱石を使えば同じ事ができる。調整することで長い時間周囲を照らす光源の役割をしてくれるので、街灯や家の照明にも使われている。
この倉庫でも照明として天井に仕掛けられている。トリスの使った魔術は少しアレンジが入っている。僅かな時間で消えてしまうが、光量はとても強く直視した人は昼間でも暫く目が見えなくなる。
薄暗い倉庫にいた私兵達は暗闇に目が慣れていた。突然現れた光を見てしまいほとんどの私兵の目は潰れた。中には間近で強烈な光量を見てしまったため、失明もしているだろう。目が見えなくなった私兵はもはや赤子と一緒だ。これによってトリスが行うのは戦闘ではなく作業になった。
トリスは比較症状が軽い者から仕留めていった。目を手で押さえ這いつくばっている者は剣で斬りつけ、遠くにいる者や僅かに抵抗する者には指弾を使って命を奪っていった。
指弾はトリスがよく使う手だ。弾は親指の先ほどの大きさ球状と人差し指の半分の長さの釘状の二種類がある。トリスの両腕は粘液生物の義手でできているので魔力を通すことで様々な形に変化することができる。その特性を活かして鋼鉄のように堅い球状の指弾と細く鋭い釘状の指弾を作り、義手の先から撃ち出して相手にぶつけるのだ。
一昨日レイラの家に来た『三人組の悪漢』には球状の指弾を顎にぶつけた。威力は人間の骨などは簡単に破壊できる威力がある。結果、あの用心棒達は顎を粉砕されたのだ。
余談だが球状の指弾を使用したのは、レイラとクレアがいたのでトリスはあえて殺傷力の低い方を使った。レイラとクレアの目の前で血を流すのを良くないと思ったからで用心棒達に気を使った訳ではない。
今はレイラ達は居らず、殺意を持った相手を殺さない理由もないので、トリスは殺傷力が高い釘状の指弾を使い、ヘルの私兵を骸に変えていった。
突然の光に目をやられたヘル達は視覚が回復して見たものは悪夢だった。耳は聞こえていたので私兵達が上げる悲鳴は聞こえていた。だが実際に目で見てみるとそこ光景は凄まじい物だった。
目を開けてみると自分が集めた私兵の半分以上が倒れ血を流していた。残っている私兵も閃光で目をやられているのか、這いつくばっている者や目が見えないので敵が来ないように我武者羅に剣を振り回している者しかいなかった。
トリスはそれらの私兵を淡々と殺していった。もはや戦闘ではなく作業と化している戦場を見てヘルはその場に座り込んでしまった。
『どうしてこんなことになったのだろう?』
ヘルはそう思いながら最後の一人が殺されるまで呆然とその様子を見ていた。自分が欲を出して所為なのか、それとも別の理由があるのかは判らないが、ヘルは後悔しながら戦場を見続けた。
トリスは最後の一人を切り捨てると、血で汚れた愛剣を魔術で作り出した水で洗った。私兵の血で汚れた剣を清め、これからヘルを殺すときに血で手元が狂わないようにしたのだ。トリスは剣を綺麗にするとヘルに向かって歩き始めた。
百人を殺して傷一つ負わない死神が自分に向かい歩いてくる。ヘルは恐怖の余り逃げ出そうとするが足が震えて動かない。死神は確実に自分に迫ってくるというのに足が恐怖で動かない。首を動かしてオルト達を見たがオルト達は二階の隅に避難していた。オルトはヘルの視線に気が付いたが、どうすることもできないので首を横に振った。
死神が静かに階段を上がってくる足音が聞こえてくる。
階段を上がり終えると死神はヘルを見つけ静かに歩み寄ってくる。
そしてついに自分の目の前に死神が目の前に辿り着いた。
「ゆっ、ゆっ、ゆっ」
ヘルは許して欲しいと懇願しようとするが口がうまく回らない。
「一応聞いておく。なぜ俺を狙った。それと借金を返し終えたレイラ達に手を出すつもりだったのか正直に答えろ」
トリスはヘルの首元に剣を突き付け尋ねた。ヘルの命はトリスの気分次第で何時でも断つことができる。
「ゆっ、ゆるっ、許してくれ」
辛うじてヘルが言えたのは命乞いの言葉だった。その言葉を聞きトリスはため息をついた。
「はぁ。俺の質問に答える気がないと言うことか。ならここで死ね」
「ま、待ってくれ。言う。言うから待ってくれ」
「なら早く話せ」
「ケジメだったんだ。下の者になめられる訳にはいかない。だからそれで……」
「レイラ達をどうするつもりだった?」
「女達に手を出すつもりはなかった。本当だ。俺が狙ったのはあんただけだ」
女達は狙っていないとヘルは嘘をついた。トリスを狙ったことは正直に話したがこれ以上印象を悪くさせないための嘘だった。
その言葉を聞いてトリスは剣を納めた。
「この街からすぐにいなくなれ。そうすれば命は助けてやる」
「ほっ、本当か?」
「ああ。だが命が要らないなら斬るがどうする?」
「ひぃ!?」
ヘルは情けない声を上げて一目散に階段の下にある扉に向かっていった。途中にあった私兵の死体に何度も躓きながら扉に向かい倉庫から出て行った。
「トリスさん。何であいつを見逃したのですか?」
ヘルが出て行くと今まで成り行きを見ていたザックが悲痛な声でトリスに尋ねてきた。トリスはザックのからの非難の言葉を聞き流しながら懐から紙と拳大の大きさの袋をザックに渡した。
「袋の中身はしびれ薬だ。中身の粉を吸い込めば暫く動けなくなる。紙は中身を見ればわかるからあとはお前の好きにしろ」
「?」
「俺のお膳立てはここまでだ。あいつに復讐したいのはお前だけじゃないだろう? このままあいつを野放しにするのも、自分達で決着をつけるのも好きすればいいさ」
「トリスさん!」
「行くなら早く行け。あいつを見失うぞ」
「ありがとうございます」
ザックは深々と頭を下げ、急いで倉庫を出てヘルを追いかけた。最もヘルを見失ってもゲイルの密偵が外で待機していたのでヘルはどちらにしても逃げられない。もし仮にザックが追いかけなくてもゲイル達が裁きを下す手順になっていたのだ。
「これで依頼達成だな」
「トリスさん、お疲れ様です」
「お疲れさん」
「流石ですトリスさん。お疲れ様です」
青い顔をしながらオルトはトリスに話しかけてきた。護衛をしていたレイモンドとヴァンも労いの言葉をかけてきた。この倉庫で生き残っているのはトリス、オルト、ダフネ。護衛のレイモンドとヴァン、リーシアのみだ。ダフネはあまりの惨劇に顔が既に真っ白になりリーシアに介抱されているが命に別状はない。
「ありがとう。それよりも彼女は大丈夫か? 大分辛そうに見えるけれど」
「彼女は、ダフネは普段は経営の仕事をしているのでこのような血生臭いことに慣れていません。かく言う私も慣れていないので何とか平静を保つのがやっとです。暫くすれば大丈夫です」
「そうか、でもそんなに悠長にはしていられないから此所を出よう。少ししたら憲兵が来る。この件は領主の私兵が行ったことになる。裏組織の者がいたら問答無用で捕まるぞ」
「はい」
「レイモンド。彼女を背負ってくれ一旦ここを出てどこか休める場所を探そう」
「了解」
トリスがそう言うと六人は倉庫を後にした。
あとちょっとでこの章は終わりです。
2020年11月7日に誤字脱字と文章の校正を修正しました。




