港街サリーシャ 思わぬ来客
日が昇りこの街の領主であるデイルは目を覚ました。眠い目を開けベットから出て着替え始めた。もう少し寝ていたい誘惑に駆られたが、昨日の夜に報告された件を再確認しなければならないので、のん気に寝坊などはしていられなかった。デイルは身支度を済ませ食堂に向かった。
「おはよう」
「「おはようございます」」
デイルが食堂に着くと既に二人の女性給仕が朝食の準備をしていた。デイルが自分の席に座ると給仕の一人が奥の調理場に行き、もう一人が紅茶を淹れた。紅茶のいい香りがたちこめ、デイルは自分の前に置かれた紅茶を口に含んだ。紅茶の苦味と砂糖の甘さがデイルの残っていた眠気を打ち消し活力を与える。
「デイル様。おはようございます。朝食をお持ちしました」
デイルが一杯目の紅茶を飲み終えると、執事のレリックと給仕が朝食を持って食堂に来た。給仕はトレイから朝食を取り出しデイルの前に並べた。
「おはよう、レリック。朝食を食べながらで悪いが昨日の報告の続報を頼む」
「かしこまりました。まず、昨日の夜に報告をしました通り、『三人組の悪漢』と呼ばれていた三人は現在治療院で手当を受けています。顎の骨が砕け、首から下は動かせない状態です。医者の見立てでは自然回復はほぼ絶望的だとの見解です」
「そうか、昨日の報告に間違いはなかったか……それであの三人組を再起不能にしたのは何者だ?」
「それについてはまだ判っていません。しかし、関係者は判りました。三人組が倒れていたのはレイラと言う娼婦の家です。さらに現場に居合わせていた娼館のオーナーの言い分では、レイラの借金を肩代わりした男が三人組を倒したようです」
「娼婦の借金を肩代わりしたと言うことは親戚かあるいは親しい者。もしくは娼婦に惚れこんだ男だろう。全く何処のどいつだ娼婦の借金を肩代わりした物好きは!」
ここ数年間デイルを悩まされた問題が思わぬところで片付いた。三人組の凶行には本当に悩まされていた。雇われた裏組織の敵対組織をなくすだけでなく、街の治安を悪くしていた。ここ数年間は市民からの対処してほしいと懇願が何通も届いていたほどだ。
しかも市民からの苦情は雇っていた裏組織の狙いで、裏組織は領主の交代を画策していた。三人組をワザと街で暴れさせ、治安を悪くし市民の不安やストレスを煽り立てていた。証拠は幾つもあるのに居場所の特定が困難だったために今まで手が出せなかった。
それが昨日の夜に再起不能の怪我を負ったと報告が来た。そのときは一瞬理解が追いつかず誤報と思ったほどだ。だがその報告は誤報ではなく真実だった。
そうなってくると今度は裏組織の動向と三人を再起不能にした男の素性と目的が気になってくる。その男が街の脅威になる可能性があるので楽観視はできなかった。
「デイル様、この件に関しては最優先事項として調べを続けます。旅人の可能性もありますので似た背丈の者が街に入ったか門番にも確認もしております」
「判った。この件に関しては夜にもう一度話そう。そのときの状況次第では父上と相談する」
「はい。では次の事案ですが……」
デイルは朝食を食べながらレリックの話を聞いた。指示が必要な物はその場で速やかに指示を出し対応を行った。
「最後になりますが、今朝早くに金木犀のオーナーであるラロック・レイモン氏が面会を求めに来ました。できれば本日中の面会を求めています」
「――急だな。何か理由でもあるのか」
「A級品の魔鉱石を手に入れたので献上したいとのことです」
「A級品の魔鉱石だと! それが本当なら会う価値は十分にあるな。だがなぜ今日中の面会を求める? 何か別の理由があるのか?」
「理由については判りません。ラロック氏からはできれば今日中に面会したいと強く言われました」
デイルはラロックの名は聞いたことがあった。この街で貴金属店を主として商いをし、貴金属の他にも宿屋の経営など幅広く活動している。商会の会合に顔を出せるくらいの地位にいて、悪い噂も特に聞いたこともない。面会するのに問題はなかった。
「…………ラロック・レイモンと会おう。空いている時間はあるか?」
デイルは暫く考えた後、ラロックに会うことを決めた。A級品の魔鉱石は一つあるだけで街の財産になる。多少リスクがあったとしても手に入れておきたい。そう思いラロックと会うことを決心した。
「本日の昼食後でしたら空いております。一つ目の昼の鐘から三つ目の昼の鐘まではこの館での書類の確認になっておりますが、早急に行う事案はありません」
「では昼食後に会おう。本当にA級品の魔鉱石なら早めに確認したい」
「では、ラロック氏にはそのように返事をします」
「任せた」
デイルは残りの朝食を食べ終え食堂を後にした。これから午前中に行わなければならない業務を行うため自分の執務室へ向かった。
「昼食後に会うことになりました」
三つ目の朝の鐘がなる前にラロックは銀木犀に訪れた。宿にいたトリスはラロックと話をするため、昨日と同じ木蓮の食堂でラロックからの報告を聞いた。ラロックの話を聞いて取りあえず領主には会えることになりトリスは安堵した。
「一つ目の課題はクリアになりました」
「ラロックさん。朝から対応していただき、ありがとうございます」
「いえいえ、これくらいなんでもありません。しかし、やはりA級品の魔鉱石は需要があります。領主がこんなに早く面会を許可するのは異例です」
そう言ってラロックはお茶を飲み一息ついた。
「そう言えばレイラさんとクレアさんのお二人のお姿が見かけませんが……」
「クレアは部屋で寝ています。レイラはその付き添いで部屋にいます」
「この時間に寝ているのは何か体調でも崩されましたか?」
「いえ、朝に剣の稽古を軽く行っただけです。何時より長く行ったので疲れて寝ているだけです。昼には起こしますので御安心ください」
トリスは軽く剣の稽古をしたと言ったがクレアにとっては猛特訓だった。普段なら素振りや型の確認、走り込みなどだが、今日はトリスが剣の稽古をつけてくれた。
クレアが朝起きるとトリスも起き『剣の稽古をする』と言い宿の庭を借りて稽古を始めた。最初に準備運動を行い、それからトリスと木剣を使用しての模擬戦を始めた。基本はクレアが攻めでトリスが受けなのだが時折トリスも反撃する。それをクレアが受け、躱そうとするが実戦経験のないクレアはものの見事にトリスに打ちのめされた。
二つ目の朝の鐘が鳴るまで稽古は続き、クレアは心身ともに疲れ果てた。稽古が終わった後は一人で立つこともできないほど消耗していた。レイラに手伝って貰いながら汗を拭き、レイラが作ってくれた朝食を何とか食べた。だが、そこまでが限界だったようで朝食を食べ終えるとそのまま寝てしまった。トリスはクレアを担いで部屋まで運びベットに寝かせたのだ。
「そうでしたか。それでは仕立屋に行くのは無理ですね。領主の館に行く前に仕立屋に寄りたかったのですが間に合いません。まあ、外套や旅の服は今日でなくてもよいでしょう。すべてが片付いた後でも問題はありませんから」
「いろいろとお心遣い感謝します」
「いえいえ、こんなの大した手間ではありません。それよりも領主様と直接面会するのは私とトリスさんの二人で宜しいですか?」
「はい、護衛として私が付きます。レイラとクレアも一緒に行きますが控え室で待機させます。もし、領主様が保護してくださるなら直ぐにでも保護して頂きましょう」
「判りました。では詳しい段取りをしましょう」
トリスとラロックは領主デイルとの面会時の決め事などを話し合った。話し合いは一つ目の昼の鐘が鳴る頃まで続いた。一つ目の昼の鐘が鳴ったところで領主の館に行くため部屋で寝ているクレアを起こし、レイラとクレアを引き連れ領主の館へ向かった。
昼過ぎ、領主の館の一室で館の主デイルはラロックと面会していた。ラロックは領主の館に来るとこの部屋に案内され、部屋にはデイルが待っていた。部屋は六人掛けの長方形の机が中央に置かれ、奥の席に領主のデイル、左隣に五十歳手前の男性が座っていた。デイルの後ろには執事のレリックが控えていた。
ラロックはデイルの反対側の席に立ち挨拶を済ませ、ラロックは席に座った。トリスは護衛として紹介され、ラロックの後ろに控えた。ラロックが席に座るとデイルが話を始めた。
「早速だが、あなたが献上したいと言う魔鉱石を拝見したい。失礼を承知で言うが今日はあなたの急な申し出にこちらは受けたのだ。鑑定はこちらで準備した鑑定士に鑑定させてもらうが宜しいかな?」
「ええ、構いません。トリス、例の魔鉱石をデイル様にお渡ししなさい」
「はい」
ラロックの指示にトリスは従い持ってきた魔鉱石を入れた箱を執事のレリックに渡した。箱を受け取ったレリックは箱に不審な仕掛けがないか確認した。一通り確認し、問題ないと判断したレリックはデイルの前に箱を置き蓋を開けた。
デイルは箱の中を見ると魔鉱石が三つ入っていた。デイルは見ただけでは魔鉱石の質は大雑把にしか判らないが、箱の中にある魔鉱石はかなり良質の物と見て取れる。デイルは魔鉱石を左隣のいる鑑定士に渡した。
魔鉱石の鑑定はラロックが使っていた道具を使う方法と鑑定士と呼ばれる魔術師が鑑定する二種類の方法がある。鑑定士の方がより正確に鑑定することができるのでデイルはお抱えの鑑定士を同席させた。
「何ですか、これは……」
鑑定を始めた鑑定士が不意にそんなことを呟いた。デイルはその言葉に魔鉱石が偽物かと思ったが鑑定士の様子がおかしい。魔鉱石を持っている手は震えているが食い入るように魔鉱石を見ている。一つの鑑定を終えると直ぐに違う魔鉱石を手に取り、三つ全ての魔鉱石の鑑定を黙々と行った。デイルは鑑定が終わるまで黙っていることにした。
「どうだ。A級品の魔鉱石で相違ないのか?」
三つ目の魔鉱石の鑑定が終わったところでデイルは鑑定士に声をかけた。先ほどから尋常ではない様子だったが鑑定結果を聞かないと話の先には進めない。
「A級品で間違いありません。ここまで質の良いものは見たことがありません。いえ、正確に言えばS級品を除いたどの魔鉱石よりも品質、質量ともに文句のつけようがないほどの逸品です」
鑑定士のその言葉にラロックは満足そうに頷き、デイルは「そうか」と呟き、渋い顔をした。デイルはまさかここまでの品を三つも献上してくるとは思わなかった。この品を一度目にしてしまえば手放す気など起きてこない。この魔鉱石があればこの街で問題になっている事案が幾つか解決できる。領主としては喉から手が出るほど欲しい品だ。だが下手に受け取ってしまうとその後に何を要求されるかが判らない。
デイルは判断を保留にしたかったがラロックは強かに言葉を紡いできた。
「どうですか? これほどの品は私も取り扱ったことは今までにありません。文句の付けようのない逸品です。是非デイル様に献上し、この街の役に立てて頂きたいと思っています。ですが、御返事がなければこの魔鉱石は大人しく持ち帰ります。急な面接に対応していただいたのに残念です」
ラロックそう言いデイルの言葉を待った。デイルとしては金額が判らない手形に署名するようなことはできない。せめてラロックの目的を聞き出さなければ駄目だ。それによってこの交渉がどうなるかは判らないが、後から暴利な要求をされるよりはましだと判断した。
「ラロック殿。この魔鉱石を頂く前に確認しておくことがある」
「はい。何でしょう」
「それは……」
「旦那様、お待ちください。どうやら御領主様は面会の席に『鼠』を潜り込ませるお方のようです」
突然トリスが話を間に入ってきた。しかも内容で聞き捨てならないことを言うのでラロックはデイルを睨みつけた。トリスが『鼠』と言ったのはこの部屋にいない第三者が話を聞いている者を指すことだ。事前にラロックとの打ち合わせで『鼠』とトリスが判断した場合は領主との会話を打ち切る算段になっていた。
そうとは知らないデイルはラロックの護衛が何を考えているのか理解できなかった。護衛が主の話に割って入ってくるなど前代未聞の出来事だ。しかも、主人であるラロックは護衛を咎めることはなく、非がデイルにあるような態度で睨んできた。
デイルはあまりの出来事に声を荒げた。
「な、何を言っているのだ。急に話に割り込んでくるなんて! 護衛が主の取り引きに会話を挟むなど失礼だ!」
「では、屋根裏については何も知らないと言うのですか?」
「屋根裏がどうかしたのか。それよりもお前の言動の意味が判らない」
デイルの様子にトリスは違和感を抱いた。鑑定士は何が起きているかは判らず狼狽し、レリックは主を侮辱されたと思い敵意の視線をトリスに向けている。トリスは屋根裏にいる人物についてはこの三人は何も知らないような気がした。
「失礼。少し部屋を汚します」
そう言ってトリスは右腕を上げると鈍い音が天井から聞こえた。デイル達は音のした所に目を向けると丸い穴が開いていた。そして、そこから赤い液体が落ちてきた。赤い液体はテーブルの上に落ち、一滴が落ちるとその後を続くように赤い液体が滴り落ちてきた。
執事のレリックはテーブルに落ちた赤い液体を指で拭い匂いを嗅いでみた。鉄の匂いがする独特の匂いがした。レリックはその匂いに心当たりがあった。
『血』の匂いだ。
赤い液体の正体は血だった。人間の血かどうかは判らないがとにかく屋根裏に生き物がいることは間違いなかった。レリックは直ぐにデイルに報告した。
「デイル様これは血です。屋根裏に生き物がいます」
「す、すぐに調査しろ。人間だったら生け捕りにしろ!」
「人間ですよ。外部に知られると騒ぎになりますのでこの場から動かないでください。天井に大きな穴を空けますが宜しいですか?」
デイルの言葉にトリスがいち早く反応し、騒ぎ立てようとする皆を制した。そして、天井に穴を空けてよいかとデイルに尋ねた。デイルはトリスの言葉に黙って頷いた。
デイルの了承を得たので、トリスは皆をテーブルから離れさせるために部屋の奥に移動するように伝えた。デイル達はトリスの指示に大人しく従い、皆が部屋の奥に移動するとトリスはテーブルと椅子を使って簡易的な踏み台を作った。
トリスは天井に手を当てると魔術を使い、拳ほどの穴を空けた。、それを数度繰り返すと人が一人が入れるくらいの大きさの穴ができた。トリスは器用にその穴の中に入り天井裏に潜った。
「今から男性を下すので受け取ってください。暴れないようにしているので大丈夫です」
天井裏からトリスの声が聞こえると、天井の穴から人の足が出てきた。デイルを除くラロックらがテーブルの上の椅子をどかして出てきた足を掴んだ。トリスは下でラロック達が足を掴んだことを確認するとゆっくりと天井裏にいた人物を下した。
天井裏にいた人物の顔が見えたところでデイルとレリックは驚きの表情を浮かべた。その人物は見知った顔のだったからだ。
「なぜ、お前がここにいる!」
デイルの問いに男は答えなかった。いや、答えられなかった。
男は天井裏から出されそのまま床の上に置かれた。トリスの言う通り拘束はされていないが暴れる様子はなかった。左腕に怪我を負っており、そこから血が出ていたが致命傷になるような傷ではなかった。先ほどトリスが天井に穴をあけた際にこの男の左腕を傷つけたのだ。
「今は麻痺しているので返事はできません」
天井からトリスの声が聞こえたと思うとトリスは軽業師のように天井裏から身を乗り出しテーブルの上に着地した。天井から出てきたトリスはそのまま男に近づいた。
「神経毒を打ちましたので意識はありますが暫く喋ることはできません。それより拘束するので少し離れてください」
トリスはそう言うと鞄からロープを取り出し男の手足をロープで縛り、ハンカチを丸めて男の口の中にねじり込んだ。男は完全に拘束され身動きが取れない状態になった。
「領主様の話を盗み聞きしていたこの男は誰ですか?」
「この屋敷の庭師だ。先代のころから務めていてもう十年以上この屋敷で働いている」
「先代の頃から? では先代の密偵か何かですか?」
トリスの言葉に一瞬デイルの顔が困惑したが、首を振りそのことを否定した。
「父上の密偵ではない。もしそうなら私に話しているはずだ」
「本当に?」
「本当だ。何なら父上に直接聞いてみる。あなたはトリスと言ったな。あなたも同席してくれ」
「判りました。しかし、先代は病で倒れたと聞きましたが……」
「部屋で療養している。体は弱くなったが頭は明晰だ」
デイルはそう言いレリックに父親の部屋へ今から行くことと、周囲の人間をこの部屋と父親の部屋に近づかせないよう使用人に通達する指示を出した。指示を受けたレリックはすぐにデイルの父親の部屋に向かった。
鑑定士はこの部屋で待機するように命じた。もし一歩でもこの部屋を出たり、外部の人間と接触した場合は重い罪に処すことを伝え、逆にこの部屋に近づいた者は後で報告するように指示をした。それと手持ち無沙汰にならないよう魔鉱石を渡してこの街で使用する際に最も有効的な使い方を模索するように指示をした。
「では、父上の部屋に行く。その男は……」
「私が担いでいきます」
「頼む」
そう言ってデイルは部屋の扉を開けて父親の部屋に向かった。すっかりトリスとデイルのやり取りになってしまった。形式的にはトリスの主であるラロックが疎かになっているがデイルは気が付かない。庭師のことで頭がいっぱいになっているようだ。ラロックとトリスは苦笑を浮かべて若き領主の後に続いた。
「父上。デイルです。入ります」
デイルは父親の部屋につくと扉をノックするが、中からの返事をまたずに断りの言葉だけを述べ部屋に入った。部屋の中には執事のレリックと初老の男性と女性がいた。男性は部屋のベットに横たえ、女性が甲斐甲斐しく介護をしていた。
女性の方はどことなくデイルに似ていた。多分デイルの母親であろう。ベットに横たわっている男性は鷹の目のように鋭い目が印象的な人物だ。デイルと同じ灰髪の色と灰色の瞳なので彼がデイルの父親だとトリスは思った。
「どうしたデイル。急にレリックを寄越して客人と訪問すると聞いて驚いたぞ」
「父上、申し訳ございません。ですがどうしても確かめたいことがありました。どうかお許しください」
「判った。それでそちらがそのお客人か? 始めてお目にかかる。このような格好で申し訳ないが私はガゼル・ハーネスト。このデイルの父であり、この街の前領主だ」
「妻のティナ・ハーネストです」
「私はこの街で貴金属店金木製を経営しているラロック・レイモンです。こちらは護衛のトリスです」
ガゼルとティナが挨拶してきたのでラロックとトリスも頭を下げ挨拶をした。トリスは男を担いでいるのは失礼と思い、近くにあった椅子に担いできた男を座らせた。後ろ手に縛った手を背もたれに通して椅子と男を固定した。
「父上、突然訪問したのはこの庭師の男についてです。この男は私とラロック殿との面会中に屋根裏に忍び込み会話を聞いていました」
「何、それは誠か?」
「はい。護衛のトリス殿がいち早く気が付き拘束しました。父上に会いに来たのはこの男についてです。この男は父上の代から庭師をしています。もし父上の密偵で父上の命で私に探りを入れていたなら……」
「私の命で探りを入れていたらどうする?」
「父上を罪人として拘束します。いかなる理由があろうと領主への反逆行為とみなし処分します」
デイルはそう言うと厳しい目つきで父親のガゼルを睨みつけた。デイルはこの街を預かる領主としてガゼルを裁く覚悟をしていた。
『上に立つものが法を守らなければその法は法でなくなる。たとえ親族であっても罪を犯せば罰しろ』
デイルは領主になる前からガゼルにそう教えられてきた。自分の考えもその通りだと思い今まで領主としてこの街を統括してきたのだから。
「残念だが私の密偵ではないし、命令した覚えはない」
息子の成長が嬉しいのか、自分が教えたことを忠実に守る息子の姿が嬉しいのかガゼルは嬉しそうにそう言った。
「本当ですか?」
「しつこいぞ。そもそもその男を庭師にするのは余り気が進まなかった。この男を庭師として雇って欲しいと言ったのは『都市』の連中だ」
「『都市』の人達ですか」
「ああ、そのときは無下に断るわけにもいかなかったし、庭師としての腕はよかったから雇ったのだ。だが密偵だったとはな」
ガゼルは鷹のような鋭い眼で射殺すように庭師を見た。庭師はトリスの毒で体は動かせないが意識はあるのでその眼に脅えるしかなかった。
庭師の様子からガゼルは無実と判断したデイルはひとまずこの男の処遇を保留することにした。毒の影響で喋れないのでは尋問することもできない。それよりラロックとの交渉を優先する必要があったのでラロックの話を受けることにした。
「ラロック殿、トリス殿このようなことに巻き込んで申し訳ない。魔鉱石は献上品として受け取り、できる限り貴殿の要望に添うようにする。そして、この件は他言無用でお願いしたい」
「判りました。トリスもそれでいいな」
「はい、旦那様の御判断に従います」
デイルの言葉にラロックとトリスは了承し、この件についてはデイルの預かることになった。『都市』と言う言葉にラロックとトリスは疑問を持ったがこれ以上は要らぬ干渉と判断し口を塞いだ。
「では、今後の話を別室でしよう。部屋を次々変えて申し訳ないが……」
「デイルよ。口を挟むつもりはないが何やら面白そうな話をしているな。先ほどの件といい、私も参加させて欲しいのだが」
昔の血が騒いだのかガゼルは自分も参加させるよう息子に提案してきた。だが、さすがに病人を交えて話をすることはできないのでデイルとティナがガゼルを制した。
「父上は療養中です。確かに街のことについて助言を頂くことはありますが、今は体を大事にしてください」
「あなた。少しは自重してください」
息子と妻の責めるような眼差しと言葉に引かずガゼルは参加を促した。
「まあ、そう言うな。この老いぼれの身体は悪くとも頭はまだまだ大丈夫。知恵もそこそこあるので助けにはなっても邪魔にはならない。ラロック殿、よろしいかな?」
「私としては問題ありませんが、トリスはどう思う?」
「旦那様がよろしいのであれば従います。ですが……」
「そうでした。できればこちらも侍女の二人を参加させていただきたい。実はこれからの話は彼女達のことなのでできれば彼女達の同席を許可してください」
トリスは目線でラロックに合図を送り、ラロックもその目線に気が付き別室で待機しているレイラ達の同席をお願いした。
「ああ、構わないぞ。デイルも良いな。では、ティナよ。女性の方が来るからお茶と茶菓子を用意してくれ。レリックは部屋の奥にあるテーブルをここに持ってきてくれ」
デイルは父親の態度に呆れながら渋々了承し、ティナはこれ以上口を出すことはせず、お茶の用意とレイラとクレアを呼ぶため部屋をでた。レリックはガゼルの命に従い部屋の奥にあるテーブルを移動させるため部屋の奥に向かった。テーブルは八人が座れる大きな丸いテーブルで、一人で運ぶには大変と思いトリスはレリックの手伝いを申し出て、テーブルと椅子をガゼルのベットの近くに配置した。
トリスは庭師の男にこれ以上話を聞かれるのもまずいと判断し、庭師の男の首筋に針をさした。針には睡眠薬が塗ってあり、庭師の男にはしばらく眠って貰うことにした。庭師の男が眠ったことを確認すると部屋に置いてあった予備のシーツを男の上にかけた。
そんなことをしていると屋敷の侍女に連れられたレイラとクレアが部屋にきた。二人は部屋に入ったときは事態が呑み込めず不安そうな表情をしていた。だがトリスとラロックの姿を見ると安心した表情になりトリス達の元にきた。トリスから今まであったことを説明していると、ティナが侍女達とともにお茶を持って部屋に戻ってきた。
侍女は手際よく人数分のお茶を淹れ、お茶が入れ終わると部屋から出て行った。ガゼルはベットに座ったままでその横にティナが座り、レリックはデイルの後ろに控えテーブルにはデイル、ラロック、トリス、レイラ、クレアがそれぞれ席に着いた。
「では、話し合いを始めたいがその前に一旦自己紹介する。私がこの館の主であり領主のデイル。デイル・ハーネストだ。そしてこの三人は」
「父親のガゼル・ハーネストだ」
「母親のティナ・ハーネストです」
「執事のレリックです」
「ご紹介ありがとうございます。この街で貴金属を取り扱っているラロック・レイモンです。続いて護衛のトリス。侍女のレイラとクレアです。見てお判りかと思いますが、レイラとクレアは母娘です」
「レイラとクレアだと!!」
レイラとクレアの名前を聞きデイルは驚き思わず席を立った。見れば執事のレリックも驚いた顔をしている。
「その御様子だと既にレイラとクレアのことは御存じのようですね」
デイル達の様子を見てラロックは既にレイラ達の情報がデイルに伝わっていることを確信した。事情を知らないガゼルが眉をひそめ尋ねてきた。
「何の話しだデイル」
「よろしければ私に御説明させてください。そしてできればこの三人をこちらで保護をお願いします。それが私が本日デイル様と交渉したかった内容です」
ラロックそう言いことの経緯を話し始めた。
「まさか、そのようなことになっていたとは……」
「全く予想できなかった。取り敢えずそちらの二人はこの館で保護する。だがトリス殿は……」
ラロックの話を聞いてガゼルは驚き、デイルは唖然とした。自分が調査していた人物から接触してくるとは思っていなかったからだ。しかし、驚きつつもデイルはレイラとクレアの保護を約束してくれた。ラロックの話を聞いた限り、この二人に罪はないと判断し保護をすることを決めた。
しかし、トリスに至っては保護を保留した。トリスはどう考えてもこれから標的になるのは火を見るより明らかだ。デイルは余り厄介事をこの館に持ち込みたくなかった。ただ、『三人組の悪漢』を倒したトリスの戦闘技術を考えると、保護が必要とは思えなかった。
「トリス殿。失礼を承知で申し上げる。貴殿が倒した三人組と同じ実力者が複数いた場合何人まで相手できる? もし援護が必要ならその人数も教えてくれ」
ガゼルが不意にそのようなことを聞いてきた。その質問の内容は単にトリスの実力を測ることではないようだ。
「…………人や建物の配慮などを考慮すると一概には言えませんが、自由に戦える場所でしたら百人いても問題はありません。援護は邪魔になる可能性があるので不要です」
トリス少し考えて素直に答えた。ここで領主に恩を売るのも今後のことを考え有効だと判断したためだ。
「百人か。まさか中隊規模の人数を言われるとは思わなかった。だが裏を返せばトリス殿を雇えば中隊と同じ規模の戦力が手に入るのか……」
「…………」
ガゼルの言葉にトリスは何も答えないが否定はしなかった。トリスの態度を見て、トリスを雇い入れるのは問題ないとガゼルは判断した。だが、そうなってくるとトリスに対する報酬が問題になる。
ガゼルは目を瞑り考え始めた。そして、領主のデイルもガゼルと同じ考えをしていた。トリスは間違いなく裏組織に狙われる。本人もそれを察しているので、仕事に見合った報酬をきちんと用意すればトリスは進んで協力してくれる。トリスを雇い援助すれば『三人組の悪漢』を雇った裏組織を壊滅させることもできる。
一時的に街は混乱するかもしれないが、憲兵達と連携すれば混乱は最小限に抑えられ街の不安は解消されるはずだ。領主としては是が非でも実行したい事案だ。だが中隊規模の戦力を持つ者を安易に雇えない。同じくらいの傭兵を雇うとかなりの金額を積まなければならない。
街の資金から出すとしても安易に決定できない。この街の有権者達に事情を説明し、賛同を得なければならない。だが有権者達の中にも裏組織と通じている者達がいる。その者達がトリスの情報を売る可能性もあった。そうなってしまうとせっかくの好機を潰してしまう。
デイルがそう考えているとガゼルが口を開いた。
「トリス殿。私に雇われてみないか。仕事の内容は『三人組の悪漢』を雇っていた裏組織の壊滅。それと裏組織のトップの男の捕獲だ。生死は問わない」
「――報酬は幾ら貰えますか?」
「この街の市民権及び身分証明書を出す。領主のサイン入りでだ。勿論トリス殿、レイラ殿、クレア殿の三人分を用意しよう」
ガゼルはトリスが最も欲しかった身分証の発行を提示してきた。領主が発行した身分証明書は身元が確実に保証されているため、他の街での生活や就職にかなり有利になる。ラロックに頼んだ紹介状よりもずっと信用がある。
そして、市民権は通常であれば十年以上街に税金を納め犯罪歴がなく、街に貢献した者に発行される権利だ。この権利書を持っていれば何時でもこの街での生活が保証され、仕事も優先的に周旋してもらえる。それを三人に出してくれるのは予想以上の報酬だ。
「父上、お待ちください。それは街の法に違反します」
「だろうな。身分証明書はともかく市民権は最低でもこの街に十年以上住み税金を納めた者のみに与えるのが決まりだ」
「そうです。父上は進んで法を破るのですか? 私に『上に立つものが法を守らなければその法は法でなくなる』とそう教えたのは父上ですよ」
「確かにそうだ。しかし政は綺麗事だけでは行えない。清濁併せ持つことが重要なのだ。お前にはまず「清」を学び、「濁」を知るところから教えた。そして、綺麗事だけでは対処できないことが世の中にはある。そのときに如何にして切り抜けるかが重要になるのだ。法を破り手を染める必要もある。だが己を戒めず進んで手を染めればいずれは破滅する。清きを学び、濁りを知り、両方を使える者が良き領主へとなる。今は理解できないかもしれないが、今後はそれを学びなさい」
「…………判りました。いえ、今は理解はできませんが、理解できるように努めます」
「それでよい。さて、話はそれたがトリス殿。私の依頼を受けてくださるかな。前領主であるが先ほどの報酬は必ず守る」
ガゼルが出した条件は破格だ。報酬で言えば十分過ぎる。それにラロックにも世話になっているので、この街のためになるならトリスは協力は惜しまないつもりでいた。しかし、懸念事項もあった。先ほど捕まえた庭師の男についてだ。彼はほぼ密偵で間違いないが目的が判らない。ガゼルとデイルは『都市』からの密偵だと思っているがこの街の裏組織と無関係と言い切るには早計だ。
それに先ほどの部屋に置いてきた眷属粘性動物からの情報で、不審者がまだいることが判った。直接部屋には近づいていないが、何度も部屋の周辺を探っている女性の従業員がいる。庭師の男と連絡が付かないので焦っているように見える。この女をこのまま放置しておくのも後々問題になる可能性があった。
トリスはそれらを考慮してある計画を立てそれをデイル達に話した。
男は目を覚ました。目の前には白い布が被せられ視界を塞いでいた。身体の麻痺はなくなり左腕の傷が痛むが、応急処置がされているので動くのには支障がなかった。手足は拘束されているが所詮は素人の縛り方。これなら難なく取り外すことができる。床の模様からすると意識を失う前と同じなのでまだガゼルの部屋にいることは判った。
不覚を取ったと自分でも理解している。同じ密偵の女性従業員から今日の面会者がA級品の魔鉱石を持ち込むと連絡があった。詳細を把握するためいつものように屋根裏に忍びこんだ。まさか見破られるとは思ってなく油断していた。気が付いたときには身体に麻痺の毒物を打たれていたようで身動きが取れない状態になっていた。その後はされるがままになり睡眠薬を打たれ意識を失った。
男は次は失敗しないよう細心の注意を払って行動することにした。周囲の気配に気を配るとどうやらこの部屋には自分以外の三人の人間がいることが判った。話し声も聞こえるので、声からして部屋にいるのはガゼルとデイルだ。残り一人は声を出さないので妻のティナか執事のレリックと予想した。
『逃げ出すなら機会は今しかない』
男はそう判断した。男はタイミングを見計らって部屋の外に飛び出す準備をした。ゆっくりと手足の拘束を外した。デイル達の会話から飛び出すタイミングを計った。デイル達が話に夢中になっていると男は判断し、自分の視界を塞いでいた布を一気に取り除き扉に向かった。
布を取り除くと部屋の中の様子は男が予想していた人数だった。部屋にはガゼルとデイルが話をしていたが、もう一人の人物が意外だった。妻のティナか執事のレリックだと思っていたが、実際は自分を捕縛した護衛の男だった。男はそのまま部屋の扉を強引に開け、一直線に館の出口に向かった。
途中に人影が見えた。運が良かった。その人物は自分と同じく『都市』から派遣されていた女性従業員だった。男は人質を取る振りをして女性に情報を与えるために近づいた。
ドックン!
心臓が急に高鳴ったと感じると足の力が抜けて地面に転がった。慌てて起き上がろうとしたが身体に力が入らない。女性従業員が近づき何やら叫んでいるが、頭に言葉が入ってこない。そして、急な眠気が襲ってきた。唇を噛んで意識を保とうとしたが駄目だった。男はその場に崩れ落ち意識も深い闇の中に落ちていった。
男の心臓の鼓動はゆっくりと止まり二度と動き出すことはなかった。
サリーシャの娯楽街にも賭博場は存在していた。法律では賭博は合法とされているが運営の殆どは、商会や領主と言った表側の組織ではなく裏側の組織が行っていた。統括しているのは裏組織の勢力の一派であるオルトが行っていた。
オルトは四十歳半ばの男性で身長は一般男性と変わらないがかなりの細身だった。肩まで伸びた黒髪を後ろで結び眼鏡をかけた切れ長の目が印象的な人物だ。オルトは賭博場の事務室で持ってきた書類を処理していた。昨日から騒ぎで余り時間が取れず、時間が空いている時に行っていた。
昨日の夕方にヘルの部下から今日の昼に集まるよう連絡がきた。集まる場所は何を思ったかオルトが経営している賭博場の一室だ。オルトは渋々了解したが、他人のために自分の管理する賭博場の一室を明け渡さないといけないことに憤りを感じていた。承諾はしていたがオルトの内心は苛立ちが募っていた。
「オルト様。ヘル様とダフネ様がお見えになりました」
「今行く」
約束の時間になり、用意した部屋にヘルとダフネが到着したようだ。オルトは作業を中止して彼らが待っている部屋に向かった。部屋の扉を開けると二人の男女が座っていた。
一人はダフネといい、オルトと同じ年齢の女性で赤毛の髪を腰まで伸ばしている。まだ二十代に見える顔立ちで、身体は全体的に細身だが胸や尻はボリュームがある。男受けする身体と美貌を兼ね備えた魅力的な女性だ。彼女は主にこの街の遊郭を経営していた。
もう一人はヘルといい、オルトより身長が低いが身体の筋肉量は平均値を大きく上回っているのが特徴で髪を短く切っている。この三人の中で一番若くまだ二十代後半の若者だ。だがこの三人の派閥の中では一番大きく、そして一番厄介な存在だ。
元々ヘルの派閥はそんなに大きくはなかった。しかもヘル自身の頭は悪く、何事も暴力で解決できると思っている節があった。そのため他の組織に吸収されると思っていたが、『三人組の悪漢』などと言われる用心棒を雇い入れ、敵対勢力や従わない勢力を潰しまわった。
本来ならこの街の治安を乱したので憲兵に捕まるところだったが、偶然に前の領主が倒れた。街の混乱に乗じてヘルは自分の派閥を大きくし、現在ではこの街の最大勢力のトップに君臨している。
オルトの組織は元々賭博経営を主としていたので規模はそんなにも大きくはなかったが、ヘルの派閥に入るのを拒んだ者や組織を潰された者達を匿っていたところ、いつの間にかこの街の二番目に大きい派閥になっていた。だが、派閥の規模はヘルの派閥の半分にも届いていない。
ダフネの派閥は娼館やそれに関連する商品を取り扱っており、元々はそこそこ大きな派閥であった。ヘルに対して一番初めに従順したので今の地位を保持している。中にはそれに反発する者がいたが、ヘルによって粛清されてしまい派閥はオルトと同じか少し少なめになっていた。
ヘルの派閥は言わずもがなこの街の裏組織の最大勢力で全体の半分以上を占めていた。今の派閥まで勢力が拡大して以降はオルトやダフネの派閥にも手出しはしていない。現在の力関係で満足していた。もっともこれ以上大きくしてもヘル自身が派閥を管理しきれないのが一番の理由でもあった。
「ようやく来たか。待たせやがって」
「すまない。急な仕事が入って対処していた」
ヘルのぼやきにオルトは嘘をつきながら自分の席についた。本来なら客人を持て成す側であったが、ヘルの用事のために持て成すのは気に食わなかったオルトはワザと遅れた。オルトからヘルへの細やかな抵抗だった。
「過ぎてしまったことはどうでもいいわよ。それより今日は何で集められたの?」
「ああ、実は俺の派閥で雇っていた用心棒の三人が何者かにやられた」
ダフネの言葉にヘルが今日集めた理由を話し始めた。
「昨日の夕方にある娼婦の家で再起不能の怪我を負った。今は街の治療院に憲兵の監視のもとに収容されている」
この情報は既にオルトもダフネも把握していた。二人にとってもこの情報は朗報で『三人組の悪漢』は疎ましい存在だった。二人とも少なからずこの三人の被害にあっていた。
オルトは賭博場を何度も荒らされ従業員が大怪我をしたこともある。ダフネは商売道具でもある娼婦が何人も酷い目にあわされた。二人ともヘルに抗議はしたがヘルは取り合わなかった。
その三人組が再起不能な怪我を負ったことは二人にとって本当に朗報だった。
「その話は昨日からこの街の噂になっているわよ。誰がやったのか私も知りたいわ」
「残念だがまだ誰がやったかは判っていない。レイラと言う娼婦の知り合いだと思うが、その娼婦も娘と一緒に昨日から姿を消している」
「そうなんだ。でも、レイラは私の娼館には来ていないわよ。彼女は結構美人で有名だったけれどデリの店が管理していたわ。あいつはヘルの派閥でしょ?」
「そうだ。デリの野郎が今まで管理していた。だが、レイラは金貨二十枚の借金を昨日のうちに全額返済した」
「全額返済? 昨日で金貨二十枚分を?」
ダフネとヘルの会話を聞いていたオルトは思わず驚きの声をあげた。金貨二十枚は一般市民がそう簡単に用意できる額ではない。それを昨日のうちに払ったとなるとそれなりの資産家に援助してもらったことになる。
「デリの部下、ラグの話だと昨日の夕方にレイラの家に訪問したところ客人が来ていた。ラグとレイラが借金の話をしていたところ突然その客人が話に割り込み、事情を聞いてその場で金貨二十枚を支払った。ラグはデリに報告するために金貨を持ってデリのところに戻った。デリはその話を聞いて金をだまし取ろうと考え、レイラの家に向かった。念のための途中で用心棒としてあいつらを引き連れていったのがことの始まりだ」
「その話を聞く限り非はデリにあると思うが……」
「そうね。理由はどうあれきちんと借金を返したのだから、だまし取ろうとしたデリに問題があるわ」
ヘルの話を聞きオルトとダフネは今回の一件はすべてデリに落ち度があることが判った。どんな形であれ期限内に借金を返したのであればレイラに何の咎もない。だまし取ろうとしたデリに問題がある。用心棒の三人をどうして返り討ちにしたかは判らないが、大方暴力で相手を黙らせようとしたのだろう。
「そうなのだが問題はそこじゃない。あの三人が倒されたことが問題なんだ。あいつらは今まで随分と組織のために働いてくれた。あいつらが再起不能の怪我まで負わされてこのまま何もしないのは人として不義理だし、組織の面子もある」
ヘルはそう言ったがオルトとダフネは自業自得だと思っている。あの『三人組の悪漢』のことだ。相手をただ脅すだけでなく相手を殺害しようとしたはずだ。レイラとその娘についても婦女暴行をしようとしたことは火を見るより明らかだった。
正直このまま何もしたくないのがオルトとダフネの共通認識だが、ヘルは何とかして落とし前をつけようとしている。
「ヘル、具体的な話をしよう。俺とダフネを呼んだのは状況の報告ではなく何かして欲しいのだろ?」
「オルトは話が早くて助かる。要はその男を捕らえて欲しい」
「捕らえるにも名前や特徴は判っているのか?」
「残念だが名前は判らねぇ。見た目は二十歳過ぎの男だと言うことしか判っていねぇ」
((こいつ、使えない))
ヘルの言葉にオルトとダフネは思わず心の中でそう叫んでしまった。見た目が二十歳過ぎの男がこの街に何人いるのか考えるだけでも頭が痛くなる。少しでも特徴が判っている娼婦のレイラと娘のクレアを探し、彼女達から居所を聞くのが早い。
だがそうなると一つの懸念が出てくる。オルトはそのことをヘルに問いただした。
「ヘル、確認するが娼婦のレイラとその娘のクレアについては捕らえる必要はないよな」
「いいや、娼婦のレイラと娘のクレアも探し出して捕らえる。今回の損害を支払って貰う」
「それは少し横暴じゃない? 彼女達に責任は無いでしょ」
オルトの質問にヘルは容赦ない返答をし、同じ女性であるダフネは非難の声を上げた。
「そうはいかない。今回の件でせっかく今まで面倒をみていた奴らが使い物にならなくなった。その落とし前はつけてもらう。もっとも問題の男が大金を持っていたら話は変わってくるがな」
ヘルはそう言うと下卑た笑いを浮かべた。その顔は男が大金を持っていたとしてもレイラとクレアは娼婦になるか、下手をするとそれ以下の扱いになってしまう。オルトはヘルの考えに賛同できないため、今回の件については積極的な協力をしないことを決めた。
「判った。俺は男の居場所を探る。可能なら捕縛するがそれ以上のことは期待するな」
「おい、俺は女も捕まえろと言ったのだが」
「女はもう借金を返したのだろう。下手に捕まえて攫ったらこちらが犯罪者になる。憲兵どもが出てきたら厄介だ。男も同じだ。この街の市民だった場合は必ず周りの住人が騒ぐ。最低限居場所だけは探ってみる」
「私もそうする」
「ふざけるな!」
オルトの言い分にダフネも便乗した。しかしヘルにとっては寛容できない内容だった。
「ふざけてはいない。今まではお前が雇った用心棒のおかげで憲兵に対して抑止力があった。だが今は違う。用心棒は使い物にならなくなった。憲兵達も動きやすくなっているだろう。慎重にやらないと捕まるのはこちらだぞ」
「ぐっ」
「だから最低限の居場所だけは探る。居場所が判明すれば連絡はする。娼婦達の居所も判ればそちらも伝える。それでいいな」
「…………判った」
ヘルは悔しそうに返事をすると、もう用は済んだとばかりに乱暴に席を立ちそのまま部屋を出て行った。相変わらず自分の意見が通らないとすぐに帰ってしまうヘルに辟易するオルトだった。
ヘルがいなくなったことでこの集まりもこれで終わりだ。オルトも仕事に戻るために部屋を出ようと立ち上がろうとするとダフネが話しかけてきた。
「ねえ、オルト。このままでいいの?」
「何がだ」
「あいつのやっていることよ。今回の件はただの逆恨みでしょ。それなのに私達を巻き込むなんて」
「確かに気分のいい話ではない。だがどうする? 俺とお前が手を組んだとしてもあいつを殺れる保証はない。数年前だったらできたが、奴の派閥は大きく成長し過ぎた」
「それは言わないでよ。今ではオルトの誘いを断ったことは後悔している。でも、今ならあの用心棒はいないから何とかなると思わない?」
「ヘルは直情的な奴で基本バカだが無能ではない。用心棒達が万が一暴走したときの対応と今回のように倒されたときの対応も考えている。ヘルはそれなりに腕の立つ者を私兵として百人抱えている。こいつらを何とかしないとヘルを潰すことはできない。それにヘル自身も体を鍛えている。俺達ではヘル一人を殺るのも骨が折れる」
「…………そうなの」
数年前にヘルの派閥が大きくなり始めたとき、オルトはヘルを潰す算段を計画していた。いずれこの街に害悪しかもたらさないと判断し、そのときに協力を求めたのがダフネだった。しかし、ダフネはオルトの誘いを断った。『悪漢の三人組』を倒せるとは思えず、ヘルに従順した。当時は最良の選択と思っていたが、今はオルトの誘いを断ったことを後悔していた。
「とにかく今は問題の男を探そう。名前は判っている」
「そうなの? なら何でヘルに教えなかったの?」
「どうせ名前が判ったら次の厄介ごとを押し付けられる。それなら居場所だけ付き止めて後はあいつに任せればいいさ」
「相変わらず抜け目がないねぇ。それでどう言うやつなの?」
「ああ、名前はトリスと言う。剣を所持しているがその剣が特徴的だ。兵士の持つ長剣ではなく曲剣のように少し曲がった剣を所持している」
「よく調べたわね。どうして判ったの?」
「レイラの家に行く前に娘のクレアと待ち合わせをしていたのさ。そのときに手土産を所持していた。買った店が特定できたから店に聞き込みに部下を行かせた。ちなみに手土産を買った店はラフォードだった」
オルトは情報共有するためダフネにトリスの情報を話した。オルトは昨日の夕方にあった出来事を独自で調査を始めた。オルトは常に『三人組の悪漢』の動向を探っていた。部下からの情報を得た時点でトリスの調査を開始し、僅か一日でこれだけの情報を集めてた。
「店で話を聞いた限りでは結構な大食漢みたいだ。もしかしたらうまい店を張り込んでいれば見つかるかもな」
「それ本気で言っている?」
「冗談だよ。それより二十歳過ぎの若い男だから夜の店に行くかもしれない。金はあると思うが手持ちは尽きている可能性があるからその辺を注意した方がいい」
「判ったわ。私が面倒みている店にはちゃんと通達しておく」
「俺からの情報はもうない。そちらは?」
「私は何もないわよ。噂は聞いていたけれど、特に動こうとは思っていなかったし」
「判った。では仕事に戻ろう」
オルトはそう言うと部屋から出て行った。ダフネもそれに続き二人は賭博場を後にした。
オルトは賭博場を後にすると近くにある自分の事務所に戻った。事務所は表向きは税理士の看板を掲げているが、実態は別物だ。税理士の看板はカモフラージュではなく、特定の人物には判る目印になっていた。
オルトが建物に入ると事務員が近づいてきた。
「オルト様。お帰りなさい」
「ただいま。何か変わったことはなかったか?」
「男性のお客様が二人来ています。何でもオルト様の昔の友人と言っています」
「昔の友人? 誰だ」
「名前は名乗りませんでした。会えば判ると言って強引に待合室に入って行きました」
「判った。取りあえずお茶を人数分用意し、警戒のために警備員を入り口に待機させろ」
「はい」
事務員はそう言うと警備員を呼びに奥へ行った。オルトは手荷物の鞄を一旦自分の部屋に置き、その後に置いて待合室に向かった。
待合室の前には既に警備員がいたので目で警備員に合図してそのまま待合室に入った。待合室に入ると若い男がいた。もう一人はソファーに腰掛け背を向けているので顔が判らなかった。
「父さん、オルトさんがきたよ」
若い男がもう一人の男に声をかけた。どうやら二人は親子らしい。オルトは警戒しながら男達に近づいた。
「相変わらず、気難しい顔をしているだろう」
ソファーに座っていた男が立ち上がりオルトの方に顔を向けた。
「よう、久しぶり」
「レイモンド! お前どうしてここに」
レイモンドと呼ばれた男は気さくに声を上げ旧友に挨拶した。オルトは久しぶりの旧友との再会に驚きながら笑みを浮かべた。
「まあ、詳しくは今から話すよ。それよりも息子を紹介させてくれ。前に一度会っていると思うがな」
「息子のヴァンです」
「ああ、覚えているよ。確か三年前に俺がレイモンドを訪ねたときに会っているな。いつこの街に来たんだ? いや、それよりもお前は病気で動けなかったはずだが……」
突然の再会にオルトは喜んだが、同時に疑問が出てきた。友人のレイモンドは病でリズの村から出て来られないと思っていた。そんなオルトの疑問にレイモンドは悪ガキのような笑顔を浮かべながらここに来た経緯を話し始めた。
「ここに来たのは病気が治ったことの報告と昔お前から依頼されたことを引き受けようと思ってきた。確かどこかの用心棒を潰すことだったよな」
「そのことか。確かに前に会ったときに依頼したがそれはもういい」
「何だ自分で解決したのか?」
「いや、お前と組んで潰そうとした連中は昨日再起不能になった」
レイモンドの『三人組の悪漢』についてこれまで経緯をレイモンドに話した。再起不能にしたトリスのことはまだ確定ではないのでそのことは伏せて話した。レイモンドとヴァンは黙って聞いていたが話を終えるとヴァンがオルトに質問した。
「あのう……オルトさん、もしかしてその用心棒を倒した人はトリスと言う名前ではありませんか?」
「!?。ヴァン、君は何か知っているのか?」
「ああ、やっぱり旦那の仕業か」
ヴァンの質問にオルトは驚き、レイモンドは何かを察したように顳顬を押さえた。
「トリスさんの仕業だね。父さん、どうする?」
「どうするもこうするもねぇ。旦那が関わっているなら静観するしかないだろ!」
「おい、レイモンド話が判らない。お前はトリスと言う人物を知っているのか?」
話の流れからトリスがヴァンとレイモンドの知り合いと言うことは判るが、二人は何処か怯えているように見える。
「オルト。一つ確認する。お前は旦那……、トリスと敵対しているのか?」
「正確に言えば居所を探しだして連絡するだけだ。敵対しているのはヘルと言う奴だけだ」
「判った。なら、今すぐこの件から手を引け。これは友人としての忠告だ。いいな!」
「どう言うことだ? トリスと言う男はそこまでの危険人物なのか?」
レイモンドはオルトにこの件から手を引くように促すが、オルトはトリスのことを知らないのでレイモンドの真意が掴めないでいた。
「いいか、よく聞け。さっき言った用心棒を潰す件だが俺一人では手に余ると思っていた。今この街にトリスの旦那がきているから、旦那と組んでお前の依頼を果たそうとリズの村から来たんだ。旦那の強さは俺が今まで会ってきた誰よりも強い」
「そうなのか?」
「ああ、旦那はそいつらを片付けたようだ。下手をしたら剣すら抜かずに倒したかもしれない」
そう言ってレイモンドはテーブルに置かれたお茶を一気に飲み干した。
「それに俺の病気を治したのはトリスの旦那だ。だから俺とヴァンは旦那に義理があるから敵対するようなことはしない」
「――そうか。そう言うことだったのか」
オルトはレイモンドの話を聞いていよいよこの件から手を引くことを考えた。だがレイモンドの話が本当なら彼をこちらに引き込んでヘルの私兵を潰すことはできないだろうか。仲介役をレイモンドに依頼すれば可能性はある。
「なあ、レイモンド。トリスをこちらに引き込むことはできないだろうか? もちろん報酬は出すし、俺からも戦力を提供するからヘルの私兵百人と相手して貰うことはできないか?」
オルトの言葉にレイモンドとヴァンは驚きながら苦笑いを浮かべ、それ以上は何も言わなかった。
週一で投稿したかったのですが先週夏季休暇が取れて帰省していました。
その際にパソコンを新調したため遅れました。
古いパソコンはまだ生きていますがディスプレイが限界かも。
港街 サリーシャのお話はあと少しで終わります。
その後はもっとコンスタントに投稿したいと思います。
2020年11月7日に誤字脱字と文章の校正を修正しました