病院暮らし3
「父さん、母さん、亜希…。」
目の前の光景が信じられなかった。
俺の前には、俺の家族である父の西山貴明、母の亜梨沙、妹の亜希がいた。
俺の家族。
普段ならば緊張することなんて一切なく、くだらない話をし始めていただろう。
でも、今はそんな風に振る舞うことなんて出来ない。
ーーー怖い。
もし、受け入れてもらえなかったら。
貴方なんて私の産んだ子じゃないって言われたら。
お兄ちゃんと慕ってくれていた妹から、他人を見るような目で見られたら。
ーーー怖い。
俺の心を支えてくれていたのは家族だったはずだ。それなのに、家族と会うのが怖い。
ーーーーーー拒絶されたくない。
そんな思いで思考回路は麻痺する。
身体は口を開いた状態でフリーズする。
そんな状態でも、目はしっかりと映像を運んでくる。
妹の亜希が、ゆっくりと口を開き始めた。
「お兄ちゃん、肌白すぎない!?」
…。
はい?
思わず目を見開く。
え、この状況で第一声に言い放つこと、それ!?
そんな俺の感情とは裏腹に、亜希は「すごーい。無茶苦茶綺麗だ〜。」と俺の肌への感想を続けている。
「本当に全然違うな。その身長なら、俺がおんぶでもしてやろうか?」
「そこまで小さくなってねえよ、父さん!」
父さんの発言に反射的にツッコミを入れる。
え?なんで?
「父さんたち、俺がこんな姿になってたって知ってたのかよ!?」
この反応は明らかに俺の状態を事前に聞かされているだろうと、そうつっこむと「おお、そうだぞ。」と返ってきた。
「誰から聞いたんだ!?俺の事情知ってるやつなんて、そんなにいないんじゃ!?」
「あー、警察の中澤さんだったかな?女性の警察官さんが今朝家に来て教えてくれたぞ。」
そう言った後、父さんは俺に近づいてきて、そっと頭の上に手を置いて頭を撫で始めた。
「奈津希、大変だったな。」
「父さん…。」
「父さんたちもな、教えて貰った時色々と混乱したよ。でもな、お前の方が辛いに決まってるのなんて分かりきったことだし、少しでも元気出してもらおうと、普段通りの行動を取ってみることにしたんだ。
ーーーそれにな、さっきののおかげで俺はお前だって確信できたよ。」
一拍おいて言葉を続ける。
「さっきの普段と同じ言い方でのツッコミ、お前は確実に奈津希だ。」
「父さん…。
ーーーーってええええええっ!?
ツッコミ!?ツッコミで確かめたの!?
こっちは不安に押し潰されそうだったんだぞ!
そんな状態の息子に対して普段通りのツッコミを求めてたの!?
もしツッコミじゃなかったら、俺は俺だと気付いてもらえなかったのかよ!!」
「いや、だって、女の子になったって聞いてても、お前がそんなに可愛い、しかもお前のイメージと合わないおとなしい雰囲気の女の子になってるなんて思ってなかったから、テンパってたんだよ。
だから、本当に奈津希なのか確かめるために、お前にツッコミをさせてみた。
あの躊躇ない、少しタメ口になったツッコミ。
間違いなく奈津希だった。
お前なら出来ると信じてたぞ。」
「え、なにそのイメージの押し付け!!
ていうか、不安と恐怖に押し潰されそうになってる時にそんな事やらせるなよ!!」
そう言った後にふと記憶を巡らすと1つの事実に気付く。
「まさか亜希も!?」
俺の妹である亜希は俺の予想を認めるように、目を細めながら笑顔を見せた。
「なんだよ、それ。知ってるなら始めに知ってるって伝えてくれればいいじゃんかよ…。」
思わずため息と同時に声が出る。
父さんはそれを聞いた後、真剣な眼差しでこちらを見つめながら言った。
「あえてだよ。」
「えっ…。」
「お前が押し潰されそうな状態だって事は俺にだって分かる。
だからこそ、俺はお前に普段通り接したんだ。
俺たちが知らないと思い込んだまま、普段通り接されたら驚きで力が抜けるだろう?
そこからリラックスできるだろ?」
そう言って笑みを見せる父さん。
そんな父さんが、次に発した言葉に、俺は驚くことになる。
「それに、追い詰められた状態の時、支えになるのは普段通りの日常だって、俺も身をもって知ってるからな。」
ーーー驚愕で呼吸をするのを忘れる。
もしかして父さんも、俺と同じように女から男になっーーーーーー
「だってお前の精神状態、大学受験で全落ちして、絶望しているようなもんだろ?つらいよなー」
スパーン。
言った瞬間、父さんが母さんに頭を叩かれた。
「なにするんだよ母さん!」
「貴明さん…、流石にその例えはどうかと思いますよ?
それもつらいのも分かりますけど、奈津希の場合人生がかかってますから。」
「なんでだよ!!大学受験も人生かかってるだろ!」
父さんの言い訳に思わず笑みがこぼれる。
不安。緊張。恐怖。そんなもので占められていたはずの俺の心は、いつのまにか普段と同じ、いつも家族と話し合っている時の状態に成れていた。
そういえばさっき父さん、普段通りに接してくれた方が落ち着くみたいなこと言ってたな。
もしかして、今のも俺のために…、って違うか。
あれはただの父さんの素だ。
「あれ?お兄ちゃん、泣いてるよ?」
「え?」
そんな風に落ち着けてきたタイミングで、亜希が俺に言ってきた。
目の下を指先でなぞり、確認すると本当に流していた。
亜希は心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。
なんか恥ずかしくなってしまい、亜希から目を逸らし、窓の外をみながら、「光の加減だろ!」っと言い訳をする。
ーーー嬉しかったんだ。
姿が変わっても、性別すら変わっても、家族は態度を変えることなく扱ってくれる。
その事実に、無意識下で涙が流れてしまった。
俺、こんなに涙もろくなかったと思うんだけどな…。
そんな俺を見て亜希は、「やっぱお兄ちゃん泣いてるよー。」と言って追撃をかましてくる。
さっきまで、感謝や感動を実感してたのに、亜希の言葉でどこか冷めてしまった。
ーーーまあ、普段通り接してくれるって意味では嬉しいんだけどね。
そんなにタイミングで、また部屋がノックされた。
今度こそ山村先生かな?と思い「はーい。」と返事をする。
すると、また俺の予想は外れていたようで、スーツをビシッと着こなした20代後半から30代前半であろう男性が入ってきた。
男性は、家族が一緒にいたことに驚いたのか、少し目を見開いた後こちらに話しかけてきた。
「はじめまして。西山奈津希さんでよろしいでしょうか?私、厚生労働省に勤めております小柳達也と申します。」
まさかのお偉いさんである。
予想だにしない人物の登場に思わず動揺する。
「あ、あの。そんなお人が私のようなものにどのような御用でしょうか?」
緊張したせいで敬語が変な風に混じって、訳わかんないこと言ってんな、俺。
そんなことは気にもとめず、小柳さんとやらは言葉を続けた。
「はい。本日は省を代表いたしまして、奈津希さんに提案があり参った次第であります。」
『次第であります。』なんて、実際に使われてるの初めて聞いたと、くだらない感想が頭に浮かぶが、それは置いておこう。
「提案、ですか?」
「はい。私共としては、奈津希さんに証人保護プログラムを受けて欲しいのです。」