島国 バエル王国 焦燥から終焉
戦が開始してから猛威を振るっていた火球がようやく消失した。しかし、火球から生み出された火は消えることなく戦場を焼いていた。反乱軍を囲むように地面は焼けただれ、そこに足を踏み入れば忽ち焼かれてしまう。兵士達は逃げることもできず暑さと恐怖から混乱していた。
そんな混乱する戦場でナジム伯爵は指示を出すこともできず呆然としていた。戦が始まる前の自信と高揚感は既に消失し、喪失感と絶望のみが心を支配していた。
ナジム伯爵は今回の戦に全てを賭けていた。いや、ナジム伯爵だけでなく、この計画はナジム伯爵だけでなく、彼の父親からの悲願だった。王家を打倒し自分達が新たな王家になるのを大願とし、実際に王冠を奪うための準備もしてきた。
戦乱が少ないバエル王国の軍事力は大陸の国々と比べて停滞していた。ナジム伯爵の父親はそのことに目をつけ、自らの家臣を秘密裏に大陸に留学させた。留学した者は大陸での戦の歴史や戦術、戦略などを学び、ときには高名な戦略家に教えを受け知識をため込んでいった。
ナジム伯爵は家臣を大陸で学ばせただけでなく、兵の育成にも心血を注いだ。大々的に兵士を育成すると反乱の計画が漏れてしまうた、め少数かつ確実に戦果があがる方法として騎馬隊を組織していた。バエル王国では馬は荷を運ぶ道具として使用しているが戦では使用されていない。ナジム伯爵はそこに目をつけ千人規模の騎馬隊を組織した。
大陸の知識を持った軍師達と新たに組織した騎馬隊、この二つが揃ったところで長年の準備が整った。ナジム伯爵の父親はその成果を見ることなくこの世を去ってしまったが、その思想は息子のナジム伯爵に受け継がれた。そして、あと少しで悲願が達成できるところまで来ていた。
王家から廃嫡の子を掻くまうことができたのは偶然だが僥倖だった。たとえ自分の血筋に正当性がなく周りが認めなくても血族の娘を王子に宛てがい、その子供を担ぎ上げれば良かった。
全ての準備と状況が揃い残るはこの戦に勝つだけだった。開戦の合図が悲願の達成への前奏曲だったのにそれが絶望への序曲となった。
戦場は混沌としており、兵士達の士気は既に失われこのまま戦闘を行うことはできない。軍師達は先ほどの火球の恐怖から抜け出すことができず、騎馬隊は馬が火に怯えてしまい動けずいた。もはや反乱軍に抵抗する手段は無くなっていた。
「こんなことが、こんなことが許される筈がない! こんなのは人の戦ではない!」
業火に蹂躙され怯える兵士を見ながらナジム伯爵はこの戦は理不尽だと思い始めた。戦とは人が持つ力や知恵を使って行うことで、強大な力に一方的に蹂躙されることではない。ナジム伯爵はそう考えていたからこそ、長年に渡り人を育て戦の準備をしてきた。それなのに人知を越える力が突然出現し反乱軍に襲いかかってきた。為す術がない兵士達は一方的に火に焼かれ、こんなのは戦ではなく虐殺だとナジム伯爵は心の内を露呈した。
「許されないか…… その言葉は誰に対してのものだ?」
ナジム伯爵の目の前に見知らぬ男が現れ声をかけてきた。男は剣を帯び、革鎧を着込んでいるが騎士や兵士とは違った装いだった。
「貴様は誰だ?」
「人に名を尋ねるときは自分から名乗るのが礼儀だぞ。だが、殺し合いの場に礼儀を求めるのは無粋だな。俺の名はトリス。第二王子アルフェルトに雇われた者だ」
「アルフェルトに雇われただと? 貴様が大陸から雇われた者か?」
「そうだ。それでお前はナジム伯爵で間違いないか?」
「…………そうだ。私がナジム伯爵である。貴様は俺の首を取りにきたのか?」
「命を奪いに来たわけではない。お前を捕らえくだらない戦を終わらせに来ただけだ」
「くだらないだと!」
「ああ、くだらないさ。平和な国で反乱を起こすなんて愚かなことだ。この国の王族が悪政を強いて民や家臣を蔑ろにしているなら判るが、お前の反乱はただの欲望だ。欲望が悪いとは言わないが他者を傷つけ、平和に暮らしている民を蔑ろにする欲は害悪でしかない」
「お、おのれ、言わせておけば……」
自分と父親の大願がくだらないと言われナジム伯爵は激昂した。ナジム伯爵は周りの騎士や兵達を呼び寄せ自らも剣を抜きトリスと対峙した。
「我が大願を愚弄した罪を受けてもらう。生きて帰れると思うなよ」
「こっちはこの後はいろいろと予定があるのでお前の思惑通りにはならない」
トリスはそう言うと素手のままナジム伯爵との距離を詰めた。当然、周りの兵士や騎士達がトリスの行く手を遮るがトリスは武器は一切使わず素手で相手をした。迫りくる槍の刺突や剣の斬撃を手や腕で受け止め、掴んだ槍の矛先はそのまま握りしめて破壊し、腕で防いだ剣は腕の力で叩き壊した。
「なっ!」
「莫迦な!」
槍や剣を破壊された兵士や騎士は目の前で起きたことが信じられず一瞬の隙を作ってしまった。トリスは当然その隙を見逃さず相手の鎧の隙間や防具に覆われていない顎を殴打した。殴打された兵士と騎士は一瞬で意識を奪われその場に崩れた。トリスはナジム伯爵の周りにいた兵士と騎士達を素手のみで意識を奪った。
「残るはお前だけだ」
「ひぃっ」
僅かな間に二十人近くいた兵士と騎士を倒したトリスはナジム伯爵に近づいた。トリスの圧倒的な強さにナジム伯爵は思わず身をすくめ怯えた声を上げた。トリスはそんなナジム伯爵を侮蔑しながら声をかけた。
「自分の想像よりも強い相手に萎縮するのは当然だが、お前はそれと同じようなことを民にしたんだぞ。自らの行いを悔やめとは言わないが相応の罰は受けてもらう」
トリスはそう言うとナジム伯爵の腹を殴った。ナジム伯爵は鎧を身につけていたがトリスの拳は鎧をも砕き、そのままナジム伯爵の腹を捉えた。鎧のおかげでトリスの拳の勢いは弱まったがナジム伯爵の意識を奪うには十分な威力で、ナジム伯爵はそのまま地面に倒れた。
「これで首謀者は捕らえた。後は第一王子の捕獲だがそれはボルフェルトに任せよう」
トリスは誰に告げることなくそう言うと倒れているナジム伯爵を担ぎ上げ、設置してあったもう一つの魔術陣を起動させた。トリスが設置した魔術陣は二つ。一つは先ほどまで動いていた火球を生み出す魔術陣。もう一つは水球を生み出す魔術陣だ。
火球の影響で戦場のいたる場所は焼けただれいる。トリスはそれを消火するために水球を生み出す魔術陣も設置していた。起動した魔術陣からは水球が出現し、トリスの意図通りに戦場の火が鎮火していく。火に怯えていた反乱軍の兵士達は安堵し、その場に座り込んだ。既に戦う気力もなくなり大人しく捕虜になることを選んだのだ。
火球が消え、新たに出現した水球が戦場の火を消すのを見た反乱軍の兵士達は武器を捨てその場に座り込んだ。それから少しの間に反乱軍から降伏の狼煙が上がった。ナジム伯爵がトリスに捕らえられそれを見ていた軍師達が降伏の狼煙を上げた。狼煙を見た国王軍は勝利の声を上げることなく静かに狼煙を見ているだけだった。
「王子……、いえ王女様。相手が降伏しました。ご指示をお願いします」
アルフェルトに指示を受けるために元帥が頭を下げながら声をかけてきた。本来であれば国王のボルフェルトの指示を受けなければならないのに元帥は気が動転しているのか、それとも恐怖からなのか、神託を受けたアルフェルトに指示を乞うた。
アルフェルトはボルフェルトに視線を向けるとボルフェルトは静かに頷くだけだった。静かに頷くボルフェルトの意図を察したアルフェルトは元帥に向かってはっきりと指示を出した。
「戦は終わりました。これから敵軍の兵士は捕虜とします。抵抗しない者に危害を加えることは許しません。彼らもバエル王国の一員です。もし無抵抗な彼らを傷つけることがあれば、今度は我々にセルセタ神の神罰が下ります。全兵士にそのことを伝えなさい」
「はっ、全軍に必ず伝えます」
「それと傷や火傷を負っている者は敵味方を問わず治療しなさい」
「しかと拝聴いたしました」
元帥はアルフェルトに一礼し、すぐに全軍に指示をだした。アルフェルトの指示と聞いて兵士達は武器を収め、代わりに縄や治療道具を持って反乱軍に駆け寄った。
「見事だ。よくぞ我が意図を見抜いた」
「お父様……、お褒めいただきありがとうございます。間違っていたらどうしようかと思いました……」
「もし、間違っていたら我が制した。それよりも我が軍の損害はなく戦が終わってしまった」
「はい、これからどう致しましょう? ナジム伯爵は必ず捕らえる必要がありますが既に逃げた可能性があります」
「その心配はないぞ」
ボルフェルトとアルフェルトの会話に第三者が口を挟んできた。周りにいた近衛騎士達はすぐに声のした方を向き剣を構えた。
「止めよ。その者は我の使いだ。剣を下ろせ」
声の主がトリスだとすぐに判ったボルフェルトは近衛騎士達を制した。近衛騎士達はボルフェルトの指示に従いすぐに剣を収めたが、見知らぬ男が出現したことに警戒は解いていなかった。
「騎士達よ、この場から少し離れよ」
「王よ、それは出来ません。あの者が王に危害を加える可能性があります」
「あの者は我らの使いだ。決して危害を加えたりはしない」
「しかし……」
「揉めているところ悪いが、この男を引き取ってくれ。気を失っている間に然るべき処置をして欲しい」
ボルフェルトと近衛騎士の会話を遮りトリスは担いでいたナジム伯爵を近衛騎士達の目の前に置いた。近衛騎士達の中にはナジム伯爵の顔を知っている者もおり、ナジム伯爵が捕らえられたことに驚いた。
「気絶させるために腹を殴った。加減はしたつもりだが内臓を損傷があるかもしれない。医者に診せるかそれともこのまま放置するか決めてくれ」
「まさか、敵の首謀者を捕らえてくると思わなかった。近衛騎士達よ、これでこの者が敵でないことは判ったな」
「「「はっ!」」」
「では、ナジム伯爵を……、いや、今回の首謀者であるナジムを公の場で裁く必要がある。近衛騎士達よ、ナジムを軍医に診せ監視しろ。我らの護衛はこの者が引き継ぐ」
「仰せのままに従います」
近衛騎士達はボルフェルトの指示に従い、気絶しているナジム伯爵を軍医のいる天幕に輸送されていった。ボルフェルトは近衛騎士達が離れたことを確認するとトリスに声をかけた。
「トリスよ、大義であった」
「私は契約を守っただけです」
「感謝する。それとここには我らしかいない。言葉を取り繕う必要はない」
「……判った。ナジム伯爵は捕らえることはできたが第一王子は戦場で見つけることはできなかった。第一王子の捕獲はそっちで行ってくれ」
「もとよりそのつもだ。それよりも報酬はどうすれば良い? 傭兵団の捕虜の解放だけでは割りにあわんぞ」
「金には困っていないし、宝石や装飾品にも興味がない。アルフェルトと最初に交わした契約したこの国の特産品をいろいろ優遇して貰うだけでいい」
「本当にそれだけで良いのか?」
「ひとまずそれだけでいい。何か欲しい物や願い事ができたらそのときに話をする」
「では、今回の報酬は貸しと言う形で書面に残して渡そう。我が王家が存続する限り有効だと記載しよう」
「そこまで望んでいないが、国王の顔を立てて有り難く頂戴する」
トリスはあまり報酬に興味はないが、ボルフェルトの顔を立てるために受け取ることにした。ボルフェルトそれ以上聞くことはないので口を閉じたので今度はアルフェルトがトリスに話し掛けてきた。
「トリスさん、一つ質問してよろしいですか?」
「何だ?」
「先ほどの火球の魔術は他者が使うことは出来ますか?」
「どうしてそんなことを聞く?」
「あの魔術は強大すぎます。もし、あの魔術が他の者も使えるのであれば対抗手段を考える必要があります」
「……やり方さえ知っていれば誰にでも使える。アレは魔術陣で魔術を増幅しただけだ。だが、材料は高価で魔術陣を作るのにはかなりの神経を使う」
「差し支えなければ教えて下さい」
「B級品以上の魔鉱石を砂状にして陣を作成する。品質が悪い魔鉱石は砂状にしたときに魔力が消失する。それと砂状にした魔鉱石は風や雨で流れてしまうから陣を書くのはコツがいるがな」
「そ、そんな大それた物だったのですか……」
トリスは何げなく言ったがB級品以上の魔鉱石を砕いてしまうなんて普通の人には考えられない発想だった。B級品以上の魔鉱石は通常は都市の運営に使う。それをたった一回の魔術に使い捨てるのは暴挙だ。
それに砂状に砕いた魔鉱石で陣を作成するのもかなりの神経を使う。複雑な魔術陣を砂で描くのは繊細な技術が必要で、砂状にした魔鉱石は水や風なので流れてしまうので取り扱いには注意力も必要だ。一般の魔術師なら逃げ出したくなる作業である。
「防ぐ手立ても一緒だ。同じ品質の魔鉱石を使えば理論上は防ぐことができる。ただ、陣の構築が拙ければ威力は落ちる。誰でも使えると言ったが材料と手法、準備を考えると効率は悪い」
トリスの言葉を聞いてアルフェルトは少し安堵したが若干の不安も残った。国や組織では使用されることはないが唯一の例外としてトリスがいる。トリスは希少な魔鉱石を使った筈なのにさしたる要求をしてこない。トリスにとって今回使った魔鉱石が大した痛手にならないのであれば幾つの魔鉱石を彼は所持しているのか、そんな疑問をアルフェルトは抱いてしまった。
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