島国 バエル王国 百を数える間に
バエル王国はかつてないほどの緊張感に満ちていた。島国であるため外国との戦は建国時から一度もなく、戦と言えば貴族同士の小規模な争いしかなかった。だが、今はバエル王国が保有する戦力が一つの場所に集まる大きな戦が起ころうとしていた。
タラス平原の近隣に住む村や町には避難が通達され、平民達はその指示に従うしかなかった。日々の生活は勿論大切であったが、戦渦に巻き込まれ家族や友人の命を落とす訳にもいかず、民達は国からの通達を守るしかなかった。
「あと、三日です」
森の野営地でアルフェルトは焚き火を見ながら呟いた。アルフェルトが呟いた言葉は国王軍の第一陣がダラス平原にたどり着く日時だ。
「まだ、反乱軍が補給部隊を襲った情報はありません。でも、まだ油断は出来ません。むしろこれから襲われる可能性の方が高いです。最初の補給部隊が四日以内にダラス平原にたどり着かなければ兵の士気は大きく下がります」
リーシアは自分の推測を述べた。それはアルフェルトの考えと一致しており、アルフェルトは大きく頷いた。これからが正念場だと二人は気を引き締め、作戦の要であるトリスを見た。
トリスは静かに瞑想していた。いや、瞑想ではなく補給部隊からの緊急連絡に備えて、直ぐに対応できるように体力を温存していた。トリスの読みでは今日もしくは明日が一番襲撃される可能性が高いと考えていた。補給部隊の輸送路や地形、それと今まで襲撃があった箇所から推測していた。
勿論そでだけではない。過去にあった襲撃の場所や生き残った兵士の話もきちんと確認していた。襲っていた場所は一貫性がない。だが、生き残った兵士の話を聞くと遊撃隊の主戦力に魔術師がいることが判った。
魔術師の実力を十全に発揮させるなら狭い場所よりも開けた場所が適している。もちろん魔術師の個性によっては逆の可能性はあるのでトリスはそのことも考慮していた。様々な可能性を考えトリスは自分ができる最善の策と行動をしていた。
そして、夕日が沈み夜が訪れたとき、トリスの読みが当たった。
「来たぞ」
トリスの元に補給部隊からの緊急連絡が来た。一つでは誤報の可能性があるが、一つの場所から複数の緊急連絡がトリスに送られてきた。トリスは直ぐに眷属粘性動物との感覚共有を強くして状況を確認した。
感覚共有から送られてくるのは兵士達の悲鳴や指揮官達の怒号に似た指示が伝わってきた。トリスは立ち上がり、アルフェルトとリーシアを見た。二人はトリスの言葉を聞いて険しい表情をしていた。
「予定通り俺一人で行く。二人はここで待機だ。何か問題が出たら緊急連絡用の魔術道具で伝えてくれ」
「はい」
「トリスさん、よろしくお願いします」
リーシアとアルフェルトの言葉を聞きトリスは頷くと風のように駆けだした。
襲撃の先制攻撃は成功したとギレルは確信していた。補給部隊が野営に選んだ場所はギレルの読み通り見通しのよい開けた場所だ。この場所ならアージェ、ベルディア、シーダンの戦闘に適した場所だ。そして、風上からの仕掛けることもできた。
「ベルディア、いけるか!」
「問題ないよ」
ギレルの言葉にベルディアは威勢良く答え、己の最も得意とする光の魔術を発動させた。
「ば、化け物が出たぞぉ」
「巨人だ。巨人が襲撃してきたぞ」
「狼だ、狼の群れが襲ってきた」
補給部隊の兵士達は口々に自分が見えたモノに驚き大声を上げた。
日が沈む前に野営地に到着した兵士達は野営の準備に追われていた。今日一日の行軍の疲れと休息が取れる喜びから油断していた。だがそれは仕方がないことだ。どんなに優れた人間でも一日中気を引き締めていることはできない。日が沈み野営の準備も終わり、夜の安らぎが訪れたときにソレは出現した。
一瞬何か強い光を感じ兵士達は光の方を見ると今までいなかったモノがいた。ある兵士には大きな巨人が見せ、またある兵士にはおぞましい魔獣が見え、別の兵士には狼の群れが見えた。あまりにも突然のことで兵士達は浮き足立つが、指揮官達は直ぐに敵の襲撃だと勘づき国王から譲渡された緊急連絡用の魔術道具を発動させた。
「怯むな! まずは陣形を組み防御に徹しろ。直ぐに援軍がくる」
指揮官達の言葉に兵士達は震えながら陣形を組んだ。兵士達は突然現れたモノに怯えながら必死に指揮官の指示に従った。
「チッ、心を折ることはできなかったか。だが、戦意は十分に下がった。ベルディアはそのまま魔術を維持し、ベルディアの護衛以外は打って出るぞ!」
「「「「「応ぅ!!」」」」」
ギレルの言葉に遊撃隊の隊員は大きく頷き補給部隊を襲撃した。まずは弓兵で火矢を放った。火矢は兵士ではなく積み荷の補給物資を狙った。遊撃隊の作戦目的は兵士ではなく積み荷の補給物資だ。勿論火矢だけで補給物資を燃やせるとは思っていない。兵士達が火の消火で隙が出来るのを狙った。
「火だ」
「急いで消火しろ!」
ギレルの狙い通り兵士達は直ぐに火の消火を行う陣形が乱れた。歴戦の傭兵である遊撃隊員がそれを見逃すことはなかった。各々の判断で陣形が乱れたところに強襲をかけた。この時点で襲撃の先制攻撃は成功したとギレルは確信していた。
「アージェ、シーダンはまだいるな」
「指示通りここにいるよ」
「雑魚と遊ぶのは飽きたし、興味もない」
主戦力であるアージェ、シーダンは先制攻撃には加わらずまだギレルのそばにいた。二人は他の遊撃隊員とは別の指示がギレルからされていた。
「よし、じゃあ陣形が崩れたら指揮官を攻撃しろ。脅す程度でいい。撤退の指示を出させるんだ」
「あいよ。殺さない程度に痛めつけるよ」
「面倒くさいな」
素直に指示を受けるアージェとは違いシーダンは何処か不機嫌そうだが、シーダンの態度はいつもこの調子なのでギレルに不満はなかった。それよりも早くこの作戦が成功することだけを考えていた。
遊撃隊の先制攻撃が成功して暫く経過すると陣形の一カ所が崩れ始めた。何人かの兵士が重傷を負い、消火のために兵士が不足していたためだ。残った兵士が必死に応戦するが陣形が崩れるのは時間の問題だった。
「団長。陣形が崩れそうなので加勢してくる」
アージェはそう言うとギレルの返事を来る前に駆けだしていた。ギレルはアージェの判断に異論はなかったので何も言わなかった。一方シーダンはまだ大人しくしていたがアージェが向かった方向とは別の場所を見ていた。
「ねえ、団長。あそこにいる人達と遊んできていい?」
シーダンはそう言うとある一点を指さした。そこは指揮官らしき男が部下数名を引き連れアージェが向かった先に駆けつけようとしていた。
「あの人、ロブスと数回打ち合って手傷を負わせたんだ。少し強いよね」
ロブスは傭兵団の中でアージェ達に次ぐ実力者だ。そのロブスを数回打ち合っただけで手傷を負わせるのはかなりの実力者といえる。ギレルはこのままアージェの邪魔をされるのもまずいと判断し、直ぐにシーダンの提案を承認した。
「行ってこい。でも、あまり遊ぶなよ」
「了解。じゃあ、行ってくるね」
シーダンは玩具を買ってもらえた子供のように嬉しそうに指揮官のところに向かった。
(これで撤退命令がでれば俺達の勝ちだ!)
ギレルはほぼ勝利を確信しつつあった。補給部隊の戦力ではこの状況をひっくり返すことはできない。アージェが参戦したことで補給部隊の陣形はもう崩れ、アージェは指揮官を追い詰めていた。加勢をしようとして別の指揮官はシーダンが足止めをしている。早く撤退命令をでることをギレルは願っていた。
「うぎゃぁぁっ」
「あ、脚がぁぁぁぁっ」
突然男達の大きな悲鳴が上がった。ギレルは急いで声のする報告を見ると腕や脚を切られた部下達が横たわっていた。歴戦の傭兵が剣で斬られただけでこんな悲鳴は上げない。ギレルの部下達は腕や脚を切断されていた。
「な、何が起きた」
ギレルが腕や脚を切断された部下達に駆け寄ろうとするが今度はアージェの怒号が聞こえた。
「一旦、下がれ」
アージェの声が聞こえた遊撃隊員は一瞬驚いてしまったが直ぐに下がった。だが、戦闘に夢中になりアージェの言葉を無視した数人の遊撃隊員は一人の男によって命を落とした。
(もう駄目だ)
王国軍の指揮官の一人である男は撤退命令をだそうとしていた。反乱軍の遊撃隊から襲撃を受けた何とか持ちこたえていたが、陣形の一部が崩壊し、多くの兵士達が負傷していた。これ以上この場に留まっても被害が大きくなるだけだと判断した指揮官は撤退の合図を出そうとした。
「なんとか間に合ったか。よく耐えたぞ」
指揮官の耳に聞き覚えのない声が届いた。一瞬敵かと思ったが次の瞬間にはそれは杞憂に終わった。
「うぎゃぁぁっ」
「あ、脚がぁぁぁぁっ」
陣形の崩れた場所を攻撃していた反乱の遊撃隊員を一人の男が斬った。一人は左腕を、もう一人は脚を切断され斬られた遊撃隊員は地面に転がった。一瞬の出来事だったために敵も味方も直ぐに反応することはできなかった。一番初めに事態を把握したのは遊撃隊の一人だった。
「一旦、下がれ」
遊撃隊員の言葉に指揮官も要約事態を把握し、直ぐに部下達に指示をだした。
「増援が来たぞ。もう一度陣形を整えろ」
指揮官の言葉に兵士達は直ぐに反応することはできなかったが、それでも増援という言葉を聞いて兵士達はなんとか持ち直した。
トリスが戦場に着いたのは本当にギリギリだった。思っていた以上に補給部隊は追い詰められ崩れる寸前だった。トリスは周囲を確認すると追い詰められていた指揮官の側に近づき声をかけた。指揮官は直ぐに理解することはできなかったので行動で示すことにした。
陣形が崩れたところを攻めていた遊撃隊員の二人を斬った。いつもなら首を狙って命を奪うのだが今回は敢えて負傷者を出した。一人の重傷者が出た場合、救出や傷の手当のために何人かの人員が必要になる。トリスは敵側の人員削減を狙った。しかし、その読みは外れた。
反乱軍の遊撃隊員の一人が下がるように命じると他の遊撃隊員は負傷者を助けることはせずに身を引いた。正規の軍ではなく傭兵のため味方の命よりも自分の命を優先にしたのだ。
(なら、いつも通りに数を減らす)
トリスはいまだに攻撃を続けている遊撃隊員に向かった。戦闘に夢中になって味方の声が届かなかった遊撃隊員にトリスは瞬時に近づき首を斬った。斬られた男はトリスの剣戟の鋭さに斬られたことを認識できなかったのか、血が流れても攻撃を続けていた。トリスはそんな男を無視して他にも攻撃を続けていた遊撃隊員の首を斬った。
それは異様な光景だった。自分の首から血が噴き出しているの攻撃を続ける遊撃隊員達は神話や御伽話に出てくる狂戦士のようだった。だが、彼らは神話や御伽話に出てくる狂戦士ではなく普通の人間だ。血が身体から一定量を流れるとその場に倒れた。
トリスが斬った遊撃隊員の数は合計で六人。腕を切断された一人。脚を切断された一人。首を斬られた四人。トリスが戦場に着いて百を数える前に倒した人数だった。トリスは自身の刀に付いた血の汚れを水の魔術で洗い流すと次の標的に向かった。
トリスが次の標的に定めたのは光の魔術を発動している女だ。戦場に辿り着く前からトリスは光の魔術を感知していた。先に女が発動している光の魔術を止めようと思ったが、補給部隊の陣形が崩れていたため後回しにした。今は陣形が立て直しつつあるのでトリスは女の魔術師に向かった。
「させるか」
トリスが女魔術師――ベルディアのところに行こうとするが護衛の三人が行く手を阻んだ。護衛の三人は先ほどの斬られた遊撃隊員達と違いトリスを警戒していた。二人を負傷させ、四人の仲間の命を奪った相手をこれ以上好き勝手させないため護衛の三人は一斉にトリスに斬りかかった。
しかし、それは悪手であった。トリスは護衛の三人の間を風のようにすり抜け、すれ違いざまに護衛の三人の命を奪った。トリスが戦場に辿り着いてから百を数える間に新たに三人の死者が追加された。
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