島国 バエル王国 泥水をすすっても
アルフェルトの話は続いた。
反乱軍の雇った傭兵は遊撃隊として組織され、王国軍の補給部隊や偵察隊を集中的に狙い壊滅させた。偵察隊は情報が得るのが目的のため戦力は高くない。だが、軍事行動にとって補給部隊は重要であるため補給部隊にはそれなりの護衛隊がいる。その護衛隊を五十人程度の遊撃隊で壊滅させるのは至難だ。
『五十人規模の部隊で補給部隊を壊滅させるには、優れた戦略家がいるか、実力者が何人か紛れ込んでいたか……』
『――その通りだ。生き残った兵士の話では遊撃隊の実力は普通の傭兵団と変わらないと言っていた。だが、数人の実力がいて彼らが部隊の隊長を狙い場を混乱させた』
トリスの指摘にアルフェルトは生還した兵士からの話をした。兵士の話では隊長が殺されたことで部隊の編成は崩れ、残った兵士は殺されるか撤退するしかなかったと言っていた。
『補給が届かないのであれば軍を引くしかない。反乱軍が増長しないよう大軍で抑えこむことも考えているが……』
『補給部隊が壊滅させられたことが一般兵に知られたか…… 反乱軍にとってこの状況は有利に働く。一般兵に情報を流し動揺させれば行軍に影響がでる。補給がままならない状況で行軍を無理強いすれば士気の低下につながる。更に奪った補給物資は相手の物になるので反乱軍の補給にもなる。なかなかいい戦略だ』
『『『『…………』』』』』
トリスは反乱軍の戦略を素直に褒めたがアルフェルト達にとってはただ事ではない。このまま反乱軍が勢いに乗り、反乱軍が勝利したら現国王やその重鎮達が処罰される。
アルフェルト達にとっては家族が処罰されるので何としても阻止したかった。
『トリスさん、私からお願いします。この依頼を引き受けてくださいませんか。このまま反乱が勝利してしまうと私達の家族も無事ではすみません。お願いします』
『『お願いします』』
リーシアが頭を下げ、ルーラとレベッカも頭を下げた。だが、三人が頭を下げてもトリスの考えは変わらなかった。
トリスはこの依頼を受けるつもりはない。トリスに利益があれば受けても良いがそれは期待できない。他国の王族と顔見知りになるのは利益かと思われるが、王族が約束を必ず守るとは限らない。アルカリスを離れることを考慮すると損益しかなかった。トリスの目的は復讐であって人助けや金儲けではないのだ。
ロバートの親族なので多少の融通はするが、今回の依頼はその範疇を超えている。トリスはアルフェルトやリーシア達が諦めるのを待つことにした。しかし、アルフェルトやリーシア達は諦めなかった。自分達ができる条件や報酬をだし何とかトリスを説得しようした。
『――祖国のためなら泥水をすする覚悟はある。どうか引く受けて』
『…………なにぃ』
アルフェルトは祖国のために泥水をすする覚悟があると言う言葉にトリスの感情の一部を刺激した。
『――口では何とでも言えるな』
何処か莫迦にしたような口調でトリスはアルフェルトの覚悟をあざ笑った。
『どう言うことだ? 余の覚悟を疑うのか?』
『疑うも何もそんなことできないだろ』
トリスはそう言うと部屋に備え付けの冷蔵庫から葡萄酒を取り出した。トリスは葡萄酒の栓を抜くと中身を床にこぼした。
『犬のように這いつくばって飲めば、お前の依頼を受けてやる』
『なっ!』
トリスの突然の提案にアルフェルトやリーシア達は驚きの声を上げた。一国の王子に床に零れた酒を飲めとトリスは強要した。
『どうした? 泥水をすする覚悟があるんだろ? 床に零れた酒なんかまだましだだぞ』
トリスはそう言うと零れた酒を足で踏みつけた。床の汚れと靴の汚れが混ざった酒を前にしてアルフェルトは激高した。
『ふざけるな! このような侮辱を受けてまで貴様に頼めるか!』
『侮辱? 俺はお前の覚悟をみたいだけだぞ。祖国のためなら泥水を口にする覚悟があり、そこまで覚悟があるなら信用できると思った。だが、お前の覚悟は口先だけのようらしい』
『くっ』
『どうやら図星のようだな』
『…………』
『一言だけ言わせて貰うが、本当に切羽詰まっている人間はなりふり構わない。泥水すらうまく感じる。お前がこの酒を飲むのに躊躇いや屈辱、抵抗を感じるなら止めておけ。お前はまだそこまで追い詰められていない』
トリスの言葉に思い当たることがあるのかアルフェルトはそのまま動けずにいた。
『いったい何様のつもりなんだ、あの無礼な男は!』
『殿下、落ち着いてください』
アルフェルトはトリスの家を出て不満をあらわにし、同伴していたリーシアはアルフェルトを宥めながら宿に向かった。ルーラとレベッカはロバートに合ってから宿に戻ることになった。
『王族である余があのような扱いを受けて落ち着けるか! 本国であのような扱いを受けたらあの男は即刻死刑だぞ!』
『ですが、殿下は本日は私の友人と言う扱いでトリスさんと訪問してしました。彼もそのことが判っているからあのような態度をとったんだと思います』
『しかし、あやつは余を王族と見破ったのだぞ。こちらも隠していた非があるが、あそこまで無礼をしてよい理由にはならない』
『それは私達の覚悟を見るためでしょう』
『…………リーシア、そなたはどちらの味方なのだ』
トリスを擁護するリーシアにアルフェルトは不満だった。家臣であるリーシアもアルフェルト同じ心境でだと思っていたのに賛同しないリーシアに少し不安を覚えた。
『私は……、私達は本当に祖国のために行動しているのでしょうか?』
『どういうことだ?』
『トリスさんが床の酒を飲めと言ったときに私は殿下の代わりに酒を飲めば違った結果になったと思います』
『お主そんなことを考えていたのか……』
『でも、私も酒を飲むことをできませんでした。ルーラ達の目の前で床に零れた酒を飲むのに恥や外聞を考えてしまいました。祖国が大変なときに恥や外聞なんかは関係ない筈なのに……』
『…………』
『それにこの国での生活も案外気に入っています。理解ある上司にやりがいのある仕事。もし、反乱軍が勝利したとしても祖国の家族をこの国に呼べば何とかなるとも思っています。王族への忠義を捨てた訳ではありません。ただ、トリスさんの言った通り私は…… 私達は本当の覚悟を持っていない。祖国を救うために全てを投げ捨てることができないでいる。殿下もそうではありませんか?』
リーシアの言葉にアルフェルトは反論できなかった。リーシアの言うとおり、アルフェルトは祖国のために全てを捨て去る覚悟はなかった。王族として生まれ育ってきたのにその覚悟が生まれなかった。それはアルフェルトの所為ではない。バエル王国の風習や環境のためであった。
アルフェルトが帰宅後、トリスはいつも通りの生活に送った。夕食を皆で食べ食後はリビングでフレイヤが淹れたお茶を飲みながら寛いでいた。他の皆も本を読んだり、テーブルゲームしたり各々寛いでいた。そんなゆっくりとした時間を過ごしているとロバートがトリスに話しかけてきた。
「トリスさん、お願いがあります」
「──来るとは思っていた。バエル王国の件か?」
「はい、僕の個人的なお願いです。どうか祖国を助けるためにお力をお貸しください」
ロバートはそう言うと床に座り、手のひらを地に付け、額が地につくまで伏せた。
「…………なんだその姿勢は」
「朔夜さんに教わった土下座です。人にお願いするときにもっとも効果的で請願の意を表す方法だと教わりました」
「余計なことを教えて……」
トリスは朔夜に非難する視線を送るが朔夜はどこ吹く風と受け流した。トリスは呆れながらロバートに視線を戻した。
「ロバート、お前の個人で頼むのは勝手だがきちんと考えて行動か?」
「どう言うことですか?」
「俺がお前の祖国に行くと言うのは人殺しをしてくることだ。人を殺すことを依頼する。その覚悟と重責にお前は耐えられるのか?」
「ひ、人殺しをですか……」
「国を救うと言うのは耳障りの言い言葉だが、実査に行うことは人殺しだ。俺はヴァンの故郷やサリーシャの街で人を何人も殺している。今更自分の手が染まることに抵抗はない。だが、お前は違う。人を殺す経験なんて本来する必要はない。特に子供であるお前はそんなことをしなくていいんだ」
「でも、そうしないと僕の国が…………」
「ロバートが心配しているのは家族や友人にだろ? いざとなればロバートの家族や友人をこの国に逃亡させろ。そのときの資金などは貸してやるし、この国来た後の職の斡旋もしてやる。それでいだろう?」
トリスは代替え案をロバートに提示したロバートはそれ以上何も言えなかった
深夜。トリスは自室でウォールドが残した論文に目を通していた。ウォールドは『迷宮』に行く前と後でかなりの論文を書いていた。論文の内容は魔術や魔術に関係する物が大半であった。
「やはり、あの材料はバエル王国にあるのか……」
トリスはかつてウォールドから聞いた話を思い出し、ウォールドの論文を読み返していた。昼間にバエル王国の話が出たときにトリスはそのことを思い出し調べなおしていた。論文にはウォールドがかつて研究のために手に入れたかった物がバエル王国に存在していた。
「俺には必要のない物だ…… だが、クレア達の今後の稽古に必要になってくる。さて、どうしたものか」
バエル王国に行く理由が一つできた。ウォールドの研究を引き継ぎ、証明するにはバエル王国に行く必要がある。トリスはウォールドが今まで蓄えた知識は世の中に広めたい思いがある。それはウォールドへの感謝の思いからする行動だ。
しかし、下手にその知識を世の中に出してしまうと復讐の妨げにもなる。復讐が終わったあとに然るべきところから発表されるのがように手を回している。その際に証明に必要な材料も揃えておいた方が効率的だ。だが、それだけのためにバエル王国に行く気にはならない。何よりもアルフェルト達が気に食わなかった。
トリスは文字通り泥水をすすって生き延びたことがあった。『迷宮』に迷い込んだ直後、右腕を失い魔物から身を潜めていたときに泥水を飲んだ。喉の渇きを癒やすために地面に溜まって泥水を飲んで生き延びた。あのときの泥水の味は今でも忘れていない。
そういった経験があるトリスにとって覚悟が足りていないアルフェルトの発言は看過できなかった。始めから身分を明かしていれば一考したかもしれないが、今更そんなことを考えても無意味だ。トリスは論文を元の場所に戻して就寝しようとしたときある物が目に入った。それはイーラから貰ったペンダントだ。
イーラから貰ったペンダントはフレイヤに一度返したが、フレイヤは受け取るのを拒否した。そのペンダントはイーラがトリスの無事を願って渡した物だから所有するのはトリスにあるとフレイヤは言った。それ以来トリスは寝床にペンダントをお守りのように飾っていた。
「数人の実力者か……」
アルフェルトの話で出てきた強者についてトリスは興味があった。その場では深く追及はしなかったが、もしかしたらイーラと同じ性質を持つ人物かもしれない。確証はないが確かめてみる価値はあるかもしれないとトリスは思い至った。
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